(4)街中のチェイス
どうやら、攪乱が上手くいって情報が混乱し始めたようだ。
明らかに戸惑ったような連絡が飛び交っているのがわかる。
一方で、セーフハウスのリビングにある机の上には、ペンやお皿、コップなどが無造作に並べられていた。
『アレクさん。お願いします。』
『まったくお前も面白いことを考えよる。いいじゃろう。』
そう言うと、アレクは目を閉じてじっと考え込んだ。
目元がぴくっとして、右手で触れていた茶碗が一瞬で消える。
続いて、アレクが手をかざす度にいくつかの雑貨が机の上から消失していく。
美鈴さんの準備したセーフハウスは古い公団住宅の2階である。
階段室型の4階建てで3棟が並んで建っているその端の棟だ。
幸いにも、窓側からは道路側の様子がうかがえる。
そちらからは、何かが破裂するような音が鳴り、何人かの足音と声が聞こえた。
朝方の住宅街には似つかない声と音である。
雰囲気から包囲網までの距離は50m程度であろうか。
おそらく、隣の棟の陰にもいるだろう。
『じゃあ、一気に屋上へ。』
『うむ。見えんから細かい高さの調整はできん。安全を取ってやや高めに行くぞ。』
3人は隣の棟の屋上へ一気に飛んだ。
転移後1mほど落下したが、3人は構えていたためなんとか着地。
ちなみに、美鈴さんはアレクが抱えていた。
一紀は、当面必要になりそうなPC、懐中電灯、ペットボトル等をトートバックに入れて持っている。
『すぐにもう一度行く。』
次の棟の屋上へ、インターバルは30秒というところだろうか。
早いと言えば早いが、緊急時には致命的になりそうな時間でもある。
しかし、今回は追跡者から逃れるには十分だ。
幸い屋上の張り込みはなかったようだ。
衛星画像で追いかけられている可能性を考えれば、それでも猶予はない。
目で合図して直ぐさま再度の転移を行う。
この先電車を使う事になるのは承知の上で、3人は都会の地下街を目指した。
タクシーを拾うと、敢えて最寄りより一つ前の駅まで行く。
逆戻りになるが、私鉄の特急駅からの乗車で追っ手がある場合振り切れる可能性が高い。
老人二人との行動と侮っていたが、予想以上に二人の動きが軽やかなのには驚かされた。
とは言え、見付けられると魔法無しに逃げるのは難しいが、同時に魔法の存在を垂れ流すというのも不味い。
情報の拡散が更なる追っ手を呼び寄せるだけだからだ。
『アレクさん。魔法の存在が世間に広まるのは避けたいので、なるべく目立つ魔法は人前では使用しないようにお願いします。』
『そんな余裕があればよいがな。下手に加減すると、足下を掬われるぞ。』
『そうですね。情報の拡散を怖がって捕まれば本末転倒ですね。』
『魔法の存在が広がって困るのは、向こうも同じじゃろうて。』
『それくらい配慮してくれる相手ならいいのですが。』
『しかし、カズキ。急に畏まったような接し方。どうしたのじゃ?』
『あ、ああ。やはり師匠の魔法は凄いものだと感激しまして。』
『今頃か!遅いわ!』
『そう言われても、前に見せていただいた火や水の魔法とはレベルが違うじゃないですか。』
『魔法はそうそう見せびらかすものではない。』
『いや、でも私は弟子なんでしょ。』
『甘えるでない。それに魔道の果ては広大だ。儂の魔法の形に囚われることで、お前の魔道が狭まるのはよくないのじゃ。』
『話はわかりますが、魔法を未だに使えないですけどね。』
『そう落ち込むな。儂が保証しているではないか。お前には才能がある。』
『夢の中なら使えそうだけど。』
電車のボックス席に3人で座っているため、ローブを被る変わった姿のアレクがいてもそれほど目立つ事はない。
本来なら美鈴さんが隣に座りたいのだろうが、今は一紀とアレクの念話が優先されて、その二人が隣合わせで座っている。
『で、何処に潜伏するつもりじゃ?』
『以前、仕事でトラブルになった時に見付けておいた場所があるんですが、そこなら安西も知りません。』
『本当に発覚していないと言えるか?』
『あいつが相手では、正直「絶対」という言葉は使えませんが。』
『ある程度自信がありそうじゃな。』
『美鈴さんを連れて山の中に籠もるというのも難しいですし、地方に逃げるにしても外国に行くにしても、交通の便利な場所にいた方が良いです。』
『儂は、まだまだこの世界の常識を知らん。お前の判断に任せるぞ。』
途中で乗り換え、ターミナル駅の一つ前の駅で下車する。
監視の目が少ない方が良いこともあるが、今回の狙いは地下街の隙間に潜むことである。
そのためにも、ターミナル駅では降りない方が都合がよかった。
特急の停まらないこの駅周辺は昼休みにはまだ早く、人通りはそれほど多くはない。
ただ、それでも都会の中心部のほど近いこともあって道路と工事の喧噪は聞こえてくる。
近くにはうらびれた飲み屋街もあるためか、アレクのようにローブを深くかぶっていても誰も気にしない。
このルートは監視カメラにかからないものなのだ。
すれ違う人たちも他人には関心なさそうで、おそらく今日の異邦人についても記憶の隅にさえ残っていないだろう。
その一角に、高さ3mほどありそうな工事用の塀に囲まれたビルのような廃墟があった。
一時期、工事現場では広報用に中を見られるよう、ポリカーボネイト製ののぞき窓が用いられたが、ここにも同じようなのぞき窓がある。
アレクに中を覗く様に指し示し、一紀は念話により次の行動を促す。
『入りましょう。この塀の内側に飛べますか?』
『うむ。特に障害物はほとんどないな。』
アレクは二人の手を取り、今回も目を閉じて何やらを呟いた。
一瞬で視界が変化する。
エレベーターに乗った時のような重力的な違和感が今回も残る。
扉があるがここには鍵がかかっているようだ。
今度は拾った石ころをアレクに手渡し、それを鍵の部分に転移させる。
バシッ!!という衝撃音と共に、鍵部分にぽっかりと穴が開いた。
転移した石が幾つかの破片に砕けて足下に転がり落ちた。
「さあ、行きましょう。」
一紀は美鈴に声をかけると、美鈴がアレクの手を取って一緒に中に入ってきた。
一紀は無造作に放置されていた荷造り用の紐を用いて扉が開かないように固定したが、追跡者をこれにより足止めしようとまで企図したものではない。
今までの状況から考えると、おそらくこのビルも早晩発見されるだろう。
理由は不明だが、一紀自身の服装あるいは別のどこかに発信器があるのではないかと予想していた。
少し時間をもらって、非常に簡単な罠ではあるがいくつかの仕掛けも設ける。
このあたりのことは安西から学んだ内容なので、安西が先陣を切っていれば引っかかる可能性は低い。
ただ、警戒してもらえれば追跡の速度は落ちる。
4階建てのビルではあるが、20分ほどで準備を終え階段を地下に向かって降りる。
地下なら電波が届かないというのもあるが、このビルには秘密があるのが最大の原因だ。
持ってきたLEDライトで前方を照らしながら進もうとしたが、アレクが何も言わず魔法を行使したようだ。
頭上がほんのり明るくなる。おそらく光の魔法だろう。
地下に降りると、設備点検用の小さな扉を無理矢理こじ開け、配線をかき分けながら中に入っていく。
腰をかがめなければ通れないほどの狭さである。
美鈴さんも苦労しながらも付いてきている。
いくら元気とは言っても、こうした行為はお年寄りにはきついだろう。
ただ、今は対策を考えている余裕はあまりない。
兎に角、見た目は配線に隠されて奥の狭い通路は直ぐにはわからない。
「ここはどういう建物なのかしら?」
美鈴さんが設備用の点検通路の中で、やや不安げに問いかけてきた。
「これは計画が中止された地下鉄の、元々駅につながる筈だったビルなんですよ。そして、使われていない地下鉄線がこの下にある。」
「でも、ここは地下連絡通路ではないわね。」
「ええ、それを見込んでビルの建設計画がなされていたのが、地下鉄工事の中断で急きょ変更になったってところですね。連絡通路部分は閉鎖されているのですが、この設備用通路でのみ繋がっているんです。」
「よくこんな場所を知っていましたね。」
「この工事関係者の情報を入手していまして。そこからです。」
アレクの光の魔法は、消えることなく暗い空間をほのかに照らし出す。
照明の点源と異なり一定の空間そのものが光っている感じと言うのは、見ていてもやや奇妙な感じがする。
少し歩くと再び扉があった。
扉を手に賭けようと近づいた時、頭上でモノが崩れる様な大きな音が響く。
「もう来たようです。急ぎましょう。まだ距離はあるけど、頑張ってください。」
潜り抜けた先は、巨大な地下通路というか工事途中で放置され廃墟のようになった地下鉄駅である。
アレクの魔法で扉を溶接して固める。気休めではあるが、狭い通路の出口で爆破などは容易ではないため、これも時間稼ぎには使えるだろう。
その先に無造作に残されているバリケードを転移魔法で抜け、真っ暗な中小さな魔法の光を頼りに地下鉄のプラットフォームに出る。
この誰も使っていない線路を歩いて行く予定だ。
しかし、なかなか難しいものである。
火の魔法や転移魔法を使うときには光の魔法を一旦止める。
真っ暗な中でのそれは、ちょっとした恐怖心を引き出してくれる。
もちろん、その魔法が終わればすぐに光の魔法を点灯してくれるが、魔法の同時使用ができないのであろう。
5分ほど、線路をターミナル駅方面に進む。
「徒歩でここから15分ほどの場所です。もう少しですので、頑張ってください。」
美鈴の口数が減ったのはさすがに疲れてきたからだろうと考え、励ますように一紀は声を出した。
「大丈夫よ。無理してないわ。」
息を荒げながらも、かなり気丈夫な性格の様だ。
単なる優しいお年寄りと言うわけでもなさそうだ。
幸いにも追いつかれることはなく、なんとか逃げ延びることができたようだ。
地下の方が追跡に時間がかかると考えたが、それは正しかった様である。