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飛竜の華  作者: 黒宮涼
飛竜の華
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ワカバのころ(2)

 そいつは雲雀たちの顔を見るなり、したり顔をした。

 長い前髪に隠れるその鋭くて細い目が、雲雀たちを捉えていた。


「無駄だよ。隠は本能で私と媒体を守るんだ。だから君たちは指一本、私と媒体に触れることはできない」


 おぬ使いはそう言って、少しだけ笑った。

 どこか幼さを感じる青年だった。

 隠使いはワカバのところまでゆっくりと歩いていった。

 雲雀たちはその姿を、固唾を呑んで見ていた。動いたら隠に殺されかねないので、雲雀たちは動けなかった。一歩も。

 雲雀は、腰にかけている長い片手剣を一瞥する。これを抜いた瞬間、あの隠は容赦なく雲雀を襲うのだろう。対応できる自信はない。

 どうすればいい?

 隠使いはワカバの顎を指で持ち上げる。


「ん……」


 ワカバはゆっくりと目を開いたようだった。


「!」

 そして開いた瞬間に、隠使いの顔を見て目を丸くした。それからすぐにワカバは隠使いを睨みつけた。


「ねえ、見てよ。あの人たち、君を助けに来たんだって。まったく笑っちゃうよね」


 隠使いはそう言って、ワカバの顎を掴んでいる手とは別の手の指で、雲雀たちの方を示した。ワカバは雲雀たちのことを驚愕した顔つきをして横目で見る。


「あ……っ」

 ワカバは雲雀たちから逃げたいのか隠使いから逃げたいのか、雲雀たちを横目で見たまま自分を捕まえている紐を外そうと腕を動かす。

 それを見た隠使いは、顔に笑みを浮かべてから、ワカバの顎から指を離した。


「どうして、来たの」


 ワカバが呟くように言う。


「ワカバ。みんな、お前を助けに来たんだ!」


 雲雀は叫ぶ。


「嘘!」


 今度はワカバが、叫んだ。

 ワカバがこんなにも感情的に叫ぶところを、雲雀は見たことがなかったので驚いた。


「嘘。そんなの。そんなの建前で、あなたたちはあたしの体から出たあれを倒しに来たんでしょう。そうなんでしょ?」


「違う。お前を助けに来たんだ。お前を助けることで、街も助かるんだ!」


 雲雀はワカバの問いに答えた。

 何も間違ってなどいないはずだ。ワカバを助けて、街の人たちも助ける。それが、雲雀たちの決めたことだ。


「ワカバ、待っててね。もうすぐ助けるからね」


 ルリが励ましの言葉を言ってから、もう一度ワカバに近寄ろうとする。

 だが駄目だ。また邪魔される。ルリが刺されてしまう。止めないと。


「ルリ!」


 伸びてくる触手を一瞥して雲雀はルリを呼び止めようとするが、ルリは気付くのが遅れた。しかし、すかさずルリを庇ってくれた奴がいた。

 隠の触手が、蓮太の左肩をかすめた。

 そのまま触手は地面にのめり込み、蓮太とルリも触手のすぐ隣の地面に倒れた。


「大丈夫? ルリちゃん」


 蓮太はルリの顔を見て聞く。


「だ、大丈夫。れ、蓮太も大丈夫?」


「平気。かすっただけ」


 そう言って、蓮太は少しだけ苦笑いした。

 二人は立ち上がってワカバの方を見る。雲雀は二人が少しだけワカバに近づいた気がした。


「や……めて。来ないで。助けなくて、いい」


 ワカバは、その光景を見てみんながあの隠のせいで自分に近づけないのだと気付いたのか、そんなことを言って首を振った。


「ワカバ」


 蓮太がワカバに呼びかける。


「止めてよ。あたしなんかのために。こんな、醜くて汚いあたしなんかのために」


 ワカバは泣きそうな顔をして言った。


「そうだよ。その通りだよ。こんな、醜くて汚い人間のために、命を無駄にする必要はない。君たちもいい加減気づいてるんだろう。媒体の心が醜ければ醜いほど、強い隠が生まれるってさ」

「ワカバは。醜くなんかないよ!」


 隠使いの言葉に、ルリは怒ったように叫んだ。


「そうだ。そんなふうに言うな。ワカバは優しくて、真面目で、俺にとって最高の相方なんだ」


 蓮太がワカバの顔を見ながら、真剣な表情で言った。


「ううん。あたしは、あなたたちに内緒で、酷いことをした。ルリに、酷いことをした。あたしは」


 言いながら、ワカバは首を横に振っていた。


「ワカバ……?」


 ワカバの言葉に、ルリは不安げな表情で首を傾げる。

 それからしばらく沈黙が流れた。

 雲雀たちは待った。ワカバがどうしてそんなに自分を卑下するのか。その理由を話してくれるまで待った。

 黒田も菫もチトセも、その瞬間を見守っていた。

 動けないし何も言えないが、見守ることだけはできた。

 ワカバは何を隠している?

 深山鶫みやまつぐみが言っていたことも気になる。

 それと関係していることなのか?

 ルリに酷いことをしたってなんだ? ワカバは何をした?

 様々な疑問が雲雀の頭の中を駆け巡る。

 沈黙はしばらく続いた。

 その沈黙を破ったのは、ワカバだった。


「実技試験の時に、ルリたちと当たる深山さんたちに頼んだの。ルリたちに少しだけ痛い目をみせてって。分析した限りの弱点も教えるから。二人に勝って、二人を落胆させてって……。あたしが、頼んだの。ルリの落ち込む顔が見たかったから」


 ワカバはそう言って、少しだけ自嘲するように笑った。

 雲雀たちはワカバの言葉に、信じられない気持ちでいっぱいになった。

 ワカバが、雲雀たちを負かすようにに頼んだ?

 しかも弱点まで教えて?


「ルリは、一度自分のペースが崩れると、とことんまで崩れるから、そこを狙うといいって教えてあげたの。でも、ルリの目に怪我をさせろなんて言ってない。深山さんたちが勝手にやったの。そこまでしろなんて言ってないのに。あたしはただ、ルリがいい気になってるのを潰したかっただけなのに」


 ワカバは顔をしかめていた。

 雲雀は、鶫の言っていたことをようやく理解した。

 鶫たちはワカバに頼まれて雲雀たちの弱点を突くために最初に体当たりをしてきた。本当はそれだけで十分だったはずなのに、雲雀がしぶといから切れてルリの目を攻撃してきた。

 でもそれを、ワカバは望んでいなかった。

 ワカバはルリの目に怪我をさせる気も、ルリの背中から雲雀を落とす気もなかった。だからワカバは雲雀を助けてくれたのだ。

 だけれど、ワカバがズルしてでも勝ってと鶫に頼んだことは事実のようだった。


「ワカバ……」


 雲雀もルリも、言葉を失っていた。

 ルリは酷く泣きそうな顔をしていた。

 ルリが口を開けたまま、何かを呟いた。それはあまりにも小さな声だったので、近くにいた蓮太さえも聞こえなかったようだった。


「ルリちゃん?」


 蓮太が戸惑いながらルリの顔を覗き込む。


「ワカバは、私のことが嫌いだったの……?」


 やっと絞り出したルリの声から発せられたのは、そんな言葉だった。


「好きだったよ? 好きだったけど、嫌いだった。ずっと、ずっと。ルリのことが好きで、嫌いだった」


 ワカバは悲しそうな顔をして言う。

 好きなのに嫌いとはどういうことだろうと雲雀は思った。複雑だった。ルリを悲しませる奴は誰であろうと許せないが、それがワカバであることに、怒っていいのか悪いのか、複雑だった。

 否、怒るべきなんだろう。怒るべきなのだろうが。

 ワカバは雲雀たちにとって大切な友人で、仲間だから。それにルリがなんて言うのか不安だから。


「お前は、昔からそうだったよな」


 不意に、先ほどまで無言を決め込んでいたチトセが口を開いた。


「チトセ?」


 雲雀は思わずチトセの方を見る。


「昔から、お前は自分がルリに劣ってると思っていたんだろ。ルリが羨ましかったんだろ。 素直なルリが」


 チトセが言いながら、ゆっくりと歩き出した。


「チトセ!」

「チーちゃん?」


 雲雀はチトセを呼び止めようとする。ルリがチトセを見ながら首を傾げる。

 チトセは雲雀たちに構わず歩く。

 隠の触手が伸びてくる。チトセはそれを避けながらも前に進む。

 雲雀たちは、チトセの行動に目を丸くしていた。それはもちろんワカバも、そして隠使いも同様だった。


「お前はルリに憧れていた」


 隠の触手は次々と伸びてきて、チトセはそれを避けながら歩き続けた。


「おい、それ以上近づくな」


 隠使いがチトセに言う。

 そしてワカバの前に立ちはだかる。


「ルリは、誰とでもすぐに打ち解けて、元気で、明るい女の子で。自分は、暗いし真面目でなんの取り柄もない女の子で。自分とルリを比べてる自分も嫌だったんだろ。ルリになれないから嫌だったんだろ。だからルリのこと、大切な親友で大好きだけど嫌いだったんだろ」


 チトセはそうワカバに言ってから、立ちはだかった隠使いの肩を掴んで「どけ」と低いどすの利いた声で言った。

 それから隠使いを突き飛ばす。


「ワカバ」


 チトセがワカバの目の前に立ってその名を呼んだ。

 雲雀たちのところからは、ワカバの表情は見えなかったが、おそらくチトセを怯えた表情で見ているだろう。


「チトセ」


 ワカバもチトセの名を呼ぶ。


「お前が、ルリになれるはずがない。ルリはルリだ。お前もお前だ。お前にだって良いところはある。さっきお前の相方が言ってただろ。みんなお前のこと考えて、お前を助けようとしている。なのに、お前が自分で助かろうと思わないでどうするんだ。それじゃ助けようがないじゃないか」


 どこかきついが、優しい口調で、チトセはワカバに向かって言っていた。

 チトセは、ワカバのことをよく理解しているようだった。否、ワカバとルリのことを。二人の関係を。

 雲雀はそのことに、少しだけ悔しくなった。蓮太もだろう。


「チト……セ……。あたしは、あたしはっ」


 ワカバが震えた声で言う。

 チトセは徐にワカバの手首に手を伸ばし、ワカバの手の自由を奪っていた紐を解いた。

 ワカバは両手が自由になると、力なく自分の脚の上に下した。


「ワカバ……。もう苦しむな。誰もお前を怒らないから。ルリもきっと怒らないから」


 そう言って、チトセはワカバの頭を撫でた。

 ワカバは顔を下に向けて、泣いているようだった。


「き、さまあああああああああああああああああああああ」


 突然、隠使いが叫びながらチトセに襲いかかる。

 チトセはすぐに振り返り、隠使いを取り押さえた。


「チトセ!」


 ワカバが顔を上げて叫ぶ。


「よくも大事な俺の友人に、手を出してくれたな」


 チトセは隠使いと睨みあっているようだった。

 ワカバは足が竦んで立ち上がれないようだった。


「お前ら、上を見てみろ。叩くなら今のうちだ!」


 黒田が叫んで、雲雀たちは上を見た。

 雲雀たちを見ていた眼球が心なしか小さくなっている気がした。そして眼球だけではない。地面に刺さっていた触手も弱々しく上の方で波打っていた。

 ワカバの心が少し穏やかになったことで、隠も少し弱くなったのだ。


「チトセ。そいつの相手は俺たちに任せて、お前たちは上に飛べ。鍵が閉まらなくても外部から直接、極限まで弱らせることができたら元の次元に帰るかもしれん!」


 黒田の言うことはあくまでも予測の範疇なのだが、それで充分だった。

 チトセは隠使いを大人しくさせるために完全体になって、その大きな手と爪で隠使いをねじ伏せた。


「くっそ」


 隠使いが呻く。


「私は、絶対に鍵を閉めないぞ」


 雲雀たちは、触手の動きを見ながらワカバのもとに駆け寄った。


「ワカバ!」


 蓮太が真っ先にワカバを抱き締める。


「よかった」


 蓮太は心の底から安堵したようだった。


「蓮太。ご、ごめんなさい。あたし……」


 ワカバは目から涙を流したまま言う。


「俺より、謝るべき相手がいるだろ」


 蓮太に言われて、ワカバは気づいたのか、雲雀とルリの方を見る。


「ごめんなさい。雲雀。ルリ」


 そう言ってから、ワカバはどんな顔をしていいのか困った様子で、ルリから視線を逸らした。

 雲雀は横にいるルリを見る。

 何かを言いたそうで、言えない様子だった。


「ルリ」


 雲雀は、そんなルリの背中を押してやる。

 ルリは雲雀に背中を押されて、戸惑うように一歩前に足を出した。


「あ、ワカ、バ」


 ルリは、自分のことを好きだけど嫌いと言ったワカバに対して、どう接したらいいのかわからない様子だった。


「わ、私、全然ワカバの気持ちに気付かなくて。それで、その。今まで散々迷惑もかけたし。あの、こっちこそごめん。で、も。私はそれでも、やっぱりワカバのこと、好きだよ」


 ルリは一生懸命に言葉を探しながら言っていた。

 ワカバはルリの言葉を聞いて、感極まったのかますます涙を流した。


「ううー。本当にごめんなさいー」


 雲雀はそんな二人の様子を、少し呆れたように見た。

 やはり、雲雀はワカバを怒れなかった。そしてこれでよかったとも思った。

 ワカバはきっともう、大丈夫だと思う。

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