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魔道の果て  作者: 桂慈朗
第3章 魔道の価値
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(9)一瞬の覚醒

 倒れたまま、下を向いて一紀は大声で叫びだした。

 その咆哮は、これまでの一紀からは見たこともない感情の発露。

 そして自分自身の期待に決別するための儀式。

 握り締められた拳には、使うことのできなかった魔石。頬を伝う大量の涙。


 安西の前でも紗江子の前でも決して見せることのできない姿。

 師匠と認めたアレクサンダラスの前だからこそ見せる様相。


 アレクサンダラスも傷がほぼ癒えかかった一紀の足を、優しく撫でるように触れ続けている。

 数か月とは言え、渾身の力を込めて指導を続けてきた。

 そして、少なくとも魔法理論の理解に関して一紀は最高の弟子だったのだ。

 最後に全てを吹っ切るように一際大きな叫びが、見捨てられた地下鉄の二人以外誰もいない線路内に響く。


 と、いきなりの衝撃が走った。

 その衝撃は、一瞬で一紀の左手を破壊して、大きな爆風を二人に浴びせたのだ。

 血と肉が周囲に飛び散る。

 一紀の慟哭は一瞬のうちに異なる悲鳴に変わる。


 アレクサンダラスは、一紀を抑え込むように身を伏せると共に、すぐに警戒魔法を周囲に走らせた。

 左手首から上が吹き飛んだ一紀は、手首から少なからぬ量の血を流している。

 悲鳴と共に大きく動いた一紀ではあったが、多くの血を流したことで急速に動きを緩めていた。


「今すぐ治療してやる!」

 アレクサンダラスは、周囲への警戒を保ちながら強い光を右手に握り、それを一紀の吹き飛んだ左手に差し当てた。

「まだ、間に合う。」

 勇気づけるような言葉ではあるが、顔面が蒼白でショック症状に陥っている一紀の耳にはおそらく届いてはいない。

 さすがのアレクサンダラスにとっても、これ程の怪我の治療は容易なことではないのであろう。

 単なる傷を修復するレベルではなく、失った部位を再生しようというものだ。

 魔導師の額にも汗が浮かび上がっていた。


 警戒魔法を続けながらも、高度な治癒魔法を扱えるのは彼ほどの大魔導師だからではある。

 しかし、それでもエーテルの少ないこの世界で確実に治せるという保証はなかったのだろう。

 手首から逆回しのように徐々に左手が再生していくが、再生速度が先端に近づくほどに遅くなっている。

 一紀は気を失ったままだが、既にアレクサンダラスの魔法による再生で、出血は止まっていた。


 警戒魔法に引っかかるものはなかったようだ。

 安西の襲撃を予想していたアレクサンダラスは、治療を続けながらも小さな息を吐いた。

 安西が一紀をこれほどまでに傷つけるような行為はしないだろうとアレクサンダラスは予想したが、それでも予想外の出来事は起こりがちだ。

 魔導師の知らないこの世界の技術による仕掛けがあったとしても、何もおかしくない。


 ただ、同時に頭の片隅に違和感が残っている。

 一瞬ではあるが、魔法の気配を感じたのだ。

 それはアレクのものではないし、一紀も魔法を使えないのはわかっている。

 一紀から感じられるエーテルによるものではなかったはずだ。

 そう考えると、警戒を緩めながら違和感の正体を掴もうとさらに思考を深めた。


「わからんな。」

 一紀が魔法を発動したとすれば辻褄は合う。

 しかし、命の危険を感じても使えなかったものが泣いただけで、しかも暴発するなどと言うことは魔法の原理から考えれば異常である。

 魔法は、知性と気力の複合物だとアレクサンダラスは考えている。

 どんな能力の高い魔導師であっても、感情を乱してしまえば魔法は発動しない。

 それは彼にとっての、そしてあちらの世界での常識である。

 一方で、一紀が理性を保っていたとすれば、なぜ自分の拳を破壊するような魔法を用いたかの理由がつかない。


「魔法は意思が無ければ発動せぬ。」

 自分自身に言い聞かせるように、誰も聞いていない中でアレクサンダラスは小さく呟いた。

「仮に魔石が暴発したとしても、あれは水魔法の魔石。」

 今回のように爆発することなどありえない。

 一紀は魔石を握っていたはずだ。

 だとすれば、吹き飛んだのはそれが原因かもしれない。

 ただ、それにしても魔石の働きが明らかにおかしい。

 いずれもアレクサンダラスが知る常識からは量ることのできない状態だ。


 もちろん、思考を巡らせている間も一紀の手の治癒は続けている。

 なんとか若干の欠損のみで修復することができたようだ。

 ただ、今は気を失っているから良いが、急激な修復は神経に過度の痛みをもたらすはずだ。

 魔法に痛みを抑える力はない。

 幸いにもこの世界には向こうには無いような効果の強い薬が存在する。

 それを頼りにしたいところだが、一紀がこの調子ではその助力を期待することも難しいかもしれない。


 滅多に使うことのない大きな魔法を用いたことで、若干呼吸が荒くなってはいるが、アレクサンダラスは一紀を抱きかかえるとそのまま転移魔法を用いて隠れ家の外まで一気に移動した。

 一紀の体を抱えたまま、複雑な入口を難なく通り抜け美鈴が一人で待っている部屋に入る。

 そして直ぐにベッドに向かい、一紀を横たえた。


「どうしたの?」

「問題が起こった。魔法の暴発だ。」

「それで一紀君は大丈夫なの?」

「心配ない。多少傷は残るが。。」

 その言葉を聞いて、美鈴は血にまみれた一紀の左腕を見る。

 中指と人差し指の第一関節部分が再生し切っていなかった。

 それを見つけ、続いてアレクの方を見る。

 その視線を受けて、アレクはゆっくりと首を振った。

 これ以上の修復は難しいという意味だ。


 美鈴はアレクの横に移動して、手を絡めながら念話で詳細を問う。

『あなたの力でも駄目なの?』

『魔法は万能ではない。』

『可哀そうに。この子頑張っていたのに。』

『まだわからんが、カズキは魔法を使えるかもしれん。』

『えっ? そうなの? じゃあ、暴発って。』

『うむ、まだ確信がある訳ではない。ただ、儂も正直諦めかけていたものが、少しじゃが可能性が残ったというべきじゃな。』

『あなたでも詳しくはわからないの?』

『残念じゃが、そうじゃ。これまで見たこともない出来事じゃったからな。』


 再び美鈴はベッドの上に寝かしつけられた一紀の方を見た。

『それで一紀君の様子はどうかしら。』

『左手が吹き飛んだ。直ぐに修復したが、これ以上は無理じゃった。おそらく、目が覚めれば強烈な痛みに襲われるじゃろう。』

『でも、ここには痛み止めも何もないわ。』

『うむ。儂が薬を手に入れに行くという方法もあるが、それによりこの場所が再び疑われることは避けたい。だから、カズキには悪いが耐えてもらう。』

『でも、大丈夫かしら?』

『こやつも儂の弟子じゃ。この程度を乗り切れないなど許されるものではない。』

『でも、あの指ではコンピューターを使うのに支障が出るでしょうね。そのショックの方が可哀そうだわ。』


『カズキがネットの仕事にどれだけのプライドを持っていたかは、正直儂には判らん。ただ、魔法が使える可能性が残ったのだから、今はそれに注力させるべきじゃろうな。難しいかもしれんが。』

 ほんの僅か間をおいて、アレクサンダラスが念話により答えた。

『そうね。でもこの子は強い子よ。きっと乗り越えられると思うわ。この年でここまでのことを成し遂げられるのですもの。』

『当然じゃ。でなければ儂が弟子に取ることはないわ。』

『まあ、あなたもこの子のことを気に入っているのね。』

『気にいる気に入らないではない。できるかできないかじゃ。』

『うふふ。でも、きちんと看病してあげないといけないわね。』

『この時間のロスは惜しいが、儂には今襲ってくる敵のことがわからん。それを早く掴むことが先決じゃ。でなければ、打つ手も見つけられん。』

『そうですね。今はこの子の回復を待ちましょう。』



 一紀が激しい左手首の痛みに目を覚ましたのは1時間後であった。

 傍には美鈴が座っていたが、アレクはいなかった。

 叫び声をあげた一紀であったが、目覚めても周囲に気を配るような余裕はない。

 ただ、元の隠れ家に戻っているのだということだけはわかった。


 目覚めておよそ1時間はベッドの上で転がりまわっただろうか。

 出てくるのは大して意味を持たない汚い呪詛の言葉。別に誰が悪いという対象はないが、「くそっ!」とか「痛い!」とか「誰か何とかしてくれ!」などといった言葉を続ける。

 痛みが急激に収まったわけでは無いが、美鈴がそこにいることに気づくことができるようになった。

 そしてアレクを呼ぶように伝えるが、美鈴は悲しそうに笑うのみ。


「どうしてここにいないんだ!」

「魔法のせいで!」

「どうして俺がこんなに苦しまなければならない!?」

 言葉がある一度意味を持つようになったが、結局は痛みを怒りに変えて昇華しようとしているだけ。

 そこにある意味に理屈はない。

 美鈴は何も語らず、首を横に振っていた。

「この痛みを抑えられないのなら、出ていけ!」

 八つ当たりと言っても良いが、その言葉を美鈴は聞くことはなかった。

 おそらくかつて病院で幾度も経験してきたことなのだろう。

 ただ、優しく見守ろうという決意があるような雰囲気であった。


 一紀は毛布を頭からかぶり、左手を抱えるようにしてうずくまった。

 鋭い痛みは治まることを知らず、脳髄を刺激し続ける。

 地獄の責め苦にも似たそれが続くことで、わずかばかり可能な思考はネガティブな内容のみが荒れ狂う。

 ただ、それでも師匠を悪しざまに罵倒するような言葉だけは吐くことが無かった。


「ようやく落ち着いたか。」

 時間感覚のない地下においてではあるが、朝を迎えるころになってアレクサンダラスはうずくまったまま寝ている一紀の横でそう言った。

「可哀そうに。まだ指の一部を失ったことには気づいていないようだけど。その時が一番のショックでしょうね。」

 隣に添い立つ美鈴が続ける。

「しかし、一紀が魔法を発動したのはおそらく間違いがない。」

「何か痕跡があったのかしら。」

「やはり魔石が砕け散っておった。魔石以外の要因が見つけられんかった。おそらく何らかの要因で魔石に大きな力が宿ったのじゃろう。魔法の発動無しにそれはありえん。まあ、実際には魔法が発動しても魔石が砕け散ることなどないのじゃが。」

「この子は無意識に魔法を使ったということなの?」

「これまた異なことじゃが、そう考えるしかないじゃろうな。

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