家族(1)
街は何も知らずに、祭りを続けていた。一部の竜人たちがいなくなっていることに気づいていないのか、どうでもいいと思っているのか。
雑踏の中をかき分けながら、雲雀たちはやっとの思いで目的地へとたどり着いた。
葵が率いる月見、ワカバ、蓮太と森の入り口前で別れる。帝国騎士団の団員たちにも連絡を取ったが、森の見回り組が行方不明になっているらしい。恐らく隠の仕業だろう。ということで、帝国騎士団も鍵の所有者=隠使いを捕獲するのに協力してくれることになった。
森の入口前に残ったのは雲雀、黒田、チトセ、ルリ。の四人だった。雲雀は執事長から受け取っていた小型無線機のスイッチを入れると、向うの状況を尋ねた。執事長の話では、森の近くの喫茶店で昼食をとっているところらしい。どうやら上手くやってくれているようだ。雲雀たちは改めてそこへ向かうことになった。
執事長の言っていた喫茶店の待合所も、人であふれていた。こんなところに本当にいるのかと思ったが、執事長の車が外に停まっていたのでいることは間違いがなかった。入口から中を覗くが見当たらなかったのでもう一度外に出る。今度は野外席を覗いてみると、一番端の席で不機嫌そうに座っている男を見つけた。
「おい、もういいだろう。食事はすんだ。何、書類だ? そんなもの後でいい」
「ですが、急ぎの物があと何個か」
「こちらも急いでいるんだ。お前は知っているだろう。それともなんだ。今さらやめろとでもいうつもりなのか。お前にそんな権限があるとでも思っているのか。執事長」
「ええ。もちろん知っていますよ」
男の傍に立っていた初老の男が頷いたとほぼ同時だったと思う。男の隣で人形のように座っていた女の子がこちらに気づいたのか、驚いたように突然立ち上がり、座っていた椅子を後ろに倒した。金属の大きな音が鳴り、「おい。どうした」と不機嫌そうな男が彼女に声をかける。
野外席には他にもいくつか席はあったが、いるのはその三人だけだ。恐らく人払いでもしているのだろう。
「どう、して」
消え入りそうな声で、深山鶫は言った。
「間に合ってよかった」
雲雀はそう言って少女に向かって微笑んだ。
「お待ちしておりました。雲雀様」
執事長が頭を下げながら言う。そこでようやく、不機嫌そうな男。野駒日雀と雲雀の目が合った。
「雲雀……。と、誰だ。もしかして報告にあった竜人たちか」
父は雲雀と、その隣のルリ。後ろに立っていた黒田とチトセをそれぞれ見てから、怪訝な顔をする。父の隣で放心状態になっていた鶫は、執事長が起こした椅子に座り直す。
「お初にお目にかかります。野駒日雀大臣。私は伊良の街から来ました。黒田総一郎と申します」
黒田は父に向かって、丁寧に頭を下げた。
「えっと、私はルリ・ヒ・シイナ。雲雀の相方デス!」
ルリはそう言いながら何故か敬礼した。
「俺はチトセ・ヒ・リイヤだ」
チトセは隣の黒田に小突かれて、仕方なさそうに名乗った。
「私は野駒日雀防衛大臣だ。名乗らなくても知っているようだな。当たり前か」
相変わらず偉そうだな。と雲雀は思う。こんな形で顔を合わせたくはなかった。
「飲み物を注文してきます。何がよろしいでしょうか」
執事長の言葉に、雲雀は首を横に振った。
「いや。いい。急いでいるんだ」
悠長にしている時間などなかった。菫のことが気がかりだ。
「かしこまりました」
執事長は首をかしげながらもそう言って、雲雀に向かって頭を下げた。
「久しぶりだな。雲雀。会えて嬉しいよ」
「ええ。本当に久しぶりですね。元気そうで何よりです。父上」
睨みつけるように雲雀は父に視線を向けた。久しぶり。白銀の騎士学校へ入学するために雲雀が家を出て以来の再会だった。
「ああ。忘れられていなくてよかったよ。お前の母のようにな」
父の言葉に、雲雀はむっとした。蒸し返してほしくない話だった。
「母上のことも、今は覚えています。勝手に家を出たのは謝りますが、俺は俺の選択が間違っていたなんて思っていません」
ルリが隣で首をかしげている。この話は、まだ誰にもしていなかった。執事長がルリの様子を見て説明してくれる。
「雲雀様は、奥様が事故で亡くなられたとき、ショックを受けて奥様が死んだという記憶を忘れてしまったことがありまして。あの時は手を焼きました。もともと持病を抱えていた奥様は、体調がすぐれないため面会できないということにして誤魔化していたんです。あの時期から何となくお二人がかみ合わないようになっていきました」
「どうやって思い出したの?」
ルリが執事長に尋ねる。雲雀はなんだか恥ずかしくて下を向いた。
「ある日、雲雀様が普段はあまり見ないテレビを見たらしくて。画面には竜騎士が映っていました。それからくい入るようにしばらく見つめたあと、突然涙を流されて。母上は死んだのかと、問われました。私ははいと答えました。雲雀様が記憶を取り戻されたのだとその時わかりました」
「そうなの。でも、その時の映像って雲雀が竜騎士を目指したきっかけだよね」
ルリがそう言って、雲雀の顔を覗き込む。
「それは恐らく。事故の時にもしも竜騎士がいたらと思ったから。ではないでしょうか」
執事長の言葉に、鼓動が早くなる。ルリの瞳が真っすぐに雲雀を見つめていた。今では目を閉じるとすぐに思い出せる。事故の起こった日。母は珍しく体調がいいからと、雲雀を庭へ連れ出した。
「帽子が、飛んで。木に引っかかってて。俺が取るって言ったのに、母上は聞かずに自分で木に登った。俺も後から登ったけど思いのほか早くて。――助けられなかった」
思えば雲雀はずっと、それを自分のせいだと思っていた。あの事故以来、父は雲雀と全く口をきいてくれなくなった。それまでは、まあ。挨拶くらいは交わしていたのにそれすらなくなった。
「打ち所が悪かっただけです。雲雀様のせいじゃないです。それに奥様から目を離した私たちにも責任があります」
雲雀は首を横に振り、そして鶫に視線をやる。雲雀の予想が当たっているのなら、雲雀の母は鶫の母でもある。今の話を聞いて、彼女は何を思っただろう。強張った顔を必死で元に戻そうとしているように見える。
「そんな話はどうでもいいだろう」
不意に、先ほどまで黙っていたチトセがそう言った。
どうでもいいことはないだろう。そう思ったが助かったのも事実だ。
「ふ。そうだな。雲雀くん。本題に入ろう」
「父上。これから鶫を連れて森へ行くつもりですよね」
雲雀は気を取り直すと、父に向かってそう言った。
「それがどうした。止めても無駄だぞ」
父はそう言って椅子から立ち上がる。鶫はそれを見て、迷いなく同じように立ちがった。
「行くな鶫!」
雲雀が大きな声で呼び止めると、鶫が肩を震わせた。
「何をしている」
父は数歩進んでから振り向き、立ち止まっている鶫を見て言った。
「いえ。旦那様。早くいきましょう」
鶫は何かを振り払うかのように首を横に振り、そう言って歩き出そうとする。
雲雀は、鶫を行かせてはいけないと思った。このままでは、すべてが父の思惑通りに進んでしまう。それだけはダメだ。阻止しなければ。
「待てよ。森には今、隠がいて危険なんだぞ」
雲雀は言って、鶫の右腕を掴んだ。
「知っています。離してください。雲雀様」
雲雀は鶫の腕を引き無理矢理自分のほうへ向かせ、両肩を両手でしっかりと掴んだ。
顔をこちらへ向けた鶫の瞳は揺れていた。その泣きそうな顔を見て、雲雀は察したのだ。
「知っているのに、行くのか?」
雲雀の問いに、鶫はこくりと頷いた。
「すべて知っていますわ。旦那様が何をしようとしているのか。私に何をさせようとしているのかも」
震える声で、鶫は言った。
「だったらどうして」
「そうしないと、兄様が。兄様が……」
鶫の瞳から、とうとう大粒の涙がこぼれだした。ずっと我慢をしていたのだとわかる。鶫は雲雀に肩を掴まれたまま、両手で顔を覆った。手を放したら、今にも崩れてしまいそうだった。
「くそおやじ」
雲雀は憎しみたっぷりに呟く。昔から目的のためには手段を選ばないところはあったが、ここまでとは思っていなかった。
「雲雀様……。兄様を助けて」
鶫が呟くようにそう言った。「お願い」と、さらに小さな声で言う。
「鶫。早く来い。時間を無駄にした」
父はそう言って鶫の来ていた衣服の襟を掴み、彼女を連れて行こうとする。
「鶫ちゃん!」
ルリが叫ぶ声が聞こえた。
「鶫を離せ!」
雲雀はとっさに左手で父の胸ぐらを掴んだ。右手の拳を振り上げたが、殴らなかった。雲雀のおかげで解放された鶫はその場に座りこむ。ルリが駆け寄って「大丈夫?」と声をかけるのを横目で見た。
「どうした。殴らないのか」
「殴らないよ。俺は、殴らない。父上。あなたが何をしようとしているのか、すべて燕から聞きました。あなたが深山兄妹を命という鎖で縛り、服従させているのも知っています。でも、なんでそこまでして二人を苦しめるのかがわかりません」
雲雀が言うと、父は目を大きく見開いた。
「――燕に会ったのか」
父の言葉に、雲雀は頷いた。
「はい」
次の瞬間だった。父は懐から見たこともない小型の銃を取り出して、その銃口を鶫に向けた。