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お花畑 - 切離し実験編  作者: イカニスト
7/10

第七話「オウフ〔の世界〕」

題名「お花畑」

第二章「切離し実験編」

第七話「オウフ〔の世界〕」



昔はライブの予定なんかを公式に告知するというと、色々と面倒だったらしい。

公式ホームページの最新情報に記載し、YouTubeに投稿し、Facebook、Twitter、LINE … などなど。

今はトトクーリエ、通称「トト」と云うシステムに一本化されている。

トトは元はFacebookやTwitter、Dropboxなど様々なサービスを包括する統合サービスだったのだが、多機能化する過程で包括していたサービスの存在を利用者が気にする必要がなくなってしまった。

トトは新しい機能を実装するとき、その機能を自分で開発したりなんかしない。

誰かが作ったものをボルトオンするのだ。

ツイカウとオウフちゃんが動画を作成した。

長さはたったの10秒。

曲のイントロが流れ、「な…」と歌い始める直前で終わっている。

背景は固定で、チョリソーとオウフがイントロに合わせてポーズを決める。

二人は3Dデータでローアングル以外は自由に視点を変えられる。

…なぜ、下からは見せてくれぬのだっ!

…くぬっ!ぐぬぬっ!隠しコマンドとかないのかっ!!

二人の左右からカットインが入る。

”センシェン ガベジ待望の新曲”

”8月14日午後二時”

”場所は添付の物理アドレス”

”集まれ!!”

いよいよセンシェン ガベジのライブが告知された。

ツイカウとオウフが作った新曲の発表会だ。

それはいい。

俺も楽しみだ。

問題は、そのバックバンドを俺たちがやるってことだ。

全くイェトさんは何を考えていらっしゃるのか?

コンスースとジェジーは早くもテーブルに突っ伏して絶望。

俺に至っては、どこか誰も知らない世界に逃亡しようかしらんと画策している次第。

ツイカウ曰く──「簡単な曲だから、一週間あればなんとかなるよ。」

自分基準で話しやがって。

俺とコの字とジェジー先生はその手の才能、からっきしだから。

そこんとこ舐めんなよ、コノヤロー。

「わたしドラムーっ!」

イェトさんのみやたらとノリノリで元気がよろしい。

おかしいな?イェトさんだって楽器ダメでしょう。

「うーん。」

俺は伸びをした。

そして、椅子に深く腰掛けて、動画を鑑賞…しているふりをした。

イェトさんの視線が俺から外れた。

いよし!好機来たる!

俺はこっそりと、奥の作業部屋に移動。

チャンネルを切り替える手続きを始めた。

「バックバンドなど付き合ってられっかっつーの!他の世界に逃げさせていただくわ。」

むんず。

俺の肩を鷲掴みにする者あり。

「新曲発表会、楽しみねぇ。」

イェトさんでした。

最早これまで一巻の終わりで御座る。

「楽しみよね?」

俺の肩にギチギチと爪が食い込んでいく。

「あ、ああ。楽しみだな──見る分には。」

「アンタにはわたしが直々に楽しみ方を教えてあげる必要がありそうね。参加する方の楽しみ方を。」

「いや、イェトさんお忙しいのに、そんなお手数かけるようなこと、遠慮しちゃうな~。」

「アンタはわたしが監視するわ。絶対に逃がさないから。」

ひぃ~。

目が!目が人を殺める時の目!!

そして、早速練習が始まった。

俺はイェトとペアを組むってことで、ベースを渡された。

有言実行。本当に俺を監視する気なんだねイェトさん。

ジェジー先生にはキーボードが、コンスースにはギターがそれぞれ支給された。

強制的に。

楽器を見ると思う。

早く絶滅しろ…と。

音なんかデジタルデータでいいじゃんと。

この世に楽器に対するこだわりを強く持つ奇特な御仁がいる限り。

歯ギターをカッコいいとぬかすひねくれ物がいる限り。

バイオリン弾きがストラディヴァリ信仰を捨てない限り。

楽器は千年以上もその基本構造を変えずにハイテクの現代に、生きた化石のごとく、ゴキブリの様にしぶとく、存在し続けるのだ。

そしてその結果、だっさいことでは他の追従を許さないこの俺が、ベースギターなんてオシャレなものと対決するはめになるのだ。

ベースを手にした俺の姿はどうだ?

滑稽だろう。チンパンジーがバニー服着た方がきっと様になっている。

何故にこのような屈辱を甘んじて受けねばならぬのか?

人間はコンピューターにチェスで勝つことはできない。

俺の時代では評論家でさえ、ストラディバリよりコンピューターで合成した音の方がよろしいと認めている。

そんな時代に、素人演奏の付け入る隙があろうか?

俺は甚だ疑問に感じるわけですよ、イェトさん。

ジェジーとコンスースは切り離し実験の打ち合わせのため時折練習を抜ける。

楽器を待たなくていい理由がある彼らが真に羨ましい。

こんなモノを持つ理由なんかこの世に必要ないんだ。消えて無くなって仕舞えばいいのに。

ある日、ジェジーとコンスースの二人が練習場であるツイカウの世界にやってきて、ドラムに夢中になっているドラむすめのイェトさんを連れていった。

「ツイカウ。このバカをしっかりと見張っていて。」イェトさんはそう言い残していった。

さて、一体いかなる理由で彼女を連行したのか?

いや、理由はいい。

俺がツイカウとマンツーマントレーニングになっているこの状況を何とかしてくれ。

コンスース、ジェジー、そしてイェトさんは俺のパン屋に到着。

あるじである俺を欠いて居る事も気にせずに、我が家のように中に入る。

3人テーブルについて、ジェジーが話を切り出す。

「つまり、切り離し実験の被験者について、相談をしたいんだ。」

「わたしにやって欲しいの?」

「そうではなく、君も候補者の一人であり、この件に関して何かを主張する権利があるということだ。」

遅れて、マァクら3人も到着した。

「マァクまで?そんな大事おおごとなの?」

「黒羊の情報を確認したわ。誰かが、何かを仕掛けてくるかも。」

「アイツが妨害のために被験者を襲うって言っているの?。」

「結論を急ぐのはよしにしてくれ。兎に角、黒羊が現れた時期を考えると、その狙いはかなり限定されるって事さ。」

「ふうん。」

「今、ボクが言うべきは、イェトとコンスースには、切り離し実験の被験者に立候補する資格と、逆に拒絶する権利があるってことだ。」

「資格と権利ねぇ…」

コンスースはイェトに「君の意見優先でいいよ。」と権利を譲る。相変わらず人がいい。

「そうね…」ややあって、イェトは「わたしは被験者にはならないわ。」と返答した。

「もし、アイツが何かしてくるなら、わたしとニカイーはそれを迎え撃てる状態になければいけないわ。アイツの相手ができるのはわたし達だけ。だから、断るわ。」

ジェジーは親しいイェトにすじを通せたことで、安堵の笑顔を見せた。

「分かった。君の気持ちは確かに聞いたよ。」

コンスースもイェトらしいと微笑んでいる。そして、彼自身もまたコンスースらしく行こうと考えた。

「では、ボクが被験者に立候補しようかな。」

「コンスース、良いのかい?」嬉しそうなジェジー。

「何を今更、二人でやってきた研究じゃないか。まぁ、実のところボクが手伝ったのは、最後のちょこっとだけかもしれないけどね。」

「謙遜しすぎだぜ。君がいたからこそ完成した研究だ。そうだな、最後も二人で決めよう。」

二人はフィストバンプをして肩を抱き合った。

「決まりね。イマルス、ナイアラ、後は頼みましたよ。」

マァクはそう命じて、首を垂れる二人の従者を残して去った。

イマルスがコンスースの方へ一歩歩み出る。

「これから、私とナイアラがあなたの護衛の任につきます。」

「え?ええっ!?」

コンスースは正直、はい分りましたとは言いかねていた。

「護衛って、ボクの世界までついてくる気かい?」

「はい。一日24時間週7日間。あなたにつきっきりです。」

二人の目は本気だ。

性根がよろしいコンスースは、若い女性二人に一日中寄り添われることに少なからず気恥ずかしさや、ある種のきまり悪さを感じている。

それに、彼は自分の身は自分で守れる自信がある。

「トポルコフの捜索は放置してよいのかい?」

「ご安心を、私たち以外にもマァク様の命令を実行する者は居ります。」

マァクが決めたことだ。全ては無駄な抵抗さ。

コンスースは遠回しな言い方を諦めて、ズバリ白状することにした。

「分った。正直に言うよ。女の子に守られることに抵抗があるんだ。」

無論、大の男の言い分ではなく、良識あるコンスースは照れ顔を隠せない。

そこまで頑張っても、マァクを崇拝する二人の頑固は揺るぎない。

「なんたる性差別的、脆弱な性根でしょう。まさしく世迷言です。マァク様の美しくくみ上げられた計画に対して無礼千万。猛省を促します。」

イマルスとナイアラはコンスースの両脇に立ち、彼の腕を抱きかかえてしまった。

「ひいぃ。勘弁してくれよ。」

「良かったわね。両手に花じゃない。」イェトさんが茶化す。

人のいい笑顔がトレードマークのコンスースも、流石に表情を引き攣らせている。

イマルスがジェジーに「私とナイアラに黒羊とやらの情報を。」と催促する。

「了解です。」

「おいジェジー、助けてはくれないないのか。」

「今までボクの研究を手伝ってくれた、その褒美だと思えばいいさ。」

ジェジーはコンスースにウィンクを送った。

俺たちのバンド…バンドというか、なんちゃって偽急造エセバンドもどき騙しだな。

その練習会にも、コンスースを護衛するためにイマルスとナイアラは同行した。

練習が終わり、コンスースは自分の世界に戻る。

彼の世界は未だゼラニウムの花に埋め尽くされた、虚無の空間だ。

コンスースはチャケンダの措置で人間の姿を保っているが、やはりお花畑の化け物なのだ。

今の彼の本体は、口が胸まで裂け羽が生えた白い馬なのだ。

「ううっ、」

ナイアラはその事実を思い出した。

化け物であった時のコンスースの姿は、イマルスに渡された動画情報で知っていた。

コンスースが変化した口裂け馬は、なまじっか格好がよろしいだけに、凄味があって恐ろしい。

目の前に居るのは一人の気の良い青年の筈なのに、何故か動画で見た化け物の姿がちらつく。

「うっぐ。」

自身が情けなく思っても、彼女の手はお構いなしに小刻みに震える。

あのチャケンダともパーティーをした。

切り離し実験が成功すれば、化け物を人間に戻す目処が立つことも知っている。

お花畑の化け物なんか、もう、怖くはないはずなのに。

しかし、このお花畑という空間は違う。

この静まり返った虚無の空間は違うのだ。

暗闇なのに、そこに在る物体が見える。常識から外れた別世界が、恐怖をあおるのだ。

イマルスがナイアラの腹にグーパンを入れた。

「シャキッとなさい。それでもマァク様のお側役なの?」

そういうイマルスの手も小刻みに震えていた。

間もなく、仮設の掘立小屋に到着した。

俺のパン屋の2階に部屋は余っていた。

だから俺はコの字に人間に戻るまで、お花畑が元の工場に戻るまで、俺の家に泊まるよう勧めたんだ。

だがコの字は「一人でいる時間も大事にしたいんだ。」と言って、俺の申し出を断った。

そのセリフが本心かどうかは知らぬ。

もし本心なら、美少女二人に常に付きまとわれている今の状況は、窮屈でたまらないことだろう。

なにしろトイレや風呂にだってついてきそうな勢いなのだ。

「見ての通り壁と天井があるだけの、粗末な住処さ。それでもこの中について来るのかい?」

「何度も言わせるな。私の答えは変わらない。」

「そうかい。失礼をしたね。」

いよいよ仮説小屋に入ろうとしたとき…

ガタン!

エントリーポイントの方から重量物が、それもとんでもない重さのものが、虚無の地平線に落下する音が聞こえた。

三人はすぐさま振り返る。

大きな黒い鉄球が二つ。

そして、誰か人間が一人いる。

そいつは今まさにチャンネルを切り替えてコンスースの世界を去ろうとしている。

深めに帽子をかぶりトンボみたいな大ぶりのアイウェアをして顔を隠している。

せめて髪の色でもわかればと、目視した画像を拡大したが、帽子のつばとアイウェアで完全に隠れている。

「だれだ!」

その問いが届く前にその者は去った。

残された鉄球はガキンゴキンと形を変え、2体の黒羊になった。

イマルスが「下がっていて。」とコンスースを後ろに追いやった。

おっと、俺のコンスースを見くびってもらっては困る。

コの字は女の子の後ろで怯えているような奴じゃあ無い。

コンスースは単分子繊維製の特殊スーツを着て、女性二人の前に立った。

「レディーファーストも場合によりけりでね。」

レールガンを構える。

発射。

音の壁を叩き割って飛来するそのジェラルミンキューブ。

ゾウリムシのようなその黒羊は、それを避けようとしない。

容易く命中したジュラルミンキューブはしかし、黒羊の硬い甲羅を滑ってその向こう側に抜け、虚無の境界線で消滅した。

「ボクのレールガン対策にスピードで来るかと思ったが、これは想定外、とんでもない重装甲できたか。」

黒羊はペンチのようなアームを伸ばす。

「ボクの単分子線維製スーツ対策は、つまり圧壊ってわけだ。ボクにはイェトの様なスピードはない。固定砲台みたいなものだからな。いい戦略じゃあないか。この黒羊を作ったやつは頭が切れる。」

「何を呑気なっ!」

イマルスがコンスースの前に出た。

「ナイアラ!ツイカウ・チョリソー組の作戦は頭に入っているわね!」

「うぃ、」

イマルスは雑草を大量に投げて背の高い茂みを作り、その中に潜んで、身を低くして黒羊に近寄る。

そして彼女の得意技。

雑草のつるで敵を拘束する。

「ナイアラ!」

「ほへぇい。」

声のテンションは低いが、これでナイアラのやる気はみなぎっている。

スリングショットを取り出し電気ウナギの卵を投じた。

空中で3メートル程に成長した5匹の電気ウナギ。黒羊に接触するなり、一斉に800Vの電流を叩き込んだ。

「成程、電気で回路をショートさせる作戦か。」

この作戦は効果があり、黒羊の左半分が機能しなくなった。

「ナイアラ。あと話任せるわ。」

「らじゃ。」

イマルスはもう一体の黒羊目指して、雑草の茂みを作る。身を屈め、茂みに身を潜めて進む。

ナイアラは5匹の電気ウナギを引っ込め、別な電気ウナギの卵を取り出した。

半身を無力化された黒羊に異変。

ゴスンと如何にも重たげな音を発して、分厚い装甲を脱ぎ捨てた。

更に右手の巨大ペンチで左側の機能しなくなった部位をむしり取ってしまった。

結果、腕は左一本、脚は左四本右一本が残った。まだ戦うつもりらしい。

黒羊の動きは見違えて素早くなり、ナイアラとの距離を詰める。

彼女は近接されたらアウトだ。

「ナイアラ、左斜め後ろに一歩さがれ!!」

「え!?はえ!?」

ナイアラはそのコンスースの指示が何を示すのか解せなかった。

「今っ!!」

しかし、彼の強い口調の勢いに乗せられて、結果ピッタリのタイミングで後退した。

黒羊はコンスースが放ったジュラルミンキューブに、まるで自ら当たりに行くように歩を進め、そして粉々になった。

「分厚い装甲を脱ぎ捨てたのがあだになったな。」

「うごきをよそくしたの?」

「相手を分析していたのはボク達も同じってこと。行動パターンの一部は読めている。容易い仕事さ。」

残りの一体はイマルスに拘束されていたが、一旦装甲を脱ぎ捨てて、両腕の巨大ペンチで雑草を切断。

再び装甲を装着し、今度は腕を引っ込めて、真ん丸の球体になった。

球体になったなら、当然転がるわけであり、その球体は転がるたびに速度を増す。

「まだ圧殺する作戦ってことは、狙いはボクだな。二人は巻き添えを食わぬよう、下がっていた方がいい。」

「バカを言うな。マァク様から頂戴したお役目が泣く!」

コンスースのため息。

「じゃあ、上手くかわしてくれよ。」

コンスースがレールガンを連射。

速度を上げたとはいえ、いや、あんな重量物が速度を上げたからこそ、小回りが聞かず、ジュラルミンキューブは面白いように当たる。

そして、装甲で弾かれる。

兆弾がイマルスとナイアラを襲う。

「ちょっと!気をつけてよ!!」

「忠告はしたし、かわしてくれって、お願いもした筈だよ。」

「あなたの武器は通用しないわ。撃っても無駄よ。」

「果たして、そうかな?」

鉄球を避けるのは3人にとって困難なことではない。

何しろ相手は小回りが聞かない。

だが、倒す手立てもない。

疲労に足を止めたり、躓きでもしたら、即時に踏み潰されるだろう。

瞬きした瞬間にぺしゃんこにされるかも。

イマルスが雑草を投げるが、つるが十分に伸びる前に鉄球は引きちぎり逃げていく。

ナイアラは実はイマルスも知らない奥の手を隠し持っているが、まだ様子を見ている。

3人は鉄球に追い詰められつつあった。

「ニカイーを呼びましょう、彼なら何とかしてくれる。」

恐怖に追い詰められ、思わずイマルスがコンスースに訴えた。

ため息が聞こえる。

「日頃は彼を馬鹿者と軽んじるのに、いざとなったら泣き付く。良くないね。」

コンスースの指摘はいい意味で彼女のプライドを傷つけた。

それが彼女の後の活躍につながる。

それはそうとして、取りあえず今だ。

黒羊は、その勢い衰えることなく転がり続ける。この鉄球をなんとかせにゃあぁ、コンスースたちが根負けする。

コンスースは無言でレールガンの引き金を引き続けている。

彼の世界の虚無の地平線を埋め尽くすゼラニウムの花が、レールガンのカウンターファイヤで燃えて一面火の海。

これがイマルスの雑草の茂みにも引火。

そこを猛烈な勢いで巨大な鉄球が駆け巡るものだから炎が舞い散る。

強気発言には定評のあるイマルスも、流石に悲鳴を上げて逃げ回り、ナイアラも涙目になってしまって、足の運びは必死。

「コンスース!どうする気なの!!」

「そうだな…こんなのはどうだい?」

彼は無意味に攻撃をしていたわけではない。

彼が逃げていた、その行く先。

コンスースは鉄球の黒羊を誘導し、虚無の境界、つまりこの世界の端に誘い込んだ。

「黒羊の狙いはボクだ。今度こそ退いてくれ。道を開けてくれよ。加速する距離が重要なんだ。」

彼はカウンターファイヤを止めてレールガンを発砲し、その反動で跳躍。反対側の世界の端に移動する。

イマルスとナイアラは空を飛ぶようなまねはできない。彼を追えない。

鉄球は世界の端からコンスースを狙っている。

鉄球はコンスースの世界で得うる最大の助走距離を利して加速。

延々と加速し、コンスースまで残り10mの地点で時速300kmを超えた。

「レールガン一本。くれてやる。」

コンスースは右腕のレールガンを鉄球に向け。左腕のレールガンをその反対側に向けた。

そして先ず、左腕のレールガンを打ち、鉄球の黒羊に向けて加速!

鉄球とコの字との相対速度は時速600kmに迫った。

「この運動エネルギーならどうだ!」

右腕のレールガンの先端が激突する直前に、右腕の引き金を引いた。そしてすぐさまレールガンをパージ。

右腕のレールガンの銃身は鉄球に突き刺さり、衝突の衝撃でひん曲がってしまった。

銃身の途中、丁度ひん曲がった箇所でジュラルミンブロックは銃身をへし折った。

へし折った位置は分厚い装甲の内側。

ジュラルミンブロックはへし折れた銃身共々、鉄球の内部を暴れまわった。

そして、動力部を破壊。

鼓膜に悪いレベルの爆発音!

鉄球はその爆発によってやや浮き上がる。

どうやらやっつけたが、時速300km超で鉄球が進んでくる事実は改善されていない。

このままではコの字は潰されてしまう。

鉄球と地面との間にできたわずかな隙間を、コンスースはリンボーダンスをするようにすり抜けた。

見送った向うで、鉄球が砕け散っている。

粉々になり、エーテルに返る黒羊。

リンボーに失敗したら、ああなっていたのはコンスース。

「ふうっ。スリル満点だな。」


マァクは足繁くツワルジニの館に通い、ツワルジニ<トポルコフが化けた姿>と交渉を重ねていた。

マァクの要求は決まっている。

「ヒエレを引き渡していただけないかしら?」

「何度言わせる。そのような男は知らぬ。貴様だからやむなく毎度話を聞いているが、いい加減次からは門前払いにするぞ。」

「トポルコフの時もそうでしたが、あなたは何故、問題を起こした者をかばいだてするのですか?」

「トポルコフの時もそうだったが、私は誰も庇ったりなんかしていない。」

彼は背中側にある金庫に一瞥をくれた。

本当にかばってくれなかった。

トポルコフはツワルジニに切り捨てられた一件を許してはいない。

レゴブロックで造作した仮面の下、トポルコフはその事を思い出してはらわたが煮えくり返る思いだった。

このような実に成らぬ問答が繰り返されるわけだが、マァクの立場も考えて欲しい。

常に模範的で、公平で、誠実でなければならない、窮屈な彼女の立場を。

彼女だってきっと、可能ならば「ええい、黙れ黙れ。」とツワルジニを吊し上げ、ヒエレなんてぇチンピラは、あっという間に手を後ろに回して引きずって帰ってしまいたいのだ。


また、あの野郎も足繁く俺の店に通っていた。

おそらく一連の黒羊騒動の犯人。

青髪の天才ハッカー。

始まりの化け物。

「ようチャケンダ。また来たのか?」

「そう、嫌そうな顔をしないでくれよ。ボクはこの店を気に入っているんだ。」

奴は棚からハンバーグを一つとって、オンライン決済。俺の脳内に入金通知のポップアップ。

”まいどあり”なんて言わねぇからな。

「俺はお前なんか一目あったその日から大嫌いだけどね。」

オウフちゃんが俺の元に走ってきた。

挿絵(By みてみん)

<オウフは仮名文字が好きで、微妙に間違った日本語のシャツを着ているという設定>

<無自覚だったが髪の毛大盛りで描いてる。キャラ性を訴えるため顔大きめは狙い通りだが、やはり2Dの個性は髪型に現れるので、絵一枚で語ろうとすると、つい盛ってしまう。>

「今晩7時、最後のリハやるから。」

俺は苦虫を噛み潰したような顔でちょんの間口ごもり「なぁ、本当にやるのか?」と問いただした。

そして追っかけて「カラオケ流して、俺らは演奏するふりではダメか?」と提案した。

これに対してはツイカウとオウフちゃんが声をそろえて「生じゃないとダメ!」と全否定してきた。

これだからアーティスト系は。シンセサイザーが登場したての頃は面白がっていたくせに、ジミヘンの演奏スタイルまでコンピューターで再現できるようになって以降機械を拒絶し、人間の手による演奏をよしとする。

かく云う俺も手作りのパンにこだわっているので、言えた義理ではないのだが。

ハンバーガーをパクついていたチャケンダが「君たち何かやるのかい?」と尋ねてきた。

俺は「お前の首をどうやって跳ね飛ばそうかって話さ。」と答え、オウフちゃんは「明日の新曲発表会、ニカイー達にバックバンドやってもらうの。」と答えた。

「たまに誰も店にいないと思ったら、そんなことをやっていたのかい。でも、君たちは事実上世界を守るヒーローだろう?ヒーロー不在の時、世界の治安はだれが守るのかな?」

「それについては俺に妙案がある。」

「ああ、是非聞きたいね。」

「お前を檻に入れて、ライブ会場にさらしておく。」

「ああ。やっぱり、聞かなければよかったよ。」

青髪のハッカーは首を竦めた。

食事を終え、俺のパン屋を出た後、チャケンダはオウフの新曲発表会告知動画を確認。

「明日の2時か。」

即時にニューオンに連絡。

「明日の2時、ヒエレを奪還する。」

チャケンダはヒエレを己の策略に利用し、その上で彼の罪を償わせるつもりなのだ。


翌日の正午。

俺とコンスースとジェジーは、重い足を引きずって、緊張に押しつぶされて、オウフちゃんの世界のエントリーポイントに立っていた。

早めの昼飯を食ってきたばかりで腹が膨れている。

そこに今日のお役目の緊張感が残念に作用し、はしたなくもゲップをしてしまった。

「多いな。」

椅子を置けそうなところは屋根にも置いて400は席を用意したのだが、いきなり満員になっている。

観客はさらに増えそうだ。

「これはいささか荷が勝ちすぎているよ。」

俺たちはライブ会場の雰囲気にのまれてしまっていた。

そんなふうに茫然と佇んでいると、人懐っこそうな仔犬がキャンキャンと遊びにやって来た。

オウフの世界は小動物達の天国だ。

犬、猫、兎、フェレット、モルモットなどなどなど。

小さくてもふもふした生き物が放し飼いになっている。

どうやら観客の多くが、彼女の世界の小動物たちに、撫でやら遊び相手やらを強要されているようだ。

俺の足元でも小さくて丸っこいポメラニアンがカリカリと靴のつま先に爪を立てている。

抱き上げて頭を撫でてやると、なぜ故そこまで嬉しいのか、千切れんばかりに尾を振って、ジタバタと肩の上に這い上がってきて、で、盛んに俺の顔を小さな舌で舐めまわすのだ。

俺は犬が嫌なのかって?

大好きです。

可愛いよ!ちっちゃい生き物サイコーだよ!

ジェジーが「準備があるから急ごう。」と急かすので、ポメラニアンを抱いたままオウフの小屋に向かった。

彼女の小屋に入るとステージ衣装をまとったセンシェン ガベジの二人を確認できた。

やはりこの二人は華がある。

気持ちのピークを本番開始に合わせて、徐々に高めていっている。圧倒的なオーラを放っている。

因みにイマルスとナイアラがコンスース警護のためステージまで同伴すると言ってきかなかったが、それでは新曲発表会が台無しになってしまうので、マァクと交渉。俺たちがついているからと引き下がって頂いた。

軽く音合わせをして俺たちは午後2時を迎えるわけだが、同時刻、やはりあの野郎もしっかり暗躍していた。


ツワルジニの世界。

全く音を反射しないこの地。

エントリーポイントにニューオン現る。

おっと、若干遅れてマオカルも到着したようだ。

「先に行っているわ。」

その様な事を言うのでてっきり自分の足で走るのかと思いきや、そこはクールビューティーのニューオン。せわしく足を動かす気配はない。

しゃなり、しゃなりと艶っぽい。

彼女は婚姻届を一枚取り出し紙人形を作成。

そやつにお姫様抱っこをさせ、ツワルジニの館まで走らせるわけである。

流石変態。流石残念美人。

ここで際立って気持ち悪いのは、彼女が抱きかかえられながら、紙人形の首に手を回して、うっとりとほほを染めて人形の顔を見上げているって処だ。

彼女には紙人形が現実には存在しえない、彼女の妄想の中にしか存在しない、理想の男性に見えているのだ。

彼女はこの歪んだ性癖さえなければ知的な美人なのだが。全く残念でならない。

この変態雌豚を進化派副代表の美少女ッタイクが出迎える。

「あら、あなた一人なの?」

「ご不満ですか?もし、私の対応に不備が御座いましたら、何なりとご指摘ください。」

「不満はないけど要望ならあるわ。」

「どうぞ、何なりと。」

「私の邪魔をしないで、ここを通してちょうだい。」

勿論、彼女は冗談でそれを言ったのだ。

ニューオンとマオカルがヒエレを奪いに来たのは見え見え。

ならば、ッタイクはそれを阻止しに出てきたに違いない。

しかし、

「どうぞ、お通りください。」

ッタイクはニューオンに道を譲った。

「私が仰せつかったお役目は、マオカルという軍人の撃破だけです。」

ニューオンとのすれ違いざま、彼女にそう伝えると、ッタイクはウェットティッシュのプラボトルを取り出した。

ッタイクは右手と左手に一つずつ、ウェットティッシュのプラボトルを握って構えた。

マオカルがハイブリッドハンドガンの引き金を引く。

正確にッタイクの眉間を目指す銃弾を彼女は右手のプラボトルで横に弾いてしまった。

「このプラボトルは抗菌加工済み。それを拡大解釈し、抗刃こうじん抗弾こうだん抗熱こうねつプラボトルとなっております。」

丁寧な口調。

礼儀をわきまえた所作。

決して心を乱さず、静々とマオカルとの距離を詰める。

淡々と引き金を引くマオカル。

淡々と銃弾をいなすッタイク。

この静けさは、お互いが、相手の吐く息を匂えるほど接近して一変。

マオカルがッタイクの眉間に銃口をあてがえば、引き金を引く前に右手のプラボトルで払われ、左手のプラボトルが彼の腹部を狙う。

それを半身に交わして、右手のプラボトルを撃ち、彼女の正面をがら空きにして、左拳を突き出す。

すると、ッタイクに右脚左脚の二段蹴りを繰り出され、一歩後退しながら銃を正面に構える。

ッタイクは二段目の左脚を蹴りだしながら右脚で一歩前進。

左脚はマオカルの顎をかすめた後、進路を変えて銃を持った右腕を絡めとって、下方へ引きずりおろした。

ここまで2秒とかかっていない。

一瞬でも気を抜いたら、いや、息継ぎでさえも、戦い以外に意識を回したら、その瞬間に終わっていた。

それ程のレベルだった。

「格闘家としては、俺と互角のようだな。」

「いえいえ。私の方が若干勝っていると云うのが、より正確な表現でしょう。」

不意にマオカルが懐から小さな筒を取り出した。

筒からは黄色いボールが発射され、ッタイクが反射的にプラボトルで叩くと容易に割れて、黄色い粉末が舞い散った。

粉末は顔にまとわりつき、眼球を激しく刺激して視界を奪った。

いよいよ仕留め処と、至近距離で銃の狙いを慎重に定める。

バシン!ズバン!

何が起こったのか、倒れているのはマオカル。立っているのはッタイク。

ッタイクは視界を奪われてすぐに、館のセキュリティーシステムに接続したのだ。

館の監視マイクは館の外で起こっているすべてを把握している。

その情報からッタイク自信とマオカルの相対位置を算出するのは容易い。

彼女は周囲の様子を把握していた。

彼女は周囲の様子を感知できないふりをして、プロ軍人に在り得ない隙が生じるのを待った。

彼女の機転に気付けなかった油断から、軍人は少女に倒されてしまったのだ。

気絶したマオカルをウェットティッシュで作った縄で拘束。

館に足を向けた。

「私への指示はマオカルの撃破、そして、可能ならばニューオンの排除。」

彼女はウェットティッシュを一枚取り出し、目のまわりを拭いた。


オウフちゃんの世界。

2時10分前。

イェトが興奮して落ち着かない。

こんなこらえ性なしで、よくバレリーナできていたな。

そんなことが心底不思議だったので、イェトさんをまじまじと眺めていると、ぱっと手を取られて引っ張られ、舞台へと連れ出されてしまった。

わっと観客席から期待の声が上がる。

おいおい、勘弁してくれ。

大石先生は二十四の瞳に見つめられていたが俺の場合はプラス1000って感じだぞ。

たまったものではない。

緊張が、観客の剥き出しの期待が、全身にのしかかって重い。

「おいイェト!何をする気だ。」

「さぁ?」

「さぁって…考えなしか!?」

「ほら、勢いってあるじゃん。」

「それはお前が考えなしに飛び出す勢いを示すのか!!それとも、緊張にじっと耐えていた俺を公開処刑する勢いを示すのか!!」

俺はシンプルにブチ切れているだけなのだが、なぜかこれが客にうける。

完全に前座の漫才かなんかだと思われている。

イェトさんが腕を振り上げて「ものもっす!むい!むい!!」と笑顔で叫んだ。

客もノリが良いもので「ものもっす、むいむい。」と声をそろえて返してくれた。

俺はそれが何の合言葉なのかわからず、ネットで検索した。

検索結果…0件。

造語か…

思いついた言葉、そのまんま言っただけかよ!

「イェト、ぐぐって0件とか、今どきそんな単語探すほうが難しいぞ。」

「えへへ、ありがとう。」

「褒めてねぇよ!呆れてんだよ!バカヤロウがっ!!」

俺は客席のそれぞれを指さし「お前らも軽々しく乗るな!イェトが調子こくだろうが!!」と厳重注意した。

しかし、これも切れ芸に違いないと、大いにウケてしまう。

イェトさんが観客に手を振ってこたえている。楽しそうだ。

まずいよ。

まずい流れだこれ。

このままだと俺、切れキャラとして成立してしまうよ。

誰か、誰かこの三流コントを中断させる一撃をくれ!

恥ずかしくて死にそうだ。

どっかあぁーーーーーーんっっ!!

「な!?なんだぁっ!??」

取っ組み合いをする等身大ヒーローフィギュアと紙人形がステージに落っこちてきた。

そしてどっかんばっこんと暴れまわり、ステージのセットをめちゃくちゃにしてくれた。

これって、ニューオンとトポルコフのアレだよなぁ。

これからここでチョリソーの姉御とオウフちゃんが歌うって云うのに、何してくれてんねん。

「そういう一撃じゃ!ねええぇぇっっ!!!!」

俺は袖搦そでがらみを取り出して、暴れまわる二体を串刺しにし、空中に放り投げた。

「フィニーッシュ!」

イェトさんがジャンプしながら双方をまとめて真上に蹴り上げた。

フィギュアと紙人形が破壊四散するときに花火のような爆発が起きた。

これでまた会場が盛り上がってしまう。

俺は完全に切れキャラ芸人として認知されてしまった。


ほんの数分前。

ツワルジニの館で、ツワルジニ<トポルコフの変装>とヒエレ、そしてニューオンは同じテーブルについていた。

自分の欲望に忠実な変態のニューオンならば交渉の余地があると踏んで、二人は席を勧めたのだ。

「何の用ですか。」

そう言いながら彼女は婚姻届を取り出して、さらさらと名前を書いている。

「無論、交渉…うぼわあっ!!」

交渉の余地など皆無だった。

ニューオンは力自慢の紙人形でツワルジニの頬をマジパンチ。

彼はビタンと壁に激突し、その衝撃で彼を覆っていたレゴブロックがバラバラと剥がれ落ちた。

「ほう、トポルコフの変装でしたか。」

「ま!まて!お前ならきっと興味を示す条件を用意し…ぐおああっ!!」

有無を言わさず、トポルコフに2撃目のマジパンチ。

「トポルコフの能力を使えば!お前の紙人形を等身大リアルフィギュアにできるっ!!」

ヒエレはニューオンにぶちのめされる前にと早口で、交渉の切り札を切った。

彼の右手にリモコンは握られていない。

チョリソーに破壊されてしまったから。

全くそれが口惜しい。

ニューオンがうつむき、黙りこくってしまった。

光の加減で眼鏡の向こう側が見えないが、彼女の瞳は今、何色か?相当の心の葛藤があるようだ。

「今まで真っ白で平べったいだけだったお前の理想の男に血肉がつき、お前の理想の姿そのものになるのだぞ。」

ヒエレのダメ押しの一言。

この一言に、彼女はピクリと反応する。

間が空くこと数秒。

返答を待つ方は冷や汗。

「うふ…うふふ、ひゃあーーひゃっひゃっひゃっ!!」

奇怪なる笑い声に男二人の背筋が凍り付く。

「私は正解にたどり着いたわ。」

彼女は4体の紙人形を並べた。

「ヒエレだけでなくトポルコフも捕えればいいのよっ!!」

トポルコフを拘束して、紙人形のリアルフィギュア化を強要すればよろしい。そういう正解だ。

これは、言うまでもなく、ヒエレとトポルコフにとって、最悪の正解であった。

「逃げるぞ!!」

ヒエレが叫ぶ。

最初、二人はニカイーのパン屋に向かった。

マァクの手が回る恐れは多分にあるが、ニカイー達ならチャケンダの手の者の暴走を放ってはおかない。

確実にニューオンを止めてくれる。

しかし、パン屋はもぬけの空。

「なん…だと。」

「何をやっているのだ!あいつら!世界を、いや僕を守れよ!!」

検索すると、新曲発表のためオウフの世界にいることがすぐに分かった。

二人はオウフの世界にチャンネルを切り替えた。

同様にニューオンも。


で、今につながる訳です。

エントリーポイントからヒエレとトポルコフ、そしてニューオンが、フィギュアと紙人形を戦わせながら走ってくる。


「ヒエレ!」

エリヒュちゃんが飛び出し、それを見たチョリソーが慌てて追いかける。

ッタイクもやってきたようだ。

観客は余興だと勘違いをして戦闘をあおっている。

俺はその様子に唖然。

「どうするよコレ。滅茶苦茶になるぞ。てーか、もうなってるっぽいが。」

イェトさんはオデコを抑えながらため息をつき「そうね。」とぼやいた。

「取り敢えず、ちゃっちゃとやっつけるわよ。」

イェトさんはいつもの札の束を、いつものように、ズボンの背中側に挟んだ。

「あれ?新しい札はどうした?」

「え?あ、うーん…あれは、ホラ、とっておきよ。」

なんで?何を誤魔化しているのだ?新しい札を使いたくないの?

イェトさんはとんでもない距離を助走もなしに跳躍する。

俺はいつものように置いてけぼり。必死に彼女の背中を追いかける。

イェトさんはまずニューオンに狙いを定めたようだ。

チャケンダは──迷惑はかけない、ヒエレのことは任してくれ──と断言しているし、既に2回も見逃している。

2回目はイェトの顔を立てて不問にした。

つまり、この3回目はイェトの顔を潰したことになる。

そのけじめをつけるためにも、チャケンダの腹心であるニューオンを一番に断罪するつもりなのだろう。

ニューオンはチャケンダの立場を完全に心得ているはずなのだが、己の理想の男性を等身大フィギュア化するという欲望に取りつかれ、完全に周りが見えなくなっている。

彼女は俺たちに目立たぬように暗躍すべきだったのだが、頭のねじが10本くらい吹き飛んでしまったようでこの始末。

ニューオンはイェトの前に紙人形を並べて凄む。

「止めておきなさい、イェト。私はあなたにとって、相性が悪い敵だったはずよ。」

イェトさんは小指で耳の穴をほじっている。

「あーぁ。そんな勘違いをしていたこともあったわね。」

イェトさんはニューオンの紙人形を、両手に持った札で切り裂いてしまった。

あっけに取られるニューオン。

「もんっの凄い速さで札を振り回しただけよ。アンタ、紙で指先を切った経験は?」

あの分ならニューオンはイェトさん一人で十分だろう。

俺は向きを変えてヒエレとトポルコフの方へ走る。

二人を追ったエリヒュちゃんとチョリソーが心配だ。

すると目の前にウェットティッシュのプラボトルを手に構えるッタイクが立ちはだかった。

「二人の元には行かせません。」

「お前が使えているのはツワルジニだろうが!」

二人が心配だ。早いところどいて欲しい。

「失脚したとはいえトポルコフも進化派の一員。状況から判断する限り、彼もツワルジニ様の命で働いているに違いありません。」

あのさー。俺に都合が悪い方向に解釈するの止めてくんない?たぶん勘違いだぜそれ。

「ちいっ!」

ッタイクの目に迷い無し。

取り敢えず、撃破しちまう以外なさそうだ。

とはいえ彼女は敵ではない。

袖搦でぐっさりとかは可愛そうだな。

妥協してグーパンかな。

俺は拳を振りかぶって、せーのぉで全体重をのせて突き出した。

ゴスン!!!!!!

俺の拳がプラボトルに激突。

「抗菌加工を拡大解釈した抗馬鹿加工こうばかかこうです。」

どういう加工だよ。そのネーミングセンスの方が馬鹿だろう。

ん?まて。まだ俺の拳に勢いが残っている。

やはり抗馬鹿加工なんてこの世に存在し得なかったのか?

いや違う。

この俺の拳にみなぎるパワー感。

彼女は俺を見誤ったのだ。

「俺は馬鹿じゃない。」

「はい?」

「ただの馬鹿じゃあない。引き籠りの!くそ馬鹿野郎だ!!」

俺の拳がプラボトルを吹き飛ばした。

「っっ!!」

ッタイクは後方に跳び、体勢を立て直す。

彼女のため息が聞こえる。

「分かりました。抗菌加工を宇宙的遠大解釈し、抗くそ馬鹿野郎加工とします。」

そう言い放った瞬間、ッタイクはうめき声を上げて片膝をついた。

「え?どうしたん?」

「宇宙的遠大解釈は通常の拡大解釈に対し、極めて負荷が高く消耗するのです。」

「え?うっそ。そんななの?くそ馬鹿野郎って、そんなハイレベルなの?うっそ、お前阿保のだろう!?」

おっと、見ればチョリソー達が逃げ回っていたヒエレ達に、いよいよ追いつきそうだ。

目の前の阿保のをマッハで撃破して、俺も二人に追い付きたい処。

だが、阿保のはまだ俺に勝つつもりでいる。

「さぁ、あなたご自慢のくそ馬鹿野郎は、もう通用しません。」

いや、肩で息をしながら必死に立ち上がられても困る。

先ずね「ご自慢」ではないな。

己の馬鹿を自慢する奴がどこにいる?

ッタイクさん。

あなたは相当に真面目な娘さんなのでしょうが、何かこう…ダイナミックにあさっての方向にずれている。徹底的にずれている。すなわち阿保だ。

実にお相手するのは避けたい。阿保の相手は疲れる。

「うん、分かった、分かった。」

俺はマジパンチ──するふりをして、すかっと彼女を横に交わし、すれ違いざまッタイクの背中を蹴飛ばした。

要はそのプラボトルを交わせばよいのだろう?

さすればその先には、力を使って消耗した女の子が一人いるだけなのでしょう?

こんな機転がきくなんて、俺も随分戦いなれしたものだ。

彼女は前のめりに地面に倒れたのだが、巨乳でぼよんと跳ね上がり、地面を転がってゆく。

俺はあらためて自分が進む方向、ヒエレとトポルコフが逃げた先に視線を送った。

そして瞬間的に頭に血が上り、袖搦を握りしめ、歯をバキバキとかみしめ、走った。

あの、青髪のハッカーが来ている。

チャケンダがヒエレとトポルコフの胸ぐらを鷲掴みにして立っている。

エリヒュちゃんはヒエレを助けるために、チャケンダに飛びかかろうとしている。

それをチョリソーが「チャケンダは危険だから」と背中から抱きついて止めている。

チャケンダが駆け寄る俺に気付いた。

「まいったな。こんな状況で君に会いたくはなかった。」

「俺は待っていたぜ。大手を振ってお前をボコれる、この瞬間をなぁっっ!!」

俺は全身をミシミシときしませて、槍に変形させた袖搦を投じた。

袖搦はチャケンダの左太ももを貫いて、地面に深々と刺さった。

「チョリソー!エリヒュを連れて戻れ!」

チョリソーは頷いて、エリヒュちゃんを肩に担ぎ、オウフの小屋へと急ぐ。

エリヒュちゃんはヒエレの名を叫び続けている。

「ニカイー。君は酷いなぁ。ボクの言い分も聞かずにいきなりこれかい?」

「イェトが3度目はないと言ったのを忘れたか?だが、おかげでやっと、お前をこの手で引き裂ける。」

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