(4)少女奪取
その場で30秒ほど思案を巡らせただろうか。
カズキはおもむろに閉じていた目を開いた。
念話ではなく小声で二人に作戦を伝える。
美しい女性二人はカズキの説明に無言で頷いたが、その時の表情には先ほどと違い幾分楽しそうな雰囲気が漂っていた。
襲撃されようといったこの状態において、嬉しそうというかを心に余裕を見せられるのは、大担当いうべきかそれとも状況を正確に理解していないというべきか。
どちらにしてもカズキは既に決めた。
逡巡の余裕はない。
カズキはユリアナのやや華奢な白い手を再び強く握り直し、屈んだ状態で屋根から通りの状況を見下ろした。
手を握られたユリアナの頬に再び少し赤みが差す。
屋根の上から姿を隠しながら覗き見すると、宿屋の前の通りには早朝にもかかわらず5人の男性が見張っている。
逃亡を警戒してのことだろう。
それ以外にも見えない範囲に何人か居るような気配を感じるが、今は正確な人数についてはどうでも良い。
先ほどカズキがいた部屋に入りこんできた人数は、探索魔法で調べたところ眠っている少女を除きおおよそ6~7人。
カズキの魔法では、短時間で正確な状況を把握できないのが師匠に劣る点ではあるが、今回に限ればそこまで正確な数のを掴む必要ない。
「いくぞ」
そうカズキが小さな声を出すと、突如宿屋の前の通りに突風が巻き起こった。
その大元を辿れば、屋根の上にいるカズキの周囲から生まれた風の流れである。
その風が建物の屋根から壁面を巡り、眼下に広がる通りを勢いよく吹き抜けている。
もっとも、この突風を魔法だと認識するのは簡単ではないだろう。
なぜならあまりに自然で、そして大きな風の動きだからだ。
カズキが知る限りにおいて、この世界の一般的な魔術師にはこんな大きな動きを生み出すことは出来ないはずである。
ただし、大魔導師の教えを受けたカズキにとってはそれでも完全ではなかった。
「ユリアナ。同調が弱い!」
「そうは言ってもな」
「ええい!」
とカズキはユリアナの体を引き寄せて、抱きしめるように体全体で接する。
すると、強かった風が更に勢いを増した。
吹き荒れる風の強さに比例するように、ユリアナの顔がますます赤らむ。
男たちは突然の強風に、戸惑いながら声を上げて驚いている。
人が吹き飛ばされるまでには至らないが、台風のそれにも近い風速である。
さらに、その突風が容易に吹き止む感じはない。
通りの住民たちは、まともに立っていることもできず、地面に伏せたり建物の壁面に必死にへばり付いて、突然の暴風に耐えていた。
その通りに吹いている風は、更に全体としての勢いを失うことなく、一部が宿屋の窓から内部に侵入していった。
小さな竜巻が部屋の中に侵入したに等しい。
冷静にその状態を見ることができれば、魔法の存在を疑う者もいるだろうが、この一帯を取り巻く状況は冷静さを保たせるものではない。
土ぼこりを巻き上げた風の襲撃を受け、部屋の中では室内にいた男たちの怒号がひしめき合う。
もっとも強風で声が聞こえるわけでは無く、怒号を発しているのは風の流れから感じ取るカズキの想像であるが。
「さすがに、すごいわね。それだけくっつけば!」
耳元でサエコさんがふくれっ面で、厭味を込めて感嘆してくれた。
拗ねている様な、態度で言わんとしていることは理解できるが、その声は擦れて聞き取りづらい。
「さて、風の流れを操作して。一瞬飛ぶ」
カズキがこれから行おうとしている転移魔法には、実は一つ致命的な欠点がある。
それは、転移した先の空間に空気以外のモノがあると、肉体かもしくは触れたもののどちらかがはじけ飛んでしまうのだ。
まだ水中であれば、見鵜zがはじけ飛ぶだけでいいかもしれない。
それでも相当の痛みが体には生じる。
それが、樹木や石や、あるいは土になってしまえばどうなるか。
飛んでいる鳥と接触してしまえばどうなるか。
すなわち、転移先に何もないことをマジがいなく確認できなければ、大怪我や下手をすれば命を失う大きなリスクを伴う魔法なのである。
先ほども、屋根に接触することがないように転出空間をやや高めに設定するという一定のマージンを取っておいた。
それが屋根上にジャストの高さで転移できなかった理由である。
事前にその可能性を考えて屋根の形状等を調べておいたが、屋根の上に何も変なものがないという確認を十分行えなかっただけでも大きな賭けであった。
だから、転移魔法は通常見える範囲にしか転移できない。
安全を目視で確認する必要がある。
しかし、今回の転移先も室内で現状見ることは出来ない。
カズキは、それを抜群の位置感知能力と、転移座標の設定能力でカバーする。
ついでに言えば、今回は住民たちにこれ以上姿を見られることも避けたかったこともある。
そして今、通りの砂を巻きあげ砂埃で男たちの視界を奪った上で、少女がいた位置の近くに風を使って何もない空間を作り出したのだ。
住民たちには突然の砂塵暴風を嫌って、早々に部屋から退散してくれれば更に良い。
だが、仮に残っていても3人が転移できるスペースさえ作れれば何とかなる。
転移先の位置については風の流れから既にイメージができている。
今起きている強烈な風の渦が、転移する先にある物や人を間違いなく吹き飛ばしているはずだ。
結果的に言えば、ベッドの上約20cmのところに転移した。
イメージの精度はかなり良い。
ベッドにあった毛布や布団は見事なまでに吹き飛ばされ、板敷のベッド底面が露出している無残な状況。
屋根に転移した時と同様に、風の魔法を操作してベッドの上にそっと降りる。
直径が約1.5mほどの台風の目のような空間に3人は出現した。
ちなみに荷物は邪魔になるので、今回屋根の上に残している。
そして、ユリアナはカズキの腕の中でぼんやりしたまま。
2人ほどまだ部屋に残っていたが、強烈な風の渦のせいで壁に押し付けられてもがいている。
もっとも目視できないので、無様な姿を目視するには至らない。
あくまで雰囲気での判断だ。
砂粒の奔流を受けて、痛がっている様には感じられる。
さて、目的の少女の位置は、今回の混乱により動かされていなければベッドの横にいる筈。
と、魔法を操作して風のない空間をゆっくりと広げていく。
「いたわ!」
サエコさんが少女の足をすばやく見つけた。
この騒動の中でも眠ったままだ。
風の渦に触れないように引きずり込む。
それを確認して2人の女性陣に目で合図した。
その瞬間、3人と1人は誰に気づかれることもなく再び部屋の中から消失した。
荷物を背負ったあと、人目に付かない場所を選択して転移を繰り返す。
「結構きつい!!」
結局、更に四度の転移を繰り返し、今カズキ達は街外れに放置されているボロボロの小屋の中に辿り着いた。
朽ち方が激しく、隙間だらけで寒さを防げるものではないが、それでも風を直接受けるよりは随分マシだ。
いざとなれば魔法で暖を取ることも考えたい。
それにしても、最後の転移時には魔法の調整が利かなくなって、そっと着地することができなかった。
要するに、魔法が切れて地面に落下したのだ。
師匠のアレクサンダラスなら、この程度の転移回数を歯牙にもかけることはないだろう。
一方のひよっこ魔術師であるカズキにとっては、これだけの量と回数はかなりの労苦。
というか、ほぼ限界である。
その差はまだまだ大きい。
今のカズキでは、とてもではないがこれ以上の連続転移を続けることはできない。
魔法の潜在能力は、カズキの方が大きいと言われた。
だが、実際には師匠にはまだまだ追いつけていない。
それと、魔法は精神力に負担をかけるものだと考えていたのだが、それ以上に肉体にも大きな負担を与える。
と言うことで、今カズキは全身の筋肉痛と戦っている。
同じ症状は、この世界に来たときにもたっぷりと味わった。
経験済みだが、だからといって慣れるものではない。
一部が壊れた板張の床の上に座り込み、カズキは激しく呼吸を行っていた。
「じゃあ、ここからは私が見張りをするね」
さすがに疲労困憊のカズキを見かねてか、サエコさんがすぐに立ち上がり、少女をユリアナに預けると小屋の扉付近に移動した。
この小屋だが、元々は家畜でも買っていたのだろうか。
あまり良い匂いはしない。
「カズキ、大丈夫か?」
上気からようやく冷めたのか、ユリアナが気遣ってくる。
「ああ、少し休めば大丈夫だ」
「だが、凄い汗じゃ」
「練習と実践は違うってな。まだまだ師匠の足元にも及ばないな」
その言葉を聞いて、ユリアナの眉が少し動いた。
当然だろう。
最近では過敏に反応しなくなったものの、大魔導師アレクサンダラスはユリアナたち姉弟の両親を殺した憎き仇なのだから。
カズキもそれを慮って触れないようにしていたが、思わず口走ってしまった。
「すまん。あまり聞きたくない相手の話だったな。うかつだった」
「いや、構わん。妾はもう吹っ切っておる」
気丈に振る舞ってはいるが、さすがに亡国の王女と言うべきか。
ユリアナの両親である王と王妃は殺され、唯一の肉親である弟も半年前に生き別れ。
また、祖国が今どうなっているかの情報もつかめていない。
大陸の両端で距離もあるこの国では、ロクな情報は入ってこないだろう。
「じゃあ本題に入ろう。この子のことだが。連れて来たは良いが、これからどうするのがベストだろうか?」
「うむ。精神支配を取り除くことができればいいのじゃがな」
魔法行使を強めるために抱きしめた時には、まともな反応すら返せないユリアナではあったが、正気を取り戻せば理性的な話もできる。
「こんな子供でも支配されているのか」
「もちろん。それを解かなければ、どこに連れて行っても再びここに舞い戻ってしまうじゃろう」
「やっかいだな。それを解除する方法は?」
「一つは支配の呪縛を掛けたものが取り払うこと。そして、もう一つは支配を超えるようなショックを受けること」
「ショック?」
「追放者の多くは、偶然何らかの強いショックを受けて解き放たれると言われておる。あるいは、より強力な支配の力で上書きされることもあると聞くが、妾はそれを見たことはない」
「怖ろしいものだな。ショックを受けなければ、統治上問題となる行動が一切できないと言う訳か」
「妾もカズキたちの世界を知らなければ、それが国のためだとしか思わなかった」
「国のためね」
「この世界は、カズキらの世界と比べれば貧しい。数十年に一度は食糧不足に見舞われることもあると聞いている。それを乗り越えるには、国の統治を厳格に行うことが正しいと皆信じておった」
「統治と言うか、現実には支配だよな」
「もちろん、カズキがこの世界のやり方に理解できないのは妾にもわかる。じゃが、そう言われてもこの世界では必要なこともあるのじゃ」
「悪法も法か。まあ、異世界に俺たちの常識を押し付けるつもりはないさ。ただ、それでも無意識的な反応は如何ともしがたいところがあるな。俺も所詮は常識人だったってことだな」
「かずちゃんが常識人だったら、私はモブキャラかしら」
音も立てずに近寄り、サエコさんが会話に割り込んできた。
相変わらず、隠密能力が非常に高い。
できれば、女子力も高めた方がきっといいと思う。
「とんでもない。サエコさんはスーパーキャラだろう」
「いや、敵キャラじゃ」
「ちょっと、それって何よ!?」
「非常識人って意味で」
「面倒な奴と言う意味じゃ」
「酷い! 何よそれ」
「いや、ある面では尊敬している。本当にね」
「ある面って何?」
サエコさんは作ったような怒りの表情を見せながらも、その先に何かを期待している目を向けてくる。
いつもの掛け合い。
普段の会話。
今、カズキたちに必要なのは平常心なのである。
それをサエコさんは思い出させてくれる。
「いや、それは内緒にしておこう」
「もったいぶらずに言いなさい!」
サエコさんは、腰を下ろしているカズキの後ろ側に回った。
そして、疲れ切った表情のカズキの頬を両手で引っ張りながら、何やら頑張っている。
「痛い、痛い、痛い。サエコさん、そんなことより周囲の状況はどうだったの?」
「ああ、それなら今のところは大丈夫そう。嫌な気配はしなかったから」
「そこそこ、その野生の勘が凄い。尊敬できる」
「そうじゃな。野獣のような直感なら妾も認めよう」
「何かそんなの嫌!」
勢い余って、カズキの頬を強烈に引っ張ることとなった。
「痛-っ」
サエコさんには直接言えないが、彼女の握力もまた一流。
あまりの痛さに、カズキは床を転げるように動き回った。
「サエコ、さすがにやり過ぎじゃ」
「あんたに言われたくはないわ。二人して私を弄んで」
「サエコさん! そろそろ本題に入るよ、静かにして」
「はい」
頬をさすりながら放った強い言葉には素直に従った。
このあたりも、これまで築いてきたやり方なのだ。
「では、本題。この娘だが、おそらくもうすぐ目覚める。さて、これからどうすべきか」
「連れて行くしかないでしょ」
「どこへ? いや、どこまで?」
「私たちとずっと。でないと、ここで奴隷にされるのよね」
「奴隷に関しては、おそらくそうだろうな」
「妾もそうなると思う」
念を押すようにカズキが付け加える。
「だが、俺たちの旅もまたすごく危険だ」
「それはわかってるわよ」
「奴隷なら苦しいかもしれないが、生きていくことは出来るだろう。だが、俺たちと旅をすればいつ命を落とすかもしれない。さて、彼女にとってどちらが幸せか」
「じゃが、ここまで連れてきてしまった責任があろう」
「それもある。兎に角、俺は幼いものの彼女自身の意思を確かめるべきだと思う。ただ、本当の意思を確かめるためには、一旦領主から掛けられている精神支配を解くことが必要だ」
「うん」
「しかし、一方でもしそれができてしまえば、この娘は追放者にされるかもしれない。ユリアナ、この歳で追放者にされて生きていけると思うか?」
「それは難しいじゃろうな」
「そんなの可哀そうよ」
「最初に考えるべき選択肢は三つある。一つはここから連れ出す。俺たちが大きな荷物をしょい込むことになる。もう一つは、この娘をわからないように街に放つ。捕まれば奴隷にされるだろう」
「あとの一つは?」
「俺たちが奴隷として捕まること。彼女と家族のの自由は当面保障される」
「なんじゃと!」
「なるほどね」
20160102:体裁・文章見直し
20160521:文章修正