その竜人、危険につき(3)
神楽坂古書店。それが華士の言っていた古本屋の名前だった。
それは伊良都市五百号。広大な都市の中でも寂れた街の一角にあり、なんの変哲もないありふれた古本屋だった。だがすぐそこの細い道を数分歩けば一気に栄えた街へ出るので、その影響もあってか古本屋は余り繁盛していない様子だった。
「ただいまー」
「あー、お姉ちゃんおかえりなさい」
店に入るなり華士が帰宅の挨拶を口にすると、簡素な勘定台から誰かが外出から戻った者に対する挨拶を返してきた。
店内には本棚が四つあり、並べてある本はあまり多くない印象を受けた。
本を広げてそこで店番をしていたのは、華士と同じく白髪だが少しだけ黄みがかった肩まで長い髪の毛をした女の子だった。
顔の幼さからして、俺より年下に見えた。その子は華士の後ろについてきた男二人を見て、少しだけ目を丸くしたようだったが、すぐに表情を引き締めた。
「月見。今日からもう、店番しなくていいわ」
「え?」
華士の言葉に女の子、月見は驚いた顔をみせる。
「あなたは勉強に集中しなさい」
「どうして?」
「新しい人が増えたから。しかも二人」
そう言って、華士が笑顔を作った。
月見は雲雀と竜人を一瞥する。
「この人たち?」
「そうよ」
月見は雲雀たちのことを警戒しているようだった。
突然二人も連れて来て、あなたは首よと言われたら彼女だって精神に衝撃を受けるだろう。華士は何を考えているのか。
「お姉ちゃん、いきなりそんなこと言われても困るよ。どこの誰だかわらない人を。しかも二人もうちで雇うなんて。あたしは嫌だ」
「我がまま言わないの。月見、今年は受験もあるから店を手伝わなくていいようにって。二人は私のお願いを快く引き受けてくれた優しい、良い人たちなの」
華士の言い分には少しだけ嘘が混じっているように思える。
「あ、あたしは認めないから」
そう捨て台詞を吐いて、月見は店の奥へと消えていった。怒っている様子だった。
華士が仕方なさそうに嘆息を漏らした。
「今の子は?」
雲雀は落胆している華士に質問を投げかけてみる。
「私の妹の月見です。何だか難しい子に育ってしまって。しっかりしてて頼りがいがあるんですけど」
店の奥を見つめながら、華士が答えた。
華士と月見の会話を聞くに、彼女は月見に店の手伝いをしてほしくないようだった。月見には勉学に集中してほしい、その思いもあって華士は雲雀たちのような働き手を探していたのかもしれない。
竜人が突然、先ほどまで月見が座っていた場所に座った。
「俺はここで、こうしていればいいんだな」
「あ、はい。一応事務所のようなものは二階にあって、私は基本そこに居ます」
「そうか。ところで、まだ名乗っていなかったな」
「あ、そうでした」
思い出したように華士が言う。雲雀も忘れていた。
「俺はチトセ・ヒ・リイヤ」
「私は神楽坂菫と言います」
二人が名乗る。雲雀も一呼吸おいて、名乗った。
「俺は野駒雲雀です」
*
菫が言うには、竜人は頭を使うより体を使う方が得意らしい。
ということで、雲雀は菫の助手を任されることになった。今は店の二階にある菫の事務所に居る。高級そうなソファと机が置かれているのが、この部屋には不釣り合いな気がしてならない。しかし机には書類が散乱している。ここは仕事の客も通すんじゃないのか。雲雀は部屋の現状に顔をしかめつつも、隣に居る緑色の髪の男、チトセ・ヒ・リイヤの顔を一瞥する。今日はもう店を閉めたのだ。
「適当に座ってください」
菫がそう言う。菫の座っている椅子の前にある机の上には、大量の資料が置かれていた。その間から覗く白い手肌が、曲線美を描いていた。
雲雀とチトセは、菫に言われたとおりそこにある高級そうなソファに身を埋めた。その感触に、雲雀は束の間の幸せを感じた。
「被害者のことについてもう少し詳しく話しますと、二日前の夜に歩道で倒れているのを発見されたそうなんです。死因は刺殺。心臓を刃物で一突き。だそうです。それで、この手配書のことなんですが」
菫は少し眉間にしわを寄せながら言葉を続ける。
「刑事さんの話では現場近くに居た不審者を、近所の人が見たという証言があったそうです。黒い外套を着ていて、何かかわった刺繍の入ったズボンを履いていたと。それで調べたところ、最近この辺りをうろついている竜人族の男がいることがわかったの」
「それが、俺か」
「そうですね。今のところそれが、私が情報屋から仕入れた情報ですね」
チトセがため息を吐いた。なるほど、チトセの履いているズボンには小さい人と森が渦巻のようになっている刺繍が施されている。
「とんだとばっちりだぜ」
「私は、あなたが嘘を吐いているようには見えません。なので、もう少し調べてみることにします。あなたの言う、小太りの男のことも気になりますしね」
「ああ。頼む」
チトセは、菫に向かって軽く頭を下げた。
「ところで菫さん。この書類、整理しないんですか」
雲雀はどうしても気になるので菫に尋ねる。助手なら、そういうこともしないといけないのだろうか。と思ってのことだ。
「すみません。お願いしてもいいですか」
遠慮がちに菫が言う。雇い主なのだから堂々としていればいいのにと思わなくもないけれど、これが彼女なのだろう。
「はい。頑張ります」
雲雀はそう言って、腕まくりをしてみせた。しかし、正直なところ掃除は得意ではない。そのことを悟られないようにゆっくり作業することにしよう。雲雀はそう思った。