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飛竜の華  作者: 黒宮涼
飛竜の華
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変化する日常(2)

「ルールはわかっていますよね。風船を先に三個割ったほうが、勝ちです」


 学校の敷地内にある競技場に連れてこられた雲雀ひばりとチトセとルリは、つぐみが提示した勝負とやらを意外に思っていた。


「まさか守護騎士団の副団長様に、こんな勝負を持ち掛けられるとは思わなかった」


 殴り合いの勝負を覚悟していた雲雀は、内心ほっとしていた。けれど、実技試験のときのことを思い出す。あの時は本気ではなかった。それは確かなようだった。


「これでも真剣ですよ。公平な勝負をしなければ私が納得できません。なので、雲雀坊ちゃまにはチトセさんに乗ってもらいます。そして私がルリさんに乗りましょう」

「俺がチトセに乗るのはともかく、ルリは……」


 鶫が出した条件を聞き、雲雀はルリを一瞥する。チトセの後ろに隠れるようにしてルリは立っていた。震えている様子だった。


「そうですわ。ルリさんは私を怖がっている。当然ですわね。試験の時にあんな目に合わせた私とコンビを組むなんて。冗談じゃないと思っているでしょう。でも、それで良いのです。それくらいしないと本気を出した私とじゃ、戦力的に不公平ですから」

「わかった。ルリもチトセも、それでいいか」


 雲雀は鶫の言葉に納得して、ルリとチトセに確認するように二人に視線を送る。自分の問題に二人を関わらせるのは心苦しいが、仕方のない状態だった。


「かまわん。俺はお前が実家に戻ろうがどうしようが、一人で菫を守ると決めている」


 チトセから帰ってきたのは冷たい言葉だった。


「ああ。そうかよ。俺がどうなろうが興味ないってか」

「ふん。お前なら大丈夫だと信じているからだ。馬鹿者」


 両腕を胸の前で組んで、チトセは雲雀から目をそらしながら言った。素直じゃないのだから、この竜人は。と雲雀は思う。


「私もいいよ。ちょっと怖いけど、雲雀のためなら頑張る」


 ルリはそう言って、拳を突き出す。

 見計らったかのように鶫が大きな首輪を雲雀のほうに投げてきた。雲雀はそれを強く握る。チトセが竜の姿に変身すると、雲雀は首輪をその長く大きな首につける。鶫もルリの準備をした。


「始めていいかい」


 寮母が待ちかねたように言う。先ほどからずっと一部始終を見ていたのだ。彼女が競技場の使用許可を取り付けてくれたらしい。そして勝負の見届けもしてくれるという。


「はい。準備出来ました」

「こちらもです」


 雲雀と鶫は互いに竜の背に乗っていた。右手は修練剣を握り左手は首輪のひもを掴む。両腕と頭の上に風船を固定している。鶫のほうも同様の格好をしていた。


「では、尋常に始め!」


 寮母の掛け声とともに二頭の竜は飛んだ。翼を広げ、動かした。ある程度の高さまで飛ぶと空中で静止する。しばらく睨み合いが始まる。


「チトセ。先に近づかれたら終わりだと思う」


 雲雀は言った。


「わかっている。ならば勝負は一瞬だ。それで決められなければ、お前は諦めろ」

「諦める? 俺の辞書にはそんな言葉はない」

「言ってろ」


 チトセが鼻で笑いつつ、旋回する。雲雀はチトセの信頼が増しているのだと感じていた。上手くいけば勝てる。いや、勝とう。そしてまたいつもみたいに馬鹿騒ぎして、楽しいと思える毎日を送ろう。


「行くぞ、チトセェ!」


 雲雀は叫んで、チトセと共に鶫とルリに向かって突進した。本当に勝負は一瞬だった。一瞬で、雲雀の三つの風船が全部割れた。


「勝負ありましたわ」


 鶫が雲雀の耳元でそう言った声が聞こえた。何が起こったのかわからなかった。雲雀は信じられない気持ちでいっぱいだった。そして今の自分では彼女には絶対に勝てないことを悟った。

 チトセがルリと向き合ったので、雲雀は鶫の姿を見た。彼女の左腕の風船を割ることが、雲雀の精一杯の抵抗だった。


「諦めたほうが身のため。だと思いますわ。雲雀坊ちゃま」

「勝手なこと言うなよ。これは俺が自分で選んで自分で決めた道なんだ。誰にも邪魔はさせない」


 雲雀は鶫に向かって言い返す。


「雲雀!」


 聞き覚えのある声が、下のほうから聞こえて雲雀はとっさにそちらを見る。蓮太とワカバが競技場に来ていた。


「どうして。蓮太とワカバが」

「私が呼びました。そのほうが気合が入るかと思いまして」

「雲雀。諦めるんじゃねぇぞ。そんなのお前らしくもない。俺はまだ、お前と一緒に勉強したり遊んだりしたい。家のことなんてくそくらえだ!」


 蓮太の叫びに、心を突き動かされた。雲雀は剣を強く握り直す。


「チトセ。もう一度いけるか」

「別にいいぜ。けどいいのか。そのルールってやつだとお前はもう」

「いいんだ。そんなもの、くそくらえだ」


 雲雀はそう言って、首輪のひもをひく。チトセはそれにこたえるように翼を動かした。チトセはどんどん上へ飛ぶ。


「何をするつもりですか」


 鶫の声が聞こえたが、無視した。


「いくぞ!」


 高度を上げた雲雀とチトセは、一気に鶫を目掛けて空を滑走する。


「させません」


 鶫と雲雀の剣がぶつかった。打ち合いになる。それからチトセはさらに下降。上昇を繰り返す。ぶつかるたびに鶫の顔が険しくなる。


「いい加減に」

「俺は諦めない!」


 叫んだ瞬間だった。雲雀の剣が、鶫の頭上の風船を貫いた。勢い良く割れる音がする。その音に驚いたのか鶫に隙ができた。その隙をついて、雲雀は最後の風船を割った。


「お見事ですわ。ルリ。もうよろしくてよ」


 鶫は息をついてから、ルリに向かってそう言った。

 ルリは地面に降りる。雲雀とチトセも上げていた息を落ち着かせると、下へ降りた。


「雲雀」


 地面に着地すると、蓮太とワカバが駆け寄ってくる。


「蓮太、ありがとう」


 雲雀が礼を言うと、蓮太が首を振った。


「チトセ。お疲れ様」


 ワカバがチトセを労う。それからルリと鶫のほうを向く。


「深山さん。ルリに無理をさせないでください。事情は聞きましたが、それでも。雲雀もルリも大切な仲間なんです」

「そうですわね。私も少々侮っていました」


 鶫はそう言うと、ルリから降りる。


「私は大丈夫だよ、ワカバ。それにね。彼女、本当は――」


 ルリが何かを言いかけて、鶫に制された。


「今回は、頑張りに免じて私から旦那様に掛け合ってみますわ」

「え? それって」

「記事が出るのを止めさせると言っていますわ。雲雀坊ちゃまに今必要なものは、彼らです。それがわかりました」

「深山さん。父上に伝言を頼めますか」


 雲雀はチトセから降りながら言った。


「いいですが、何でしょう。雲雀坊ちゃま」

「うん。勝手に出て行ってすみませんでしたと。せめて近いうちにそちらに顔を出しますと。そう伝えてください」

「わかりましたわ」


 鶫はそう言ってほほ笑んだ。その微笑みからはとても優しさを感じた。


   *


 日差しが眩しかった。太陽の熱が肌を焼く。

 寮の談話室には、毎朝寮母が新聞や雑誌を置いている。もちろん週刊誌もその中にあった。普段はあまり読まないが、その日だけはどうしても気になってついそれを手に取った。雲雀ひばりは一人でソファに座ってそれを開く。まず見出しを見て、念のために最初から最後までゆっくりと紙をめくっていく。

 それから深く長い息を吐いた。


「記事は止められたんだな」


 頭の上からそう声がして、雲雀は顔を上げる。そこにいたのは蓮太だった。


「うん。深山さんが約束を守ってくれたみたいだ」


 雲雀はそう言って頷いた。蓮太が雲雀のすぐ横で、ソファを背にしてもたれかかる。


「本当、よかったな。お前。ここに居られて。一時はどうなることかと思った」


 蓮太は笑っていたが、雲雀は彼に謝らなければいけないことがあった。


「ごめん。隠していて」

「何の話だ。お前がどこの誰だろうと俺には関係ないね」


 そう言ってくれる蓮太の優しさに、雲雀は泣きそうになるのを堪えた。

 昨日のことを思い返す。つぐみが記事を止めてくれなかったら、今頃雲雀はここにいられないだろう。いつもの日常を送れることに、雲雀は心の底から感謝する。いや、さすがにすべてが元通りというわけでもない。未だに雲雀と蓮太とルリとワカバは謹慎中で、学校に監視されている。期間が終わったところで神楽坂古書店へまた通えるようになるのかも、実のところ怪しい。


「俺さ。前に通っていた学校ではすごい優等生だったんだ。勉強もできたし、運動神経だっていいほうで」

「うわ。想像できねぇ」

「うん。……でも、それじゃ駄目だったんだ。いくら頭がよくても運動神経がよくても、そこに想いがなければ意味がない。自分の意志がないから、何をしても楽しくなかった。ただ、父上に俺を見てほしかっただけなのに。俺を褒めてほしかっただけなのに」


 雲雀は、持っていた週刊誌をソファの前にある低いテーブルの上に置いた。蓮太に顔が見えないように膝を両手で抱える。泣いている姿を、蓮太に見られたくなかった。ぼろぼろと目から涙がこぼれる。止まらなかった。やっと手に入れた自分の居場所。それがここなんだ。絶対に壊されたくないと本気で願った。


「お前は馬鹿だなぁ」

「本当だよ。だから初めて竜騎士を見たとき思ったんだ。空を自由に飛び回られたら、どんなに気持ちいいんだろうって。俺は意外に単純で、馬鹿で、夢見がちな少年だったんだよ」

「いいんじゃねぇの。それがお前なんだろう」


 後ろを向いたまま蓮太が言った。気を使ってくれているのがわかる。


「蓮太は、どうして竜騎士になりたいって思ったんだ?」


 ずっと聞いてみたかったことを蓮太に問う。彼はいったいどんな理由で竜騎士を目指しているのだろう。


「俺か。俺はな。昔。子どものころ。竜騎士の人に命を助けられたことがあるんだ」


 初めて聞く話に、雲雀は思わず顔を上げる。そのまま誰も座っていない向かい側のソファを見つめる。


「高い建物が燃えていて、俺はそこに妹と一緒に取り残されていた。火の手はもう俺たちのいる部屋に迫っていた。そんな時だ。空から竜騎士の男が突然現れて。俺と妹はその人に助けられたんだ。だから俺と妹にとって竜騎士は、命の恩人なんだよ。俺もそうなりたいって思った。それが俺が竜騎士を目指す理由」

「結構、しっかりした理由なんだな」

「お前のもそうだろう。俺もお前も、形は違うけれど、竜騎士に助けられた。自分もそうなりたいって思った。ただそれだけのことだ。なんにも恥じることなんてないんだ」


 蓮太の言葉が、いちいち雲雀の涙腺を緩ませる。


「大体なぁ、お前はいつも一人で突っ走りすぎなんだよ。ちったあ俺のことも頼りやがれ」

「し、仕方ないだろ。昨日は」


 雲雀は反論しながら、右腕で目元をぬぐう。


「昨日のこともそうだが、その前もその前も。ルリから聞いたぞ、出血多量で死にかけてたって。まったくお前はー」


 蓮太が雲雀の頭を両拳で両側から押さえつけてくる。おそらく菫を隠からかばった時のことだろう。


「痛い。痛い。あれはすみれさんをかばって仕方なくぅ」

「そういうところが馬鹿なんだ。少しは人の気持ちを知れ。それで死んでたら、あの人を悲しませることになるって、なんで気づかねぇんだ」


 言われて、菫の顔を思い出す。確かに蓮太の言うとおりだった。そこまで考えが及ばなかった自分が恥ずかしい。


「わかった。今度から気を付ける」


 雲雀は深く反省した。


「わかればいいんだ。わかれば」


 そう言って蓮太が雲雀の頭から手を離した。

 気が付くと、涙はどこかへ飛んでいった。雲雀はテーブルの上の週刊誌に目を戻す。表紙には竜人の女性が笑顔で写っていた。雲雀はそれを見ながら思う。みんなが笑って暮らせる国になればいいな。と。そんなものは不可能だと父は言うだろうか。でも願うだけならば構わないだろう。父に雲雀のすべてを理解してほしいなどとはもう思わない。何も求めない。ただひたすら前へ進もう。雲雀はそう決心して、目をつぶった。

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