Ⅴ:マリーシア
マリーシア:ポルトガル語で「ずる賢い」「ずるさ」「狡猾さ」と言う意味。サッカーにおいては、ゲームの駆け引きや審判へのアピールの仕方、ペナルティーエリア内の上手な倒され方など、狡猾に試合を進めること。
「お、なんでこんなところにコートがあるんだ?」
スポーツバックを持った三人の小学生男子が、小山からサッカーコートを見下ろしていた。
「ほんとだ。誰か練習に使ってるのか?」
「まぁ、俺達に勝てるわけないけどな」
そう言いながら、嘲らうように笑い出していた。
「――コーチが来る前に準備運動と軽く自主練しておこう」
コートの中で梓がそう云うと、他の子供たちが「おーっ!」と声を出し、準備運動を始めた。
「おいおい、マジかよ? 女とかいるぜ?」
「ちょっくら、ちょっかいを出すかな」
そう云うや、男の子はボールを高く蹴り上げるや、椿目掛けて蹴り込んだ。
「――っ!」
ボールが後頭部に当たり、椿はその場にたおれ、頭をおさえるようにうずくまった。
「椿、大丈夫っ?」
明日香と優が駆け寄り、声をかけるが、椿は呻き声しかあげない。
「いったいどこから?」
「っ! あそこっ!」
梓が小山のほうを指差した。
「すいません。ボールとってくれませんか?」
男の子がそう云うと、「あいつらぁっ……。ぜってぇわざと蹴りやがったな」
直之は顔を歪め、男の子が蹴ったボールを掴むと、軽くリフティングし、あいて目掛けて、力強く蹴った。
――が、ボールは軽々とキャッチされてしまう。
「おいおいっ、もしかして今のって本気? うわぁ、よえぇっ!」
キャッチした男の子が笑い出す。「んだとぉっ?」
直之が憤怒の表情を浮べる。
「やめなさい。売り言葉に買い言葉でしょ?」
明日香がそう云うと、直之は舌打ちこそしたものの、彼女の言う通り、それ以上相手をしても埒が明かないと判断する。
「おいっ! おまえら、そこどけよ。どうせボールを追いかけるだけの、ごっこ遊びなんだろ?」
その言葉にカチンと来た直之たちは、小山の上にいる男の子たちを睨みつけた。
「なんだよ、その目? いいか? 俺たちはなぁ、ここらへんじゃちょっと有名なクラブに入ってるんだぜ? 『河山センチュリーズ』って知ってるか?」
そう訊かれ、子供たちは首をかしげる。
が、梓と直之だけはすこしおどろいた顔で少年たちを睨んでいた。
「うわぁ、しらねぇのかよ? それじゃぁ教えてやるよ。ヘタクソと天才の違いってやつをさぁ」
男の子がボールを蹴ろうとした時だった。
「やっかましいっ!」
と、うしろから声が聞こえ、男の子はうつ伏せに倒れた。
「お、大間っ!」
他の二人が男の子――大間に駆け寄る。「だ、大丈夫か?」
「あ、いててぇっ……。おいおっさん、いきなり殴るんじゃねぇよ」
大間は振り返り、殴った相手を睨んだ。そこにいたのは和成と朋奏であった。
「みんな、大丈夫か?」
和成は大間たちを無視し、椿の元に駆け寄った。
「っ、椿ちゃん?」
「お、おにいちゃん? 今日もよろしくお願いします」
椿は、虚ろ目になりながら、和成に挨拶をする。
「いったい誰に……?」
和成はハッとし、小山のほうへと振り返った。
「あいつらがやったのか?」
そうたずねると、子供たちはうなずいてみせた。
「あんたが、こいつらの監督?」
大間がそうたずねると、「だったらどうした?」
「そいつらに言ってくれねぇ? うち以外のやつはみんな下手糞だから、さっさとやめろって」
大間はケラケラと笑い出す。
「あいつら、見たところ経験者みたいだけど、どこのクラブだって言ってた?」
「えっ? たしか『河山センチュリーズ』って……」
質問に答えた優は、少しばかり表情を強張らせた。
和成の表情がまるで『キレた』としか言いようのないおぞましさだったのを、優は子供ながらに感じ取ったのだ。
「たしかに、ここらへんじゃ有名でいいクラブだったな」
和成はそう呟くと、「おいっ! お前らさっさと出て行ってくれねぇ? ここは今日から俺たちの第2コートにするんだからよぉ」
大間はそう云うと、小山を駆け下り、コートの中に入った。
「おい、お前たちは関係ねぇだろ?」
智也が大間に近寄ると、「んじゃぁ、これ取れるかぁ?」
「えっ? っと、うわぁっ!」
大間が突然ドリブルし、智也は対応できず抜かれてしまった。
「次はてめぇだっ!」
大間は恭平に仕掛ける。「くそっ!」
恭平はボールを取ろうとするが、「へたくそぉっ!」
軽々と抜かれてしまう。
その後も、武、聡、陽介と抜かれていく。
「お前、好い加減にしろよぉっ!」
直之が止めに入るが、「うわぁ、ひでぇこいつの動き、超ひでぇ」
大間はたった5秒で蹴りをつけた。
「よし、これでレギュラーはみんな負けたな」
大間がそう云うと、「ちょっと待ちなさいよ。まだ私がいるでしょうが?」
梓がそう云うと、大間は大笑いした。
「おまえ、女子だろ? 女子はおとなしくバレーでもしてろ」
梓はカチンとくるや、大間に仕掛けた。
「へぇ、ちょっとはやるじゃん? でもさぁ、実力の違いってわかるかなぁ?」
そう云うや、大間はボールを前に蹴りだした。
「……えっ? きゃっ!」
梓がギョッとしている間、大間は梓を振り切り、ボールを足で止めた。
「うわぁ、よえぇな。おまえらさぁ、好い加減止めろよ。目障りなんだよ。下手糞はいつまでやっても下手糞なんだよ」
大間が子供たちを嘲ら笑う。
「やかましい」
和成は大間に拳骨を一発食らわせる。
「お前はクラブというか、親から何を学んでるんだ?」
「またあんたかよ? 大人が本気で子供殴るなんて恥ずかしくないのかよ?」
「生憎と、俺はまだ中二だ」
「俺とふたつしか違わねぇのかよ?」
「年上には敬語を使えって、習わなかったのか?」
大間は頭をさすりながら、「しらねぇよ。あんたみたいなおっさんに敬語つかうなんてさ」
大間はそう云うと、自分のボールを手に取った。
「――帰ろうぜ」
小山を登りきると、そのまま姿を消した。
「みんな大丈夫?」
コートの中に入り、子供たちのところに駆け寄った朋奏がそうたずねる。
「あの、コーチ……。私たちうまくなってるんですよね?」
悔しさを顔に出している梓にそう訊ねられ、和成は少し考えると、
「今はなんとも云えない。ボールのコントロールや、パスワークもうまくいかないことが多い。だけど、これだけは決して忘れて欲しくはないんだ。決して相手を貶すようなこと、馬鹿にするようなことだけはしないでほしい」
静かにそう答え、椿を抱き上げ、ペンチの方へと運んだ。
「みんな。少しの間、自由に練習してくれ」
そう言われ、子供たちは椿の容体を心配しながら、練習を始めた。
『くそっ! あんなのがでてくるなんて、あのクラブはどこまで腐っちまったんだよ』
和成はグッと歯を噛み締めた。
「椿ちゃん、大丈夫?」
和成は顔を覗かせ、そう訊ねる。「大丈夫。わたしもすぐに」
椿は立ち上がろうとしたが、体に力が入らず、倒れてしまう。
「いいから、今日は休んで。朋奏さん、アイスノン」
そう言われ、朋奏はクーラボックスからアイスノンを取り出し和成に渡した。和成はそれをタオルで巻き、ボールをぶつけられた背中につけた。
椿は一瞬だけ体を反らせたが、「つんめたい」
と、ほわぁとした表情で笑みを浮かべる。
「でも、どうしてここがわかったのかしら?」
朋奏がぼつりと呟く。
「まぁ、これだけ広いと、見付かるのも時間の問題じゃなかったのかな?」
和成は何気なく答えたが、「見付かるわけがないのよ」
「――えっ?」
朋奏の言葉に和成は聞き返す。
「だって、ここは……」
朋奏がその先を言おうとした時だった。
うしろの茂みから音が聞こえ、和成と朋奏はそちらを見遣った。
「ふぅ、ようやく練習しているところが見れた」
出てきたのは能義であった。
「あ、あなたは?」
朋奏が驚いた表情で訊ねる。「あ、俺ですかい? 実はこういうものでしてね」
そう云うと、能義は懐から警察証明を取り出した。
「――警察の人?」
和成は朋奏を一瞥する。その表情は驚いているというより、諦めたような印象であった。
「ここって、もともと墓地だったらしいじゃないですか? どうしてコートなんかが?」
能義がそうたずねると、「ここの地主さんが提供してくれたんです。ただ外灯がありませんから、夜の練習はできませんけど」
朋奏がそう答える。
「そうですかい? でもずいぶん立派な設備じゃないですか?」
能義はコートの方に目をやる。
「明日香、シザーズはボールを内側から外側へ、外側から内側へまたいで」
梓にそう教えられながら、明日香はシザーズの練習をしていた。
「わっ、とっ!」
内から外、外から内へと、足を交互に動かしていくが、足がもつれて倒れそうになる。
しかし、倒れるところで踏ん張りがきくのか、体ごと倒れることはなかった。
「足に意識をとられないで、上半身のバランスをとるように」
梓はそう言いながら、シザーズを見せた。その動きには無駄がなく、明日香は簡単に抜かれてしまう。
「へぇ、あの子はうまいですな?」
能義が顎を摩りながら訊ねる。「あの子ともうひとり、サッカーの経験者がいますから」
朋奏がそう答えると、能義は「ほぉ」と声を出した。
「で、そのもう一人というのは?」
「ああ、あっちで練習してますよ」
和成は顔をそちらに向けた。
「んじゃ、トライアングルの練習な。俺が走るから、武は俺の少し右手前を、陽介はその先の中心で走ってくれ。俺が武にパスを送ったら、武は陽介に、陽介は俺にといった感じにパスを送る」
直之がそう説明すると、武と陽介はうなずいた。
「それじゃぁ、練習しようぜ」
三人は走り出し、一定のところに来ると、「武っ!」
直之はインサイドでボールを武のほうへと蹴る。
受けとった武はタイミングを見計らって陽介のほうへとパスを送る。
陽介はチラリと直之の方を見ると、直之のほうへとパスを送った。
「トライアングルの練習をしているようですな」
「お詳しいんですね」
能義の言葉に朋奏は聞き返す。「ええ。息子がサッカーをやっていたんでね」
能義は笑みを浮べるが、その表情は暗い。
「直之、もう少し距離を縮めようぜ」
陽介の言葉に、能義はギョッとした。「――直之?」
能義は直之たちを凝視する。
『そんなわけない。いや、でもどことなく面影が……』
能義はゴクリと喉を鳴らした。
「よし。みんなちょっと足を止めてくれ」
和成が立ち上がり、子供たちにそう言った。
「それじゃぁ、今日はリフティングの練習。試合でリフティングをするのはほとんどないけど、トラップした時、ボールのバランスやコントロールを上達させるのには一番いい練習方法なんだ」
和成がそう云うと、「でも、梓ちゃんと直之くん以外はそんなにうまくないですよ」
明日香がそう言う。
「利き足の甲にボールの中心を蹴るイメージでやってごらん。最初は10回を目標に、利き足じゃないほうの甲も使えるとなおいいね」
そう説明すると、「みんな、はじめよう」
と、梓が呼びかけ、子供たちは立ち上がった。
「慣れてきたら、足を交互に使ったり、ノーバウンドを入れてみて」
ノーバウンドとは、一度バウンドさせて右足でボールを蹴り、ボールが落ちてきたところをワンバウンドさせずにもう一度上に蹴り上げることを言う。
本来のリフティングは、このノーバウンドを中心にするのだが、梓と直之以外の子供たちはまだうまく操れていないと判断したためである。
その子供たちは2、3回はできても、それ以上は回数が増えない。
「足の甲でボールを捕まえるように意識して。それと、あまり高く蹴り上げるのも失敗する原因になるから、なるべくノーバウンドを意識して」
梓が練習しながらも、子供たちに教える。その回数は、既に30回は下らない。
「バランス感覚はいいな。時々、インサイドで蹴り上げてる」
和成は子供たちの練習を見ながら、ノートに書き記している。
「これが終わったら、次は……」
その先を考えようとした時、不意に視線が明日香のほうへと向けられていた。
明日香は右足の甲だけでボールを蹴っている。ひとつのポイントだけでリフティングしていることもそうだが、バランス感覚もいい。明日香の回数は20回以上となっており、素人同然の彼女からしてみれば大挙だ。
「あ、明日香ちゃん?」
和成は思わず声をかけてしまった。
リフティング中は集中力も大切なため、終了以外にはあまり声を出してはいけないのだ。
当然、その呼び掛けにおどろいた明日香は、ボールを落としてしまった。
「コ、コーチ? どこか悪いところがありましたか?」
明日香が少しおびえた表情でたずねる。
「ちょ、ちょっと俺と練習してみない?」
そう言われ、明日香は首をかしげる。
和成はコートの中に入ると、明日香から20メートルほど離れた。
「明日香ちゃん、俺の方に思いっ切り蹴ってっ! 外してもいいから」
和成がそう云うと、明日香はボールを思いっ切り和成の方へと蹴った――が、ボールは大きく反れ、和成の頭上を飛び越えた。
「明日香、どこに蹴ってんだよ」
悟は笑いながらそう云うと、ボールが消えた方へと走っていった。
「ご、ごめんなさいコーチ」
明日香はションボリとした表情で謝る。
「いや、思い切り蹴ってって俺が云ったんだ。むしろあれだけの距離を蹴ったんだからすごいよ」
和成がそう云うと、明日香はキョトンとする。
「梓ちゃん? ロングパスで重要なところはなにかわかる?」
「えっと、ボールの下をインサイドで蹴り上げる……。あっ!」
梓はハッとした表情を浮べた。
「ボール取ってきました」
悟がボールを抱えて戻ってくると、和成はそのボールを受け取った。
「明日香ちゃん、どこにボールを蹴るのか意識してやってごらん」
和成はボールを蹴り上げた。
明日香が無理なく胸でトラップできるところまで蹴り上がると、明日香はボールを難なく受け止められた。
「蹴る方向を意識して、軸足をそっちに向ける。軸足はグッと地面を掴むようにしっかりと。ボールはよく見て」
明日香は和成の言葉を意識し、もう一度蹴り上げた。
和成の頭上を越してはいたが、先ほどとは違い、明後日の方向には行かなくなってきている。
「だんだんよくなってきてる。後は蹴る力のコントロール」
和成はパスを送る。
「――蹴る力を意識する」
明日香はゆっくりとボールを見た。そして和成との距離を考える。
『思いっ切り蹴ったら、コーチの頭の上を通っちゃうから、それを抑えたら……』
そう意識しながら、ボールを蹴った。
ボールはふわりと綺麗な弧を描くように、和成の手前で落ちた。
「――失敗かぁ」
明日香はその場にへたり込む。
「ううん、俺がすこし走ればじゅうぶん取れるところに落ちたから失敗じゃないよ。後は自分の意識した場所に落ちるよう、蹴る力をコントロールしたり、味方の動きを読んだりしないとね」
和成がそう云うと、明日香は息を荒くしながらも、「はいっ!」
と、返事をした。
「コーチ、どうして明日香にロングパスの練習を?」
梓が和成に声をかける。
「俺がはじめてここに来た時、明日香ちゃんはボールを、力任せに思いっ切り遠くに飛ばしてたでしょ?」
そう訊かれ、梓はうなずいた。
「女子であれだけの高さや距離を蹴られたら、後は力や距離の意識をすれば戦力になる。他のみんなもそうだよ。いつなんどき、試合中にロングパスを使う時がかならずくるんだから」
和成はそう言うと、コートを出た。
「明日香、大丈夫か?」
智也が声をかける。
「大丈夫。みんな。パスワークの練習しよう。優、GKお願い」
明日香はそう云うと、優の方を見た。
『なるほど、パスワークをしながら、シュートする……か』
和成は小さく笑みを浮べた。
その予想通り、明日香、梓、智也悟の四人は、ボールを交互にパスしあい、時にはロングパスを入れたりしながら、GKを任された優にボールがくるよう仕掛けていく。
ただし、ボールが来る度々に「ひゃうっ!」
と、小さな悲鳴をあげながら、優はボールを避けていた。
「優、それじゃぁ練習にならないでしょ? 当たっても痛くないようにみんな力抑えてるんだからぁ」
明日香がそう云うと、「でも当たったら痛い」
優はそう言いながら、明日香たちを見つめた。
その目にはうっすらと涙が出ていた。
『あの臆病風をどうにかしないとなぁ』
和成は頭を抱えた。