表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛竜の華  作者: 黒宮涼
哀を唄えば
52/60

愛の華

 何が起こったのか。月見つきみは理解するのに数秒かかった。

 森に入り、例の通り魔だった魔法士を見つけたところまでは覚えている。近くに知らない男が倒れていて、魔法士はなんだか知らないけど笑っていた。月見はそれが腹立たしくて、我慢できなくて――。


「お、とう、さん?」


 目の前は真っ暗だ。何も見えない。微かに焦げた匂いがする。すぐ近くに父の体温を感じていた。抱きしめられていた。父の息はあらい。いったい何故。頭が混乱している。


「大丈夫だ。月見。お前は俺が守ってやるからな」


 父の言葉が、月見の胸の中にすっと入ってくる。父は魔法士の投げた爆弾から、月見をかばってくれたのだ。自分の身を挺して。体から大量の太いつたを幾つも出し絡ませあい、月見の体ごとそれで包んで。まゆのように。


「やめて。離して。これじゃまるで」


 ――まるで、あの日と同じ。


 涙が頬を伝って、父の肩を濡らした。月見は思い出していた。あの日。月見が母を死んだことにした日。母も今の父と同じように月見とすみれを抱きしめていた。

 運転手が操縦を謝り、車が歩道に突っ込んできた。母はとっさに月見と菫をかばった。その時に植物の蔦が母の体から無数に伸びて絡まり、月見たちを包んだのだ。それ以来、母の植物化は加速した。髪の毛も手も足も植物になり、歩けなくなったころ。母はとうとう地下へ降りた。

 他人に化け物と罵られても、母は構わないと言った。子どもたちを守ったことに誇りを持っていると言った。月見はそれが嫌だった。母のようになりたくないと心から思った。自分のことより子どものことを優先したり、赤の他人を助けたり。そんなことより自分のことを考えてほしかった。そんなだから、父に捨てられたのだと思い込んでいた。

 写真で見る父はどこか知らない他人のように見えた。たまに店に来る黒田総一郎が父親だったら、どんなにか良いだろうと思っていた。彼のほうがよっぽど、父親らしく見えていた。でも今は――。


「うわぁっ」


 ぶちぶちという嫌な音と共に、父の体が月見から離れた。引きはがされたという表現があっているかもしれない。


「驚いた。こんなこともできるの。その力、魔法とも違う。痛いの? 肉体の一部なのかな。面白い」


 倒れた父が、身もだえている。父の体から生えている蔦には、乱暴に引きちぎられた跡がある。


「月見ちゃん。逃げろ!」


 浜鴫蓮太はましぎれんたの叫びが聞こえる。彼はワカバを守るので精一杯だったのだろう。ワカバの肩を支えながら、立っている。

 けれど月見は動けなかった。ただ呆然とその場で尻もちをついているだけ。目の前の恐怖と現実を受け入れられないでいた。


「娘に、手を、出すな」


 苦しそうにしながら、父が声を絞り出す。手の蔦をさらに伸ばし、魔法士の女の足を絡めとろうとするが、彼女は寸前でそれをよける。そして父の蔦を、力強く踏んだ。


「ぐあっ」


 父の悲痛な叫びが上がる。


「あははは。おもしろーい」


 魔法士の女はそう言って笑いながら、何度も何度も父の蔦を踏みつけた。父はそのたびに呻り、叫んだ。

 もうやめて。と月見は思った。視界に入れたくなくて顔を両手で覆う。


「いいざま。私を捕まえたときのあの威勢はどこへ行ったの? 今度はその蔦。切り刻もうかな。いいよね。だってお前、そうしないと私がこれからすること、邪魔するでしょう」


 魔法士の女の笑い声が、月見の頭の中で響いていた。


「蓮太。竜の姿になるわ。もう、見ていられない」


 ワカバが言う。月見は顔を上げワカバを見る。


「ダメだ。お前、俺たちをかばうつもりだろう。もう少しで帝国騎士団が応援に来るはずだ。それまで持ちこたえれば」


 蓮太がそう言うと、ワカバが首を横に振った。


「いいえ。それじゃあ間に合わない。あの爆弾。そのものがおぬみたい。あの女。鍵を持っているのよ。この状況がかなりまずいのは、わかるでしょう」


 ワカバの視線と月見の視線が、ぶつかり合う。月見は思わず肩を振るわせた。

 視線を戻すと、魔法士がぶつぶつと何かをしゃべっている。魔法の詠唱だ。片手には父の蔦を持ち、もう片方の手は風をまとい、それを刃物のように構えて降り下ろした。


「うわああああああああああっ」


 父は絶叫した。切り刻まれた蔦が葉を揺らし、地面に落ちる。


「お父さん!」


 月見は叫ぶ。駆け寄りたいが、やはり足が動かない。月見は悔しくて、自分の足を叩いた。


「さて。次はどうしようかな」


 魔法士がそう言いながら、月見のほうへ向かってくる。

 逃げなきゃと思うのに、恐怖が勝って動けない。


「月見。気をしっかり持って!」


 ワカバの声が聞こえる。そんなことを言われてもどうしようもない。

 月見の目の前に、魔法士が腕を突き出す。その手には黒い鍵が握られていた。おそらくそれが、例の隠の鍵なのだろう。


「お前の心の闇、開かせてもらう」


 魔法士がそう言った瞬間。


「つき、み」


 父の声が聞こえた。

 月見は目を見開く。それから「馬鹿みたい」と呟いた。


「なに?」


 魔法士の手は月見の胸の前で止まったまま、動かない。


「そんなになってまで、まだあたしを助けようとしているの。本当。家族揃って馬鹿なんだから」


 月見はそう言って、ゆっくりと息を吐いた。

 何を怖がっていたのだろう。何をためらっていたのだろう。すごくらしくないことをしていたと月見は思う。


「悪いけれど、魔法士さん。あたしの心に闇なんてないわ」


 月見は魔法士の手を掴み、そして立ち上がった。


「何を言っている。そんな人間、いるはずがない」

「確かにあったのかもしれない。いいえ。あったの。けれど、今のあたしの心は、とても晴れやか。お父さんのおかげでね。今までうじうじ悩んでいたのが馬鹿みたいだわ」


 月見は普通でいたかった。母と姉に華士はなしになるかならないかと選択を迫られたとき、月見はならないと答えた。あなたたちのようにはならない。なりたくない。普通で。平凡な人生を歩みたい。そう思った。けれど本当は、その選択をずっと後悔していた。自分はなんて子どもだったのだろう。そう、自分を否定した。だからこそ。姉が自分を犠牲にしたとき、月見は迷わず自分も華士になろうと決意した。でも父はそれを違うと言った。姉はそんなことを望んでいないのだと。父は「華士にならないでいてくれてよかった」と言ってくれた。認めてくれた。月見の最初の選択が間違っていなかったと言ってくれた。その言葉がどれだけ月見の救いになったのか。父は知らないだろう。


「あたしはもう迷わない。あなたを止めてみせる」


 月見は真っすぐに魔法士を見てそう言った。


「やめろ。そんな目で私を見ないで」


 魔法士は小さな声で呟くように言った。長い前髪のせいで、その表情は読めない。


「あなたは隠を使って、何をしようとしているの」


 月見は魔法士に向かって尋ねる。


「お前には関係ない。何も知らないくせに。隠が出ないなら、お前にはもう用はない。手を離せ」


 魔法士はそう言うけれど、月見は彼女の手を離さない。ここで逃がしたらいけないと思った。月見はさらに強く魔法士の手を握る。


「あなたにはなくとも、あたしにはあるわ。あたしの大切な家族を、友人を。こんな目に会わせておいて、ただで済むと思っているわけ?」

「私がやろうとしていることを、お前たちが邪魔をするから。私はただ。お前たちを苦しみから解放してあげようと思っているだけなのに」


 魔法士の言葉に、月見は首を傾げた。


「どういうこと?」 


「どうしてお前たちは、竜人族と仲良くしているんだ。どうして仲良くできる。最後にはどうせ裏切られるのに」

「あなたはそうだったのかもしれないけれど、あたしたちは違うからよ」


 月見は魔法士に向かってそう答えた。

 彼女は酷く傷ついているのだ。そう月見は感じた。だから竜人と人間の中を引き裂くような真似をしている。理解したら納得できた。彼女は竜人と仲良くなることを諦めた人だ。


「そりゃあ、一緒にいて理解できないこととか。馬鹿だなって思うことはたくさんあるけれど。それは種族が違うから仕方のないことだって思う。それでもお互い支えあう関係だったり、色々。いい関係が築けているのなら、仲良くなるのも悪くないかなって思うよ」


 月見はワカバと蓮太。ルリと雲雀。それからチトセと姉の菫のことを頭に浮かべていた。相方だからとか、そういう関係だけじゃない。羨ましいくらいに信頼関係で結ばれているような気がする。


「お前、何もわかっていないな。まぁ、恋もまだみたいなお子様には私のことなんてわからないよな」


 魔法士がそう言った瞬間だった。月見の腹部に激痛が走る。


「いっ」


 握っていた方と逆の手で、魔法士は月見の腹部を思い切り殴ってきた。しかもただの拳ではない。いつの間に魔法を詠唱したのかそれは風をまとっていた。月見は痛みで思わず手を離してしまう。魔法の詠唱タイミングがわかりにくいのは難点だった。ただ殴られただけならまだしも魔法で殴られるのは、針の束で突かれたような激痛を感じる。

 月見は血を吐いた。


「月見!」

「月見ちゃん!」


 ワカバと蓮太がそれぞれ叫ぶように名を呼んだ。


 月見は両手で腹部を押さえ、その場に両膝をついた。指の隙間から流れた血が地面へ落ちる。

 父の叫び声が聞き取れない。魔法士は狂ったように笑う。それから月見は、信じられない光景を見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ