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飛竜の華  作者: 黒宮涼
哀を唄えば
35/60

孤独の軌跡(1)

 宿の入り口の脇には煉瓦れんが作りの花壇があり、赤や黄色の花が咲いていた。黒田はその前に座りこみ。赤い花びらに指先で触れて何やら考え事をしているようだった。その顔は険しい。雲雀が声をかけると黒田はこちらに気づき、立ち上がった。そしてゆっくり歩いてくる。一歩ずつ重みのある歩き方だった。


「あーおーいー」


 黒田は雲雀ひばりの隣に立っていた神楽坂葵かぐらざかあおいを真っすぐに見つめながらその名を力強く呼んだ。雲雀はそんな黒田の姿を見るのは初めてだった。いつも温和なあの黒田が。今は眉根を釣り上げて怒り顔をしていた。黒田はあおいの目の前まで来ると、胸ぐらをつかんだ。


「お前、どの面下げてすみれちゃんに会いに来たんだ」


 低い声で黒田は言った。


「そ、総一郎そういちろう。久しぶり。お前、太ったなぁ」


 両手を上げて葵は顔を引きつらせていた。総一郎、とは黒田の下の名前らしかった。雲雀は初めて聞く。黒田の大きめの腹が葵の胸当てに押し当てられていた。雲雀はそんな二人を見てあたふたするしかなかった。少し後方にいる月見を一瞥すると、彼女は俯いていて表情は見えなかった。

 あの後。きりから逃れ、眠ったままの魔法士を帝国騎士団ていこくきしだんの他の団員に任せると、葵は菫にも会いたいと申し出てきた。月見は嫌な顔をしていたが、雲雀は黒田に連絡した。彼の判断に任せたほうが良いと思ったのだ。黒田は一度本人に会ってから決めたいと言ったのでそのようにしたのだ。


「そんなことはどうでもいいだろう。僕は怒っているんだ。本当は殴りたくてたまらないが、我慢しているんだ」


 黒田の言葉に、見ると彼のこぶしが震えている。


「それは、見ればわかる。反省している。だから、とりあえず落ち着こう」


 葵が黒田をなだめようとするが、黒田は構わず叫ぶ。


「落ち着いていられるか。説明しろ」

「総一郎。手紙は届いていたか。手紙の通りなんだが」


 困った顔をしながら、葵は言った。


「あんなのでわかるか。どうしてお前は帝国騎士団にいるんだ。この十四年間どこで、何をしていたんだ」


 黒田の言葉に、葵はゆっくりと息を吐いた。


「全部説明する。だから菫と直接、話をさせてくれ」


 黒田は頷いた。


「わかった。けれど、それは僕だけで決められる問題じゃない」


 黒田はそう言って月見に視線を送りながら、ゆっくりと葵の体から手を放す。


「月見。菫に会っても、いいよな」


 葵が月見に向かって尋ねる。

 雲雀は眉をひそめたまま、月見を見ていた。

 月見は俯かせていた顔を上げる。


「それは、お姉ちゃんが決めることだよ。あたしだってどうするのが一番いいのかわからない。でも間違いなく。あたしたちのようにはいかないと思う」


 はっきりとそう言って、月見は背を向けた。


「聞きたいことは山ほどあるの。だからさっさとしてよね」


 月見は言いながら、建物の中へと歩いていく。

 呆ける葵に向かって黒田は頷き、月見の許可が出たことを教えた。葵はそれを見ると、右手で頭を掻いた。


「随分。わかりにくい子に育ったものだな」


 葵の言葉に黒田はむっとした。


「お前に文句を言われる筋合いはないのだがな」

「あ? お前が育てたわけじゃないだろう」


 葵は言いながら黒田を睨んだ。


「僕が育てたも同然だ。どっかの誰かさんが家出していたからね」

「なんだと。俺は育てろなんて頼んでいない。何かあったら頼むと言ったんだ。さてはお前。俺がいない間に桔梗に変なことしてないだろうな」

「はぁ?」


 黒田と葵は互いに睨み合い、火花を散らしていた。雲雀は仕方ないと思い、二人の仲裁に入る。


「まぁまぁ。二人とも。今はそれくらいにしてくださいよ」


 すると、葵が雲雀のほうを向いてこう言った。


「そういえばずっと気になっていたんだが。君は? 色々事情を知っているようだが」


  雲雀は質問に今さらかと思ったが、丁寧に頭を下げる。


「失礼しました。俺の名前は野駒雲雀です。菫さんのお仕事を手伝わせてもらっている関係で、色々と事情をお聞きしています」

「ほう。それなら華士のことも知っていて当然か。どこまで知っているんだ。いや、それより。野駒ってどこかで聞いたような」

「お前、帝国騎士団にいるんだろう。面識ないのか。野駒大臣の息子さんだよ」


 黒田が葵の疑問に答えた。つぐみのおかげで雲雀が防衛大臣の息子という事実が黒田や菫。月見にも知られてしまっていた。しかしみんなは、雲雀の父親が誰かを知っても動じなかった。態度を変えることはなかった。その点は雲雀にとって嬉しいことだった。


「何度か挨拶させてもらったことがある程度だ。そうか、息子さんか。もう知っているとは思うが改めて。俺は神楽坂葵。菫と月見の父親だ」


 葵はそう言って右手を差し雲雀に握手を求めた。雲雀はその手を取って「よろしくお願いします」と挨拶した。葵の髪の毛は青みがかった白い色をしていた。顔は菫のほうが似ているだろうか。男性だが、整った顔立ちのせいか美いとさえ思う。

 葵の隣で黒田総一郎が、鼻から浮いていた眼鏡を右手の人差し指で直したのが見えた。


   *


 雲雀ひばりと月見が宿を出た後から、すみれはずっと一階の待合室のソファに座っていたらしい。月見が後ろから声をかけると、菫は飛ぶように立ち上がった。どうやらうたた寝していたようだ。昨日の夜からまともに寝ていないのだろう。チトセとルリを早く見つけなければいけないが、今は蓮太とワカバに任せよう。

 月見の隣にいる雲雀を見て、「すみません」と菫は言いながら髪の毛を両手で整えていた。


「こんな時になんだけど、会わせたい人がいるんだ」


 雲雀は菫に向かって言った。


「どなたですか」


 菫が立ったまま首をかしげる。月見は菫の目の前まで移動する。


「お姉ちゃん。落ち着いて聞いて」

「どうしたの。月見」


 菫の華奢きゃしゃな両肩を、月見が両手で掴んだ。菫が唾をごくりとのむのがわかった。


「お父さんが見つかったの」

「え――」


 菫が目を丸くして驚いた。その後、菫は力なくまたソファに座り込んだ。月見の両手が空中に残されている。

 雲雀は駆け寄り、ソファの背もたれ部分を片手で掴む。

 月見はその手を下すとソファに座っている菫の前で両ひざを抱えるように座った。彼女の尻は床に敷いてある絨毯じゅうたんに触れそうで触れない。月見は菫の両手を自分の両手で包み込むように握った。


「お父さん。お姉ちゃんに会いたがっているの。すぐそこまで来ているのだけど、会う?」


 月見が真面目な顔をして菫の顔を下から覗いていた。

 雲雀はその様子を上方から見る。菫は体を震わせていた。


「月見はもう、会ったの」


 菫が声を絞り出すように言った。月見は頷く。


「うん。会ったよ」

「どうだった」


 菫の問いに、月見は首を横に振った。


「それはお姉ちゃんが会って、自分で確かめて」


 しばらく間があいてから、菫は静かに頷いた。それを見て、雲雀と月見は顔を合わせる。それが合図だった。雲雀はソファから離れ、黒田と葵を呼びに行く。待合室には扉がないため、部屋から出てすぐ左側の壁に隠れるようにして二人は待機していたのだ。


「入っていいですよ」


 雲雀が許可をすると、まず黒田が先に部屋に入りその後ろを葵がついて入ってきた。


「す、菫」


 葵の声が部屋に響く。


「お姉ちゃん」


 月見と菫が一緒に立ち上がる。

 雲雀は部屋の隅で、見守るしかなかった。菫が今どんな気持ちでいるのか雲雀にはわからない。十四年前にいなくなった父親が戻ってきて嬉しいのか。憎らしいのか。それとももっと別の感情を菫は抱えているのかもしれなかった。


「久しぶり。大きくなったな。また会えて嬉しいよ。いや。すまなかったな。父さん、色々あって。今は帝国騎士団に……」


 葵が頭を掻きながら早口で言う間に、菫が何も言わずに彼の目の前まで歩いていった。

 雲雀は息をのんだ。


「お父さん」


 呟くようにそう言った菫は、ゆっくりと顔を上げて葵を見上げた。その顔は、涙でぬれていた。


「菫」


 葵は口をつぐんだ。


「本当に、お父さんなの。夢じゃないんだよね。もう会えないかと思っていたの」


 ぽろぽろと菫の目じりから涙がこぼれる。手で拭ってもすぐに溢れてくる。十四年もの間、蓄積した菫の感情がすべて零れ落ちていくようだった。菫はしばらく泣いていた。葵はそんな彼女を見ながら、自身もまた震えていた。涙をこらえているように見えた。葵は菫を抱きしめようとしたのか右手を伸ばすが、月見に一度拒絶されているのを気にしているのか、すぐに手を戻した。


「菫。月見。お前たちには本当に申し訳ないことをしたと思っている。桔梗……お前たちの母親にも。勝手に出て行って、すまなかった。正直、恨まれても仕方ないと思っている。お前たちの気持ちなど考えていなかったのかもしれない。殴られる覚悟もしている。でも――」


 葵はそこで言葉をためらった。

 でも。なんなのだろう。雲雀は眉をひそめた。


「葵?」


 黒田が首をかしげている。


「でも、あと、少しなんだ。もうすぐで真実にたどりつける。普通の体に戻れるかもしれないんだよ。だから、菫。月見。もう少しだけ我慢してくれないか」


 葵の言葉に、その場にいた全員が自分の耳を疑ったと思う。そんな言葉を、菫たちが望んだだろうか。葵は本当に、十四年間家を留守にしていた反省をしているのだろうか。部外者の雲雀ができることはなかったが、思わず一歩足を踏み出す。


「あっ――」


 何を言おうとしたのか自分でもわからない。ただ足が出て、声が口からもれた。そんな雲雀を止めたのは、黒田だった。黒田はこちらを見ずに、ただ雲雀から葵までの道筋をふさいだ。

 次の瞬間、手を打ち鳴らしたような音が聴こえた。葵がうめき声をあげる。


「菫ちゃん」


 黒田が呟く。

 菫は振り上げていた右手をゆっくりと下ろした。


「我慢ってなんなの。お父さんは何もわかっていない。何も変わっていない。結局、自分のことばかり。この十四年間。私とお母さんと月見。黒田さんだって、どれだけ苦しんだと思っているの。どれだけ、寂しかったと思っているの。恨まれても仕方ない? あたりまえでしょう。手紙の一つもよこさずに、いったい何していたのよ」


 菫の叫びに、雲雀は胸が痛んだ。

 葵が黒田に手紙を出していたことを菫は知らない。


「菫ちゃん。隠していたが、葵は手紙をずっと僕にくれていたよ。……すまない」


 菫の平手打ちに放心している葵の代わりに、黒田が謝った。

 菫はそんな黒田に向かって言う。


「そんなの。同じことです。黒田さんが謝ることはありません」

「いや。その点は僕も葵と同罪だ。最初は葵に腹を立てていて、絶対に知らせるものかと意固地になっていた。そのうちにすっかり言い出す機会を失ってしまっていたよ。本当にすまない」


 黒田はそう言って、菫に向かって頭を下げた。


「もういいでしょう。そろそろ話してよ。お父さん」


 それまで静観していた月見が言った。


「十四年前に何があって、どうして家を出て行ったのか」


 葵は左頬を両手で押さえながら、目を伏せる。それから「ああ」と返事をして、それからゆっくりと語りだした。

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