エピソード9『垣間見える、幼馴染みの日常』
その日は厚い雲が空を覆い、太陽も見えないような天気だった。かと言って、雨が降るわけでもない。
この季節にしては、肌寒く、一花はタンスの中から、カーディガンを引っ張り出した。
そして、家を出て学校へ向かう。学校へ行く道を1人歩いていると、目の前にクリーム色の壁にオレンジの屋根が乗った一軒家が見えてきた。星崎家だ。
その家の前には、車1台分のガレージがあり、以前はその周囲に手入れの行き届いた綺麗な花々がプランターに並んでいたのに、今では花は全て枯れてしまって、中にはプランターが横倒しになったり、割れているものもある。
それが、今のここの住人達を表しているようで、一花はきゅっと胸を締め付けられる。
その時、ドアが開いて、ジャージ姿の冬斗が現れた。片手にごみ袋を2つ持ち、一花を目に止めると、目を見開いた後、気まずそうに目を伏せた。
「、、、おはよう、ふゆ君。」
「、、、おはよう、早いな。」
短い会話の後に流れる短い沈黙。一花が何か言おうと口を開きかけたその時、家の中から、何かが割れる音と、女性のヒステリックな叫び声が聞こえた。
「!ごめん、一花。俺ちょっと行かなくちゃ。」
急いで家の中へ入っていく背中に、一瞬戸惑うが、冬斗1人では心配で、一花も続いて家へ入ることにした。
中の状態は悲惨な状態で、一花は唖然としてしまう。カーテンは破れ、壁紙は剥がされ、家具の殆どが傷、破損があり、テレビなんかは画面にヒビが入っていて、辺りには食器やガラスの破片が散らばっている。
その中心にいる女性、冬斗の母親の夏子は胸くらいまである髪を無茶苦茶に振り乱し、手当たり次第に、近くにある物を投げながら、発狂していた。
「母さん、落ち着いて。」
冬斗が、近付いていくと、夏子は病的に痩せた腕を振り回し、冬斗を遠ざける。昔の優しい顔立ちからは想像も出来ないほど、きつい顔をしていた。
「!っ来るな!!!」
「母さん、ごめん、大丈夫だよ。」
冬斗は、夏子の伸びた爪で傷付けられたり、物を当てられたりしながらも、近付いて、細い体をぎゅっと抱き締めた。
「、、、は、ると、、、?」
その瞬間、夏子の動きが止まり、腕がだらんと垂れ下がる。
冬斗は力を緩めずに、ずっと見せなかった笑顔を作った。
「うん、そうだよ。母さん、落ち着いて。」
そのまま、幼い子供をあやすように、背中をポンポンとリズム良く叩いていると、夏子はすっと、瞳を閉じた。
「、、、ふゆ君。おばさんもしかして、、、。」
一花の呟きにも似た問いに、冬斗は答えない。
「ごめん、そこに落ちてるマット敷いてくれ。」
代わりに、一花の後ろを指差して言った。
そっちの方へ目を向けると、確かに、少し汚れた携帯用の簡易マットが落ちている。
一花は、冬斗の指示通り、マットを手に取ると、軽く辺りのゴミを避けて、夏子の後ろに敷いた。すると、冬斗が手早く夏子を寝かせる。一花は更に、マットの側に落ちていた毛布をそっと掛けてやった。
「ごめん、一花。お前を巻き込まないっていいながら、結局迷惑かけた。」
「、、、ううん。私、言っとくけど、学校での事もこの事も迷惑だなんて思ってないから!寧ろ、もっと頼ってよ。幼馴染みなんだから!!」
一花が言うと、冬斗はふっと自嘲気味に笑って口を開いた。その口から語られた言葉は、一花の想像を遥かに越えることだった。
「、、、母さんも父さんも、昔から、兄貴が大好きだっただろ?だからさ、死んだ直後、俺の事、何時も蔑んだ目で見てた。『何で、お前が生き残ったんだ?』って。」
「、、、そんな、、、酷い。」
目を見開き、眉を寄せる一花を一瞥すると、冬斗は、落ちている白い破片に目を向ける。
「でも、段々母さんはおかしくなって、ヒステリックを起こすようになった。父さんは、そんな母さんが面倒になったのか、家に寄り付かなくなってしまったから、俺が母さんを止めるしかない。そんな時、思い付いたんだ、さっきの方法。」
「、、、つまり、はる君のフリをするってこと?」
「あぁすれば、母さんは嬉しそうに笑って、大人しくなるんだ。俺には此しか思い付かなかった。」
そう締めくくると、冬斗は立ち上がり、片付けを始めた。手伝おうと、一花も立ち上がるが、冬斗がそれを制する。
「お前は早く学校行けよ。もうギリギリだぞ?引き留めて悪かったな、ありがとう。ついでに、今日休むって言っといて。」
早口で一花に告げ、後は何も受け入れないというような態度に、一花の何かがプツンと切れた。
「ふゆ君のバカ!!1人で背負い混まないでよ!さっきも言ったじゃん!頼ってって!私も休むから!ふゆ君の傍にいるから!!」
一花の剣幕に、呆気に取られている冬斗の手から、床拭きを取り上げると、それを使い、掃除を始めた。
「お、おい?!」
慌てる冬斗を無視する一花に、冬斗は長年の付き合いから、時間の無駄だと判断したのだろう。諦めて、ごみ袋を持ってきて、黙々と、辺りのごみをその中へ入れていく。
暫く、2人とも、無言で手を動かしていた。
それから約4時間後。大分片付いてきたと一花が満足して、一旦、手を止め、首を回していると、いい匂いが漂ってきた。
「一花。もういいよ。今日は学食の日だから、弁当もってないだろ?飯にしよう。」
いつの間にか、エプロン姿で、キッチンに立っていた冬斗に声をかけられ、手にしていた雑巾をバケツに放りこんだ。
「わぁ、美味しそう。」
冬斗が皿に乗せて運んできたのは、ふわとろ卵のオムライスとシーザーサラダで、一花の食欲を刺激する。
早速、スプーンを手に、一口頬張ると、口の中に、トマトの酸味ととろとろの卵が絡み合う。
「美味しい!ふゆ君の女子力がいつの間にか、とんでもなく上がってるよ。」
「まぁ、今の母さんの状態じゃ、料理なんてさせられないから、自然とな。」
一花の向かいで、無表情に箸を進める冬斗の言葉に、しゅんとなってしまう。
それに気づいたのか、冬斗は取り繕うように、謝罪の言葉を口にする。
それからは、互いに迂闊なことを言わないように、無言で手を動かし、丁度、学校の終わる3時頃には、全ての作業が終了した。
その為、一花は帰ろうとしたが、冬斗に引き留められ、冬斗の入れたお茶を飲んでいる。
「、、、一花。今日はホントにありがとう。助かったよ。」
冬斗の今日何度目かの感謝の言葉に一花は頷く。そして、この際だから、聞きたいことは全て聞いてしまおうと、思った。
「ねぇ、ふゆ君は、本当に私がジャマ?」
「、、、。」
黙ったまま、俯く冬斗を見つめながら、一花は訴える。
「もし、本当に私がジャマだって言うなら、私はこれ以上何もしない。でも、もし、私を守るために言ったのなら、余計なお世話。私はふゆ君達に守られるために仲間になったんじゃない。ふゆ君を助けるために仲間になったんだよ?あんまり、私のこと見くびってると、痛い目見るよ?」
「、、、ごめん。俺、一花を巻き込みたくない。、、、兄貴が俺のせいで死んで、俺のせいで父さんや母さんもバラバラになって、その上、一花まで失ったら、俺はもう、、、。別に、一花を見くびってるとかじゃない。俺自身がビビってるんだよ。恐いんだ。」
冬斗の、初めてに近い弱音に、一花は単純に驚いたが、直ぐに顔を引き締める。
「ふざけないでよ!私はそんなに弱くない。自分の身くらい自分で守れる。それに、私は簡単にいなくなったりしない!」
一花の言葉に冬斗は目が覚めたような顔をしていた。そして、一花の頭に手をのせると、くしゃくしゃと頭を撫でた。
かつて、春斗が冬斗にしたように。
「ごめん。俺、自分が思ってた以上にバカみたいだ。忘れてたよ。一花は誰よりも強かったって。」
一花はその言葉にぱぁっと顔を輝かせる。
冬斗は軽く頷き、言った。
「後、もうちょっとだけ。俺に付き合ってくれないか?」
冬斗の言葉と差し出された手を握り、一花はハッキリといい放つ。
「絶対に冬斗と生きてみせるから。」
そう言った一花の瞳には、強い意志が籠っていた。




