(8)初魔法戦(1)
交渉は決裂したようだ。
というか、そもそも最初から双方とも交渉の余地はない。
これは、カズキを倒すための罠として準備されたものなのだから。
先ほどから見当たらない一人については、おそらく馬車の陰から何かを仕掛けてくるつもりなのだろう。
そのことについても十分気を配る。
「二対四か」
その呟きは、状況を嘆いたものではない。
まだ、対人魔法戦闘経験の浅いカズキからすれば、初陣には厳しすぎる状況と理解したもの。
だが、その表情には不敵な笑みが浮かび上がる。
魔法戦闘の経験は薄いが、単純な戦いなら経験は十分あるのだから。
「最後に一つだけ聞いておこう。奴隷狩りについてあんたは知っていたな」
「さて、何のことでしょうか?」
大げさに馬鹿にするように感じで、手をかざしながら耳を突きだした姿からは、今までの温厚さは微塵も感じられない。
ただ、その行動こそが全てを物語っている。
ようやく、ここにきて本性を現したようだ。
「よもや、教会がここまで腐っておったとは!」
ユリアナが吐き捨てるように言った。
「腐っている? 腐っているのは貴族社会の方ではないですかな。私どもそれを正そうとしているのみ。残念ですが、少々痛い目に遭っていただくしかないようですな」
大軍で包囲されているものではない。
時間をかけて大量の兵士を呼び寄せるよりも、今ここでカズキを倒そうと判断した。
しかも、カズキがアレクサンダラスの弟子と知った上で。
とすれば、敵の人数が多い訳ではないが、勝てると思う布陣を敷いているに違いない。
かつてのアレクとの戦いがどのようなものであったかについては、大魔導師から一度も話を聞いたことはなかった。
シュラウスが両手を突き出しながら呪文を唱え始める。
呪文に聞き覚えはないが、魔法の構成から司教の目的が理解できた。
「俺たちを閉じ込めるつもりか!」
対魔術の障壁魔法がドーム形状に周囲を覆い始める。
馬車をも含んだ直径30mを超えようかという巨大なもの。
カズキでも、これほどのものを長時間維持することはできない。
本来障壁魔法とは、盾のように一部分に発生させるものである。
そんな強力な魔法であるが、それをシュラウスはたった一人で造り上げているのだ。
この大きさのものを維持するのは、カズキどころかアレクでもおそらく無理である。
隣にいるユリアナも驚きのあまりであろうが、思わず息を飲み込んだ。
「さあ、兵士の屈強さをその小さく生意気な小僧に教えてあげましょう」
「なるほどね。転移魔法を抑え込むことで閉じ込めるということか。しかし、一体どうやってこれだけ強力な魔法を」
「あなたがそれを知る必要はありません」
シュラウスがそう答える切る前に、二人の兵士が勢いよく走りカズキに向かって槍を突き出してきた。
屈強な男二人が槍を突出し迫りくる状況は恐怖感を抱かせるに十分である。
だが、一方でこの兵士たちは鎧も来ていない無防備な状態であった。
しかし、カズキの感覚は瞬時に二人の兵士の体に施されている魔法を感じ取る。
『一旦飛ぶぞ』
ユリアナの手を強く握り合図を送る。
彼女は兵士たちの圧力に圧倒されたのか、普段と比べて反応が鈍い。
今度は何も呟くことなく、転移魔法を再び用いた。
ただし、シュラウスが展開している障壁の中での移動である。
あのアレクサンダラスすらが抑え込まれたのだとすれば、この障壁は外部に向けての転移魔法を跳ね返すであろう。
勝算もなしにそれに挑むほど魔法に対する自信を持っているわけではない。
二人が消えた場所を、兵士が繰り出した二本の槍が勢いよく交錯しながら通過する。
しかし、転移することは既に承知とばかりに、すぐさま二人の兵士は構え直して転移先を探す。
カズキはユリアナと共に馬車の裏側に転移し、出現すると同時に陰に隠れていたもう一人に雷の魔法を放つ。
鋭い光が隠れていたもう一人の兵士の体を包むが、大きな輝きを見せたと思った瞬間に光が砕け散った。
実際には光そのものが砕ける筈はないのだが、電撃が跳ね返され散り散りになるのがそのように見えたのである。
魔法をはじいたのは明らかだ。
これが防御魔法なのだろうが、カズキの予想以上に強力であった。
光の散乱を感じ取り、シュラウスはカズキたちの転移先に気付き姿勢を変える。
「さすがにアレクサンダラスの弟子のようですね。それだけの魔法を使える者は多くはない。だが、ここではあなたの使う魔法など何の役にも立ちはしませんよ」
シュラウスは戦いが有利に運んでいると認識しているのであろう。
満足げな、しかし邪悪そうに見える笑みは全く変わらない。
一方、カズキが強く手を握っているユリアナは声すら出せない状態でいる。
握る手からは微妙な震え。
いつも強気の言動を見せる彼女だが、こういった修羅場に遭遇するのはおそらく初めてなのだろう。
ユリアナの状況を気遣うわずかの時間も与えてはもらえない。
カズキが瞬時に構成した物理障壁の魔法により弾いたはずの槍が、なんと半透明の魔法による障壁を突き破ってくるのだ。
繰り出された速度こそ抵抗を受けて大きく減じているが、この槍自体にも魔法がかけられているらしい。
こちらもシュラウスが施した魔法であろう。
アレクサンダラスの弟子であれば、使う魔法は既に知られているということか。
十分な準備があるからこそ、少人数でも対応できると考えたようだ。
とは言え、頭での理解が体と魔法へ即座に反応する訳ではない。
正確にカズキの腹部を狙って繰り出される槍を、ユリアナの手を取ったままでは最小限のステップで躱し切れない。
兵士自体もかなりの手練れなのだろう。
カズキの繰り出した障壁魔法により速度が減じられていることもあって、ギリギリ皮一枚で抑えたがそれでも脇腹に血がにじむ。
「カズキ!!」
それを察知してユリアナが声を上げるが、直ぐに次の突きが繰り出されてくる。
森の中で戦った魔獣とは比べものにならない鋭さ。
槍を使っているのは、ユリアナを傷つけることなくカズキのみに攻撃を集中させるためなのだろう。
しかし、数度の攻撃をかわす過程で槍の特性を見抜くことができた。
仕掛けがわかれば対処など簡単な事。
新たに繰り出す魔法障壁に、今度は角度をつけた。
それだけのことで、繰り出された槍の方向が微妙に代わり槍がカズキを捉えることは無くなる。
もちろん弾くのはユリアナにも当たらない方向。
今シュラウスがこの空間全体を覆っているような魔法と物理的な移動の双方を防ぐ障壁魔法も使うこともできるが、その発動には若干余分な時間がかかる。
鋭い槍の攻撃を受けるには微妙なタイムラグが致命的となりかねない。
また、槍が突き抜けなくとも正面から屈強な兵士が繰り出す槍の力をまともに受けてしまえば、障壁魔法から受ける圧力で体勢を崩されたり押し込まれる危険性がある。
だから、程よく力を流す方がずっとよい。
一人の兵士が槍で攻撃を続けているが、他の二人やシュラウスがそれに加わってはこない。
兵士たちが一か所に集まって攻撃してこないのは、集中すると転移魔法で容易に逃げられることを考えてのフォーメンションのようである。
三人が揃えば攻撃力は増すもののカズキに余裕を持たせてしまう
それよりは閉じた空間内に散らばって逃げ場所を無くし、徐々に力をそぐというのは理にかなっている。
相手が弱ったところで、一気に攻めるということではないか。
いや、カズキならそうする。
しかし、逆にいえばシュラウスがこの戦闘のカギとなっているということだ。
シュラウスを倒せば、彼の魔法の効果がそのうち消えるのは言うまでもない。
続けざまに、先ほどの兵士が槍による攻撃を繰り出してくる。
それを避けることに集中しながらも、カズキは横目でシュラウスの位置を確認していた。
ユリアナはまるで操り人形のようにカズキに引っぱられ動かされているが、その表情からは血の気が引き、ただでさえ白い肌が青みさえを帯びつつあった。
一瞬、槍の攻撃にインターバルができた刹那を感じ取ると、躊躇なく無言で転移して出現と共に目の前にあるシュラウスの背後に蹴りを入れる。
が、それもまた強い力に弾かれた。
「馬鹿め。私が自分の防御を用意していないとでも思ったか」
不意を突かれたにも関わらず、少しよろめいただけで直ぐに態勢を立て直してきた。
それどころか、シュラウスは右手を掲げると大きな炎が手先に立ち上がる。
「炎剣」
シュラウスの手に握られているのは炎により構成された剣。
さらに、背後から最初に襲ってきた二人の兵士が迫ってくるのを感じ取る。
「まずいな」
カズキは思わずつぶやいた。
しかし、言葉とは裏腹にカズキの表情には笑みが浮かび上がる。
その表情は人によってはむしろ、シュラウスのそれよりも邪悪に感じられたかもしれない。
小さく呟いた。
「この感覚が堪らない」
「あっ。カズキ」
ユリアナの体を強引に引き寄せて、やや後方に後ずさる。
すなわち後ろを向いたまま迫りくる二人の兵士の方向ににじり寄っているのだ。
そして、そのまま目を閉じた。
「ようやく諦めたか!」
シュラウスの声が周囲に高らかに響き渡る。
シュラウスは炎の剣を振りかぶり、カズキを目指して切りかかろうとする。
武器を持た無いカズキは、魔法による防御でいくらかは防げるかもしれないが、カズキ側からの魔法による攻撃も物理的な攻撃も効かないことは既に判明している。
シュラウスは、あと何度かの攻撃で明確な勝利を得ると確信したのであろう。
口元の笑みが過去最大級に釣り上がった。
「我々相手によく戦いました。見事と褒めておきましょう! あなたはそこそこ強かった」
後方から来る二人は今後は時間差で攻めてくるようだ。
微妙な位置の差があることが感じ取れる。
防御のために用いる障壁の魔法は、通常は魔法の無駄を省くために攻撃を受ける一瞬だけ発動する。
今、この周囲を覆っているような無駄な使い方をすることはない。
しかし、カズキが感じ取っているこの周囲のエーテルの状況は、それが魔法行使のために消費され続けているという感じを受けない。
つまり考えられることは一つ。
アレクも教えてはくれなかったが、何か強力な魔石を利用しているということだ。
兵士たちに施されているのも同じであろう。
魔法使いでない兵士たちが使えるとは思わなかったが、それを見つけて破壊もしくは奪えば効果は消える。
確かにカズキの体躯は小さい。
身長は元の世界の同年代の平均と比べてもかなり低い165cmほど。
筋肉隆々という訳でもないので、知らないものが見えれば弱く感じるであろう。
しかし、そのコンプレックス故にこれまで積み上げてきたものがある。
再びギリギリまで攻撃を引き付けての転移魔法により、槍により攻撃してきた二人の兵士の背後にやや離れて移る。
しかし、さすがに読まれていたのかもう一人の兵士が予想していたかのごとく、待ち構えていた。
転移後のカズキに間髪を入れずの攻撃をかけてくる。
だが、すでに探索魔法によりそのことを把握していたため、今度は槍による攻撃を障壁魔法なしで避けてみせた。
ユリアナは強く抱きしめられている状況に酔っているのか、呆けたような表情になっている。
最初に切った啖呵の勢いは今は見る影もない。
ただ、おかげでカズキの魔法は思い通りに発現できている。
すなわち、そこことに文句を言うつもりはない。
目の前の兵士と睨みあいながら、探索魔法と感覚によりエーテルの強い部位を瞬時に探る。
(なるほど、右腕にあるブレスレットがその発信源の様だ)
先ほどの戦闘の記憶をたどり、他の兵士たちも付けていたことを確認した。
おそらく間違いないだろう。
20160102:体裁見直し