(3)奴隷狩り
「あれ、やっぱりかずちゃんの言うとおりかも」
サエコさんが何気ない感じで漏らした。
その言葉を聞いて、即座にカズキは窓際に走る。
どうやら、悪い予感は的中したようだ。
窓枠に傍に立ち、隠れながら外を伺うと街の人間だろうか、数十名が宿屋の前に集結している。
手には、全員ではないものの刀や武器のようなモノが散見される。
その様子を見る限り、ゆっくり落ち着いて話し合いという雰囲気ではなさそうだ。
むしろ、カズキたち3人が何らかの獲物とされていると言った方が良い。
この宿屋に誘導されたことをはじめ、何らかの罠にはめられたということではないだろうか。
どういう理屈でこのような状況になっているかは今のところ判らない。
だが、今後のことを考えるとできる限り騒ぎを大きくしない方がいいだろう。
「逃げるが勝ち」という言葉もあるではないか。
「どうやら、俺たちを捕まえに来たようだな。犯罪者リストにはまだ載ってないと思うのだが。よそ者は警戒されているということか」
「行商するものが少ない訳ではないが、この国ではあまり自由に旅をする者が多くはないのじゃろうな」
「おっかしいな。昨日はみんなとてもフレンドリーだったのに」
「そういうことだろうな」
「そういうことじゃな」
「どういうことよ!?」
サエコさんの質問に小さく咳払いをしながら答える。
「最初から、俺たちを捕まえるために準備していたのさ」
「でも、本当に捕まえる気なら、昨日でもできたよね」
「素性を調べようとしたんじゃないかな。俺たちはこの街の人間からすると怪しすぎる。そのせいで、戸惑ったと考えるべきかな。まあ、子どもが忍び込んできた理由まではわからないが。ってかサエコさん、大人しく捕まるつもりはないよな」
「当たり前でしょ! 私たちは何も悪いことしていないじゃないの」
「きっと、サエコさんのフレンドリーさが功を奏したんだろうな」
「それはどういう意味よ?」
「組みやすしと考えられた」
「舐められたってこと?」
「だから、兵士ではなく街の人間がこうやって集まっている。本来は魔獣とさえ戦えないはずの一般市民がね」
「だからこんな国には来たくなかったのじゃ。サエコさえ転移の邪魔をしなければ、こんな嫌な国に来ることもなかったのに」
「何よ、すべて私のせいって言いたいの?」
「そうは聞こえなかったか?」
「ユリアナ!」
カズキは強く諌める。
「転移場所を失敗したのは俺が未熟だったからだ。それはもう言うな」
「じゃが」
「それに今はそんなことでいがみ合っている場合ではない。それはユリアナにもわかるな」
「ああ、確かにカズキの言うとおりじゃった」
「本当は、街の人の狙いが何かを聞いてみたいところなんだが、騒ぎが大きくなるのは今後のことを考えると困る」
「うむ」
「だから、とりあえずここは一旦逃げる。ただ、地図も欲しいし情報も欲しい。と言うことで、この街の中でどこか潜める場所を探すぞ」
「ご一行様、蒸発事件って感じだね」
「世間では、どう評価されるかは知らないがな」
自分の言葉が気に入ったのか、カズキの答えに満足したのか、サエコさんが二コリを微笑みを返した。
「じゃあ、外の様子を探るぞ。ユリアナ、手を貸して」
そう伝えると、片づけを終えたユリアナがカズキの傍らに近づき、手をつないだ。
指と指を絡めて強く握り合う。
その状態のまま、カズキは通りから見つからないように、そっと窓を小さく開いた。
「師匠のように、自由自在にとはいかないのが癪だな」
「寒いから早くしてよ」
サエコさんが、先ほどとは打って変わって不満げに言う。
全く表情の変化が目まぐるしい。
秋の天気ですら、それほど目まぐるしくは変わらないだろうに。
カズキはサエコさんの言葉に答えることなく、口の中で籠るように呪文を唱えながらそっと目を閉じた。
警戒魔法という師匠が得意としていた魔法のアレンジで、意図的に建物の状況や人の配置を知る魔法である。
カズキは探索魔法と呼んでいる。
風の魔法を利用したものだが、感覚的なところが多く実戦経験の少ないカズキには、現状では大雑把な感じしかつかめない。
何にしろ、カズキはアレクの下で修業したのはわずか短い期間だったのだから。
「もう少し待って、くれ」
ユリアナとカズキの声が重なる。
手の握り方が強かったためか、ユリアナの頬が若干上気しているようだ。
師匠のアレクサンダラスなら、20m四方程度であれば数秒で詳細に探ることができる。
しかし、カズキにはそれほどの精度とスピードがない。
たった一つの風の流れを利用して、しらみつぶしに少しずつ調べていくしかないのだ。
もっとも、探索範囲は師匠を大きく上回る50mもの範囲に及ぶ。
今は、近隣の建物に潜めるような場所があるかどうかを探っていた。
「ユリアナ、残念でした。そろそろ2階に上がってきそうよ」
何となく嬉しそうにサエコさんが呟く。
サエコさんの勘は鋭く、おそらく間違えることがない。
どうやら探索のタイムリミットが来たようだ。
「仕方がない。みんな荷物を背負って」
そう言うと、カズキは握っていたユリアナの手を放し、自らも自分専用の大きめのリュックを背負った。
ユリアナは一瞬名残惜しそうな顔を見せたが、すぐに思い直したように向こうの世界で選んだお気に入りの鮮やかな黄色のリュックを背負う。
向こうの世界では華奢なイメージが強かったが、こちらの世界に戻ってからは、どんどんと元気さを取り戻している感じだ。
「忘れ物はないか。それと転移後は静かにすること。それも忘れるな。じゃあ、いくぞ」
カズキがそう言うと、3人はリング形に手をつなぎ合う。
ユリアナに対しては強く、そしてサエコさんとは軽く。
「小転移」
明らかに大勢の階段を上がる足音が部屋に響いたとき、3人の姿は忽然と部屋から消え去った。
あたかもそこには最初からなにも存在していなかったように。
いや、消失の気配を感じさせる小さな風の動きを残して。
それは、この世界の魔術師でもごく一部しか使える者のいない転移魔法。
伝説と恐れられた大魔導師アレクサンダラスが最も得意としていた魔法でもある。
ただ、今では大陸に名を轟かせていた大魔導師アレクサンダラスは、謀反を企てて死んだと噂されているらしい。
それが真実かどうかを、この世界の一般的な国民たちが知る術もない。
「ぐっ」
転移するや否や、離した手でサエコさんの口をカズキは押える。
抵抗しようとするサエコさんを目で制し、人差し指を立てた手を口の前に持ってきて示す。
転移したのは、この宿屋の屋根の上。
カズキの横でユリアナが寒そうに震えた。
早朝のこの時間、外は十分に寒い。
屋根の上約50cmの高さに転移した。
本来、見えない場所に転移をするのは非常に危険である。
それ故の余裕を持った転移。
余分な位置エネルギーを与えたことから、出現直後からかかる重力による加速度で、屋根の上に落ちそうになる。
しかし、そこは精緻な風魔法を用いることで衝撃を最小限に抑えることができた。
まだ練習回数の少ない魔法ではあるが、出たとこ勝負の割にはかなり上手く行ったと言えるだろう。
二人に腰をかがめる様に制した時点で、どうやら部屋の扉がマスターキーを使って開かれたらしい。
複数人の足音が、先ほど開いておいた窓から音が漏れてくる。
かなり荒っぽい感じである。
昨日の街中での住民たちの雰囲気とは明らかに違う。
「おい! どこにもいないぞ!」
「なんだ。ここの娘が寝ているじゃないか!」
「クラウス。これはどういうことだ!」
何人かの怒号が足元の部屋から響く。
男性の声が多い。
「窓から逃げたのか?」
その声が響くとすぐに、部屋の窓が荒々しく開かれる。
「お前ら!奴らが外に逃げたのを見なかったか?」
太い男の声が下の通りにいる街の人間いに問いかけるが、返ってきた答えは何も見ていないという生返事。
「クラウス。逃がしやがったな!」
「タ、タレルさん。ご、誤解です。確かに昨晩と言うか今朝までこの部屋にいたはずなのです」
縋るような細い宿屋の主人の声が聞こえてくる。
その声にはかなりの怯えが含まれている。
「じゃあ、ここで眠っている娘は何だ」
「そ、それは。。」
「おおかた欲をかいて、3人組の持ち物をこっそりと奪おうとしていたのだろうが!」
「い、いえ、滅相もない」
「ほう。じゃあ、娘が勝手に部屋に忍び込んだということか?」
「い、いえ、そんなことをする娘ではありません」
「俺としては正直どちらでもいいんだぜ。だが、久々に来た獲物を逃がしたのは事実だ。それだけでも十分罪に値するよな、クラウス」
「そ、そんな」
「奴隷狩りは、この街の貴重な収入源だってことは良く知っている筈だよな」
「は、はい。もちろんです」
クラウスと呼ばれる宿屋の店主の声は、もはや消え入りそうなくらい小さくなっていた。
「じゃあ、今回は下手を打った娘が替わりに奴隷に落ちてもらうことになるが」
「ど、どうかそれだけはご勘弁を」
「お前ら夫婦では、大した金にもならん。それとも3人とも奴隷落ちでも儂は一向に構わんが」
「き、きっとすぐに逃げた奴らを探し出します。で、ですから、もう少しお時間をください」
ユリアナの手を握ったまま、探索魔法を通じて窺い知る部屋の切迫感は、単に声を聞くだけよりもリアルに情景を感じ取れる。
確かにこの世界では、あちらよりもエーテルの濃度が高い。
気が練りやすいというか、魔法発動に掛ける労力が小さくて済むし、魔法に限らず精神的な負担が少ない様に感じられた。
逆に言えば、この世界で魔法が使える者がそれに頼りがちになるのもわからなくはない。
魔法行使にも余裕が出るし、おそらく魔法を使える者は優遇されるだろう。
これだけのアドバンテージがあるのだから。
しかし、左手は再びサエコさんに強く握られた。
右手は魔法発動のためにユリアナの手を取っているので、両方を塞がれたまま。
いざと言うときのことを考えると、少々心もとない。
早急に何とかしたいところ。
そんなことを考えていると、サエコさんが顔を近づけてきてカズキの耳元で小さな声で囁いた。
「あの子供、奴隷に落とされてしまうの? 可哀そう過ぎない」
「だが、助けるという選択肢は今の俺たちにはないぞ」
「でも」
「できれば、騒ぎを大きくしたくないということはわかっているよな」
「うん。それはわかってる」
「今、助けに行けば間違いなく大騒ぎになって、おそらくこの国の兵士たちに追われることになる。それに、娘を助けられたとしても両親まで助けることはできない」
そう言うと、念話でユリアナに話しかけた。
『奴隷狩りって聞いたことはあるか?』
『うむ。噂を聞いたことはある。遠い昔にあったという話じゃが。基本的には国民を大切にするこの大陸では、今の時代奴隷はないはずじゃ』
『仮に奴隷があるとして、どんな扱いがされるのだろうか』
『良くわからぬ。強制的な労働や、その他非人間的な扱いと言うことになるのじゃろうが、この国の王が暴君と呼ばれている原因の一つがそこにあるのかもしれんな』
カズキが知る奴隷のイメージとさほどは離れていないようだ。
ギリシャ時代やローマ時代の奴隷にはもっと自由があったという話も聞くが、念話を通じて感じ取ったユリアナが抱いたイメージは、それより悲惨なものだった。
手をつなぎ合っていたこともあって、そのイメージはサエコさんにも届いていたようだ。
カズキの手を握る力がさらにギュッと強くなった。
そしてカズキに投げかけてくる目は、『本当に助けなくてもいいの?』という問いかけの意味が強く込められている。
ここで騒ぎを起こすことのデメリットは十分に承知している。
さらに言えば、両親まで含めて救うだけの力はおそらくない。
逃げるのは転移魔法を使わなければならないが、自信はあるものの4人と荷物を同時に可能か試したこともないのだ。
カズキは意を決したようにユリアナの目を見据えた。
カズキの意図を理解して、一瞬体をこわばらせたユリアナではあったが、やがてゆっくりと頷きながら念話を返してきた。
『他国のこととはいえ、国民が謂れのない罪で悲惨な状況に追いやられるのを見過ごすつもりはない。ましてや、あの子どもに罪は無かろう』
反対側では、サエコさんが大きく頷いていた。
できれば密やかに行動したかったところではあるが、二対一では仕方がない。
そう決断すると、カズキは即座に目を閉じ策を頭の中で練り始めた。
20160102:体裁・文章見直し
20160519:文章修正