(8)失格の烙印
(ちょっと待ってくれ、冗談じゃない! これじゃ集中もできない。)
アレクサンダラスが唱える呪文の意味は既に学んでいる。
火の魔法だ。しかも、レオパルド王子などの接触しなければ使えないレベルではない。
この距離ならば間違いなく一紀まで届いてくる。
そう考えるや否や、一紀は魔法からの回避行動を取った。
とは言え、魔法発動の瞬間に動かなければ、容易に狙いを変えられてしまうだろう。
本来であれば、障壁魔法を火炎放射器のような火柱が飛んでくる方向に張れば、容易に防ぐことができるのも学んではいるが、知っているのと対処できるのとは違う。
(まずい、二つの魔法を同時詠唱している!)
アレクサンダラスには容赦という言葉が無い。
後方に移動して距離を空けるという手もあるが、転移魔法が使えるアレクサンダラスに距離を取るという行動はそれほど有効ではない。
一つ目の火柱が一紀に向かってきた時、それをギリギリで体術によりかわしたが、もう一つのビーム状に飛んでくる水の帯は一紀の移動先を読んでいたように肩をかすめる。
目の前に火花が飛び散るような痛みを感じ、肩口から血が漏れ出ているのを視認した。
突き刺すような痛みが脳天を駆け巡る。
しかし、これは致命傷ではない。
そもそも魔法を使うための特訓である。
殺意を込めたものでないことは頭では理解していた。
しかし、一紀の目に映るアレクサンダラスの顔には微塵も手加減の色はない。
(紗江子さん以上か。)
魔石を握りしめて、次の魔法が来る前に対処しようと強く意識を集中させる。
魔法の連射ができないのは知っている。
先ほどの同時発射もアレクサンダラスが言うには、それができる者かほんの僅か。
準備していた同時詠唱でなければ、数秒ではあるがその後にはタイムラグが生じる。
その隙を狙って一紀の側から魔法を行使したいところではあるが、一瞬集中してすぐに諦めた。
魔法を躱して体術で戦う。
この修行の目的とは明らかに異なるのだが、躱せる距離では本能が危機的な状況と認識しない。
よりハードな状況に身を置くためにもアレクサンダラスに近づくべく、一気に堅いコンクリートの地面を蹴った。
「甘い!」
そう言うと、アレクサンダラスは詠唱もなしに障壁の魔法を構成する。
障壁の魔法にも二種類あり、物理的な攻撃を防御するものと、魔法攻撃を防ぐもの。
前者は光を透過しにくい鈍い色合いが空中に浮かび、その色が濃いほどに物理衝撃を防御する。
後者は透明のきらめくような壁だが、どちらにしても範囲はそれほど広くない。
ピンポイントで飛んでくる魔法を受け止める小さな盾と言った感じであろうか。
もちろん、アレクサンダラス程の術者になれば大きさは桁違いではあって、数人を覆えるほどらしい。
その上で、物理抵抗と魔法抵抗の両者を同時発動もできると聞かされている。
今回は、見る限り物理障壁オンリーだろう。
もともと、一紀からの魔法攻撃を想定した居ないというのがあるのかもしれない。
(それは殺生だよな。)
障壁の発動に気づき、構成される前に急ブレーキをかけて再び3mほどの距離を取る。
魔法を使えるようにする修行で、魔法に対する備えをしない。
それは最初から一紀が発動させることを考えていないということでもある。
もちろん、敢えて隙を作ってくれているのかもしれないのだが、地味に精神的なダメージとなった。
「まだまだ!」
自らを奮い立たせるように一紀は声を発する。
その言葉が残響として留まっている瞬間に、再び一気に魔導師との間を詰めようとした。
障壁の魔法も展開時間はそれほど長くない。
というか、今回はアレクサンダラスがここでも隙を作ってくれているというのもあろう。
詠唱の余裕を与えずに、今度は一気に距離を詰める。
先ほどよりは二人の間隔が狭かったこともあり、障壁が構成される前に魔導師の許に届くという読みであったが、そうは問屋がおろさなかった。
今度はアレクサンダラスが右手の人差し指で指し示し、無詠唱で火の魔法を一紀に向け発した。
勢いのついた一紀はそれを避けることができずに、魔法を足に受けてしまう。
受ける直前に目に入った魔法は先ほどよりも弱いものだったが、無詠唱であることが影響しているのかもしれない。
ただ、右足の太もも付近に火を纏った一紀にそれ以上のことを考える余裕はない。
頭の中には治癒の呪文が走りすぎる。
それでも魔法は発動しない。
既にレオパルド王子に一度受けた経験があったが、アレクサンダラスのそれはやはり異なる。
強烈なバーナーが体の一部を焼き尽くすような痛みと言えばよいのだろうか。
これほどまでに恐ろしいとは。
その場に倒れ込み、ジタバタと火を消そうと転げまわる。
痛みを我慢できずに大声を上げるが、アレクサンダラスはそばに近寄りじっと状況を観察している。
「これでも駄目か。」
そっと目を閉じて、その後両手を一紀の上で突き出した。
アレクサンダラスの両手には白い光が収束していく。その光は一定の大きさが集まるとふわりと下に向かって移動し、一紀の体に吸い込まれた。
その後、アレクサンダラスは一紀の体をぐっと押さえ、傷ついた足に左手を当てる。
局部に対する直接の治癒も同時に行うようだ。
「本能が魔法の力を引き出してくれると思ったが、それもダメとはどういうことじゃ。」
一紀は、未だ痛みに耐えかねて体を捻りながら唸っている。
「これだけの飛び抜けた魔法理解力を示し、その原理についても十分理解しておる。しかるに、魔石ですら使えぬとは、こちらの世界の人間には魔法に対する適正が全くないのかもしれぬな。」
そう話す、アレクサンダラスの目には寂しそうな色が灯っていた。
一紀はその言葉に答えたかったが、痛みと同時に体の細胞が修復していく奇妙な感覚に意識が囚われていたため、気の利いた答えを発することもできない。
魔導師も返答を聞くつもりもない様に続けた。
「これでは使い物にはならぬな。せっかくの惜しい人材じゃが、これ以上の修練は無駄か。」
ようやく、絞り出すように一紀が声を上げる。
足の痛みもかなり癒えてきたようだ。
「師匠、あなたの世界でも魔法を使えない者も少しはいるのでしょう。まだ諦めるの早いですよ。」
アレクサンダラスは一紀の足に触れて治療を続けながらも、ゆっくりと言葉を吐いた。
「魔法とは人の持つ自然な力の一つじゃ。強く使うには精神を鍛え、正しく使うには理解を深める。お前はその両者を使える筈なのに、結果として魔法を行使できん。それはどういうことじゃと思う?」
「しかし、、、可能性が皆無と言うことは。」
師匠の宣告に必死に抵抗しようとするが、アレクサンダラスの目が優しく微笑む。
その優しさは、逆に拒絶の冷たさを秘めている。
「この世界の人間は魔法を使えん。理由はわからぬが、それは間違いあるまい。本来魔法は死の淵に至らなくとも使えるものじゃ。」
「くっ!」
「儂が見る限り、お前はエーテルを集めることは十分なレベルでできている。しかし、それを魔法として行使することが一切できていない。それは、決定的な何かが不足しているということなのじゃ。」
「その状態は、向こうの世界でもあることですか?」
「向こうで魔法が使えぬものは、エーテルを集める資質に欠ける者ばかりじゃ。それさえできれば誰でも魔法は使える。」
「いくら頭で魔法を理解したとしても、意味がないということですか。これまで教えていただいたことは無駄と言うことですか。」
「そうじゃな。使えなければ、魔法の知識に意味はない。エーテルを集める量が多かったので、儂もお前には期待しておった。だが、ここまで見る限りにおいて、お前はおそらく魔法を使えん。」
一紀は一瞬目の前が真っ暗になるような感覚に囚われた。
もちろん必ず魔法が使えるようになるという保証があったわけでは無い。
ただ、アレクサンダラスに見出されたという特別な気持ちは持っていた。
だからこそ、いつかはきっと魔法が使える筈だと信じることで、これまで魔法について調べ続けてきた。
またその原理を生かせれば、魔法を自動生成するような機械を作れないかとも考えていた。
しかし、自分自身でその動作原理の全てを理解できなければ、魔法の再現は容易なことではない。
と言うか、おそらく難しいであろう。
アレクサンダラスはそれほど遠くない時期に元の世界に帰る。
そして、結果としてここに残る一紀には魔法を解明することは叶わない。
その想像は、一紀が自分に対して許せるものではなかった。
それ故に、無意識のうちに誰にも見せたことのない涙が不意に流れ出す。
溢れ出た涙が頬を伝うのを触覚が感じ取り、一紀は初めて自分が泣いていることに気が付いた。
「泣くのも良いじゃろう。それで気が晴れるなら。」
まだ一紀の足の治療を続けながら、その状況を見ていたアレクサンダラスは優しく呟いた。
「今まで、欲しいと思ったものは全て手に入れて来たのに。」
それは後悔と言うよりは、不甲斐なさを責める言葉。
最初は上手くいかなくとも、努力によりどんなことも克服してきたはずの過去が終わる響き。
「カズキ。お前は誠実な弟子じゃったよ。少なくとも、儂はお前を今でも弟子だと思っておる。ひょっとすると向こうの世界に渡れば使えるかもしれんと言う未練が、儂にもある。」
「いえ、、それはないでしょう。」
涙に遮られながらも、一紀は答えた。
「資質が無いとすれば、それは世界を移っても変わることはないと思います。不肖の弟子で申し訳ありません。ただ、魔法に関する多くの知識を得られたことは、きっとどこかで役立つと信じています。」
「そうじゃな。お前の頑張りがあれば、何らかも形で遠い将来それを成し遂げられるじゃろう。儂もお前の能力は認めておる。」
少し間をおいて、一紀は吹っ切れたように返答した。
「ありがとうござます。ただ、最後にもう一度だけ泣いてもいいでしょうか。」
「構わぬ。好きなようにするがよい。」
一紀の足に手を当てながらも、アレクサンダラスの優しい目はずっと変わらずに一紀の顔を見続けていた。