予期せぬ際会(2)
朝になっても、チトセとルリは宿に帰ってこなかった。明日は祭りだ。通り魔の心配もある。宿の人は勧めたが、これ以上大事にしたくなくて二人のことは警察に知らせなかった。自分たちで探すことに決めたのだ。
雲雀は昨夜、よく眠れなかった。日頃の生活習慣のためか、四時ごろに目が覚めてしまった。あくびが出る。宿の食堂で朝食が出たけれど、どうも箸が進まなかった。それは菫も同じだったようで、ほとんど食事に手を付けていなかった。
「今日も、昨日と同じように分かれて探そう。チトセとルリちゃんをな」
黒田がそう言って、菫をたしなめる。菫は頷いたがずっと浮かない顔をしていた。
「菫さん。食べないと力が出ませんよ。昨日の夜もあんまり食べていなかったじゃないですか」
雲雀は隣に座っている菫に向かってそういう。雲雀も箸が進まないが、菫にそう言った手前、食べないわけにはいかない。茶碗を持ち、白いお米を口にしてみせた。
「すみません。部屋に戻ります」
しかし菫はそう言って席を立ち、歩き出そうとする。様子が変だ。と雲雀は思う。
「お姉ちゃん」
月見も心配そうに椅子から立ち上がる。菫はおぼつかない足取りで歩いていった。
焼き魚を食べていた蓮太の箸が止まる。その隣で座っていたワカバが立ち上がり、菫を追いかけた。
「月見。あたしが行くから」
振り返り、ワカバが言った。月見は肩を下げて、椅子に座り直す。菫とワカバはそのまま部屋に戻っていった。雲雀は二人の後姿を見ながら、息を吐く。
「もう二度と会えないかもしれない。かな」
黒田が呟く。
「いなくなるっていうのはそういうことだ」
黒田の言葉に、雲雀は心当たりを感じた。菫はおそらく、チトセとルリがいなくなったことを、十四年間帰ってこない父親と重ねてしまっているのだ。雲雀は胸が痛んだ。
「なんか、ワカバがルリちゃん以外と話しているのを見ると、すごく違和感がある」
不意に、蓮太が言う。そういえば、昨日からワカバはやけに菫を気にしている。
「チトセとルリは家族みたいなものだから。その家族を気にかけてくれている人を放っておけないって言ってたよ。ご馳走さま」
月見はそう言ってから、箸をおく。
「なるほど」
蓮太は納得した。
「黒田さん。お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします」
月見は椅子から立ち上がってからそう言って黒田に向かって軽く頭を下げる。
「おお。任せておけ」
黒田は返事をして右手で拳を作って胸の辺りを軽く叩く。
「雲雀はいつまで食べているのよ。さっさと探しに行くわよ」
月見は雲雀を見るなりそう言った。
「あ、うん」
雲雀は慌てて食事を済ませる。途中、のどに詰まりかけたので急いで水を飲んだ。
部屋に戻ると、小型の無線機を懐に忍ばせる。今日は二人で一つを使うから、はぐれたら大変だ。雲雀はそう思いながら月見と共に外に出る。見ると今日も朝から昨日と同じぐらいの人ごみで、うんざりした。
「今日は南通りを見て回ろう」
「そこって、地図を見る限りじゃお店も何もないのね。住居だけ」
月見は帝都の地図を広げて言った。雲雀は頷く。
「うん。何か手がかりが見つかればいいけれど」
一応、帝都に住んでいた身としては案内は任せろと言いたいところだったけれど、帝都といっても広いから知らない場所は山ほどある。
「いいえ。今日こそ見つけるのよ。そうじゃないと安心して祭りを楽しめない」
月見は決心したようにそう言った。
雲雀と月見は南通りの住宅街まで歩いた。思ったよりも人通りは少なく、庭で子どもたちが遊んでいるぐらい平和そうだった。警察官を何人か見かけたので、軽く挨拶をする。その後、路地などを見ていると狭い階段を見つけた。
「行ってみる?」
月見の質問に、雲雀は答える。
「行くしかないだろう」
「いかにも怪しい洋館とか出てきたりして」
念のために、近くの警察官に階段の先のことを尋ねる。しかしそんな階段があることを初めて知ったように顔を歪めた。警察官は調査のために何人か同行することを条件に、階段の先を調べる許可をくれた。雲雀と月見、そして警察官男女二人で建物の間にある狭い階段を上っていく。長い階段だった。途中で霧が出てきたので、視界が悪くなる。
「これじゃあ、なんにも見えないな」
困ったようにそう言うと、月見が不安そうな顔をする。
「どうするの。やめておく?」
「いや……。ちょっと待って。霧の中に誰かいる。こっちに向かってくる」
雲雀は目を細めた。真っ白い霧の中に人影が見える。警察官の二人は雲雀たちの後ろを歩いていたのでまだ気づいていない。雲雀は思わず身構えたが、それが怪しい人かどうかを判断する方法がなかった。
「すみません。道を開けてもらえますか」
人影が言う。
「すみません。あの。この先に何かありますか。俺たち、ちょっと調べていて」
狭い階段の端に寄りながら、雲雀は降りてきたその人物に尋ねた。髪の長い女のようだった。黒い服を着ている。
「私の家があるだけですよ。帰ったらお茶でもご馳走しましょうか」
「何かご用事でも」
女の言葉に、雲雀が首をかしげる。
次の瞬間だった。
「ええ。ちょっと人を殺しにね」
悪寒が走った。同時に女の周りから風を感じた。その風で霧が消える。
「月見。こいつだ!」
雲雀は叫んだが、風が強まり大きな音に変わる。思わず片眼を瞑り顔に風が当たらないよう腕で防ごうとした。
これは風の魔法。間違いなく、この女が通り魔の犯人だ。雲雀はそう確信した。警察官二人の姿を片眼で探す。この風で二人とも動けない様子だった。しかし魔法士の女を挟んで向かい側にいる月見は違った。体制を低くし、魔法士の懐に飛び込んだ。
「やめなさいよ!」
月見が叫んだ。魔法士は階段で背中を打ち付け、うめいた。そのおかげで風はやみ、警察官二人も動けるようになった。月見は魔法士に馬乗りになっている。魔法が使えないように両腕を押さえた。
「そのまま抑えていてください」
女の警察官が慌てて魔法士用の手錠を取り出す。空気中の魔力と体を引き離すことで魔法を使えなくできる。すごく貴重な鉱物でできているらしい。
「邪魔をするなぁ」
魔法士は言って、月見を風で吹っ飛ばした。
「きゃぁ」
月見は悲鳴を上げる。幸い、男の警察官が月見を受け止めてくれたが、下手をすると階段から落ちていたと思うとぞっとする。
魔法士はゆっくりと起き上がり、動こうとした雲雀を長い前髪の隙間から睨みつけてくる。左手を真っすぐに向けられる。
「片手で、魔法を」
魔法の片手詠唱は難易度が高い。両手詠唱だと魔法が安定するため、普通は両手を使う。そのうえこの魔法士、顔を髪の毛で隠して小さな声で呪文を言っているため、魔法を使うそぶりがわかりにくい。意図的にそうしているのだろう。
「動いたらお前の首を吹っ飛ばす。他の者もだ。道をあけてもらおう」
脅されて、雲雀は動けなかった。月見たちも言うとおりにするしかない。冷や汗が首を伝って地面に落ちた。