(17)魔獣戦
カズキは黒い虎の突進を小さなジャンプで躱した。
しかし、人間とは明らかに異なる身のこなしでカズキを壁側に追いつめようとする。
向こうの世界の動物園で見る虎の1.5~2倍の大きさ。
向こうでも探せば大きな個体はいるかもしれないが、動物園に飼われているモノとは迫力が全く異なる。
正直、素手では勝負にならない。
空手家のように求道しているわけでは無いのだ。
もちろん手にある武器を使う。
ただ、一方でカズキが追い求めるモノからすれば先はまだまだ長い。
できれば全てを見せることなく処理したいという思いもあった。
横に目をやれば、サエコさんがいつの間にか鞭を手にしている。
大男を縛り上げたのかと思っていたが、容易に解けるようにしていたようだ。
サーカスの猛獣使いにでもなったつもりであろうか。
いつも楽しそうである。
もっとも、サエコさんもまだまだ道具を懐に隠している。
楽しくはなってきたが今はまだ序の口。
それでも、単純に戦いを楽しんでばかりはいられない。
精神支配を受けたユリアナを助けなければならないのだ。
丁度、大司教が嫌がるユリアナに小声で何かを話している。
おそらく、カズキらには聞こえないように命令しているのだろう。
と、ユリアナが別の男に引き連れられて部屋を出て行こうとする。
正確に言えば命じられて向かわされているとも言える。
「カズキ!! 王城よ!」
ユリアナの叫びに重なるように、カールスレイと言う名の少女が命じる。
「ビーズ、サファイ、行きなさい!」
叫びが耳に届き、カズキは一気にユリアナのところに向かおうとしたが、次の猪の親玉の様な魔獣がその行く手を遮った。
サエコさんの方にも最後の一匹が向かっている。
魔法無しの二対一では、即座に掻い潜っていくのは難しい。
カズキは、羽織っているローブの中から金色のブレスレットを取り出す。
そう、最初の魔法戦で兵士から奪ったそれだ。
「あまり使いたくはなかったんだが。」
そう言いながら、ブレスレットを右腕にはめた。
「やはり防御か。ただ、これなら風魔法は使える。」
「その腕輪は!」
大司教が思わず叫ぶ。
しかし、その言葉に反応することなくカズキは風を鎌鼬状にして魔獣に放った。
猪のような魔獣は大きな悲鳴にも似た唸り声をあげた。
致命傷ではない。が、血しぶきが魔獣から飛び散る。
「ビーズ!」
少女が叫ぶと、傷ついた魔獣は後ろに下がる。
しかし、それと入り替わり黒い虎の魔獣がカズキに襲い掛かる。
再び風の魔法を放ったが、こちらはそれを野生の勘で躱したようだ。
「エイブ! 行きなさい!」
しかし、予想以上のカズキの力を察知したのか、魔獣は唸り声を上げながらも飛び掛かることができない。
膠着状態の中、カウミゲル大司教が口惜しそうに言い放つ。
「悪魔め! やはりお前は生かしてはおけない。シュラウスは失敗したのですね。」
「ああ、あのおっさんか。まあ、面白い奴だった。」
その情報は、まだ首都にまでは届いていなかったようだ。
「今、この目で見るまでは信じられなかった。そもそも魔法は使えぬはずと聞いていましたし、ユリアナ王女の力を奪い使うばかりか、魔石までも使いこなせるとは。」
「さてな。俺は悪魔だと教えられていたんだろ? 教皇さんの話を信じないとは、あんた信心が足りないんじゃないか?」
「ぐぬぬぬ。こやつ! こやつこそはこの世界に仇なす悪魔です。皆のもの、必ずここで討ち果たしなさい!」
「かずちゃん、自分で問題大きくしてない?」
やや離れた位置から、楽しそうに二匹の魔獣と戯れている(ように見える)サエコさんが声をかけてきた。
別にそういうつもりではなく、相手を感情的にさせて情報を引き出す戦術である。
少しだけ、ほんの少しだけ趣味も混ざっているが。
とは言え、この魔石に込められているエーテルはそれほど大きくはない。
この強さの魔法では、あと数回使えば終わりになる。
それまでに一気に決着を付けたいところだ。
黒い虎の魔獣を牽制しながら、一気に大司教の方に走り始める。
当然ながら、剣を持った男たちがその行く手を阻もうとでてくるが、魔獣を容易にあしらうカズキを目の前で見たせいか、明らかに腰が引けている。
この様子だと、この男たちは兵士と言うわけでは無いのかもしれない。
「さあ、次に首を飛ばされたい奴は誰だ?」
カズキからすれば軽い恫喝だが、向こう側からすると恐ろしい悪魔にでも見えたのだろう。
大司教の命令でも、本能までは縛れないのかも知れない。
逃げたいのに逃げられない。
その葛藤に、その場に座り込んでしまう者が続出する。
カズキが一度足を止めるのを待っていたように、後ろから虎風の魔獣が襲いかかってきた。
背後からならと見たのであろうが、それ程気を抜いている訳では無い。
振り返りざまに、今度は風を剣に見立てて振りぬく。
やはり、魔獣の前足を飛ばすほどの威力はないが、それでも一定の深手を負わせたようだ。
この魔獣も悲鳴に似た鳴き声を上げた。
「エイブ!」
魔獣使いの少女も同時に悲鳴を上げる。
目の前で自分の大切にしている魔獣が二匹も傷つけられたのだ。
どちらも致命傷ではないだろうが、浅い傷ではない。
間をおかず、カズキは大司教を見る。
その周囲には、3人の男が剣を構えてはいるが、それすらも震えているのがはっきりと判った。
ただ、大司教はふてぶてしい態度のまま。
同然だろう。
大司教は随分強い魔石を体内に持っている。
飲み込んだのか、手術で入れたのかはわからないが、十分な自信を持っていると見てよい。
そして、それだけの力を持っているから、兵士たちの護衛を準備していないのだ。
「さて、悪魔とご対面した気分はどうだ?」
「最悪ですね。感じたくもないどす黒い気持ちが込み上げてきます。あなたと顔を合わせるだけで苦痛です。」
「一体、俺はどう見られているんだ?」
自嘲気味に吐き出した言葉に、サエコさんが口を挟んだ。
「悪魔のように怖れられる。昔と同じじゃない。」
「あの時とは全く違う!」
どうやら、サエコさんも魔獣を制し終わったようだ。
鞭で痛めつけられた二匹の魔獣は、唸り声こそ挙げているが襲いかかってこようとはいない。
畏れているのである。
そして、魔獣使いの少女は泣きながら、傷ついた魔獣の許に座り込んでいた。
可哀そうではあるが、仕方がない。
大司教とカズキとの距離は約5m。
何らかの魔法を放たれても、避けることのできる距離。
魔法のレベルは師匠であるアレクサンダラスを基準に想定する。
(師匠だったら、転移魔法を使われると厳しいんだが。)
「さて、エロじじいをやっつけて、さっさとユリアナちゃんを助けに行きましょう。」
サエコさんの楽しそうな声に被せてカズキが大司教に問いかけた。
「その前に少し聞いておきたいことがある。」
「私にですか?」
「ああ、そうだ。」
「レオパルドは傀儡か?」
「ああ、それが気になっているのですか? いいでしょう。しかし、レオパルド陛下はあなたを憎んでいる筈でしたが。そんなに気になるのですか?」
「あの国はユリアナの故郷だからな。」
「おお、なるほど。なら、せっかくですから教えてさしあげましょう。私は寛大ですからね。レオパルド陛下は既にこの世にはおりません。今いるのは影武者です。」
カズキは一瞬声が出なかった。
幼いレオパルドが傀儡に使われている可能性は十分理解したが、まさか殺されているとは想像もしていなかったのだ。
確かに向こうの世界で対立はした。
恨まれてもいるとも思う。
しかし、それでも一緒に過ごした時間は思い出の一つになっている。
思わず、声に力が入る。
「お前がやったのか?」
「まさか? 私もそれほど暇ではありませんよ。」
「では、一体誰が!?」
「そこまで教える必要性は感じません。」
そう答えるや否や、サエコさんが無言で大司教に襲い掛かった。
手にはいつの間にか男たちから奪い取った剣。
カズキすらもぞっとするほどの殺気である。
しかし、瞬時に立ち上がった障壁魔法がその剣筋を遮る。
金属音がして、サエコさんの打ち込みは跳ね返された。
元々サエコさんは剣の達人と言う訳ではない。
だが、その足さばきと体のこなしから、下手な兵士を軽く超えるスピードの攻撃となっていた。
しかし、弾き返されてもサエコさんは攻撃の手を緩めない。
正面からだけではなく、様々な角度からの攻撃を加える。
感情的になっているときのサエコさんは、こう見えて怖い。
闇雲に打込んでいるのではなく、魔法障壁の強度・形・強さを図りながら、詰将棋のように最適な攻撃を探しているのである。
「ほう、下手な剣士では敵いませんな。」
大司教の魔法には相当の余裕がある。
魔石の効果なのだろうが、通常の魔法発動ではこのような常時発動はしない。
魔法を練りきれなくなるからだ。
カズキが行う一発一発の攻撃に対するように魔法を展開するのではなく、バリアのように覆っている。
それはシュラウスの時にカズキは既に見知っている。
しかし、サエコさんは今回見るのが初めてのはず。
まだ魔法を使い始めたばかり。
しかも、防御障壁を張っている範囲はシュラウスよりも随分小さい。
すなわち、まだまだ余裕があるということ。
しかも、カズキは今ユリアナと接触していない。
曖昧な魔石の残量すら読み取ることはできない。
ただ、サエコさんの気持ちを考えると、無駄とはわかっていても今止めることはできなかった。
レオパルド王子はサエコさんのお気に入りだったのだから。
大司教が攻撃に出るまでは、サエコさんの好きにさせておけばいい。
しかし、間違いなく攻撃系の魔法も持っているはず。カズキはそう確信していた。
だとすれば、それにどのように対抗するかが全てだ。
ブレスレットは今着けているものを含めて3個ある。
ただ、これを使っても大きな魔法は放てない。
ユリアナを触媒としてカズキは魔法を使う時とは異なり、これを用いる時には魔法がその容量や性質に左右されてしまうのだ。
「さて、そろそろ本気を出しましょう。恐ろしい悪魔とはいえ、その程度では神の力には遠く及びません。」
カウミゲル大司教は笑顔を見せながら、左手を前にかざした。
嫌な感覚がカズキの脊髄を突き抜ける。
瞬時にその場所から飛びのいた。
耳をつんざく光と轟音が放たれ、天井から稲妻がカズキの立っていた床に落ちる。
雷魔法だがちゃちなレベルではない。
受ければ、ショックどころか一発で死に至る。
同時にサエコさんも動物的な直感で避けていたようだが、それは2つの雷魔法が同時に発動しているということ。
原理から言えば、魔法は必ず術者から放たれる。
離れた天井から来るということはありえない。
しかも、雷のような強力なものを2つ同時とはカズキにもできないことだ。
「ほう、これを避けますか。やはり生かしてはおけませんな。」
20160102:体裁見直し