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飛竜の華  作者: 黒宮涼
哀を唄えば
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父親(2)

 一度宿へ戻ることにした雲雀ひばりは、執事長の小型車で送ってもらうことになった。待ち時間がない分、大型車に乗るよりは早く着いた。それでも車通りの多い道路は渋滞していたが。


「私はこのまま旦那様のところへ向かいます」と、宿の前で車を止めると執事長はそう言った。気を付けてと雲雀は一言告げて車を降りた。執事長の車を見送ると、雲雀は空腹を感じながら部屋へ戻る。もうすぐ昼飯の時間だ。考える時間はそれほどない。ないが、雲雀は頭の中を整理しなければならなかった。父のこと。つぐみのこと。つばめのこと。それから、執事長のこと。


 雲雀の母は幼いころに亡くなっている。それを知ったのはもっとずっと後のことだったけれど、雲雀には確かに母が生きていた頃の記憶がある。仕事ばかりでほとんど遊んだ記憶のない父。病気で寝たきりだったけれど、いつも優しく見守ってくれていた母。雲雀にとって血の繋がった家族は、その二人だけのはずだった。

 燕が言った半分血が繋がっている。とは、いったいどういう意味だろうか。父を問い詰めない限り本当のことはわからないが、おそらく燕と鶫は雲雀の父とは血が繋がっていないのだろう。それは執事長の言葉から推測できる。父と血の繋がった雲雀にしかできないこと。それはつまり、燕と鶫にはできないこと。

 そこまで考えて、宿泊部屋の前まで来たことに気づく。飛び出していった手前、部屋には入りづらかった。扉の前で躊躇ちゅうちょしていると、中から大きな声が聴こえてきたので雲雀は驚いた。小さなことを気にしている場合でもないらしい。何かあったのかもしれないと、雲雀はおそるおそる扉を開けた。


「お前はいったい、何をやっているんだ!」


 今にも殴り掛かりそうな、黒田の叫び声が聞こえた。いや、もう。一度殴った後だったらしい。雲雀の目に飛び込んできたのは、尻もちをついたまま右の頬を抑えるあおいの姿だった。黒田は眉を限界まで釣り上げて怒っている様子だった。それを必死で止めようとしている蓮太がいる。チトセは奥のほうで三人の様子を見ているようだった。部屋の隅にはルリとワカバが不安そうな顔で立っていた。


「あ、雲雀」


 葵の近くで、泣いていたのか目を腫らした月見が雲雀のほうに気づいた。


「な、何があったんだ」


 呟いて、雲雀は気づく。そこにすみれの姿がないことに。嫌な汗が額を伝って床に落ちた。


「この男が、自分の娘を売ったんだと」


 チトセがあごで葵のことを示した。声色で、彼も何かしらに怒っているのだと感じた。

 そんな、まさかと雲雀は思った。いくら葵が不器用だからと言って、そんなことをするはずがない。何かの間違いだと思った。


「ち、違う。こんなはずじゃなかったんだ。俺だって騙されたんだよ! ただ娘に会わせるだけならと。それで教えてくれるならいいと思って……っ」

「だからお前は、馬鹿だというんだ!」


 葵のいい分に、黒田が怒鳴る。騙されたのも自分の責任だという。


「黒田さん。落ち着いて。雲雀、お前も手伝え。チトセさんも見てないで止めて」


 蓮太が一人、黒田の肩をしっかりとつかんで彼を止めようとしていた。


「止める? 殴られて当然のことをしたのにか。理解ができんな。菫を危険にさらしているのはこの男だろう」


 チトセは冷たく言い放つ。


「ごめんなさい。あたしのせいなの。お姉ちゃんは、あたしの代わりに」


 月見が目に涙をためて言う。月見が泣くほどのことだ。雲雀の想像もつかない事件が起こっていることは理解できた。


「とりあえず、菫さんに何かがあったのはわかったよ」


 雲雀はそう言って一息吐く。これ以上の考え事が増えるのは勘弁してほしかった。けれど聞かなければならない。冷静でいられる自信は、雲雀にはなかったが。


「すまない。ちゃんと話すよ。最初から全部」


 深く重い息を吐いて、葵が言った。何かを観念したかのようだった。そんな彼の様子を見て、黒田も落ち着きを取り戻したのか、固く握りしめていた右手の力を弱めた。それから黒田は不安そうな顔をした蓮太のほうを一瞥してから、「もういい」と言わんばかりに、その場に胡坐をかいて座った。蓮太は一歩下がると、まだ不安が拭えないのか黒田を見下ろしたまま立っていた。

 葵が再び口を開くまで、誰も何も言わなかった。言える雰囲気ではなかったからだ。


「月見と雲雀くんには既に伝えたことだが。今朝、牢獄で爆発事件が起きた」


 葵の言葉に、黒田が目を丸くした。


「そんなこと、朝刊にはどこにも……っ」

「当たり前だ。祭り初日。混乱を避けるために伏せられていた。牢獄関係者と、帝国騎士団内部には事件のすぐ後に通達されたがな」

「原因は?」


 真剣な表情で、黒田が葵に向かって問う。葵は答えた。


「確証はない。が。可能性として。おぬが現れたのだと。俺たちは見ている」

「隠か。また厄介なことになったな」


 黒田が頭を抱える。それから間をおいて「――で、それとこれとはどう話が繋がるんだ」と言いながら葵を睨むように見つめる。

 ばつが悪そうに、葵は目を泳がせた。


「俺は皇帝陛下に事件の報告に行った。陛下の顔色が変わったことには気づいていた。だが、あんなことになるなんて。陛下は俺に向かってこう言ったんだ。娘を今すぐ連れて来いと。そうしたら俺がずっと知りたかった皇家の秘密を教えると」

「それで、菫ちゃんと月見ちゃんを連れ出したのか」


 黒田の言葉に、今度は雲雀が頭を抱える番だった。葵が二人を連れ出す手助けをしたのは雲雀だ。あの時は本当に、これで親子関係が修復できるならと思った。それなのに。


「ああ。ただ、俺の娘に会ってみたいと言ったんだ。俺が、城まで連れて行くつもりだった。それなのに……。娘を迎えに来たのは、皇帝陛下の側近たちだ」


 額に眉を寄せながら、葵は言った。皇帝陛下の側近たちと言えば、陛下のお気に入りの強者たちばかりと有名だ。中には帝国騎士団から引き抜いた騎士もいるとか。


「あの人たち、女の若い華士はなしを欲しがっていたみたい。それで、お姉ちゃんが」


 月見はそう言って、顔を俯かせた。


「何となく、菫さんの行動がわかった気がする。葵さんに月見が華士じゃないってこと言わなかったのも、こうなることを予想していたのかもしれない」


 雲雀は言いながら、ため息を吐いた。らしいと言えばそれまでだけど、結局のところ菫は自分を犠牲にしてまで月見を守ったということだろう。

 しばらく沈黙が流れた。その場にいた全員が、菫のことを想っていたのだろう。これからどうなるか、自分が何をされるかもわからない状況で、妹を守った。自己犠牲も甚だしい。月見のために生きたいと言っていたのは、嘘だったのか? ならばなぜ、雲雀とチトセを自分の傍に置いた。守ってほしいと願った。


「なんで……」


 雲雀が再び口を開きかけた時だった。


「やっぱり、あたしがあの日。お母さんから力を教えてもらうべきだったのよ。そうすればお姉ちゃんは。あたしのために自分を犠牲にすることなんてなかった」


 月見の言葉が、胸の奥にすっと落ちた。


「月見」


 顔を上げない月見の瞳から涙が流れていることに、雲雀は気づいていた。


「お願いがあるの」


 月見が言いながら、床に座り込んだままの葵さんの隣にゆっくりと膝をついた。

 葵は不安そうな顔で月見を見つめていた。彼女がこれから言おうとしていることぐらい、彼にも予想できていたのだろう。葵は月見が言葉を続ける前に、こう質問した。


「月見。お前が華士じゃないって聞いて、俺がなんて思ったと思う」 

「え?」


 月見は首を傾げた。


「ああ。よかった。――って思ったんだ。心からそう思ったんだよ」


 葵はそう言って、月見に向かって優しく微笑む。


「そうだよな。なるかならないか、俺たちは選べたんだ。そんな簡単なことも忘れていたんだ。俺は華士に、なりたくてなったんだ。桔梗ききょうも菫も、きっと同じだ。月見はなりたくなくてならなかった。もしそうなら、俺はお前のその願いを聞くことはできない。菫を本当の意味で助けたいと思うなら、なおさら」


 葵は月見の涙を、右手の人差し指で拭った。


「こんなのでも一応、父親なんでな。娘の涙には弱いんだ。月見。今まですまなかったな。それから、ありがとう。華士にならないでいてくれて」


 月見は葵の胸に引き寄せられて、抱きしめられた。その光景に、雲雀は羨ましさを覚えて、思わず目を閉じた。


「菫を取り戻そう。絶対に」

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