森の誘惑(2)
妖精に結界を解いてもらうと豪語したはいいけれど、具体的な案は正直、なかった。それでも雲雀も一緒に行こうと思ったのは、これ以上ワカバやみんなが苦しむ顔を見たくなかったからだ。
チトセとルリが本当に森の奥にいるという保証はない。しかし、探せる場所はすべて探したい。二人を早く見つけたい。その想いが強かった。
その日の夜、ワカバと菫。そして雲雀は森へ入ることになった。あとの者は宿で待機。妖精の結界内で繋がるかどうかわからないが、無線機は三つ。はぐれたときようにそれぞれ一機ずつ持つことになった。これで何かあったら宿で待機する黒田に連絡ができる。
明日から感謝祭が始まる。できることならば夜が明ける前にチトセとルリに再会したかった。でなければ素直に祭りを楽しめないじゃないか。雲雀はそう思っていた。
夕食を軽く済ませたあと、雲雀とワカバと菫は宿を出た。
「本当に行くのね」
宿を出る間際。見送りに来た月見が心配そうに雲雀を見ていた。
「うん。行ってくる」
「正直、うまくいくとは思えないんだけど。やっぱりあたしがあんたの代わりに行ったほうが……」
月見は言いながら口をとがらせる。
「俺たちに何かあったときに、森に入れる奴が外にいてくれないと困るだろう。いいから留守番してろ」
雲雀の言葉に、月見は不服そうな顔をした。
「それは、あたしじゃないとダメなの」
姉と自分の役割が逆でもいいのではと言いたいのだろうか。
「森には菫さんを連れて行く。記憶を戻せるかもしれないから」
雲雀はきちんと理由を付け加えて言った。月見が納得してくれないと厄介だ。
「わかった。全員無事にかえってきてよ」
月見は頷きながら言った。
「もちろんだ」
雲雀はそう言って自分の胸の辺りで右手に拳を作る。それは決意の証だった。
月見たちと別れて街へ出るとすぐに屋台が並んでいるのが見えた。明日の準備でまだ作業をしている人々がいる。雲雀たちはそれを横目にしながら歩き、とうとう森の出入り口までやってきた。目の前には雑木林が広がっている。
「変ですね」
不意に、菫が口を開いた。
「何がですか」
足を止めて、雲雀は首をかしげる。
「街中で、竜人の姿をあまり見かけませんでした」
菫が立ち止まったまま、考えるしぐさをしている。そういえばと。雲雀も思う。夜なので昼間より人が少ないのは当たり前なのだが、帝都に来てからここ数日を思い返してみても、人間のほうが多く見かける。
「私たち、何かを見落としていませんか」
菫の言葉に、雲雀は提灯を持っていたワカバに視線を送る。
「まさか」
雲雀は唾をのむ。もしかしたらこれは、もう雲雀たちだけの問題ではないのかもしれない。通り魔。警察。帝国騎士団。感謝祭。皇帝。妖精。他の誰かが何かを企んでいる可能性もある。
「何が起きているって言うんだ」
「進みましょう。行ってみないことには、何もわかりません」
雲雀の言葉に、菫はそう促した。
ワカバを先頭に、菫と雲雀が横並びに歩く。麻で作った長い縄で三人は繋がれていた。それはもちろん、はぐれないように。雲雀が簡単に結界外にはじき出されないようにだった。整備されていない森の中を歩くのは一苦労だった。背の高い草が行く手を阻む。奥に進むにつれて地面が傾斜する。
「百年前の戦争で。ここら辺一帯の森も街も焼かれた。妖精の結界もそれで一度弱くなったの。妖精は森がないと生きていけない。妖精の力が弱まるときは、森がなくなるとき」
ワカバが歩きながらそんな話をしてくれた。チトセが乗せた学生は、それで森に入ってこられたらしい。
「だからこそ、私たちの先祖は森を守る約束をしたのですね」
「そう。でもそれは竜人とした約束であって、妖精とした約束ではない。だから妖精たちはいつも言うわ。人間も約束も大嫌いと」
ワカバの言葉に、雲雀は首をかしげる。妖精たちは何故そうも人間を嫌い、排除しようとするのか。
「あーもー。話が複雑すぎてわけわかんねぇ。森を守る約束も、妖精から力を借りる魔法も、結局は妖精の本意ではないってことか。だから人間が嫌いってことか? 竜人が妖精を怖がってるのはそれで怒らせたからじゃないのか」
「わからない。ただ一つ言えるのは……。待って、止まって」
ワカバの歩みが止まったので、雲雀と菫も立ち止まる。
「どうしましたか」
菫が尋ねると、ワカバはこちらを向いて指で先を示した。
「あれ。村が見える? 木と木の間に小屋が見えるの。灯りもついているわ」
「見えます。雲雀はどうですか」
ワカバの質問に菫は答えてから、雲雀のほうを向く。
「俺には……見えない」
雲雀には彼女たちが何を言っているのかわからなかった。周りを見渡してみても、ただひたすらに真っ暗な森が続くだけだ。雲雀は不安を覚えた。これが、妖精の結界。
「雲雀。大丈夫?」
ワカバが雲雀のことを心配してくれる。雲雀は頷いた。
「うん。けれど、これ以上進めないよな。ワカバ。頼めるか」
「わかった」
雲雀の言葉にワカバは頷くと、持っていた提灯を菫に渡した。ワカバは雲雀たちから少し離れると、竜の姿に変身した。
チトセよりは小さいが、大きな体に翼。鋭い眼光が夜の闇によく映えた。ワカバの咆哮が森の中を駆け巡ると、その体の周りを白や青の光が舞い始めた。