竜と人の感謝祭(2)
菫と月見が葵と共に街に出ることを伝えると、黒田総一郎は怪訝な顔をした。それから考え込むようなしぐさをして、ため息をついた。
「また、勝手なまねを。葵のことだ。他にも何か企んでいる可能性だってある。あいつも何を考えているかわからんが、雲雀くんも雲雀くんだな。二人を行かせたのは得策ではなかったな」
「でも、いい機会じゃないですか。十四年の穴を埋めるのが、どれだけ大変か想像もつかないですけど。何もしないよりは、ずっといい……」
雲雀はそう言って、肩を落とした。自分の父親のことを思い出したからだ。
黒田はそんな雲雀の様子を見て、腰かけていた椅子から立ち上がり雲雀の傍まで来る。それから頭をぽんぽんと軽く叩いた。彼なりに慰めようとしているのだろうか。
「雲雀くん。お父さんのこと、君が一人で背負い込む必要はないよ。いざとなったら僕らも手を貸すし、力になる」
「黒田さん」
「そうだぞ、雲雀。お前、一人で行こうなんざ思ってないだろうな」
蓮太が座椅子に座ったまま、こちらを見て言った。
「ふん。あり得るぞ。なんせ雲雀は馬鹿だからな」
立ったまま壁にもたれて話を聞いていたチトセが、余計なことを言ってくる。雲雀は苛立ち、反論する。
「馬鹿は余計だろう。チトセ。俺だって何も考えていないわけじゃない。一人で行ったって父上に会えるとも思っていない。だからっ」
「深山鶫を利用しようと思ったんだろう」
見透かすように、チトセが言った。部屋を出る前、鶫に電話をしにいくことは言っていた。けれど、その後どうするか。雲雀の考えはこうだ。と明言した覚えはない。
「悪いことは言わん。それはやめておけ。深山鶫はお前の父親の犬だ。いざという時、敵に回る女だ」
「何で……。何で、昨日からそうなんだよ」
チトセは鶫の話になると機嫌が悪くなる。
「どんな理由があろうが、俺とルリを裏切り、お前を裏切ったことには変わりはない。俺はあの娘を許すつもりはない」
虚ろな目をしながら、チトセははっきりとそう口にした。
「……だったら。お前がそう言うんなら俺は、深山鶫を信じる。彼女の言葉を信じる!」
何かあったらすぐに駆け付けると言った彼女の言葉を。雲雀は無下にはできない。
雲雀は叫んでから、勢いで部屋を出て行こうとする。
「どこへ行くんだ。雲雀くん」
黒田が焦ったような声を出す。
「深山さんのところ」
あてはないこともない。父の予定を知ることができればなんとかなるはずだ。
「ふん。勝手にしろ」
チトセが両腕を胸の前で組みながら、言った。
「おい。一人で行くのか?」
蓮太も慌てた様子で立ち上がる。
「心配ない。理由を聞きに行くだけだから」
雲雀はそう言って、蓮太が止めるのも聞かずに部屋を出た。重い扉が音を立てて閉まる。雲雀は足早に歩き出した。
*
賑わいの声が聞こえる。
通りに何軒も露店が開かれ、帝都中が色とりどりに飾り付けられていた。
広い街を移動するには乗り物が必要だ。決められた時間ごとに走る大型自動四輪車は普段より本数が多く走っている。停留所には長い列ができていた。雲雀はその列の最後尾に並ぶ。ここから大型車で噴水広場まで五分。雲雀の目的地までさらに十分といったところだ。椅子もあったがすでに埋まっているため、乗り物が来るまでずっと立っていなければならない。先ほど時刻表を見たが、臨時運行の大型車はあと五分後に来るらしい。しかしこの長蛇の列を見るに、次の大型車に乗れるとは限らない。一度に乗れる人数は四十人から四十五人くらいと決まっているからだ。
遠くで軽快な音楽が奏でられている。耳に自然と入ってきて、雲雀の心を落ち着かせる。あれはよくなかった。と、雲雀は少しばかり反省していた。数分前。雲雀はチトセと軽い口論になって宿を飛び出した。雲雀の悪い癖だった。つい感情のままに行動してしまう。
深山鶫は父の部下。父の言いなりに動く。チトセの言いたいこともわかっているはずなのに。
雲雀は胸の前で両腕を組み、父のことを考える。あの人が何を考えているのかはわからない。もしかしたらと、思い当たることはある。けれど、きちんとした話もせずに。理由も聞かずに結論を出すのは避けたい。
――父は、権力を欲しがっていた。もっと言うならば国の政権を欲しがっていた。高望みにもほどがある。
この国は王政だ。政治の全権を皇帝陛下が握っている。それは国ができてから二千年間ずっと変わらない事実だ。今までどれだけの人間がそれを覆そうとしてきたのかは雲雀にはわからないが、ことごとく失敗に終わっている。今でも王政なことがその証拠だ。それだけ陛下の権力は莫大なのだろう。
父の目的が本当にそれならば、気になるのが妖精女王との関係だ。竜と人の感謝祭に妖精と竜の祭りをわざとぶつけてきたのは明らかだ。竜人が街からいなくなれば、感謝祭の意味が問われる。竜と人が共存することの感謝の祭りだからだ。一番困るのは感謝祭を開催するよう言った皇帝陛下だろう。批判を受けるのは目に見えている。父はそれを利用したいのかもしれない。
大型車が停留所に入ってくる。雲雀が並んでいた列が進む。あっという間に定員になり、次の大型車を待つことになってしまった。
それから十分後の大型車に雲雀は乗り込んだ。
帝都枇杷。零号。皇帝陛下の住まわれる城を囲うように。いや、守るように四件の名家が立ち並んでいる。一軒の敷地は城よりは狭いが、それでも一般的な民家よりは広く、建物は仰々しい。かつて野駒雲雀はそのうちの一軒に住んでいた。大臣の役職ごとに上下関係があり、それは昔から変わらないらしい。例えば雲雀の家は上から数えて三番目である。どんなに国に貢献しようがその順位は永遠に変わらない。野駒の家に生まれてしまった雲雀には、どうしようもないことだった。だからこそ父は政権を覆そうと画策しているのかもしれない。
久しぶりの我が家は非常に居心地が悪かった。というのも家の中の空気が張り詰めていたからだ。おそらく原因は門の外にいた記者たちだろう。雲雀はそれを見つけると早々に裏門から家に入ったのだ。
なんの連絡もしていなかったので、雲雀の姿にみんなが驚いていた。
「雲雀様。連絡をいただければお迎えにあがりましたものを」
執事長が困った顔をして言う。彼は雲雀より背の高い、白髪交じりの初老の男だった。
「今日、来る予定じゃなかったからね」
「それは。どういった理由で本日?」
「父上に会いに来たんだ」
尋ねられたので、雲雀は正直に答えた。
「残念ながら旦那様は本日、出かけております」
「どこに? 祭りに反対しているなら、関係者に顔を出しているなんてこと、ないよね」
父が家にいないなど、いつものことだった。執事長である彼ならば、父の予定を把握しているはず。なら居場所も知っているはずだ。
「――はい。会議です」
「どういう会議だ」
「――っ」
雲雀の質問に、執事長は言い淀んだ。
「息子にも言えない会議をしているのか」
「そういうわけでは。ただ、雲雀様に伝えてよいものかどうか。私では判断できないものでして」
執事長の言葉に、雲雀は首を傾げた。
丁寧に磨き上げられた床に、執事長のしかめた顔が映っていた。
「いいんじゃないですか。言っても。気づいたからここに来たんですよね。雲雀坊ちゃま」
不意に後方からそんな言葉が聞こえて、雲雀は声のしたほうを向く。いつの間にそこにいたのか、入ってきた玄関の扉の前に、青年が立っていた。