ワカバのころ(1)
「なーに。みんなしてお通夜みたいな顔してるんだ?」
不意にそんな声が聞こえてきて、雲雀たちは事務所の出入り口に立っていたその人物を見た。そこに居たのは、黒田だった。
「黒田さん。例えが悪いですよ」
菫が言う。
電話から数十分は経っていた。黒田は落ち着いた様子で雲雀たちのほうを見ている。
「はっはっは。でも、世界の終わりみたいな顔って言っても、僕は世界の終わりを見たことがないからなあ。その時にする顔なんて、見たことがない。だからお通夜って言ったんだが、駄目か」
黒田は笑って、そう言った。
「駄目に決まっているじゃないですか」
菫は少しだけ頬を膨らませた。
「そう暗い顔をするな。これからって時に」
黒田はそう言う。
「だ、誰?」
蓮太が雲雀に耳打ちして聞いてくる。
「治癒士の人。菫さんの知り合い」
雲雀は蓮太にそう説明してやった。
病院から抜け出してきたのか黒田は白衣を着たままだった。黒田は横ポケットから折り畳まれたある紙を取り出した。
それを丁寧に開くと、雲雀たちの座っているソファの前にある低い机に広げた。
それは伊良都市の地図だった。
「これから、建物から出ないようにと勧告が出される。学校に言ってる月見ちゃんもおそらく教室に収容されているだろう。だが、それが絶対に安全とは言い切れない。外にいるよりはマシと言うことだ。で、本題だが」
黒田は胸ポケットに引っ掛けてあったボールペンを取り出して、ペン先を出すと地図上のとある部分に円を描いた。
「大体の目安で悪いんだが、多分森の入り口だ。隠使いはそこにいる。人間からも竜人からも隠れられて誰にも邪魔されない場所。それが森の入り口なんだ。ただ森の入り口と言っても広いからな。ある程度場所を絞らなければならん」
そこで黒田は少しだけ難しい顔をした。
「もし隠使いと媒体にされた者を見つけたとして、そう上手いこと事態を収拾することはできないかもしれない。お前さんたちにはあの化け物と戦う度胸と覚悟と勇気はあるか?」
とても真剣な表情で、黒田は雲雀たちに問いを投げかけた。
雲雀たちはその問いの重さを、噛みしめる。
「戦わないとワカバを救えねぇんだろ? だったら答えは決まっている」
チトセが、額に汗を掻きながら言った。
そうは言っても、チトセもあんなものを相手にするのは少し怖いのだろう。
雲雀も、怖い。
蓮太もルリも、そして菫も、黒田も怖いと思っているだろう。
蓮太は得体のしれないものと戦う恐怖を感じているはずだし、雲雀とルリは一度、別の隠でその恐ろしさを体感している。
ましてや今は元気なチトセの、酷いことをされた姿を見ている。それと同じことが起こる可能性は否定できないのだ。
雲雀はあの時のことを思い出して、背筋を震わせた。雲雀とて、あの時と比べ物にならないくらいに八つ裂きにされる可能性だってある。
隠への好奇心と恐怖心が相俟って、おかしくなりそうだった。
だが、雲雀の答えもチトセと同じで決まっていた。
「俺、もし本当にワカバが媒体にされたなら、ワカバを助けたい。大切な友人だから。ルリの泣きそうな顔ももう見たくないんです」
雲雀は決意した。体は震えていたけれど。後悔はしない。
それに自分たちが行かないと、菫はきっと一人で戦おうとするだろう。雲雀は、菫のことを守るって決めた。だから欲張りかもしれないが、雲雀は菫を守り、ワカバを助ける。そしてルリの笑顔を取り戻すのだ。
「わ、私も。ワカバのためならなんだってする」
ルリも決意したようにそう言った。
ルリはとにかくワカバが助けられれば、どんな犠牲も厭わないだろう。そんな気がした。
ルリにとってワカバは大切で、何者にも代えられない親友。だから自分が死んでもワカバを助けられればそれでいいと思っていそうだと雲雀は思った。
雲雀は、雲雀の隣で尚も黙って下を向いたままの蓮太を見る。
「蓮太は?」
雲雀が聞くと、蓮太がこちらの方を見た。
「俺は、ワカバを助けたい。けど、あんなのと戦うのか。お前も見たよな。外で。竜騎士があれと戦っているところ。あれが操ってる小さいあれもなんなのかわからないけれど、それが竜騎士とその竜の体を何度も何度も貫いて。それによく考えてみろよ。戦うったって、俺たちには剣も、防具も、何もないじゃないか。その上俺にはワカバがいない。ワカバがいないと俺は飛べない」
蓮太の言うことは正しいが、間違っていた。
確かに雲雀たちは正規の竜騎士たちが戦っているところを見た。死を覚悟して戦っていた。確かに雲雀たちは校則を守っているので自分の剣も防具も持っていない。そして確かに、ワカバがいないと蓮太は乗る竜がいなくて飛べないのだ。
だけれど。
「それがどうしたって言うんだ。お前はワカバを助けたいんだろ。俺たちと一緒だ。それが覚悟だ。それじゃ駄目か。それだけで校則破って剣を持つ理由にならないのか。ワカバがいなくて飛べない? じゃあ、お前はルリに乗れよ。俺はチトセに乗ってやる」
雲雀はそう言って、蓮太の肩を思いきり叩いた。気合を入れてやりたかった。
「仮にも、お前はワカバの相方だろ。自分の相方のために、命かけるぐらいしろよ」
雲雀は蓮太に言った。
竜騎士になると決めた時、誰しもが戦って死ぬことを決めた。それはみんなが覚悟していたことだ。命を賭けて人々を危険から守る。そういうのになると自ら決めたのだ。
だが、それはいざという時には崩れ落ちるもの。仕方のないことだ。誰しもが自分の命を惜しがる。
でもそれは、乗り越えなければいけない雲雀たちの永遠の課題だ。
だから雲雀は蓮太にもう一度、命を賭ける覚悟をしてほしかった。その覚悟があれば、自然と勇気は付いてくる。度胸は勇気で補えばいい。
それが雲雀の考え方だった。
蓮太は自分を震え立たせていた。
「そうだな……。そうだよな。俺はワカバを助けたいんだ。大切な相方だから」
蓮太の覚悟を聞くと、雲雀たちは互いに震えながらにやりと笑った。
「よし、じゃあいいな。剣と防具は車に積んできた。好きなのを選べ」
黒田はそう言うと少し後ろを振り向き、菫に向かって優しく微笑む。
「菫ちゃん。大丈夫だ」
黒田は菫に向かってそう言った。
*
外出禁止の勧告が出されたので、街にいた野次馬たちは大分、減っていた。だが一部の人たちはそんなものを聞いちゃいなかった。
混乱に乗じて悪さをする者までいたらしい。
頭のネジがいかれているのだ。
雲雀たちは武器を持ち、軽い防具をまとった。あまり重いものだと竜に負担を賭けてしまうためだった。
「いいですか? 私たちはあくまでもワカバさん奪還が目的です。決して無理はしないこと。私と黒田さんの許可が出ない限り、飛ばないでください。余計な犠牲は払いたくありませんから」
そう言って、菫は特に雲雀を注意深く見てくる。
わかっている。雲雀は理解している。菫も雲雀のことを理解してくれている。その上で、まだ飛ぶなと言う。大体、まだチトセが雲雀を背中に乗せてくれる可能性は低い。結局ルリで飛ぶことになるかもしれない。
「あと、心が喰われないように注意してください。こればかりは注意してもどうにもなりませんが。隠使いに鍵を閉めさせるまでは厳しいです。必要があればあれと直接戦ってもらうことになりますが。私は、あれと戦うことを出来るだけ避けたいですね」
そう言って、菫は悲しそうに微笑んだ。
あれと戦う可能性は、高い。
だから黒田は雲雀たちにあれと戦えるかどうか聞いた。そういうことだ。
近くの森まで、雲雀たちは歩く。菫が言うには、隠使いは森にいる確率が高い。
そこにきっと媒体にされた者もいるはずだった。
森の入り口を、高く生い茂った草を掻き分けながら進み、ワカバを探した。彼女を見つけるのに、そんなに時間はかからなかった。
「あそこに誰かいます!」
見つけたのは菫だった。菫が叫ぶ。
雲雀たちはおそるおそるワカバの姿を目にする。
そこには確かに、ワカバがいた。
「ワカバ!」
雲雀は目を丸くして叫んだ。
ワカバは紐で両手を後ろにある木に括りつけられていた。寝間着をはだけさせられて下着が少しだけ見える状態で、ワカバは地面に腰を下して眠っているようだった。
ワカバと雲雀たちの距離は離れていたが、ここからでもそれが十分わかった。
「ワカバ!」
ルリが叫んでワカバに駆け寄ろうとすると、上空から突然伸びてきた何かがルリの目の前の地面に突き刺さる。
「きゃっ」
ルリは思わず飛びのいて、その反動で尻もちをつく。
そこ一体の草は一度手が入ったのか、低い草が多かった。恐らく隠使いがしばらくそこで過ごすために草を刈り取ったのだろう。
「ルリ! 大丈夫か?」
雲雀はルリに声をかける。
「いたたた。うん、大丈夫」
そう言ってから、ルリは上を見上げた。雲雀たちも見上げてみる。
そこには木の葉に隠れるようにして、隠の腹が見えていた。その腹にはよく見ると眼球がついている。
おそらくワカバを守るために、そいつはここを監視して、ワカバを防御しているのだろう。
「あいつ、目があったんだ」
雲雀は思わず呟いた。
ルリはよろよろと立ち上がった。
近くで、菫のものでも蓮太のものでも、チトセのものでも黒田のものでもない草を踏む音が聞こえて、とうとうその人物は雲雀たちの前に姿を現した。