変化する日常(1)
「一ヶ月間の謹慎をくらいました」
雲雀は電話越しに、そう言った。事件の翌日、雲雀と蓮太とルリは理事長室に呼び出され、正規の竜騎士たちや住民の目撃情報などで今回の事件についてその行動を咎められた。そして処分を受けることになったのだ。
『あらあら』
菫が苦笑いしているのが目に見えるようだった。
「勿論、蓮太とルリと。ワカバもです」
『そうなんですか』
「ということで、しばらくはそちらに行けません」
雲雀は残念そうに言った。本当はいつも通りに古書店に顔を出したいのだが、そうもいかない状況だった。
『こちらのことは、気にしないでください。私たちもこれからは迂闊に動けませんし』
「どうしてですか」
菫の言葉に、雲雀は首をかしげる。
『えっと。実はですね。学校側から警告が来まして。やはり危険な仕事をさせるのは好ましくないそうですので』
「そんな。今回は巻き込まれただけじゃないですか。隠さえ関わらなければ、何の危険もなかったはずです」
『体裁。というものもありますので。私が華士であることにも問題があるんです。すみません。私のせいなんです』
「菫さんのせいじゃないですよ。なんで菫さんが謝るんですか。よくわからないけど、菫さんは何も悪くないです」
雲雀は必死になってそう言った。菫は好きで華士になったわけではないのに、どうして自分を責めるのか。雲雀にはわからない。
『ありがとうございます。雲雀。最後に一つだけ聞いてもいいですか』
何故だか言いにくそうに、菫が言った。
「何ですか?」
先ほどの話に何か関係があるのだろうか。
『チトセに聞きました。隠の中で、幻覚を見ているようだったと。一体、なんの幻覚を見たのですか?』
菫の問いに、雲雀は思い出してみる。あの時見たもの。チトセの記憶。菫には言うなと言われたこと。本当のことは言えない。だから雲雀は「過去の自分です」と菫に嘘をついた。
「まだ、誰かの言いなりになっていた頃の自分です。ははは」
そう言って、雲雀は笑う。
『そうですか』
「はい」
雲雀は頷いた。気づかれただろうか。例えそうでも、これはもうチトセと菫の問題なのだ。だから余計なことは言えない。
『あら、月見。おかえりなさい。え。雲雀。あっ』
遠くのほうの音が電話を通ってきたことと、菫の慌てた様子で、月見が帰宅したのだとわかる。
『もしもし、雲雀?』
月見の声がして、菫から受話器を奪ったのだなと雲雀は思う。
「月見か。話の途中だったのに……」
『何の話か知らないけど、あんた大丈夫なの。高いところから落ちたって聞いたんだけど』
「大丈夫じゃなかったら、こうして電話してないよ」
事件の後から、月見には会えないままだったので心配をかけてしまったらしい。
『それもそうよね。安心したわ』
「俺も安心したよ。月見が元気そうで」
『なっ。何よそれ。こっちはこっちで大変だったんだからね』
月見が何故か怒ったような口調でそう言う。
「そろそろ切るよ。寮母さんが怖い顔してる」
雲雀は言いながら、斜め後ろから感じる寮母の視線を気にする。いつも笑顔の寮母だが、今は冷たい気がする。監視されていた。この電話も、寮母にわざわざ許可を取ったのだ。
『ごめんね。お姉ちゃんともう一度話す?』
「もういいよ。言いたいことはたぶん。伝わったから」
『……次は、いつ店に来られるの』
「菫さんにも言ったけど、一か月は行けない。その間、チトセのことをよろしくな」
『言われなくとも、こき使ってやるつもりよ』
「ほどほどにしておいてやれよ。じゃあな」
電話が終わり、雲雀は受話器をもとの場所に戻す。
深呼吸をしてから振り返ると、寮母が仁王立ちしていた。歳の割にはしわの少ないその人に頭を下げて礼を言うと、部屋に戻ろうとする。
「野駒。待ちな。客人だよ。あんたと話したいっていうのが二人。いや、三人いる」
「え。誰ですか。というか、いいんですか」
「事情が事情だからね。特別に許可してやる。応接室を使いな」
「あ。はい」
言われるままに、雲雀は寮の応接室に入ってその客人を待つ。誰かはわからないが、不安が募る。しばらくすると、少女が二人と、その後ろから一人部屋に入ってきた。その面子に雲雀は目を丸くした。
「雲雀。ごめんね。どうしてもっていうから」
そう言って真っ先に謝ってきた少女の一人は、ルリだった。
「いいから、そこのソファ使いな。あたしゃ、外にいるがちょっとでも妙な真似をしたらすぐに報告するからね」
寮母が言いながら、廊下を指す。
「妙な真似って。例えば脱走の手伝いとかですか」
もう一人の少女、深山鶫が寮母に向かって言った。
「その気になればそこの竜人が、窓をぶち壊しそうなんでね。何も本気で思っちゃいないよ。あたしゃだって街の人間の一人さ。守ってくれたあんたたちには感謝している。けどねぇ。規則は規則だからね。規則を守れない奴は、ろくな奴になれないのさ」
それだけ言って、寮母は部屋を出て行った。彼女が言った竜人。実はルリのことではない。もう一人いる。おかしなことに、チトセがこの部屋にいるのだ。
「それで、何の用ですか。すごく意外な組み合わせなんだけど」
四人ともソファに腰かけていた。雲雀の隣にはチトセが。座り机を挟んで向かい側に、ルリと鶫が座っていた。
「まずは今までの非礼をお詫びいたします。雲雀坊ちゃま」
「な……」
鶫の一言に。雲雀は凍り付いた。雲雀のことをそんなふうに呼ぶのは、実家の関係者しかいないはずだ。つまり、深山鶫という少女は――。
「それから改めて、先日の実技試験の件ですが。本当に申し訳ございませんでした。ここにいないライム・ヒ・スギナには後日、謝罪させますので」
「いや、ちょ。ちょっと待って。試験の件はともかく、深山さん。もしかして」
雲雀が混乱した様子で言うと、鶫はほほ笑む。もしかしなくとも、やはりそういうことだったのか。
「私もびっくりしたよ。まさか雲雀がおぼっちゃまだったなんて」
ルリが鶫の横で言う。いや、問題はそこではない。雲雀は頭を抱えた。
「世も末だな」
チトセが呟く。
「うるさい。大体、どうしてお前がここにいるんだよ」
雲雀はチトセのほうを見る。鶫はともかく、チトセがここにいることが一番変なのだ。
「呼ばれたんだよ。その女に」
チトセはそう言って、鶫に視線を送った。状況は理解できた。つまり、深山鶫は雲雀の実家から派遣された監視で、ルリとチトセはその彼女に呼ばれてここにいるのだ。これから何を言われるのかは、なんとなく予想がついた。
「説明してくれよ。深山鶫」
雲雀は真剣な表情で、鶫を見た。実家を飛び出したのは雲雀だ。いつかこんな日が来ることを薄々感じてはいた。だからその時は、動じずにただ現実と向き合うと決めていた。
『大活躍! 謎の怪物に立ち向かう少年は防衛大臣の息子?』
鶫が机の上に広げた記事の見出しには、大きな文字でそう書かれていた。写真には隠へ向かって飛ぶ雲雀とチトセの姿が、小さく写っていた。そしてその下には目撃者の証言が掲載されていた。
「明日発売の週刊誌に、この記事が出ます。どうしても抑えられなかったそうです。雲雀坊ちゃま。少しはご自分の立場を自覚してください」
雲雀は目の前に突き付けられた事実に、打ちのめされるしかなかった。この記事が出れば雲雀はもうこの学校にいられなくなるだろう。記者やテレビ局が殺到し学校に迷惑がかかる。
雲雀の父親は政治家だ。野駒家の当主は代々その役目を引き継いでいる。先代も先々代も、防衛大臣という職をやっている。その名の通り、国を守る役目を担う。
「わざとだな」
雲雀は直感したことを口にする。
「想像にお任せします。雲雀坊ちゃまのお考えになっていることはすべてわかっておりますので」
「顔も写ってないこんな写真。いくらでもごまかしがきくだろう。俺を連れ戻そうっていう魂胆が丸見えなんだよ」
雲雀は言いながら、立ち上がる。迂闊だったとしか言いようがない。目先のことに精一杯で、こうなることなんて予想していなかった。考えればわかることなのに。
「どこへ行かれるのですか。逃げ場はありませんよ」
立ち上がった雲雀を見て、鶫が顔をしかめて言う。
「やめさせるように、父上と直接交渉してくる」
「それはなりません」
鶫が首を横に振る。
「何で」
「あなたは今、この学校から出られません」
鶫の一言で、雲雀は自分が謹慎中ということを思い出す。力が抜けたように、またソファに戻った。そしてため息をつく。
「どうすればいいんだ」
「安心してください。旦那様はきちんと交渉材料を用意しておられます。そのためにお二人をここへ連れてきました」
鶫はそう言って立ち上がり、肩まで長い髪の毛を一つにまとめて結う。
「一体、どういう」
雲雀は彼女を見上げながら呟く。
「この私。防衛大臣直属、守護騎士団副団長の私と勝負して勝ったら、記事をとめます」
凛々しい顔をして、鶫はそう言った。あまりのことに雲雀は驚くしかなく、言葉を失った。守護騎士団といえば存在は知られているけど、誰も見たことがない。雲雀にさえ秘密にしていた謎の騎士団だ。その副団長が今、目の前にいる。
「場所を変えましょう」
唖然としながら、雲雀は鶫を見ていた。