明日死んでしまう人間にかける言葉
「え……」
アキの突然の提案に僕は言葉を詰まらせた。
「ヒロくんが私に合わせて付き合ってくれていたことくらい知っていたよ……、ごめんね……、でもそれでも一緒にいたらね……、もう一日だけ一緒にいたいなぁって会うたびに思ってしまって、ずるずると今日まで続けちゃったの」
「合わせてただなんてそんな……」
「私バカだけどさぁ、ヒロくんが困っていたことくらい分かっていたよ」
どんな言葉を使ってもアキに弁解出来る気がしなかった。
でも僕は全部が嫌だったわけじゃない。楽しいことや嬉しいこともたくさんあった。
告白されたときに好意があったかといえば嘘になるけど、それでも少しずつ僕はアキに惹かれていっていた。本当に好きになるのにもう少し時間が必要だったのだ。
「確かに僕は、ろくに話したこともないまま付き合ったけど……、何を話したらいいのか分からないときだってあったけど。それが嫌だったわけじゃない」
「……でも困っていたでしょう?」
「そりゃ困るよ……、付き合うのも初めてだったし、そもそも僕は女の子と話すことだってジュン以外はそんなにないんだ」
「だから、もういいじゃない?別れよう」
そんな会話をしていると駅近くの公園についた。今日一日の始まりの場所に僕たちは戻ってきていた。公園は心もとない外灯が一つあるだけで、園内はとても暗い。
話も途中だったので、自然と公園のベンチに腰掛ける。
僕は一連の会話で確信した。アキは明日自分が死んでしまうことを知っている。
「なんでそんなに別れたいの?」
「……だってヒロくん私のこと好きじゃないでしょう?」
「好きだと言ったら続けられる?」
「……ううん、ごめんね」
「明日死ぬから、別れたいの?」
ボロボロと大粒の涙がアキの目から流れ落ちた。
「あっ、悪い……、だ……大丈夫か?」
「ご……ごめん。あれ?なんでだろう。涙が……」
「とりあえずこれ使え、なっ?」
僕はポケットからハンカチを取り出す。
「いいよぉ……、だってもう返せないよ」
「返せなくていいから、ハンカチってこういうときに使うものだからさ」
受け取らないので、化粧が落ちないように勝手にハンカチで涙を拭う。観念したのかアキはようやくハンカチを受け取ってくれた。
「優しいねヒロくんは……」
「そんなことねぇよ」
「えへへ……、私明日死んじゃうんだぁ……、だからちゃんとお別れしないとって思ってさ」
「僕の彼女のまま死ぬのは嫌か…?」
「うん……」
「そっか……」
それなら仕方ない。文字通り最期の願いだ。僕に出来ることくらいは叶えてあげたい。
「分かった……」
アキは駅の改札をくぐるとき、小さく「ごめんね」と言った。
僕の方を振り返ることなく、アキはそう確かにそう言った。
その声は震えていた。アキの小さな体も震えていた。
目の前の改札が僕らを隔てる。いや、実際にはこんなものは何の障害物にもならないのだ。
それでも声が出なかった。出せなかった。言葉がなかった。
明日死んでしまう人間にかける言葉などあるわけがない。
「今までありがとう」「さようなら」「ごめんね」「好きだよ」「出会えてよかった」
そんな今まで何億回と使用してきたテンプレートの言葉たちはどれも聞かせるには残酷過ぎたから。
「アキ……」
聞こえないくらいの声で名前を呼んだ。もちろん彼女の後ろ姿はもう随分と小さくなっていたので、届くはずもなかった。
それなのに彼女は振り向いた。ただの偶然。それでももう見られないと思っていたから嬉しかった。
彼女は僕に言う。アキの頬に溢れてしまった涙は僕の視力では見えないはずなのに、今日だけは見ることができた。やっぱり泣いていた。それは何の涙だったのだろうか。
分かってあげたかった。答えはわかっていたけど、僕がその答えを解答しても良いのだろうか。
聞こえるはずもない距離と雑音の中、確かに声が届いた。今までで一番優しい声で。
「ヒロくん」
彼女は確かにそう言ったのだ。それは彼女の口の動きに合わせて僕の脳が聞かせてくれただけかもしれない。でもたぶん……、僕が一番見てきた表情だったから聞こえたのだと思う。
彼女は……、アキは……、いつも笑って僕の名前を呼んでくれていたから。




