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エッセイ

おっぱいの勇者

作者: 仲山凜太郎

 バレンタインである。

 お菓子屋の陰謀だの何だのと言われながらも、すでに日本のイベントの一つとして定着し、皆がそこそこ楽しんでいるのだから問題はないだろう。今更「バレンタインにチョコを3親等以上の女子から2個以上もらった男子は死刑」という法律を作ってもしようがない。

 実際、バレンタインはクリスマス、バースデーと並び、少しでも恋愛要素のある現代日本を舞台にした作品なら必ずと言って良いほど出てくるイベントだ。

 本命ってレースの一番人気のことだろう。と答えたくなるぐらい縁のない私でも、この時期の浮かれた雰囲気は結構好きだ。それに、この時期に出てくる数々の季節限定チョコはどれも楽しそうで美味しそうだ。

 だが、それらは男が一人で買うには抵抗がある。甘党男子にとっては嬉しいような、悲しいような複雑な気分だ。

 対してホワイトデーがさっぱり盛り上がらないのは、

「盛り上がってもいないのに3倍返しを要求される。これで盛り上がったら5倍、いや、10倍返しぐらい要求されるぞ。盛り上げさせてなるものか!」

 という男子必死の抵抗の成果である。というのは冗談だが、ホワイトデーが盛り上がらないのはまずこれを用意しろという定番がないからだろう。

 バレンタインのチョコ、ハロウィンのかぼちゃのお菓子、節分の恵方巻きのようなまずこれというものがないため、店舗側でも具体的なイベントを出せないのである。ああ、よかった。


 エッセイの題材に選んだ以上、私にも何か甘酸っぱい思い出があるのだろうと期待されると困る。

 私の通っていた高校は男子校だった。爽やかな春の青空のような青春ではなく、汚れた路地にあるゴミための暗黒のオーラを思い浮かばせる。正に黒い春である。黒春である。

 教室の窓を開けると、校庭の先に広がる墓地。煩悩よ去れと言いたげなお寺の鐘の音が響く中、勉強し、休み時間には女の子の裸がどれだけ出ているかを面白さの基準とする漫画話に花を咲かせ、普段、ろくに話もしないクラスメイトに声をかけられれば

「俺の友達が女をはらませちゃって、堕ろす費用のカンパ頼む」

 と手を差しだしてくる。そんな高校時代であった。

 ……ごめんなさい。ここまでひどくない。せいぜいこの8割程度だ! でも、カンパの話は事実。

 こんなんだから、私にとってバレンタインにまつわる甘酸っぱい思い出などない。

 でも、一度だけ記憶に残るバレンタインがある。

 もちろん義理チョコの話である。


 中学3年のバレンタイン。この時期は高校受験の真っ最中で、ほとんど授業にならない。すでに合格して一足早い春休み気分のもの、結果待ちで安堵半分不安半分のもの。まさかの不合格で焦りを見せるもの。大学受験ならともかく、高校受験ではほとんどが春休み気分であり、教室全体がのんべんだらりとした空気が漂っていた。中には適当な理由をつけて休んでいる生徒もいるし、学校側も厳しいことは言わなかった。

 そんな中でも、やはり2月14日は特別だった。男子はほぼ全員出席、目当ては言わずと知れた女子からの「義理チョコ」である。本命ならば学校に来なくてももらえるからだ。もちろん私も、今年こそ母親以外の女子から義理チョコをもらいたいという野望に燃えていた……なんだろう。一抹の寂しい風が吹いている。

 女子の方は本命がいる人を除いてハッキリ2種類に分かれた。

「今年で終わりだし、最後ぐらいクラスのアホどもに義理チョコでもあげますか」派と

「今年で終わりなんだから、義理立てする必要なんかない。義理チョコなんて面倒くさいもの誰がするのよ」派である。

 クラスに一人でも前者がいることを祈りつつ、ほとんど意味を感じられないその日の授業が終わった時だった。


(注意:以下のシーンは古い記憶に基づくものなので、細部が実際と違っている/美化されている可能性があります)

「男子。義理チョコ配るから帰るのちょっと待って」

 女生徒A(仮名)が立ち上がった。もちろん、逆らう男子はいなかった。ほとんどの男子はにやついていたと思う。もちろん私もだ。何しろ、その日はこのためだけに登校したと言っても良いのだ。

 期待の男子と好奇心の女子の視線が集まる中、女生徒Aは大きな袋を抱えて教壇に立った。一目でわかる、チョコの徳用袋だ。チ●ルチョコよりさらに安い。それでも一向にかまわない。中学生活最後のバレンタインに女子からチョコをもらうということが大事なのだ。

「1人2個ずつね」

 と言われてよく見た男子が息を飲んだ。彼女の掲げた徳用チョコは

「おっぱいチョコレート」

 だったのだ。あの半球状のホワイトチョコの頭頂部にピンクの苺チョコがポツンとのっかっている、女子のおっぱい(巨乳)を模したアレだ。

 バレンタインに女子からおっぱいチョコを2個ずつ手渡しされる男子たち。その顔はあるものは照れ、あるものは若干引きつり気味の笑みを浮かべ、ある者はいらねえよと拒絶し、ある者は呆れていた。私は……

「はい、おっぱい2個」

 と手渡されてにやけていた。

 彼女のくれたおっぱいは、おっぱいの味……ではなくチョコの味がした。


 その時はただにやけて反応に困っていたが、今考えると、彼女はどんな気持ちでおっぱいチョコを選んだのだろうか。行動自体は単なるネタだ。もしかしたら、裏に何か大きな意味があるかも知れない。これがエッセイでなく、小説のネタならそうする。

 もちろん、中学最後だからちょっと変わったことしてみようか。2月だからやっぱりバレンタインネタだよね、程度のものだったかもしれない。

 男子だから笑って済ませたが、女子には彼女はどう見えただろうか? 変に受けを狙ったものとして「なんなのあいつ」と不快に思われたかも知れない。

 私は彼女をほとんど知らない。よくいる「ちょっと元気そうなクラスメイトA」でしかない。

 これが小説ならば、彼女は今は私の妻だとか、その後イベントが起こって彼女と関わりになるとかあるのだろうが、あいにくと彼女との接点はそれだけだ。卒業後、私が進んだのが男子校でなければただのイベントとして忘れてしまったかも知れない。

 数少ない、血縁者以外の女の子からの義理チョコだから印象に残っている。

 もらったのがおっぱいチョコというのももちろんあるが。


 以前、あるチャットでこのことを書いたら

「その子は勇者だ」

 という返事がきた。当時は思いつかなかった言い回しだ。

 しかし確かに彼女は勇者だ。

 2月初めにディスカウントストアなどでおっぱいチョコレートを見た女子が「義理チョコはこれにしようか」と思うことはあるだろう。友達と一緒に買いに来たなら「これあげてみようか」と一言言うぐらいはするかも知れない。だが、それを会話のネタで終わらさず、実際に行動にする女子は果たしているだろうか? まずいないだろう。

 その時は面白がられても、その後の周囲の反応を考えると後始末の面倒くささばかりが目立つ。

 しかし彼女は実行した。その勇気と行動を私は尊敬する。私は、自分が思いついてもやれなかったことを実行した人を、男女区別なく、国籍もその人個人の好き嫌いも関係なく尊敬する。

 受験が終わってだらけた者にちょっとした衝撃を与え、まだ受験が終わらない男子にはちょっとした笑いで緊張を解いた一人のクラスメイト女子。

 バレンタインが近づく度に、私は彼女のことを思い出す。


 今、私は彼女のことを感謝と賞賛の想いを込めて

「おっぱいの勇者」

 と呼んでいる。


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