あるいはその予兆
久しぶりの来客だった。あれからどれだけ経ったのか。すっかり老いてしまったこの巨体は、とうの昔に動かなくなった。ヒの一族で村に残っているものはもう女と子どもだけだった。女は毎晩、この年老いた竜に詩や舞いを見せてくれる。客人の前だ。おそらく今日は特別な舞を見せてくれるだろう。
「久しぶりよのう。スバル・ヒ・アサヒ」
その名を呼ばれて、懐かしく思う。彼女は相変わらず綺麗な顔をしていた。可憐で、美しいその美貌は、誰も寄せ付けない厳しさも持ち合わせていた。
「妖精女王。いつぶりじゃ」
スバルはそう言って妖精女王に鋭いまなざしを向ける。村の者は女王に遠慮したのか誰一人姿を見せない。それにしても静かすぎる。何かあったのかと、スバルは思う。
「百年ぶりかのう。戦争で姿をくらましたお主を、ずいぶん探したぞ」
「くらましたわけじゃない。安全な場所へ移動しただけじゃ」
「なるほど、逃げたのだな」
「なんとでもいうがよい。見てわかるじゃろう。わしにはもうなんの力も残っておらぬ」
女王はその翡翠色の瞳でスバルのことを見下していた。風が吹き、周りの草木が女王を歓迎するように音をたてた。
「スバルよ。わらわがここに来た理由。気づいておるのだろう」
「何。久しぶりに顔を見に来たのではなかったか。この老いぼれを笑いに来たのではなかったか」
冗談交じりにスバルは言った。
年老いてしまったスバルに比べ、女王は何百年も変わらぬ若い姿のままだった。
「戯言を。森の異変に気づいておらぬわけがなかろう」
スバルは女王の言葉に、先ほどから森に感じる何かを思いながら深く息を吐いた。
「わざわざ知らせに来たんじゃな。よほど暇なのか。女王」
「暇ではない。本来の役目をほうって来たのだ。伝えたらすぐに戻るつもりでな」
「そうか。じゃがことと次第によってはわしも黙ってはおらんぞ」
「お主に何ができるというのか。鍵は人の手に渡った。時代は動くぞ。スバル」
心底楽しそうに、妖精女王は笑う。あの頃と何も変わっていないと、スバルは思う。
「百年前もそうじゃった。貴女は本当に……」
そこまで言って口を閉じ、目を閉じた。思い出したくもないことが頭の中をぐるぐるする。百年前も千年前も。彼女は笑っていた。笑っていたのだ。
「愛しておるぞ。スバル。わらわは愛しておる。お主が永遠にわらわのものにならずとも。わらわはずっと愛しておる」
スバルは言葉を返すことができない。妖精女王がスバルの顔に頬ずりするのを、何も言わずにただ受け入れる。スバルは永遠に彼女から逃れられない。心を縛られ続ける。それこそ彼女が望んだこと。スバルが望んだこと。それが運命だ。