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お花畑 - 切離し実験編  作者: イカニスト
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第一話「ヒエレ」

題名「お花畑」

第二章「切離し実験編」

第一話「ヒエレ」


地球の上部マントル資源利用の成功が原因となり、人類は3210名を残して絶滅した。

地球は太陽の方へと引き寄せられ、地上は灼熱地獄と化す。

大気はプラズマ化し、湿度も上昇する。

南極大陸にも北極圏にも氷は存在しない。

豪雨や巨大な雹が頻繁に振りそそぎ、とりわけ巨大な竜巻が人類を悩ませる。

指数関数的に気候は悪化していく。

発達した当時の科学力をもってしても、いやどれほど科学が発達したとしても、人類がその脅威に太陽系の怒りに対応することは不可能。

その様な状況にあっても、人類は上部マントルがもたらす恩恵にすがらずを得ず、採掘基地が停止することはなかった。

人類は絶望の中、地球上のほとんどの生物を道連れに、自らの歴史に終止符をうった。

だが、それを良しとしない者が居た。

「保全機能」と言う人類には理解できない高度な存在が2310名という限られた数の人類だけを救済した。

俺はその2310名の一人、パン屋のニカイー。俺たちは保全機能によって、何らかの移動手段を用いて、新しい惑星に運ばれている。

保全機能が人類を模して作った接点が一人プライマリに尋ねたことがある。

「なぁ、その移動手段のオミタバ…だっけか?それって何なんだ?」

「その質問は必須で意味はあるのか?」

無いね。単なる雑談だよ。だが、俺のわきの下の匂いを嗅いで悦に入り、自身もいやらしい匂いを発散させている変態にンなことぁあ言われたくねぇ。

「後学のためだ。」

「フン。まぁいいだろう。オミタバは密度差を利用して滑る、宇宙空間でよく用いられる移動手段だ。人類の技術で云うベアリングに相当するものがあり、我々は極めて効率的に回転をしている。」

「回転?そんな感覚はないぞ。」

「君たちが知覚できる3次元ではないし、そこに単純に追加される新しい次元でもない。人類の科学がどれほど発達しても知ることができない世界の側面だ。」

また、理解しがたい小難しいことを言い始めたな。俺が話を振った手前「人類の言葉で言ってくれ」とは突っ込みにくい。

「新しい移動手段ヴァーセテは…」

「悪いがもういいよ。よくわかった。」

「?お前が十分に理解できるほどの情報は与えていないぞ。」

「安心しろ。大事なことは伝わっている。これ以上聞いても俺の頭には入らないってな。」

話を戻そう。

俺たち3210名の本体にくたいは保全機能によって厳重に保管されている。

精神は仮想空間で生活し人類の今後について議論をしている。

誰もが不老不死のこの仮想世界で、32年前に事件が起きた。

チャケンダと云う青髪の青年が世にも醜い化け物に変化したのだ。

この化け物がいわゆるゾンビシステムで、彼に浸食されたものは皆、彼のような醜い化け物になった。

この、俺を除いて。

現在、お花畑の化け物は36名。

そこには俺の恋人イェトと親友コンスースが含まれている。

幸いなことに二人とも今は人間の姿を保っている。


挿絵(By みてみん)

ヒエレという男が居る。

オレンジ色の長い髪を三つ編みにして、まつ毛は長く、女と見紛いそうだが、実のところ、短気な男だ。

彼は今、三つ編みを怒りで小刻みに揺らし、美しい顔台無しに歯をむき出して、チャケンダに抗議している。

「チャケンダ!お前は重要な能力を俺達には公開せず、お前一人で独占している!これは公平なことか?」

チャケンダは憎らしくも、いつもの通り冷静。

レモンを絞り蜂蜜とガムシロップを加え、それを少々の湯で混ぜ合わせている。

最後に炭酸水を加えてレモンスカッシュの完成。

一口飲む。

「うん、美味しくできた。さて、君が話題にしている能力だが、まだ安全が確認されていない。公開は出来ないな。」

「テキトーなことを言って誤魔化しやがって!」

青髪の青年のため息が聞こえた。

「君は病気でもないのに、臨床実験も行われていない、危険な薬を服用するのか?副作用を承知でドーピングをするアスリートの様に。」

「口のうまいイカサマ師め。」

「もし、そうでなくても、ボクが君たちに全てを公開する義務なんてあったかな?」

「ぼろを出したな。そうやって貴様は全てを独り占めにする気だ。」

ヒエレはチャケンダの手から飲みかけのレモンスカッシュを奪い、一気に飲み干す。

「そんな横暴が許されてたまるか!奪い取ってでも公開させてやる!」

「人類が用いるコミュニケーション手段は誤解を生みやすい。おかしいな?ボク達は個にして一つ。なぜそのような誤解が生じるのか?いいかい、ボクたちの目的を忘れるな。もし、それが分からないなら、すまないが、ここから去ってくれ。」

「ああ!分からないね!これっぽっちもだ!しかし、はいそうですかと手ぶらで立ち去れるものかよっ!!」

顔を真っ赤にしてチャケンダに殴り掛かるが、すねを払われ、なんとも簡単に吸っ転ばされてしまった。

「~~~っ!!!!」

鼻の頭をしこたま床に打ち付けてしまった。

これが声が出ないほど痛い。

この一撃でオレンジの三つ編みは完全にブチ切れてしまった。

彼の右手はポケットに向かう。

「もう、十分でしょう。」

チャケンダの背後に控えていたOLスーツ姿の美女ニューオンが、メガネの端をツンと指で持ち上げて歩み寄って来た。

彼女は婚姻届けを2枚取り出して、紙人形2体を作り出した。

紙人形がヒエレのポケットから年代物のリモコンを取り出して、ニューオンに手渡した。

「返せっ!!」

しかし、ヒエレは紙人形にみぞおちを蹴り飛ばされる。

紙人形のつま先が腹にめり込み、涙や鼻水やよだれが噴き出る。

ニューオンがチャンネルを切り替える手続きを始める。

「彼を適当な世界まで、案内してまいります。」

紙人形がヒエレの三つ編みをつかんで立たせ、両側から腕を抱きかかえて抵抗できないようにしてしまった。

「くそっ!!」

「うふふ」ニューオンが頬を染めて下品なほほえみを浮かべている。

「何がおかしい?」

「あなたのおかげで。また一人、理想の男性を思いついたわ。」

「妄想した男しか愛せない変態女が。」

そう、ニューオンは男に対する理想が高すぎて、現実に存在する男を愛することができないのだ。

その代わりにこの不思議な仮想世界で、婚姻届けを用いて理想の男性を紙人形にする能力を得た。

二人がチャンネルを切り替えて消える瞬間───

「そんなにボク固有の能力に興味があるなら、考えておこう。」

───チャケンダは別なレモンスカッシュを作りながら、悪意に満ちた表情でそうつぶやいた。


月に一度程度、ニカイーと接点の二人──プライマリとセカンダリで三者同期処理というのを行う。

実のところ、その同期処理で何をやっているのか?バカの俺には何一つわかってはいない。

ただ俺は言われるがまま、プライマリに連れられて真っ白な世界に行き、数分間、じっと目を閉じているのだ。

途中プライマリとセカンダリが呪文のような何かを唱える。

何を言っているのか俺は理解をしようとしたことすらないが、「コミット」という言葉が聞こえたら、それで同期処理は終了。

それだけは覚えた。

あ、あとね、俺、同期処理中にけっこう新作思いつくわ。

パンの新作。

サザエクロワッサン。縮めて”サザ *(ピー) さん”みたいな。

思ったより売れてびびった。

ま、ま、まぁー、それはさておき。

「なぁ、このクッソ退屈な同期処理って何のためにやっているんだ?」

プライマリは早速彼女の小さな体を俺の体側にエロい感じに這わせ、脇の下に彼女の頭をこすりつけてくる。

「この人間という存在が不完全にすぎるため、やむなく行っているのだ。」

「相変わらず、さっぱり分からぬ。お前の言葉も変態行為もだ。」

「我々の計画は、人類社会に厳然と存在する認識の致命的なズレを許容できない。」

「人類の言葉で言ってくれ。」

「ではお前のナメクジ並みの知能に合わせてこう言おう。”人類のクソなやり方に合わせていたら、何もうまくいかない。”」

「成程OK良く判ったぜ。それで、定期的にお前たちの基準を満たしているか検査しているって訳か。」

「お前程度のおつむだと、その理解が限界だろう。従って、それであっている。」

「ははは~。そう言う棘だらけの言い方にすっかり慣れて、淡々と聞いてられるわ。」

そんな同期作業の時、俺が認識しているこの仮想世界の構造に、違和感を感じた。

いつもは同期されたデータなんて一切見ない俺様だが、今日に限って、同期前の俺の当たり前と同期後の俺の当たり前に違和感を感じたのだ。

実のところその違和感の元の”同期前”ってぇのが32年前にさかのぼるので、なんという鈍感か、なんという無関心か、ええと32年×12ヶ月で384回か?正確な数字は多少前後するだろうが384回もその違和感を、俺は無視してきたことになる。

俺もなかなか太い男だ。よく言えばだが。

「おいプライマリ。この仮想世界に質量があることになっているぞ。」

「それを理解するために必要な情報は同期し、お前に渡してあるはずだが?32年前に。」

「あのな…」

「ああ、日本という国に的確なことわざがあるようだ。豚に真珠。言い換えてニカイーに高度な情報。」

カチンとくる。

確かに言う通りだよ。そういうことですよ。正しいよ。言い方を除けば。

「あのなぁあ!?」

ところがプライマリの奴は、これで喧嘩を売っているつもりは一切ないというのだから、全く恐れ入る。

どういう教育をされてきたのか、親の顔を見てみたいものだ。

あ、そうか。こいつら人造人間だから親居ないのか。

「親が無くても子は育つって言うが、こいつらの場合は”育つ”ではなく”粗雑”にして悪例に分類したいな。」

親を亡くしてもけなげに、そして前向きに生きる全世界の良い子に、お前っていう存在を謝罪しろっつーの。

「??何の話かは知らぬが、この有限幻界は人類が運営して居た様な、デジタルデータの稚拙な仮想世界もどきとは根本的に異なる。」

「確認だが”稚拙な”って形容詞に悪意はないんだよな?」

「我々が提供する有限幻界という仮想空間は、論理層と物理層に分かれている。保全している3210名のほとんどが物理層しか認識していない。」

「それこそ何の話かは知らぬが、とにかく俺たち2310名は俺の様に、ここがデジタル情報でできた実体のない仮想空間だと信じているぞ。不死の身体も身に宿った特殊能力も、VRゲーム感覚で受け入れているのだぞ。」

「それでも構わぬだろう?ジェジーが”この仮想空間はエーテルで満たされている”と言ったそうだが、彼は独学で、この仮想世界の本質に迫ったといえる。その通り、人類には理解できないある物質が充填されたその内側がこの有限幻界。お前たちは元の身体に戻らぬ限りその外側には出られない。そして、これが重要なのだが、この世界に居る限りお前たち2310名は完全に安全だ。」

プライマリとセカンダリは人間ではない。

保全機能が人類と最低限のコミュニケーションをとるために造った人造人間だ。

俺は永いことこの仮想空間が0と1のデジタルデータだと信じていたので、接点の二人はぶっちゃけ人造の肉体にプログラムされたAIだと思っていた。

しかし、この世界は質量を有しているという。

ならば、プライマリとセカンダリ…この鏡写しの小柄な少女も今ここに実在するのだ。人類には計り知れない英知に造られて。


俺のパン屋の常連が一人ジェジーは”お花畑問題検討委員会委員”という肩書を持っている。

お花畑問題と聞くと、なんともファンシーなイメージがあるが、実はそうではない。

人間がチャケンダのように醜い化け物に変化するとき、その人間の世界が虚無と化し、虚無の地平線が一種類の花で埋め尽くされる。

このクソな現象を”お花畑化”と称しているのだ。

チャケンダが現れて以降、我々が把握している数値が正確ならば、36名の人類がお花畑の化け物になった。

無論、人類をはるかに超越した存在である保全機能は”お花畑化”の詳細を把握している。

人類を救済した保全機能は、俺たちには彼らの救済が必要に思えるこの問題を、人類自身が解決すべき問題と位置づけた。

そしてマァクら今の人類の思想的なリーダーたちによって、2人の男がその問題を検討するために任命された。

ジェジーとヒイッチだ。

ジェジーは生真面目な男で29年前に役目を引き受けてからずっと、化け物になってしまった者をどうすべきか考え続けている。

彼の相方にヒイッチという男が確かに居る筈なのだが、少なくとも俺はヒイッチなる者の姿を見たことが無い。

ジェジーの仕事は主にコンスースが手伝っている。

コンスースは気のいい男で俺の親友だ。

やはりパン屋の常連で、いつも入り口の近くの2人掛けの席にジェジーと一緒に座っている。

ジェジーはこの29年、お花畑問題の解決…具体的には”切り離し実験”という課題に取り組んでいる。

切り離し実験の成功は、化け物を元の正常な人間に戻す、そのヒントになるらしい。

詳しくはちょっと小難しくてな、俺には理解できない。

理解できないものは説明できない。

そう言った研究はてっきり、研究室や書斎などに引き籠って行われるのかと思っていたのだが、少なくとも彼の場合、一日中俺のパン屋に入り浸って作業をしている。

よく考えればリシデュアルモデムさえあれば、俺達は常にオンライン。

変な話、河原に寝そべった状態でも、指一本動かさずに必要な資料を参照し論文はかける。

この29年間。

ジェジーは切り離し実験の企画書を書いては、プライマリやセカンダリ─つまり接点に却下され続けて来た。

切り離し実験は人類だけでは行えない。保全機能の助力が必要なのだ。

具体的にどのような助力が必要なのか?それを几帳面なジェジーが詳細に記して接点に提出しているわけだが、プライマリたち接点は俺以外の人間とコミュニケーションをとりたがらないので、俺を通じて提出しているわけだが、提出してはNG、提出してはNG、提出してはNG、提出してはNG…以下略。

あの手この手、手を替え品を替え挑戦してもことごとく轟沈したわけなので、ジェジー自身既に手詰まりとなって途方に暮れていたのではないかと思う。

そんな彼にとって超重要な情報源が、突如目の前に現れた。

イェトとコンスースだ。

なんのことはない、毎日顔を突き合わせているパン屋の看板娘と常連客。俺の恋人と親友。

だが、二人はこれまでとは違うのだ。

この二人が帰ってくるのを、ジェジーは手ぐすね引いて待っていた。

二人はお花畑の化け物になり、その後チャケンダの施術で人間の姿で戻って来た。

ノーマルの化け物化していない人間があまりにもチャケンダを恐れ、お花畑の化け物を忌み嫌ったため、今までジェジーが化け物にインタビューする機会が無かった。

化け物に侵食されてしまうとその人間も化け物になってしまう、その被害拡散を防止するため保全機能が介入、俺とイェトに特別な力を与え化け物をROM化した。

ROM化した化け物とは会話ができない。まぁ、そもそも化け物の状態で会話できるのかが不明だが。

兎に角ジェジーはROM化した化け物を指をくわえて見ている以外出来なかったのだ。

それがどうだ。目の前にROM化されていない、しかも浸食される心配がなく、会話が可能なお花畑の化け物が二人もいるのだ。

やっと、彼はお花畑の化け物から、直に情報を得る機会を得たのだ。

俺は人間の姿で無事に帰って来た二人を見て、根拠の塔の、あの日のことを思い出していた。

地上600mの建造物が崩壊する。

落下する根拠の塔の屋上に俺とチャケンダ、そしてチョリソーが居た。

俺は敵であるチャケンダと取引をし、3人でクレの世界へとチャンネルを切り替える。

そこには羽の生えた口裂け馬つまりコンスースと、半身が蛇になってしまったイェトが居た。

俺は大粒の涙で顔をべたべたにして、愛するイェトを抱きしめた。

苦しむイェトの痛みを俺はどうしてやることもできない。

でも、俺が彼女を愛していること、たとえどのような未来が待っていても決して彼女を見捨てず共に居ること。この気持ちをイェトに伝えたかった。

「ニカイー、気持ちはわかるが今すぐ彼女を僕に引き渡すんだ。」

俺はチャケンダを睨み返す。元はと言えば、誰のせいでこうなったと思っているんだ。

しかし、敵ではあるものの、俺はこのクソッタレのことをビジネスの相手としてマァクの次くらいに信頼している。

俺はイェトを抱き抱えたままチャケンダに歩み寄った。無論、一緒についてゆくつもりだった。イェトのそばを片時も離れない所存であった。

「君がついてきちゃ困るな。」

彼がイェトの額に指を置くと、彼女はぐったりと動かなくなった。

チャケンダが俺からイェトを奪い取る。

彼女を肩に担ぎ、チャケンダは空から舞い降りてきた口裂け馬に手のひらをあてがった。

口裂け馬は人間──コンスースの姿に戻った。

チャケンダとコンスースは手をつなぎ、チャケンダの導きでその時の戦場であるクレの世界を去っていった。

それから11日後、つまり今日。二人は人間の姿で、元気な顔で俺達の元に戻ってきてくれた。

俺はバカで感情的なものだから、入り口を入ってきた二人を見つけるなり、カウンターを飛び越えて二人を抱きしめた。

俺は嬉しくて、感極まって大泣きしちまったわけだが、二人は静かに微笑んでいて、イェトは俺の頭を優しく撫でてくれた。

「イェト、コンスース。これで元通りだな。」

しかし、二人は顔を見合わせて苦笑している。

「どうした?」

「いや、元通りって言うと、ちょっと語弊があるかなってね。」

コンスースの決まりが悪そうな笑顔。

「わたし達、人間の姿で固定されているってだけで、一応、お花畑の化け物なのよ。」

俺はそれを聞いた瞬間、激昂する。

「チャケンダめ!約束を違えたか!」

イェトが大きく首を振る。

「いいえ。守ってくれたわ。完全にね。恐らく、わたしとコンスースが化け物の姿になることは二度とないわ。例え、別な化け物に浸食されたとしてもね。」

回想はこのくらいで十分だろう。

話の先を続けよう。

俺だけではなく、チョリソー達皆の歓迎を受けて、その後、お疲れでしょうなどという労いは一切なくジェジーのインタビューは始まった。

ジェジーは二人の帰還を手ぐすね引いて待っていたのだ。

彼は知的好奇心にせかされて興奮状態にある。

これ以上、一秒だって待てるものか。

「おい、ジェジー。」

余計な世話だと思いつつも、声をかけたくなってしまう。

「奥に4人掛けのテーブルが空いているぞ。」

つまりだね、狭い2人掛けのテーブルで、3人額を突き合わせている様子を見かねて言った訳だ。

「いや、ここで良い。」

ジェジーはきっぱりとそう言った。

返事に迷いがなさ過ぎる。

どんだけその入り口付近の小テーブルが大好きなんだよ。

お前の家の家訓には、入り口に最も近い席に座ることという記述でもあるのか?

まぁいいさ。

「コーヒー、3つでいいか?」

俺は疑問形でそう言ったが、それは社交辞令であり、俺の手にはコーヒー3つ乗っかったトレイが既にある。

コーヒーを手早くテーブルに並べて、俺はカウンターの奥に引っ込んだ。

ジェジーがコーヒーをすすり、いよいよインタビューを始める。

その開始早々イェトさんが決まり悪そうに頭をポリポリと掻きだす。

「わたしは最後まで化け物化に抗っていたから、コンスース程参考にはならないと思うわ。」

ジェジーはそれを真剣な表情で否定する。

「いや、君は君で実に貴重なサンプルだ。」

興奮気味で言葉足らずのジェジーをコンスースがフォローする。

「イェト、君は誰にもできない貴重な経験をしている。」

俺はコンスースの心優しいフォローを横からかすめ取って、カウンター越しに、要らぬちゃちゃを入れる。

「本当だぜ。チャケンダに浸食されたのに、結局化け物にならず耐え切ったなんてな。お前って女は負けず嫌いを極めすぎだ。」

「私がそんなにひどい負けず嫌いなら、アンタなんか本物の化け物じゃない。」

「化け物ぉ?俺みたいな人畜無害な輩を捕まえて、そんな言葉、どっから持ってきた?」

コンスースがケラケラと笑っている。

俺の反論のどこがそんなにツボに入ったのか。

「ボクも化け物になった時、君が真の意味での化け物に見えたよ。恐ろしいと感じた。」

「なっ!」俺の言葉が引き攣る。コンスース、お前もか。

親友の裏切りに、俺は続ける言葉を失ってしまった。

イェトは腹を抱えて笑っている。

「ニカイーが化け物に見える…か。そのあたりの話も詳しく聞かせてくれるかな?」

ジェジーの真剣な表情を見て、俺は「仕事の邪魔をしてすまなかった。」と、カウンターの奥に引っ込んだ。

そうだよ、ジェジーは自分に与えられた役目に真摯に向き合い、真剣に取り組んでいる。

俺が悪かった。

二人が帰ってきて、浮かれていたのだよ。


カウンターの向こう側から店の奥へと視線をやると、窓際の4人掛けの席にチョリソーとオウフ、そしてツイカウが陣取っている。

いつもならイェトはあちらの席に居て、チョリソーと清楚な美人顔に似合わない下品なトークをしている。

さて今3人は何をしているのかというと、チョリソーは紅茶を楽しみ、ツイカウがギターの弾き語りをし、恋人のオウフがうっとりと聞き入っている。

「ちっ、」

俺は思わず舌打ちをする。

何故、クールガイというやつは、ああいっただな、女性をメロメロにするタイプの特技を、もれなく有しているのだ?

俺にはそんなもん一個もないぞ。

神よこれは不公平ではないのか?

もうちょっと人間を平等に愛してはくれまいか?

いや、いやいや。俺は弱い人間の中でもさらにカースト的に下層に位置するので、ちょっと…だいぶ…特盛で贔屓していただいてもよろしいのではなかろうか?

「ぐぬぬ、」

どうやらあの3人は、即興で詩を作り語って聞かせるという、かっこいいタイプの人類にしか許されないお遊戯をしているらしい。

「ぐぬーっ、」

見ていてイライラする。

俺は本日現時刻をもって、楽器が大っ嫌いになった。

後で俺に楽器を弾く機会をくれたって、絶対に障りもしないからな!!

特にだな、ツイカウが手にしているギターもそうだが、ベース?ベースってとりわけスカしてると思うの。

ベースを大っ嫌いの一位に据えて、ギター、キーボード、ドラムともれなく嫌っていこうと思うの。

可愛すぎるみんなの妹オウフちゃんがツイカウというクソ野郎に甘えている。

「ねぇ、私たちのために曲を作ってよぉ。」

オウフのあいら死ねるきゃわゆい声でおねだりされたら、当然0秒で「イエス」だろうが。

それをだな、なんだコノヤロウ。ツイカウは少し困った素振りを見せた後「ボクなんかでいいのかい?」などともったいつける。

早くイエスと言え、バカが!クソが!死ねが!可愛いオウフちゃんを待たせるな。

俺はカウンターの向こうからツイカウを心の中でディスり倒していた。

口に出してなんか言わないよ。だってクールガイに逆らうなんて後が怖いもん。

これ、引きこもりカウチポテト族の常識な。

オウフちゃんは可愛いの暴力をふるって更に甘える。

「あなたの曲を歌いたいの。」

まったく、オウフちゃんに何言わせてるんだよ。

チョリソーとオウフはアイドルをやっている。

ユニット名はセンシェン ガベジ。

顔や姿は双子のようにそっくりだが、二人に血縁はない。

この辺り、いつか説明できるタイミングがあると良いなぁ。

さて、ツイカウ目はついにオウフちゃんの可愛さに屈したようだ。

「じゃあ、挑戦してみようかな。」

なんだと!この野郎ぉぉっっ!!!

俺の怒りは大気圏を突破した。声には出さないけど。後が怖いから。

超絶人気大沸騰アイドルの曲をクソ素人が担当するなんて、どれだけ面の皮が厚ければイエスと言えるのだ?

少なくとも俺には言えない。

クソが!丁寧にお断りしろよクソが!

コレだからクールガイは大嫌いなんだ。


さて時計をちょっとだけ戻させていただく。

ジェジーの説明をしてから話したかったので、あえて後回しにしていた話題があるのです。

パン屋のシーンでプライマリが出てこなかったことに気付いた読者がいたなら、あなた鋭いです。

三者同期処理が終わった後、カウチポテト族の俺は、カウンターの奥のふかふかの椅子でのんびりと動画を見たいので、さっさとパン屋に帰るわけです。

このとき、プライマリも俺の脇の下にぷらぁんとぶら下がって一緒についてくる。

これがいつものパターン。

しかし、その時はちょっと違った。

あの末期的な変態腐れ脇の下フェチのプライマリが俺の脇の下に目もくれず、セカンダリと何やら、ひどく神妙な顔つきで打ち合わせをしているのだ。

彼女たちは打ち合わせの時声を出さない。もし、声に出して話したとしても例によって小難しい謎に満ちた言い回しで話すものだから、バカの俺に内容を理解することはできない。

だから俺はそれ以上気にすることをやめ、パン屋へと戻ってしまった。

そのとき二人が話していた内容は、次の通りである。

『お花畑の化け物をどうするか、人類は未だ何の回答も出せてはいない。』

『人類は寿命が短いにもかかわらず、決定に時間をかけすぎる。そして、そのことに対して、何の危機感もない。』

『人類のやりように口は挟むまい。しかし、本件は我々の段取りに致命的に影響する。』

『移動手段の切り替えが迫っている。』

『人類を正常な状態に戻すためにも、なるべく早く新しい惑星にたどり着く。それが、我々のミッションだ。』

『ジェジーの切り離し実験の計画が完成すれば、適当な問題回避の手段になるのだが。』

『先ずは彼の成功を待とう。実のところ、彼が正解にたどり着く可能性は高いのだから。』


イェトとコンスースが帰ってくる前、根拠の搭の日の3日後。

回帰派副代表のマァクが俺に会いに来た。

トポルコフをブラックリスト登録できないかという相談だった。

俺はマァクこそ残された2310名を導くリーダーにふさわしい人物だと思っている。

彼女は信頼でき、ビジネスの話ができ、高いカリスマ性を有している。

だから彼女が言うことならば、俺は全く悩まずに、俺の脇の下にぶら下がっているプライマリに何とかならんかと催促をする。

だが、マァクが間違いを犯しそうになっているならば、話は別だ。

マァクが言うことはプライマリにも聞こえていたので、プライマリは彼女の依頼を保全機能の規定と照合し”却下”という結果を俺に送って来た。

俺はプライマリがそう判断したのとは異なる、もっと人間的な理由で「マァク、それは違うよ。」と彼女を──無論、彼女を尊敬するが故──たしなめた。

「マァク。アンタは俺を含め残された2310名の中で信頼が最も厚い、何においても常に期待される存在だ。皆、マァクを頼るし、マァクがすることに文句なんて言わない。だが、違うものは違うんだ。」

俺は言葉をそこで止めた。

それ以上全てを言ってしまうと、彼女の美しさを損ねてしまう気がして言う事が出来なかった。

そして、いう必要なんかなかった。

彼女にはわかっていた。

マァクが人類の警察を気取ってはいけない。

マァクの傍らには二人の女性、イマルスとナイアラが控えている。

イマルスは今やすっかりマァクの右腕だ。

ナイアラはイマルスが連れてきた彼女の親友で、イマルス共々マァクの側近。

マァクの病的な信者である二人がマァクの意見に異を唱えるなんて間違ってもできない。

例えマァクが間違っていたとしても、それを二人が間違いと理解していたとしても、イマルスとナイアラはだまって従う。

「無理を言ってごめんなさい。この件はすっかり忘れて頂戴。」

ああ、そうするよ。忘れるとも。2310人のために、アンタは完璧超人であるべきだ。マァクが間違った判断をしたなんて事実はなかったのさ。

マァクが背を向けて立ち去る時、イマルスが俺の方を向き右手を胸に当てた。心から感謝をしているという意味だ。

彼女は敬愛するマァクの為に、そうしたのだ。


チャケンダが草原に寝そべり、ニューオンが足を斜めに崩して彼の傍らに座している。

ふと、小さな人影が高く跳躍するのが見えた。

背格好はプライマリと同じくらいで、マスクとバンダナで顔を隠している。

チャケンダ目がけて襲い掛かる。

「イヤアアアアァァッッ!!」

この声色、小さな女の子だ。

もう、すぐそこまで迫っている刺客を、チャケンダは全く気に止めていない。

ニューオンがそよ風に誘われたように静かに立ち上がり、膝についてきた草を払っている。

少女とは言え、その体さばきは本物と言えよう。

「ハアアッッ!!」

その気合い。

その殺気。

身軽に虚空を一回転して振り下ろす踵は、首を落す斧の刃だ。

しかし、ニューオンは左手で容易くこれをいなす。

未だ正体は知れぬこの少女の名誉のために言おう、格闘戦を挑むのにニューオンでは相手が悪かった。

一旦距離を取った少女が、ポケットから飴玉を取り出して投じる。

これは飴玉爆弾。

チョリソーと同じ武器だ。

ニューオンが婚姻届で紙人形を作る。

惚れた女に全てを捧げるタイプの紙人形。

紙人形は喜んでチャケンダとニューオンの盾となり、全ての飴玉を抱きとめて、爆散した。

少女は次の飴玉をポケットから取り出すが、ニューオンは既に4体の紙人形を作って待ち構えている。

「お前さえいなければ!」

まだ幼い線の細い彼女の声が草原の柔らかい風を切り裂いて、二十個の飴玉が宙を走った。

ニューオンは紙人形の数を増やそうとはしない。

代わりに折り紙を4枚取り出し、手早く折って、紙人形に向かって投げた。

折り紙はサーベルに変化し、紙人形の手に収まる。

飛来する飴玉を、紙人形が次々に切り落としてゆく。

このまま全ての飴玉が切り落とされてしまうかに思えたが、覆面の少女が指をはじくと、飴玉の軌道が変化した。

紙人形の刃を飴玉が一つすりぬけていった。

飴玉はチャケンダ目がけて最後の3mを進むばかりだが、青髪の青年は依然、少女の攻撃の一切を気にする様子がない。

ニューオンの左腕が伸び、飴玉を捕まえる。

飴玉はニューオンの肘から下を吹き飛ばした。

「やった!」

少女は歓喜するが、ニューオンの少女を見下したような目つきが変わることはない。

一転、ニューオンの視線に気圧される少女。

「うわあああああああっゅ!!」

少女は100個近い飴玉を投じた。

しかし少女にはその量の飴玉を制御する能力はなく、70個近くがすぐに地面に落下してしまった。

それでも覆面の少女は飴玉の軌道を曲げてチャケンダを狙う。

「片手でも婚姻届は書けるのよ。」

ニューオンは婚姻届を11枚取り出し空高く投じ、自身も跳躍して、11枚全てに妄想上の男の名前を記入した。

紙人形の巨人が現れ、巨大な手のひらで、4体の紙人形ごと飴玉を叩き飛ばしてしまった。

「お嬢ちゃんごときにオンライン婚姻届を使う必要もないわ。私の敵はツイカウとかいう…優・男…だけよ。」

ツイカウのことを思い出し、何故かほほを染める。

「くっ!」

口惜しげに、チャケンダに恨みがましい視線を投げる覆面の少女。

それは間違いなく降参の証である。

ニューオンは再びチャケンダの傍らに座した。

隙だらけの今なら、自分の飴玉はチャケンダに届くだろうか?

いや、そんな筈は無い。

覆面の少女はがっくりと肩を落として、その世界を去った。


ニューオンにつまみ出されたヒエレはイライラと自分のオレンジ色の三つ編みを弄りながら市場の人混みの中を歩いていた。

実のところ酒を買いに来たのだが、ふと路地裏で壁にもたれ掛っている二人の会話が耳に入ってきた。

話の内容から二人とも進化派に所属する男のようだ。

「トポルコフさん、まだ逃げ回っているらしいぜ。」

「おい、もうさん付けはやめた方がいい、あいつは今やお尋ね者。進化派の副代表じゃあないんだ。」

「嫌味で気の小さいガキだったが、色々と世話になった。」

「律儀なところは好ましいが、上手な生き方とは言えねぇぜ。義理で世間はわたれねぇ。」

「上手な生き方か、そうだな、俺たちはバカになるには長生きをし過ぎた。」

進化派と言えば思想上の一大派閥だ。

その副代表ともなると相当な権力者。

アイドルユニット”センシェン ガベジ”の誘拐事件はヒエレもよく知っていた。

その犯人がトポルコフだという事も。

しかし、それがここまでこじれているとは知らなかった。

適当な酒屋に入った。

紙袋で包まれたウィスキーのボトルを受け取りながら店主に尋ねる。

「トポルコフはどうなるんだろうな?」

店主は首をすくめる。

「マァク様に目をつけられちまったからな。」

「あのマァクに追われているのか?」

店主はぽかんとしている。

「おめぇもとんだ世間知らずだな。まぁ、そういうわけだから、どうなるもへったくれもねぇよ。終わりさ。」

「そうか。」

買ったばかりのウィスキーをその場で一口飲んだ。

「トポルコフは人脈とか、進化派の内情に詳しいはずだな?」

「そうだろうが…なぜ、そんなことを聞く?」

「いや、何でもない。」

ヒエレはすぐに自分の世界には帰らず、酒をあおりながら市場をぶらぶらとしていた。

チャケンダに言い負かされたこと、ニューオンにつまみだされたこと、その屈辱を思い出す。

ぐびぐびとウィスキーをがぶ飲みする。

「ぐ!うぅっぷ…うぉえええぇぇ、」

路地裏で胃の中のものをすっかり戻してしまった。

ボトルを包んでいた紙袋をちぎり、口元をぬぐう。

「クソが!絶対に一泡吹かせてやる。チャケンダの能力を手に入れてやる。」

そのとき、ヒエレには進化派という大組織の存在が魅力的に見えた。

その大組織を使えれば──

センシェン ガベジ誘拐事件の情報を検索した。

その過程でトポルコフの能力を知る。

「ほーぅ。こいつぁ使える。」

ヒエレはトポルコフを探すことに決めた。

「さて、マァクを出し抜いてトポルコフを確保することは可能かな?」

ウイスキーの瓶を壁にたたきつけて割り、チャンネルを切り替えて自分の世界に帰った。

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