これからと、それから(2)
あれから、二年と少しの月日が流れた。
「あの。神楽坂隊員。俺まだ、未成年なんですけど」
半ば無理矢理連れてこられた酒場で、野駒雲雀はコップに酒を注がれていた。
相手は別部隊だが、知り合いだ。
「聞いてくれよ。雲雀くん。娘がさ、一緒にお風呂入るのが嫌って言うんだ」
「えーっと。それは。当たり前かと。年齢を考えてくださいよ。もう十六歳ですよ」
「せっかく一緒に住むことになったのに。寂しいじゃないか」
これは完全に、酔っていらっしゃるなぁ。と想いながら雲雀は困った顔をした。
とりあえず注がれた酒には口をつけずに、つまみの刺身を食べることにする。
雲雀は白銀の騎士学校・竜騎士科を卒業後、帝都へ帰省。帝国騎士団の竜騎士部隊へ入隊した。現在、十九歳。人族が大人と認められる年齢は二十歳なので、雲雀はまだ未成年である。飲酒は認められていない。
そして雲雀の隣で酔っぱらっているのは、神楽坂葵。帝国騎士団、一番隊の隊員である。葵は二年前の大怪我の後、一度は休養もかねて神楽坂古書店へ帰省したが、隊に戻ってきた。最近、帝都で娘の月見と二人で暮らし始めた。
「そういえば、この間。菫さんから手紙が来ましたよ。お母さんと一緒に写った写真が入れてありました。元気そうで何よりです」
「なんだとぅ。見せてくれ。雲雀くん」
葵が両手を差し出すので、雲雀は困った。
「今は持ってないですって。家に飾ってあるんです。それに毎週帰っているんですから、必要ないでしょう」
「いやいや。大事な妻と娘の写真だ。俺の部屋に飾ろう」
「もう、何言ってるんですか。俺宛てに来た写真ですよ」
酔いが回って支離滅裂なことを言う葵に、雲雀は呆れた顔をする。
写真の中の菫は母親と二人で嬉しそうに笑っていた。古書店の前で撮ったらしく、撮影したのはおそらくチトセだろう。
二年前の感謝祭の後。彼女曰く、発芽してしまった葵の力を押さえるため、妖精女王に魔法薬を作ってもらった。その魔法薬を帰省したさいに、菫の母である神楽坂桔梗にも飲ませた。そうしたら、体が植物になるのを抑えられるようになったのだ。
黒田は悔しがっていたが、妖精女王の薬に敵う物はないだろう。
葵は桔梗との再会を喜んだ。願いが叶った彼は華士に戻るのかと雲雀は思っていたのだが、彼はそのまま帝国騎士団に居続けることを選んだ。
彼が望んだというより、桔梗に望まれたからだ。決して悪い意味ではない。違う立場になってもやることは同じだから。どうせならそのまま続けてほしい。桔梗はそう言っていた。
「この間な。総一郎に会ったんだが。なんか恋人ができたみたいでな」
「え。そうなんですか」
雲雀は驚く。
「そうなんだよ。惚気るんだよ。勘弁してくれよ」
「いいなぁ。俺も早く伊良に行きたいです」
「雲雀くん。来週あたり一緒に行こうじゃないか」
「いいんですか。でも休暇取れるかなぁ」
部隊長の顔を思い出しながら、雲雀は言う。
いい人なんだけど、ちょっと厳しい。
「下っ端だから、こき使われているのか。はたまた期待されているからか。まぁ、俺から一声かけとくよ。菫も会いたがっていたし」
「うん。俺も会いたいです」
久しぶりに皆に会いたい。そんな気持ちが強くなった。
騎士学校時代の友人である浜鴫蓮太にも、最近は会えていない。というのも彼は学校を卒業後。魔法専攻の学校へ進学したからだ。突然の進路変更に、雲雀も含めて周りも驚いていた。竜騎士の夢は諦めたのかと雲雀が聞くと、そうじゃないと答えが返ってきた。
蓮太は二年前。葵と月見が目の前で倒れているのに何もできなかったことを後悔していると言った。だから、ただ竜騎士になるだけじゃだめだと思ったという。蓮太は治癒士兼竜騎士になると宣言した。
雲雀は彼を止めなかった。やりたいようにしてほしいと思った。
「あー。やっぱここにいた」
後方から聞き覚えのある女の声がして、雲雀は振り向く。見ると、そこにいたのは神楽坂月見だった。二年前より背が伸びて、大人っぽくなっている。
「月見。お前、なんでここに」
「雲雀こそ。あんたまだ未成年でしょう」
「俺は、飲んでない。ほら。ただのお茶だ」
雲雀はコップの中身を月見にみせる。
「む。それならいいんだけど」
納得してくれたようだった。
「ほら、葵さん。娘さんが迎えに来てくれましたよ」
雲雀は葵の背中を軽く叩く。
「んー? あー。月見か」
「お父さん。飲みすぎよ。明日も仕事なんでしょう。早く帰るわよ」
会計を済ませ、雲雀と葵と月見は店の外へ出る。
雲雀はまともに歩けない葵を背負いながら、空を見上げる。星の綺麗さに眩暈がする。
「ごめんね。雲雀。お父さんったら、もう」
月見が呆れながら息を吐いた。
「いいよ。月見も大変だよな」
言いながら、雲雀と月見は並んで歩き出す。
「そういえば。あんた、あたしと歩いていたらまずいんじゃないの」
「え?」
首をかしげる。
「あんた一応、首相の息子だしさ。あたしと一緒にいるの写真撮られて、雑誌に載せられるかも」
「あー。別にいいんじゃないか。気にしなくて」
雲雀の父親である野駒日雀大臣は、現在。政府の最高責任者である。
二年前に皇帝が政権を政府に渡した後。皇帝の推薦により就任した。
初代皇帝であった野薔薇は住居を移し、今は野薔薇の直系子孫がこの国の君主ということになっている。
あの日以来、父は雲雀の夢を応援してくれている。だから竜との共存協定もなくならなかった。その代わりに父は今、竜人と人間の婚姻に関する法を作ろうと奔走している。
もう二度と、あんな哀しい事件が起きないために。
「あたしは気にするわよ。まだ学生なんだから。しかも警察学校でしょ。騒ぎになったら何言われるか」
月見は頭を抱えた。
神楽坂月見は現在。帝都の警察学校に通っている。葵と二人暮らしを始めたのはそのためだ。卒業後は伊良に帰って地元の警察に就職する予定らしい。
「まぁ、そのときは。俺が何とかしてやるよ」
「何とかって。具体的には?」
「まぁ。何とか。なるようになる」
ルリが言いそうな言葉だなと思って、自分で笑う。
雲雀はルリ・ヒ・シイナとその親友。ワカバ・ヒ・シンカのことを思い出していた。
彼女らは白銀の騎士学校を卒業後、そのまま学校で講師をすることになった。
雲雀が帝国騎士団に入ると決めたとき、ルリも一緒に入ると言った。しかし、ルリは騎士団に入れる大きさの竜ではない。彼女は入団試験を受けられなかった。それは仕方のないことで。ルリはその事実を素直に受け止めた。
けれど森には帰らなかった。
蓮太が竜騎士になるのを待つために学校に残るとワカバが決めたとき、ルリも一緒に。という話になった。それで二人とも講師をすることになったのだ。
「雲雀。一緒に頑張ろうね」
月見の言葉に雲雀は一瞬目を丸くしたが、すぐに微笑んで、「おう」と返した。
雲雀は夜空を見上げる。
この空を、皆も見ているだろうか。
*
「ちょっと寄りたい店があるからさ。先に行ってて」
月末になってようやく休暇が取れた雲雀は、伊良市を訪れていた。
父の命令で一緒の列車に乗ってきた深山鶫にそう告げると、雲雀は彼女と別れて学生時代によく通っていた武器屋に向かった。
それは相変わらず店の奥の壁に立てかけてあった。この二年でよく売れなかったものだなと思いながら、雲雀はその剣を見つめた。
初任給で手に入れようと、ずっと思っていた。それがようやく今日、叶う。
「すみません。これください」
雲雀は、近くで在庫整理をしていた店員に声をかけた。
「お? ああ……」
その人は頭を掻きながら、何故かじろじろと雲雀のことを見る。
「あの。何か」
さすがの雲雀も不快に思う。
「ああ。いや。すまん。でかくなったなと思って」
店員の言葉に、雲雀は目を丸くする。
ここでずっと働いている男の人だから、もしかしたら顔を覚えられていたのかもしれない。
雲雀は会計を済ませ、帝都の家に送ってもらうよう手配してもらい、店を出た。
「元気でやれよ。坊主」
店の窓から顔を出し、店員は言った。
「ありがとうございます」
雲雀は手を振った。
神楽坂古書店に向かおうとする途中。菫とチトセを初めて見た場所を通りがかる。あの日の恐怖と好奇心は、今でも鮮明に思い出せる。もし彼らに出会っていなかったら、今の自分はないだろう。彼らは自分に、憧れだけじゃない世界を見せてくれた。
二年前のあの日。雲雀は学校を卒業したら帝国騎士団に入ると決めた。それを菫たちに話したら、彼女らはあっさりそれを承諾した。菫の仕事を手伝えなくなるけど、それでもいいのかと問うと、菫は雲雀のしたいようにしてほしいと言った。
雲雀がりっぱな竜騎士として活躍する姿を見たい。ずっと応援していると。ルリもチトセも、言ってくれた。皆が、雲雀を励ましてくれた。だから雲雀は今、帝国騎士団で仕事をしている。
神楽坂古書店が見えてきた。店先に、チトセ・ヒ・リイヤと神楽坂菫がいる。どうやら先に着いた鶫と話をしているようだ。
三人が雲雀に気づいて手を振ってくる。雲雀はそれを見て駆け出した。