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飛竜の華  作者: 黒宮涼
飛竜の華
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愛情と愛憎による(1)

「ん……」


 目を覚ますと、茶色い木目の天井が見えた。それで、病院ではないことを把握した。雲雀ひばりは起き上ろうと思ったが、左肩を怪我したことを思い出して、そのまま布団の中にいることにした。

 だが、今は不思議と痛みを感じなかった。治癒士でも呼んで治癒してもらえたのだろうかと雲雀は思った。

 首だけを動かして見える範囲で部屋の中を見回すと、畳の部屋で、綺麗に片付いていることがわかる。一体誰の部屋なのだろうか。

 不意に、部屋の襖が開いて誰かが入ってきた。

 その誰かは雲雀が目を覚ましたことに気がつくや否や、雲雀に話しかけてきた。


「おお、目が覚めたか。少年」

「あの……。誰ですか」


 雲雀はその人に尋ねる。


「僕は、近くの病院で治癒士をやっていてね。実のところ、すみれちゃんたちのお父さんの友人なんだ。ちなみにこの古書店の唯一の常連でもある」


 その人は、随分親しげに菫の名前を呼んでいた。

 体格のいい人で、顔に無精髭を生やしている眼鏡をかけているおじさんだった。

 菫の父親の友人。確かにその治癒士はそう言った。そういえば、母親がどういう状態かは見たし聞いてはいるが、菫たちの父親の話を、雲雀は初めて聞いた気がする。

 しかし、古書店に常連客がいたのか。と少し意外に思った。


「黒田という。よろしく」


 そう言って、黒田は雲雀の寝床の近くに腰を下して、右手を差し出してきた。

 雲雀は自分の右手を布団から出して、黒田の分厚い手を握った。


「よろしく、お願いします。俺は、野駒雲雀のごまひばりです」


 雲雀が自己紹介すると、黒田は優しく微笑んだ。


「聞いたよ。君、菫ちゃんを守ってくれたんだってね。僕からも礼を言うよ」


 黒田の言葉に、雲雀は首を横に振る。


「いいえ。俺は何も。一番活躍したのは、俺じゃなくて」

「いいや。君はよく頑張った。事情は色々聞いたし、正直驚いたんだが、君は今回のことで、一つ大人になったようだね」


 何だか臭いセリフを返されたような気がして、雲雀は少しだけ照れた。


「チトセと言ったかな。竜人族の彼。彼が、君のことを見直したと呟いていたよ」

「チトセが?」

「ああ」


 雲雀の言葉に、黒田は頷いた。

 チトセがそんなことを言ったなんて正直信じられないが、あの時チトセが現れて、雲雀に向かってよくやったと言っていたので、本当に見直してくれたのかもしれない。もしかしたら、チトセは雲雀を自分の背中に乗せる気に、ちょっとはなってくれたのだろうかと都合のいいことを思った。


「それから、君のこれからの所在だが、何も気にせずにしばらく静養しなさい。肩はもう大丈夫だが、色々とありすぎて心が休まっておらんだろう。だから、静養することだ」

「え、でも」

「少なくとも今日はここで夜を明かすことになるだろう。もう、九時を回っているからな」


 雲雀は黒田の言葉に、重大なことに気がついた。


「嘘。寮の門限……。明日の学校……」


 最悪のシナリオが頭の中で駆け巡る。まずいことになった。寮の門限を破ったら、正座させられたまま説教されて、さらに一週間の外出禁止が待っている。


「そ、そうだ。ルリは?」


 雲雀は急いで黒田に聞く。

 ルリは寮に戻ったんだろうか。


「大丈夫ですよ」


 不意に声がして、雲雀は驚いた。

 部屋に入ってきたのは、寝間着姿の菫だった。


「寮に送り届けました。それから学校へは、ルリが事情を話してくれるそうです。少し肩に怪我をして病院で寝ていますって。それに、忘れていたんですか。明日は休日ですよ」

「あ……」


 明日が休日。だとかそんなことはまったくもって記憶になかった雲雀は、思わず拍子抜けしてしまった。

 黒田が傍にあったのか、暦を見せてくれる。確かに、明日は休日で、学校の訓練もない日だった。


「それから、事件の件ですが。結局、おぬは口を割らず、逃げられてしまいました」


 残念そうに、菫が言う。

 雲雀はおそるおそる聞いてみる。


「あの、その隠っていうのはなんですか。あれは人間じゃ、ないんですか?」

「そうでしたね。まずはそれの説明でした」


 そう言って、菫は黒田の隣に正座した。寝間着姿の菫は、いつもより弱々しく見えた。


「隠と言うのは、雲雀の予想通り、人間ではありません。分かりやすく言うと、あれは人間ではなく、人間や竜人の持つ、心の闇が実体化したものです」

「心の闇?」


 雲雀は菫の言葉に顔をしかめた。


「隠使いってのがいてなぁ。隠は普段、こことは違う次元に生息しているんだが、その隠使いってのがその次元を開ける鍵を持っているんだ。それでその鍵を開けると、こっちの次元に隠が出てこられるってわけだ」


 黒田が言う。

 菫がそれに頷いた。


「誰の心でもいいんです。誰かの心を媒体にして、隠を呼びだし、その隠の主となる。鍵を持っている隠使いが、彼らの主で、全てなんです。主の命令は絶対です。決して裏切らない。隠使いがどうやってその鍵を手に入れるのかは不明です。もしかしたら、鍵を与える誰かがいるのかもしれませんが」


 菫は真剣な表情でそう言った。

 ここのところ、裏世界では常識なのか、変な力を持つ人間や人間ではない何かと出会う機会がある。この世界というか、社会はどうなっているんだ。

 雲雀は頭を抱えたくなった。


「おそらく、あの隠は楠木拓海の心を媒体としたのでしょう。私たちを狙ったのは、楠木が隠使いに依頼をしたから。邪魔者を消してくれと。隠使いに唆されたか、あるいは自ら頼んだか」


 菫は顔をしかめていた。

 雲雀はそんな菫さんを見つめていた。

 菫のいる世界と雲雀のいる世界は、まったく違うもののように思えた。

 雲雀はそれを少しだけ寂しく思った。手を伸ばせばすぐ菫に触れられるのに、雲雀は菫が遠くにいる感じがした。


「雲雀。あの」


 菫が言いづらそうにこちらを見る。


「こんなことに巻き込んだ元凶は私ですし、今更言うことでもないのかもしれませんが。雲雀はもう、これ以上私たちに関わらない方がいいかもしれません」


 菫が、随分弱気な発言をした。

 雲雀が自ら協力すると言って無理矢理に事件に関わって、菫はそれを承諾してくれた側の人間で、それもすべて月見の負担を軽くするため。だったはずなのに。

 菫は雲雀にこれ以上裏の世界に関わるなと言う。

 これは雲雀の自業自得なのに。雲雀が好奇心で菫たちに関わろうとしたから。その制裁。

 でも菫は、雲雀をこんな危険な目に遭わせるつもりではなかったのだろう。

 ただの善意のつもりだったのだろう。


「そうかもなあ。一般人が関わることじゃないしな」


 黒田まで言う。

 雲雀は嘆息した。

 答えなんて、出すまでもないのに。それに雲雀だって、最初から命の危険にさらされることをまったく予想していなかったわけではない。

 ただ、普通じゃない世界を見てみたかったのだ。

 雲雀は天井を見つめて自分のことを語り出した。


「俺、実は普通とか、一般とか、そういう言葉が嫌いなんです。俺が生まれたのは凄く厳しい家庭で。昔からそれに対して堅苦しさを感じていました。何かの型にはまって、その通りの人生を送る。ある時そんなの御免だって思ったんです。それ以来、普通の、あらかじめ用意された型にはまって人生を送るなんてそんなの嫌だって思って。もうどうでもいいやって。俺は俺のやりたいことをやって、楽しい人生を送るんだって思って。だから」


 そこで、雲雀は菫の顔を見る。


「だから、これは俺の意思で決めたことです。最後までとことん付き合いますよ。だって、菫さんたちといると楽しいんですよ。俺。今まで知らなかったこととか、知らない世界が知れて楽しいんです。それは怖いですよ。怖いですけど、でも俺はチトセと共に菫さんを、守ろうって思ったんです」


 その気持ちは本物だった。

 雲雀の実家は名家で、家柄のこともあって堅苦しい人生を送ってきた。

 良い子でいなければと思っていた。そうでなければいけないと、思い込んで生きてきた。

 良い子でいれば、大好きだった母とまた会えるって、本気で信じていた。

 だけれどある時気付いた。

 良い子でいたところで、母とはもう、二度と会うことは叶わない。何故なら母は、とっくの昔に、雲雀の幼少時代に事故で死んでしまっていたのだから。

 だから雲雀は、自分を縛っているものの意味がないことに一旦は絶望し、それから全てがどうでもよくなって、雲雀の好きなように、自由に生きることに決めたのだ。

 今思えば、それが雲雀の人生、最大の分岐点だったのかもしれない。


「雲雀」


 菫が雲雀のことを、複雑そうな瞳で見つめてくる。

 知らないことを知るのは怖いけれど、楽しい。知らない方が良かったこともあるのかもしれないけれど、知らないよりは知っていた方がいいと思う。

 例えば菫のことだって、雲雀はまだ知らないことがありそうだから。ゆっくりと知って行きたいのだ。


「本当に、ありがとうございます」


 そう言って、菫は雲雀に向かって頭を下げた。


「あ、頭は下げなくていいですよ、菫さん。むしろこっちが下げたいぐらいなんですから」


 雲雀はそう言って苦笑いした。


「はっはっは。何だか、面白いことになったなぁ」


 急に黒田がそう言って笑った。


「でも、僕も少し安心したよ。菫ちゃんが生きたいって思っていたことに」


 黒田は菫の頭に大きな手の平を乗せる。


「黒田さん……」


 菫が黒田の方を見る。


「僕はね、菫ちゃんのことをこうやって見守るしかできないんだ。だから、君たちが体を張って守ってくれると言うなら。僕は喜んで協力するよ」


 そう言って、黒田は雲雀に向かって優しげに微笑んだ。黒田にとっても菫は特別な存在なのだろうか。大切に思っているのは言葉の節々から伝わってくる。機会があれば黒田と菫たちの父親の話を聞いてみたいと、雲雀は思った。


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