第二話「エリヒュ」
題名「お花畑」
第二章「切離し実験編」
第二話「エリヒュ」
お花畑の化け物。
チャケンダという青い髪のクソハッカーから始まった、人類の変革。
その始まりの化け物は「人類を超越した大いなる英知を手に入れた」とほざく。
ああ、そうかい。
それにしては人の業はそのまんまで、何一つ払しょくできていないようではないか。
例えばヒエレと言う男のことだよ。
まつげが長く、オレンジ色の長い髪を後ろで三つ編みにしている。
女みてぇな野郎。
そいつは36人いる化け物の中でもチャケンダだけが有している特別な能力をうらやみ、公開を迫った。
ヒエレが意地になり話がこじれているところに登場したのがニューオン。
彼女は、ねじ曲がった性癖さえ知らなければ、OLスーツがよく似合う美人だ。
そのニューオンさんに、ヒエレは簡単に追い払われてしまったわけだが、そこは人間の業の根の深さ、彼はまだあきらめてはいない。
ヒエレもお花畑の化け物。
それがこの欲深さよ。
なぁチャケンダ。人類を超越した大いなる英知がどうしたって?
センシェン ガベジ誘拐事件の犯人トポルコフ。
”元”進化派の副代表。
ディアンドルという民族衣装を好んで着る女装の少年。
彼はマァクの追跡から逃げ回っている。
あの小僧は気が小さいものだから、きっとどこかでマァクに怯えてガタガタと震えているに違いない。
しかし感心するのはその逃げっぷりで、あのマァクからかれこれ2週間も逃げおおせている。
これがチャケンダならば納得だが、くそ生意気な口先だけのチビスケがそれをやってのけているというのは、全く驚嘆に値する。
接点の二人プライマリとセカンダリは30年以上たっても、未だ人類がお花畑の化け物の問題を解決できていないことに戸惑っている。
その問題が解決しない事には近々(きんきん)に迫っている移動手段の切り替えが出来ないのだ。
移動手段の切り替えが出来ないと、保全機能が予定しているスケジュールに狂いが生じる。
プライマリには悪いが人類ってそういうものなんだよ。
決めて欲しいと望まれている案件程何十年、何百年たっても決まらないのさ。
そのくせだれも望んでいないことはあっという間に決まる。
二人はジェジーが計画している切り離し実験が問題を解決してくれると期待している。
「で」
そのジェジーは今、俺のパン屋の入り口側の小さな二人掛けの席で、一心不乱にタイプライターを打鍵している。
リシデュアルモデムがあるので文章は指一本動かさずに書けるのだが、彼には特にこだわりがあり、手悪戯用のタイプライターを愛用している。
実は文章を書くときに何か手を動かしていたいという人は、ジェジーに限らず少なからずいて、ダミーの手悪戯用の万年筆やタイプライターがけっこう売れるのだ。
向かいの席にはコンスースが座っており、腕を組んで目を瞑っている。
これが居眠りをしているわけではなく、むしろ全力で集中して仕事をしているのだ。
コンスースはジェジーとドキュメントを共有しており、ジェジーが書いた文章をコンスースが添削している。
本来それはヒイッチという男の仕事なのだが、そやつが何もせぬが故、頭がよくてお人よしのコンスースがやむなく代行している。
コンスースはジェジーと異なり生粋のオンラインっ子で、文章を書くときはそれ以外の情報を一切遮断する。
例えばオンラインで仕事をしながら音楽を聴くということはしないし、ましてや俺のように動画なんかは見ない。
デジタルデータの世界に没入して作業をするのだ。
明るい場所では瞼から透けて網膜にたどり着くわずかな光さえ嫌って、アイマスクをするのだそうだ。
コンスースの指摘は一覧表になっているが、それはオフィスソフトの統合環境がそうしているのであって、実際には名前をつけられたリッチテキストオブジェクト──これは正規表現などの検索条件でも代用できる──に指摘内容を添付したものだ。
ジェジーは指摘事項を確認する。
このとき、修正の影響範囲も確認できる。
ああ、分りにくいか。つまり、コンスースの指摘事項通りに文章をなおすのに具体的にはどことどこをなおせばいいか⇒影響範囲を一覧性高く自動的に提示してくれる。
些末な内容で、なおかつジェジーが修正の必要ありと納得したものは、修正方法に指摘内容をそのまま投じると、自動的に修正してくれる。
また、影響範囲が複数箇所の場合。
一カ所修正して、水平展開メソッドに食わせると、他の箇所も同様に修正してくれる。
ここで突然だが…
俺、パン屋じゃん。
ああいう”研究・開発”とかやったことないし、
オフィススイート使いこなして計画書とか書いたことないし、
そういう作業はお高級な感じがして、正直、憧れる。
俺はそんな二人を今更ながら羨望のまなざしで眺めていた。
イェトが窓際のテーブルから紅茶のおかわりを注ぎに戻ってきた。
丁度いいタイミングなので話しかける。
「なぁ、イェト。」
「なぁに?」
イェトは鼻歌交じりに紅茶をティーカップに注いでいる。
「ジェジーとコンスースって、やはり頭脳労働者なんだな。かっけーわ。」
「なーによっ、今更。」
デコピンされた。
イェトは紅茶を運んでいき「ねぇ、オウフぅ。カップを正しい持ち主に渡すのと、ツイカウとオウフのカップを間違えるのと、どっちがいい?」などと、可愛いオウフちゃんをからかっている。
チョリソーはもちろん「チェンジ!チェンジ!」と連呼。
オウフはスレてないというか、根がまっすぐで、その辺おこちゃまなものだから、すっかり本気にしてしまって「だめーっ!」などと目をバッテンにして困っている。
すると、テン!テン!テン!テン!とイェトが問答無用かつ一気呵成にカップをテーブルに並べてしまった。
「さぁ、冷めないうちにどうぞ。」
オウフは自分の前におかれたカップを真剣な顔で観察する。
床にしゃがみ込んで視線を低くし、真横からカップを凝視する。
どのカップをだれが使っていたかなんて、もう分らないよ。
それでも判断の根拠を見出さんと奮闘する様子が可愛くて、俺たちは声を殺して笑うのである。
その時である、店の入り口のベルがカランとなったのは。
俺は愛想がないので下心でもない限り客に「いらっしゃいませ。」なんて言わない。
チラリと入り口を確認するくらいだ。
入り口のドアは空いているのだが、頭があるはずの位置に視線を流しても何もない。
ああ、子供かな?きっと子供だ。
視線を下げると、丁度プライマリくらいの小さな女の子が居た。
「ずいぶんと…ちっこいのが来たな。」
既にイェトが駆け寄ってきていて、頭を撫でまくっている。
あのなぁ、イェト。
俺たち2310名はその見た目にかかわらず、みーーーんな100歳超えてるからな。
さて、そのちっちゃい女の子はイェトさんに撫で回されながら、しきりに店内を見回している。
そして、、
「あっ!」
チョリソーを指さして駆け出す。
「わたし?」
本人は自分自身を指さして首をかしげる。
「きゃっ、」
あっという間にチョリソーの胸に飛び込み、抱きついてしまった。
「チョリソーのファンの子かしら?」
オウフが覗き込んでいる。
だとしたら、とんだマナー違反だ。
センシェン ガベジファンの名折れですな。
俺たちファンはチョリソーとオウフのプライベートに干渉してはいけない。
「え?泣いてるの?」
チョリソーの胸元がその子の涙で濡れている。
動揺するチョリソーとオウフ。
イェトもやってきた。
「どうしたの?」とイェトが尋ね、オウフが背中をなでる。
チョリソーは両腕もろとも抱きしめられているので、じっと子供の抱き枕になっているしかない。
「お名前は?」チョリソーが尋ねると「エリヒュ」と、やっと質問に答えてくれた。
ヒエレがトポルコフの潜伏先を突き止めた。
具体的には、ギョリカイという男の世界にいるはずだと確信した。
どうやってか?
いかにしてそれを知ったのか?
ヒエレは先ず、マァクの調査方法を調べた。
逃亡中のトポルコフは何らかの手段でマァクの動きを知っているに違いない。
マァクは極めて追う側が不利な方法で、なおかつそれを知って調査をしていた。
彼女は調査班に、調査する世界の主に必ず許可をとること、更に調査に協力した人たちに秘匿の義務を課さないよう指示していた。
彼女はどれほど手間がかかっても、どれほど時間がかかっても公正なやり方でトポルコフを拿捕するのだと腹をくくっている。
彼女は自分が特権を持たぬ、皆と同じ一市民であるということを示さなければいけない。
そこに彼女の正義がある。
彼女は警察ではないし、その様にふるまっても行けない。
しかし世に知れたアイドルの誘拐は平和なこの仮想空間に生きてきた人々にとって一大事であり、不安要素。
誰かが丸く収めなければいけない。
その誰かって誰なんだよと言えば、マァクしかいないのだ。
誰もが彼女に期待をしているのだ。
マァクはトポルコフを捕らえ、話し合いをし、誰もが納得する結果を導き出さなければいけない。
兎に角、その様な手かせ足かせ付きの調査方法だったので、マァクの調査状況もヒエレは把握することができた。
「たとえ逃げて有利だとしても、あのマァクから逃げ続けているなら、トポルコフはつかえる。」
次に調査がどう進んでいくか予想した。
トポルコフも同じことをするだろうからだ。
最後に酒を買いに行った時の男たちの会話を思い出した。
気の小さなくそ野郎だが、トポルコフに今なお恩義を感じている者が居る。それを思い出した。
ヒエレはトポルコフに恩義がある男を演じた。
マァクの捜査網を逃れえるルートを進みながら、自分はトポルコフを助ける用意があると、進化派の支持者に訴えた。
そしてついに、ギョリカイという進化派の男から連絡が来た。
ギョリカイはトポルコフのトの字も話題には出さない。
『ヒエレと言ったな。お前と会って話がしたい。』
「トポルコフさんの件か?」
『…』
「そうなんだな?」
『つまらない詮索をするなら、この話は無かった事にする。』
「強がるな、トポルコフさんの次の引受先が無くて困っているのだろう?俺を頼れ。」
『お前が何を言っているのかわからない。その腹立たしい口を閉じて明日会うか、これっきりか、どちらかだ。』
ヒエレのため息。
「分った明日会おう。」
『ヒエレと言ったな…お前、本当に大丈夫なんだろうな?』
「俺がマァクの手のものなら、とっくにお前の世界に数人送り込んでいる。こんなに長話をしてお前が今なお無事なんだから、俺は安全だ。」
『────すべては明日会ってからだ。』
口の達者な悪党だ。
「出来たな?」
ジェジーがタイプライターを打鍵する手を止めた。
「ああ、これで問題ないと思う。」
コンスースが目を開き、いつもの”嫌味のかけらもない笑顔”で、膝をぽーんと叩いた。
「お、出来たかー、」俺はぼーっと眺めていた動画を一時停止し、二人に声をかけた。
あの二人の、達成感に満たされた、自信満々の表情を今まで何度見たことか。
見ていたまえ。
これから俺がジェジーのレポートをプライマリに提出するだろ?
二人は当然承認されるだろうとお互いに励まし合って──心の内は知らないが──さぁさぁそれならばと切り離し実験を実施するための準備を始めるわけだ。
すると非常なる却下の知らせがもれなく来てな。
その時の二人の愕然とした顔は見てはいられないぞ。完全に灰になるでな。
ジェジーの奴は「何がいけなかったのだ。」とひどく落ち込んで、三日は魂が抜けたように茫然としているからなー。可愛そうに。
そんな散々な光景を思い浮かべながら、俺はジェジーから企画書を受け取った。
「ジェジー、今回は手応えあるよな。」
コンスース…
「ああ、これでダメなら、何を出してもダメさ。」
ジェーェジーィ…
おい二人とも。爆死フラグも大概にしておけ。
後で辛いぞ。
内心わかってんだろぉが。
「切り離し実験が成功すれば、ボクもイェトも普通の人間に戻れるな。」
コンスースめは、そうやって爆死フラグを重ねる。
しかし、この一言に興味を示したのは、以外にもエリヒュと名乗りチョリソーに抱き着いている、小さな少女だった。
「あのお兄さん、何の話をしているの?」
チョリソーが「あの二人は、お花畑の化け物の研究をしているの。」と、母性あふれる声で答えた。
「普通の人間に戻れるって…本当に?」
エリヒュは両の目を見開いて、瞬きすら忘れている。
イェトがニヤニヤと顔を寄せる。
「今は人間の姿を保っているけど、わたしとあの お兄さん(コンスース) は、お花畑の化け物なのよ。」
イェトは小さな女の子ならこれで怖がって、きゃあきゃあと大騒ぎするだろうと、全くからかうつもりだったのだが、少女は化け物と聞いても全く動じない。
イェトを怖がっていない。
逆に「本当に人間に戻れるの?」とイェトに顔を近づけてきた。
「うーん。」想定外の反応に、イェトは頭を掻いて唸ってしまった。散々怖がらせた後、実は自分は無害な状態だと言って安心させるつもりだったのに。
「戻れるさ!」
ジェジーは自信満々のサムアップ。
爆死フラグが乱立されている。もう計画書はプライマリに送ったからな。魂抜ける覚悟はしておけよ、ジェジー。
エリヒュはチョリソーに抱きつきなおし、しばらく彼女の胸に顔をうずめて何かブツブツと独り言を言った後、がばっと顔を上げた。
「行かなきゃ!」
「何処に?」
問いかけるチョリソーにエリヒュちゃんは首を横に振っている。
「チョリソーお姉さんはわたしに勇気をくれた。お姉さんの居る処に希望があった。もう十分。後はわたしがやらなきゃ。」
誰もその小さな女の子が何を言っているのか、何を決意したのか、理解できていない。
「待って!」
なにも理解できないまま、けれどもチョリソーは手を伸ばしたが、小さなエリヒュはチャンネルを切り替えて別な世界に行ってしまった。
「追いかけなきゃ!」
自分を慕ってくれた少女が心配で、チョリソーは思わず立ち上がった。
「どうやって?どうやって追うつもりだ?」
この様な皮肉めいたセリフは、何故か俺の口から出ることになっている。
俺はいつも損な役回りだ。
「仮想世界での姿は年端もいかぬ少女だが、俺たちは全員もれなく百歳を超えている。物事の分別がつくし、有り難い事にボケてもいない。」
「でも、心配なの。」
「もう一つ有り難い事に俺たちは死ねない。化け物がらみの事件なら接点が飛んでくる。なにかが起こってからで十分だ。俺とイェトがなんとかする。」
女の子がキュンときそうな、男らしい発言をしたつもりなのだが、これがクールガイとバカの扱いの違いでな、俺が期待するような反応は絶対に得られない。
今回もその例に漏れない。
チョリソーはこう言って納得する。
「そっか、イェトが居るものね。」
一同、うんうんと頷く。
おい、俺は?
「ああ、イェトが居れば安心さ。」
何言ってんだよコンスース。俺たち親友だよな?俺は??なぁ、俺についても言及してくれよ。
「まーーそうね。私に任せておきなさい。」
イェトさん。俺たち恋人同士だよな。そして30年来の戦友だよな?俺は????
「いざという時は──
俺はチョリソーのこの発言に期待した。
きっと、続けて俺の名前を出してくれるに違いない。
やはり、われらがエースは俺、ニカイー様だと。
──わたしが頑張っちゃう!」
ガッカリだぜ、チョリソーの姉御。
「チョリソーの飴玉爆弾は、高さ600mの根拠の搭すら破壊する威力だものね。」
「いやぁ、それは言わないでぇ。自分の夢を自ら爆破するなんて、本当に不覚もトラウマも超越した大失態よぉ。」
一同大笑い。
俺のみ、自分の名が出なかったことに絶望して、ふて腐れてムッスリと動画を見ていた。
しばらく店内が静かで、俺も動画に見入っていたのだが、誰かがぷっと噴出して、どっと店内が皆の笑い声でパンパンに膨れ上がった。
俺がキッと皆の方を睨みつけると笑いは瞬時に収まり、皆知らぬ顔をしている。
にゃろう、わざと俺の名前を出さないで遊んでいやがったな。
なんと意地の悪い。
俺のバカで遊びやがって。
どいつもこいつも俺で遊ぶんじゃねぇ、俺と遊べ。
「フン」
すっかり不貞腐れていると、イェトさんがコーヒーを運んできた。
この押しつけがましい優しさを無気にすると、また後で面倒というか超めんどくさいことになるので、俺は早速カップを手に取って、その淵に口をつけた。
その俺の様子をじっと凝視して居たイェトさん。
突然俺に抱き着いて、ぶちゅーっと俺の可憐な唇を奪っていった。
「なに!なに!なに!!」
思わずイェトさんを突き飛ばす。
だが彼女は両腕を大蛇の鎌首のように持ち上げて、再び俺に襲い掛かる機会をうかがっている。
俺は両手で胸元を隠し〔男子〕、太ももを胴体に引き付け股間を隠し〔男子〕、乙女式防御の姿勢をとった。
俺達がそんな夫婦漫才を演じているとき、店の奥からツイカウの悩めるうめき声が聞こえてきた。
なんかしんねーけど、超悩んでいるっぽい。
俺的には正直、クールガイなんぞ、悩み過ぎで胃を潰してしまえば宜しいのだと思っている。
彼は手に何も持たずギターをひく仕草をしているが、これは決してエアギターではない。
彼の指の動きはエミュレーターが拾い、ギターの音を合成する。
オウフがうっとりとツイカウの肩にその小ぶりな頭をあずけ、チョリソーも目を閉じて指でテーブルをトントンと叩いてリズムをとっていることから、ギターの音が聞こえているのはこの3人だけの筈だ。
ツイカウのギターの音を3人がネットワークで共有しているのだ。
「いい音じゃない。」
チョリソーは興が乗ってきたようで、上半身だけで振り付けの検討を始めた。
ボロン…鈍い音を最後にツイカウのギターが止まる。
「うん。音は思い浮かぶんだけどね、詩が出てこないんだ。」
「えー、うそー。」
まじ、うそぉーーっっ!
俺たち男子共有の妹であるオウフちゃんがツイカウとかいうくそ野郎の腕にしがみついている。
胸、超当たってる!!
もう、絶対ツイカウ死なすしかない。
いや、俺たちは死ねないから、死ぬよりもっと酷いことをするしかない。
例えばそうだな、宇宙空間にポイして考えるのを止めさす。その方法、何かで読んだ。
「わたし、ツイカウの音を聞いていたら、色々な物語が次々に頭に浮かんできたわ。」
「じゃあオウフが詩を担当すればいいじゃない。」
チョリソーの提案にツイカウが指をはじく。
「そいつぁいい。」
「ムリ!ムリ!ムリ!絶対ムリっ!」
オウフは手をぶんぶんと振って全力で抵抗している。なんか可愛いので、俺はコーヒーをすすりながら瞳孔全開でオウフちゃんを見ていた。
「でも、次々に物語が浮かんでくるのでしょう?」
「それとこれとは、違うもの。私が考えた詩なんてぇ。」
「そんなことはないさ。」
「いい?オウフ。ツイカウが作曲をして、私が振付を考えて、あなたが作詞をする。これって完璧じゃない。」
イェトは俺からあの3人に興味が移ったらしく、「オウフがんばれぇー」と野次馬根性丸出しの声援を送っている。
さーて、小さなエリヒュといい、今日は意外な客が多い。
「やあ、」
ふらりと現れたのは、青髪ニヤケ面のハッカー、始まりの化け物、チャケンダとその側近ニューオン。
店内のテンションが一気に上がる。
心優しいコンスースですら、目を吊り上げて、彼を睨み付ける。
「ニカイー、イェト、コンスース、ツイカウ、それにチョリソー。ボクを苦しめた戦士達に一斉に殺気を向けられるというのは、全くゾッとしないね。」
チャケンダは名を挙げなかったがエリヒュちゃんも恐れずに殺気を向けていた。あ、この時は名前知らないか。
「飛んで火にいる夏の虫ってやつだな。今すぐ、その眉間に袖搦を突き立ててやろうか?」
「よしてくれよ、ボク達は通常の人類に理解されないってだけで、本来誰かと争う必要なんてないんだ。」
「俺はお前が大嫌いなんだが、それじゃあ争う理由にはならないのか?」
「全く君は単純で、そして誰よりも恐ろしい男だ。」
「お気に召さないか?俺は次に生まれ変わる時も単純バカがいい。人間の寿命の短さは深く考えるのに適さない。」
「そこは同感だ。人類は神に設定された限界を超えるべき時期に来ている。例えば、ボクのような方法でだ。」
「貴様との問答は論点がかみ合わない。永遠の平行線だ。もういい。要件を言え。」
「ああ。」
チャケンダはある男の3Dモデルデータをその場にいる全員に送った。
まつ毛が長く、オレンジ色の長髪を三つ編みにしている男。
3Dモデルにはモーションもついていて、髪を振り乱しながら『口のうまいイカサマ師め。』と激高している。なかなかのイケボだな、俺と違って。
コンテキストメニューのプロパティーを開くと、身長や体重などのデータを確認できる。
ヒエレという名前も。
「強面の皆さんが揃っていて良かった。出来れば世の重鎮マァクも居てくれれば良かったのだが。」
「で、この男がなんだと云うのだ?もしこいつがポーカーの負け分を払わないクソ野郎って話なら、忠告は聞こう。コイツとはトランプも麻雀もやらない。そうだな、ついでにジェンガも。」
「ああ、確かにそういう男かもしれない。でも、賭け事に関わらず彼には関わらないでほしいんだ。」
当然その理由を知りたくなるじゃん。
だが、チャケンダは彼の人差し指で俺の唇を押さえ、俺が質問しようとするのを阻止した。
「悪いが理由は言えない。誤解されるだけだ。」
「へぇ、興味深いね。このヒエレとかいう男を探し出して洗いざらい白状させようかな?」
「うふふ。まったく君という男は、そんなつもりは全くないくせに。」
こやつのすべてを見透かしたような物言いはイチイチ癇に障る。
俺の足元に袖搦転がってんだけど、ぶすっといっちゃあダメかな?
ここで、ジェジーの声が聞こえてきた。
「つまりこのヒエレという男も、お花畑の化け物なのか?」
「すまないが、それを含めてまだ答えられない。」
「そうか。」
「君は心の中にすでに自分なりの解答を持っているのでは?」
チャケンダの問いにはツイカウが答える。
「ジェジーは自分の直感がどれだけ核心をついていても、実証を得るまで結論付けない。」
ひょっとしてツイカウはチョリソーとオウフが拉致されたとき、彼が早くからトポルコフの世界に居ることを推測していたことを言っているのか?
メロハダーンの証言で確証が取れるまで、それを黙っていたことを根に持っているのか?
ジェジーのことを殴っちゃったらしいし。
「成程根っからの学者さんだ。それじゃあ、やはりボクの答えは”ヒミツ”ってことにしておこうかな。」
ジェジーは質問を続ける。
「では次の質問だ。つまり──ヒエレと言う男はこれから、何らかの問題を起こすのか?」
「それは高い確率でYESだ。」
俺は青髪の青年のその返答を鼻で笑った。
「じゃあ、俺の答えは100%NOだ。つまるところてめぇは化け物が暴れるかもしれないが目を瞑っていろというのだろう?ああ、俺はいいさ。面倒事は大嫌い。願ったりかなったりだ。しかし、知っているだろう、接点がそれを許さない。」
「もし彼がボクと同じ存在で、尚且つ化け物の姿になってしまったなら、ボクにはかばいようがない。ああ、ROM化してくれ。しかし、そうでない限りは、ボクに任せてくれ。」
「接点の件が無くてもだ。お前を大嫌いな俺が、首を縦にふるとでも?お前が嫌がる顔を見たいがためだけに首を横に振るかも。」
途端に、チャケンダの顔から表情が失せた。
怒らせてしまったかもしれない。
なぁに、望むところだ。俺は、カウンターの下でこっそりと袖搦を握りしめ、奴がとびかかってくるのを舌なめずりをして待った。
チャケンダが腰を引く。
来るか!袖搦をカウンターの下から取り出そうとした、その時。
俺は、何かの冗談かと思った。
手にしていた袖搦を床に落としてしまった。
チャケンダが、俺たちに向かって頭を下げている。深々とだ。
「誰にも迷惑はかけない。ヒエレのことはボクに任せてくれ。」
「おいっ!」
俺は袖搦を蹴とばして、カウンターを飛び越えた。
そして、チャケンダの腕をつかんでまっすぐに立たせた。
「お前がそんなことをするんじゃねぇっ!お前は始まりの化け物だっ!」
チャケンダはきょとんとしている。
ニューオンが彼女の武器である婚姻届けを懐から取り出したが、チャケンダが右手で合図を送ったため、すぐにしまった。
「お前はこの世界では悪のラスボスだ。」俺が激しく訴える。
「そんなものになったつもりはないけどね…」
「お花畑の化け物は不治の病だ。お前はその病気を作り出し、運んでくる。タチの悪い蚊のようなものだ。悪魔の紋章を刻印された蚊だ。お前は化け物の王だ。」
「ねぇ、話を聞いてあげようよ。」
オウフが拝むように俺の方を見ている。ツイカウが彼女の肩を抱き、俺に向かってほほ笑む。自分の恋人を立ててやってくれとほほ笑むのだ。
イェトが俺の腕をひねりあげた。
「いててて!イェト!何をする!お前ら!絶対こいつに騙されているぞ!」
しかしイェトが「もう少し詳しく話を聞かせてくれるかしら?」と、俺たちの総意として伝えてしまった。
もう、俺には何も言えない。
チャケンダは、重要な部分は秘密にしているが、一応それまでの経緯を嘘偽りなく俺達に話した。
「コンスース君なら分かると思うが、我々ほどの理性を得て、それでも器の小さな欲にとらわれるだなんて、ヒエレは異常かつ有ってはならないケースだ。」
コンスースは腕を組んだまま黙している。
ちっ、わが友は肯定か。ならばと俺が代わりにかましてやる。
「ヒエレと云う存在が認められないから消すって言うなら、お前の器もたいがい小さいぜ。」
「君は個人と集団の境界線が実は曖昧だという事実を認識できない。」
「はぁ?」
「君たちではなく、我々が問題を解決すれば、誰にとっても問題はないということだ。」
「はぁ?はぁ?」
チャケンダに食ってかかる俺の顔をイェトがえいやと押しのけた。
「話は分かったわ。アンタを信じましょう。でも、手遅れになる前にわたしたちは動く。それだけは覚えておいて。」
「ありがとう。」
立ち去ろうとする二人にジェジーが声をかける。
「君たちに朗報がある。」
チャケンダとニューオンは立ち止まった。
「ボクの切り離し実験の計画書が完成したんだ。まだ接点に申請中だけどね。」
チャケンダはコンスースに視線で意見を求めた。
「ボクが化け物になった時に得た情報を盛り込んだ。今度は完璧だ。」
「そうかい。それはおめでとう。」
二人は別な世界へ去っていった。
たどり着いた世界で、チャケンダがニューオンに耳打ちする。
「切り離し実験から目を離すな。」
「分かりました。」
ニューオンはチャンネルを切り替える手続きを始め、そして、チャケンダの隣から別な世界へと消えた。
この二日間、プライマリと会っていない。
居たら居たでエロ行為が激しいので面倒だが、いつも俺の体側にへばりついているちっこいのが居ないと、それはそれで物足りなくて寂しい。
『ジェジーの切り離し実験を、希望する条件で買い取りたい。』
彼女のことを思い出した途端にプライマリからテキストデータが飛んできた。
これをジェジーとコンスースと、あと会ったことはないが、一応関係者であるはずのヒイッチに転送した。
ヒイッチの連絡先だけはマァクから教えてもらっていた。
ジェジーの計画が審査を通過したという内容なので、ジェジーとコンスースは盛大なガッツポーズで立ち上がりハイタッチ。
足踏みをして小躍り、はしゃいでいる。
二人はイェトにビールを注文した。
早速祝杯か。
店の入り口の呼び鈴がなる。
入ってきたのは、目の下に隈をつくり、ぼそぼそに枯れてやつれたプライマリ。
「おい、ちょっと待て。」俺は、プライマリを止めようとしたんだぜ。
プライマリは俺を、いや正確には俺の脇の下を見つけるなり、目を血走らせ、パンティーを脱ぎ捨てて、猛然と突進してきた。
き、禁断症状か?
パン捨てという行動がアウトなだけに、禁断の行為なだけに、禁断の禁断症状なのか?
どんだけ脇の下に飢えているのだ!
「落ち着けぃ!!」
幸い、煩悩に狂ったプライマリの動きは悲しいほど単調で、袖搦を振り回して、軽くホームランにしてやることができた。
俺はプライマリのパンティーを袖搦で拾ってイェトに渡した。
天井にびったんと激突し、落下してきたプライマリに空中で履かせる。
人体の見せちゃやばい部位はギリで見えなかった。
イェトさん、それなんて忍術?
プライマリはぐらんぐらんと不安定に立ち上がり、俺の体側にへばりついていた。
「お前は俺の脇の下スタートでないと、何も出来ぬのか?」
だってお前はジェジーと、切り離し実験の買取条件の交渉をするために来たのだろう?
ホラ、ジェジーが俺たちの方へ近付いてきたぞ。
「希望する条件という話だったが──」
ほら、早速その話だぞ。プライマリ、しっかりしろ。正気を保て。
「条件はただ一つ、実験結果の公開と、次なる計画──お花畑の化け物を人間に戻す研究の許可だ。」
「ちょっと待ちな。」
聞きなれない声。
入り口を見ると男が一人、壁にもたれ掛っている。
なんともチャラい風貌。
俺が嫌いなタイプの一人だ。
きっと、コイツがヒイッチだ。
バカの俺が勘付いたのだから、他の連中も思い当たったろう。
「なぁ、接点サン。条件ってのはなんでも良いのかい?」
この質問、このいけ好かない野郎の質問に対するプライマリの答えだけは伝えたくなかった。
「なんでも良いそうだ。」
チャラ男の高笑いが店内に木霊する。
チョリソーの姉御が顔をしかめて舌打ちをする。
「ジェェェジィィィ、聞いたか?俺たちはきっと2310名の王になれるぜ。絶対的な権力、特権を要求すればな。」
苦渋に満ちたジェジーの表情。
コンスースが高笑いに切れ目のないヒイッチの横っ面を殴り飛ばした。
流石、コンスースは良い男だ。やる時はやってくれる。
俺は今はプライマリの目があるからな、立場上中立でいなければならない。
イェトもだ。
ヒイッチは血糊を一口吐き捨てて、立ち上がった。
「好きなだけ殴るといい、それでも俺がジェジーと同等の権利を持っているという事実は殴り飛ばせないぞ。」
コンスースがいったんしゃがんで床に手のひらを置き、立ち上がりながら引き上げると、空中にあの単分子繊維製の特殊スーツが現れた。
瞬時に身にまとい、聞くものを威圧する圧し掛かるような高周波を発するレールガンの先端をヒイッチに向けた。
「よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ。」
本当にやる時はやる男だ。大好きだぜコンスース。
「フン、撃てるものなら撃ってみな。」
コンスースはレールガンの出力を調整し、即時にヒイッチの右腕を吹き飛ばした。
出力調整はドンピシャ。俺の店に被害はない。
よだれを垂らして痛がるヒイッチ。
「うがぁ!痛ぇええ!マジで撃ちやがった!!」
そして歩み寄り、銃口を彼の額にピタリとあてがう。
コンスースは本当に撃つ気だ。
「ジェジー、今度、二人だけで話そう。」
つまんねー捨て台詞を残して、ヒイッチは俺のパン屋を去っていった。
チャケンダから処遇は任せてほしいと特に願われた、恐らくはお花畑の化け物の問題時ヒエレ。
彼はギョリカイの世界にいた。
先日、別な世界でした約束の通りに会った。
そして自分が今まで、何処で何をしてきたのか、洗いざらい話させられた。
無論全て口から出まかせ。
進化派の熱心な信者で、過去トポルコフの世話になったことがある。恩義があると話した。
普通ならばそのような嘘、ちょっと調べればあっという間にばれてしまうのだが、彼には秘策があった。
ギョリカイとは一方的に質問攻めにされた後いったん分かれた。
しかしヒエレはその秘策を行うために、ギョリカイを尾行している。
ヒエレの右手には骨董品屋にも置いてない、今や相当なギークしか存在を知らないであろう、赤外線リモコンがある。
ボタンが30個くらい付いているやつだ。
「やああああっっ!」
突然彼に襲い掛かってきたのは、小さな少女エリヒュ。
スレッジハンマーでヒエレの右手首ごとリモコンを吹き飛ばした。
「エリヒュ、何しに来た?」
「とおおっ!」
スレッジハンマーを必死に振り続ける。
「質問に答える気はない…と、云うよりは答える余裕がないといったところか?」
小さなエリヒュの攻撃を交わし、尚且つ余裕すら見せるヒエレ。
「なにしろ、俺がリモコンを手にしたらお前に勝ち目はない。正に今が千載一遇のチャンス。必死になるしかないわなぁ?」
スレッジハンマーが左右に揺れるヒエレの三つ編みを弾き上げた。
やった!攻撃が当たり始めた!!
それに目を奪われた瞬間、そのわずかな隙に、ヒエレは身を翻してリモコンを拾った。
「残念だなエリヒュ。俺の勝ちだ。」
「それはどうかしら?」
小さな手は、それに似つかわしくない巨大なハンマーを遠くへ放り投げてしまった。
代わりに、彼女の手に似つかわしい、小さな飴玉をポケットから取り出した。
そして、ヒエレからピッタリ11メートル離れた位置まで退いた。
「そのリモコンの赤外線は10メートルしか届かない。」
「流石先生、よくご存じで。」
小さな手で飴玉を投じる。
「この飴玉はもっと遠くまで届く!」
そして、指をはじくと飴玉は爆発。
しかし、本家チョリソーほどの威力はない。
まつ毛の長い男は爆風に耐えて、膝すら地面にはついていない。
「もう2~3発食らっても大丈夫そうだ。」ケラケラと笑って、余裕を見せている。
「ならば後4発、命中させる。」
宣言した通り、飴玉4つを投じた。
ヒエレを爆砕すべく、指をはじく。
ところが、飴玉が爆発しない。
それどころか、空中で静止している。
ヒエレが飴玉に向かって一時停止ボタンを押したのだ。
「遠間から非力な体躯で投げたのだ。飴玉にスピードが足りない。こういう事をする余裕は十分にある。」
彼は空中の飴玉から離れ、リモコンの再生ボタンを押す。
飴玉が爆発する。
「俺に飴玉爆弾を命中させたいなら、俺の懐に飛び込んでくるしか無いんじゃないのか?」
「そんな安い誘いに乗るものか!」
強がって絶え間なく飴玉を放るが全て一時停止ボタンで爆破を阻止されてしまう。
「目が慣れて来るとこういう事もできる。」
エリヒュが指をはじくタイミングを狙って、飴玉に向かって高速巻き戻しボタンを押した。
飴玉はそれを投じたエリヒュの元へ倍速で戻っていく。
そして…
「いやあっ!」
…爆風は彼女に向かって襲いかかった。
威力が弱かったことが幸いして、地面に大の字に伸びきって、身動き一つできない程度で済んでいる。
ヒエレの忌々しい声が聞こえる。
「根拠の塔を吹き飛ばしたという、本家チョリソーの様にはいかなかったな。俺は急いでいる。だから、これで勘弁しておいてやる。」
エリヒュは何とか立ち上がろうとした。
立ち上がろうとしたのだ。
嗚呼、我が体も思うようにはゆかぬ。
焼け焦げた腕は感覚すらない。
折れた足からは、そうだなアドレナリンが引いたころだろう。痛みが脳に駆け上がってくるに違いない。
ヒエレの気配は近くにない。
何処へ行ってしまったか、見当もつかない。
もう、自分が追跡していると彼に知れてしまった。
今度あの三つ編みの青年と出会えるのは、いつになるだろうか。
小さな少女の悔し涙が大地に吸い込まれてゆく。