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魔道の果て  作者: 桂慈朗
第2章 美しき復讐者
34/71

(2)出会い

 少年の名前は北條一紀という。

 歳は17。

 身長はそれほど高くないというか、むしろ標準よりやや低い163cm。

 高校生としては不満の残る身長ではあるが、体格は特段太っているわけでは無い。

 むしろスリムと言った方が良いが、服装の内側にはしっかりとした筋肉が宿り始めている状態。

 すなわち、声変わりのように少年から青年に体が形成されている途中。


 容姿端麗ならば低い身長をさほど気に留めることもなかったかだろう。

 しかし、残念ながらこちらの方も至って平凡だ。

 さらに目を引くのは、本人が最も気にしているというかなり強烈なカールを描いたくせ毛。

 ヘヤアイロンですら矯正しきれないというくせ毛は彼の外見上の個性を強く主張している。

 こちらは身長以上に気に入らないようである。

 今もそのくせ毛を鬱陶しそうにいじっている。

 指で弄ったからと言ってそれが真っ直ぐになる訳ではないのだが、身にしみついた癖と言うか意地の様なものかもしれない。


 ここは4階建ての3階、2年5組の教室。

 その窓際の机に座り、たった一人で弁当を食べながら、曇った空を見上げる。

 右手は箸、左手は目の前に跳ねているくせ毛を弄る。

 確かに高校生としては平凡な顔立ちではあるが、見る人が見れば強烈な意志を感じさせる太い眉は、決して軟弱であることを許容しない。

 もっとも、それは見る人が見ればであり、素性を隠すように温和しい学生生活を送っている彼の事をそのように見なす者はここにはいない。


 一方で、ラフに着こなしているブレザーは学校指定の制服と同じデザインであるが、じっくり見れば用いられている生地がまるで異なっていることがわかるだろう。

 明らかに特注でしつらえた制服。

 その品質と内側に隠れているタグに示されているブランド名が、制服だけではなくその持ち主の立場を雄弁に語っている。

 要するに北條一紀の家は金持ちである。

 その上で言えば彼の性格も少し変わっている。

 どちらかと言えば人の気持ちに極めて無頓着。

 こうした条件を並べていけば、それだけで一般の人が思い描く学生生活を満喫できる状況にないことは容易に想像できよう。


 開いた窓から見える秋の空は青く澄み渡っているように見えて、実のところ大変空虚に感じられていた。

 この世界がどこまで続いているかを知識の上では知っているものの、実感を伴わないそれは地を這いながら生活している人間の矮小さを表しているように思うのだ。

 別に物思いにふけっているわけでは無い。

 ただ、まだ少し生暖かい昼間の風を肌に感じながら、自分自身も同じ矮小な存在ではないということを如何に自分自身に認めさせるかで悩んでいるのである。

 同級生とは比べものにならないほどの価値があることは既に承知しているにも関わらず、未だ自分自身の存在を矮小と見てしまうのは望みが高すぎるが所以であろうか。


 彼には学校に親友と呼べるような存在はいない。

 その責のほとんどは彼の性格に由来するものではあるが、根本理由を認識できない彼にはそれが社会の不合理の象徴と感じられている。

 なぜなら、彼の本来の居場所はここにはないからだ。

 彼がいるべき場所はこんなところではない。

 その思いは非常に強い。

 本来であれば今すぐにでも、下らない学校などは辞めてしまいたい。

 ただ、それは今は亡き祖父の遺言により決してできないこととなっている。

 いや、一紀自身が祖父の思い出を大切にしているからこそ、下らない学校生活にも時間を割いているのだ。


 同級生たちは、一紀のことを何も知らない。

 もちろんそれを言うつもりもないし、こんな場所で下らないまま事に興じる趣味も持ってはいない。

 元々同級生たちとは生きていく場所が違うのだ。

 ただ、なぜか祖父の気まぐれで一紀はここにいる。

 であれば、無理に関わる必要もない。

 一紀の仕事が漏れる心配はしていないが、卒業後に同級生たちと関わることなどおそらくないはずである。


 それに、人は総じて矮小であるからこそ、自分の様な存在に近寄ることができないのだと一紀は考えていた。

 自分では運動は得意ではないと考えているが、学業成績は常にトップを独走しており、社会における種々のマナーも祖父があてがった家庭教師により叩き込まれている。

 いや、彼は家庭教師ではない。

 だが、少なくとも既に社会と相対している一紀にとっては、今さら学校で学ぶことなどありやしない。

 悔しいのは、十分な体格を持っていないこと。

 それさえあれば、もっとできることが増えるのにと。

 理想とする完璧な存在でないことがまだまだ癪ではあるが、体の大きさまでは如何ともし難いのだから仕方があるまい。


 昼休みの教室では今も不毛な議論が続いていた。

 ひと月前から文化祭の出し物に関する話し合いを行っているが、それが一向に決まらない。

 元々文化祭などには全く興味はないが、それでもこなさなければならないタスクなのだから、来月という期限があるのであれば早々に決定すればよい。

 くだらない議論ごっこには辟易しているのだ。

 ただ、クラスの有象無象どもはそんな当然ことすら理解できない状態だ。

 だからこそ、状況を正しく理解できる一紀のような存在が皆をリードするべきだと考え、最良と考えられる案を出したのが半月前。

 しかし、一紀の案はクラスメイト達には一顧だにされていない。

 何度かクラスメイトに意見したが、返ってくるのは隠れた嘲笑と無視。

 一部には「考えておくよ。」という生返事もあった。

 もちろん、最初から一紀の案を真剣に検討しているようには見えない。

 実際に第三者から見れば、根本的な原因は一紀側にあると指摘する人も多いだろう。

 義務で提案したり指摘はしたが、本当のところ一紀にとってはどうでも良いことではあった。


(下らない。俺はあいつらとは違う。)


 自らを信じる気持ちに揺るぎはない。

 しかし、一方で学校程度でも物事を動かせずに本当に戦いに勝てるのだろうかという疑念は心の中に少しはある。

 少なくとも今後も継続し続ける戦いは、常に進化し、狡猾になり、予想もしない動きを見せる。

 それを考える時、ひょっとすれば自分自身も有象無象の一部ではないかという疑念が小さく湧き上がる。

 同級生たちと同じとは思わない。

 そもそも立場と責任が違う。

 置かれた境遇に甘んじているつもりもない。

 失敗すれば生き残ることができない世界。

 幼いころから、様々な家庭教師から繰り返し強く生きる心得を言い聞かされてきた一紀にとっては、自らの価値を世に示すことは当然のことなのである。

 そして、そのための努力は惜しんではいない。

 その自負があるからこそ、自分もまた矮小な存在であるという認識は絶対に認める訳にはいかなかった。


(なぜこの程度のことで俺は心を乱されなければならないのだ。)


 窓際の席で、教室の喧噪を横目に贅を凝らした弁当を一人でつつく。しかし、無意識のうちにぶつぶつと小声で不平を唱えているのであった。

 その姿を遠巻きに眺めているクラスメートが三人。

 どうやらこちらの昼食は購買で菓子パンとジュースを買ってきた上で、かぶり付きながらの雑談のようである。

「あいつの態度、本当にイラつかせやがる。」

「放っておきなさいよ。面倒事は厭よ。」

「だけどよ、自分だけが偉いんですなんて雰囲気プンプンと、見ているだけで腹が立ってこないか?」

「確かに俺だって近くにいるのも嫌だけどさ、あいつの家ってこの都市(まち)の大地主だろ。目を付けられると何されるかわからないぞ。」

「だから気に食わないんだ。親の威光を背負って偉そうにしやがって。」

「無視しておけばいいのよ。目に入れるから気になる。いないものと考えれば気にもならないわ。」

「梨々子は割り切りが上手くていいよな。俺はそんな風に上手く考えられない。気にすんなっていっても無理だ。俺たち健全な青少年だ。」

「浩司、あんたこそそんなんじゃ社会に出てからもきっと苦労するわよ。」

「俺だって他の相手ならもっと上手くやれるさ。」

「本当かしら。」

いつの間にか、苛立ちは笑いに昇華されたようだ。


 ぼんやりと外を眺めているが、一紀の耳には彼らの声は間違いなく届いている。

 もちろん最初から聞こえるように言っていたであろうことも承知している。

 ただ、この程度のやっかみを気にする気にもなれない。

 それは自らの価値を下げるだけのこと。

 最初から相手にするつもりもない。


 ただ、無視を決め込んでも笑い声すら癇に障るのも事実。

 あいつらと同じ息を吸っていることですら腹が立つが、それを腹に収めるのも能力のあるものの務めと考え、今日もきちんと堪えている。

 このあと2時間も過ごせば今日の授業が終わる。

 家に帰ればと今日は合気道の練習が控えているのだ。

 一紀の周りと比べると体力・技能に自信がない一紀ではあるが、それを補うべく努力は続けているのだ。

 学校の往復も片道10kmの道のりを自転車を使い体力作りに勤しんでいるのだから。


  ◆


 北條一紀の自宅までの必要時間は、直輸入のBMWマウンテンバイクを用いて行きは約20分だが、帰りは15分。

 以前、サドルがおそらくは嫌がらせで盗まれたことがある。

 そのため、今は毎回取り外してロッカーに入れている。

 盗難防止用の警報も付けているが、何度も鳴らされて「音がうるさい!」と逆に一紀が教師から叱られた。

 理不尽な話だが、あとから校長を通じてクレームはいれているので問題はない。

 そもそも盗もうとする奴が悪いに決まっている。

 学校も全くおかしなところで、物事の原因を正しく認識できない輩は教師にも大勢いるようだ。

 今は、教師用の自動車置き場に一紀の自転車を止めることを許可されている。

 守衛室から一望できるその場所では、さすがに極端な行為はされないようだ。

 ここ二月ほど、いたずらは行われていない。


 部活動に興味も何もない一紀は、授業が終わればよほどのことが無い限り直帰をしていた。

 現在も様々な習い事が待ち構えていることもあるが、学校に居場所が無いというのも一面の真理だろう。

 ただ、そのことを一紀が認めることは決してない。

 守衛に軽く手をかざし、勢いをつけて裏門から帰途に就く。

 坂を下りれば川沿いの土手を走る。土手の道から繁華街のある町の中心街までは自転車で10分弱だが、自宅は正反対の方向にある。

 寄り道をするつもりもないし、いつものようにオフロード仕様のマウンテンバイクで通学路を駆け抜けていた。


 3時過ぎの土手の道は歩行者専用だが、下校中の学生だけでなく部活動のランニングなどもあって、それなりに人通りも多い。

 ただ、すれ違う誰とも挨拶を交わすことなく一紀は一心不乱に最短距離を駆け抜ける。

 間近を猛スピードで駆け抜けられてことに驚きと怒りを表している人が何人もいるのだが、自分が他人に迷惑をかけているという認識が一紀にはない。

 後ろの方で誰かの叫ぶ声が聞こえても、他人事のようにその場所から離れていく。


 土手の道を左に折れて橋を渡ればビジネス街に至るが、そこで右に曲がり今度は坂道を再び登る。小高い丘の上に立つ大きな屋敷が一紀の自宅であった。

 自転車通学を許されている理由には、電車やバスの路線が無く学校までの距離が遠いということがある。

 ただ、一紀からすればそれは些細な事で、体力づくりに必要ならどのような場所にあっても選択しただろう。



 上り坂をあまりシフトチェンジせずに力を籠めて登る。

 周囲はいずれも豪邸が立ち並ぶ地域。

 人通りがほとんどないというか、そもそもこの坂道を自転車や徒歩で移動しようと考える人が住まない住宅街である。

 一紀にとっては近所づきあいもほとんど必要が無い。

 相手に価値があれば多少の付き合いがあっても良いと考えてはいるが、下らぬ挨拶だけをするのであれば意味はないのだ。


 トレーニングとしての上り坂うに集中し過ぎたのか、あるいは迂闊にも余所見をしていたのであろうか。

 目の前に倒れている人をギリギリで発見し、直前で急ブレーキをかけて停止した。

 間に合ったのは、上り坂だったというのが良かったかもしれない。

 自転車から素早く飛び降りた。


「危ないだろ!」

 とりあえず、言うべきことは言う。

 が、倒れている人間は反応しない。

 何やら怪しげな宗教関係者のようにも見える。

 仕方がない。

 さすがに倒れている人を自宅近くで見逃したとあっては、北條家の名折れ。

 スタンドを立て、自転車を止めるとリュックを背負ったままで倒れている人の様子を見た。

 大きな白い布を被っているが、近づくとそこに倒れているのは二人の子供だった。

 いや、子供というには大きい。

 二人とも一紀より少しばかり年下のようだ。


「大丈夫か?」

 声を掛けるが反応が無い。

 ただし呼吸はあるようなので、生きているのは間違いない。

 気を失っているだけだろうか。

 一人は女性でもう一人は男性のようだ。

 単なる白い布と思った衣装も、良く見ること細かな刺繍が全体に施されたかなり立派なものだ。

 横顔しか見えないが、女性が男性を抱きかかえている形で二人とも意識が無い。

 状況をじっくり調べると、女性の方は足に怪我を負っているようである。

 しかしこの若い女性も、そして抱えられた腕の隙間から見える男性の顔もとても日本人とは思えない。

 彫の深い顔立ちであり、有体に言えば非常に整っていると言ってよい。

 そして彼女の左手には、美しい顔とは正反対の凶悪さを誇る血の付いた短剣がしっかりと握りしめられていた。


 二人に対して幾度か体を揺すって声をかけてみたが、容易に意識が戻る気配がなかった。

 そこで二人を抱えて坂を上げることは不可能だと判断し、携帯で家の使用人を呼び出した。

 現在の場所を伝えてすぐに車で迎えに来るように告げた。


 それにしても黄色と緑色の髪とは、こいつらはコスプレでもやっているのだろうか。

 怪しげなスタイルではあるが、気付いてしまった以上は仕方あるまい。

 ただ、血に濡れた短剣が単なるコスプレではないということを唯一強く主張している。

 迎えが車でのしばらくの時間、一紀の横顔にはなにやら満足げな笑みが浮かび上がっていた。

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