Ⅶ-Ⅴ・ニアサイド≠フォアサイド
ニアサイド:ボールがサイドにある場合、近い方をニアサイドと言う。遠い方をフォアサイドと言う。
サッカー大会が閉幕してから二週間ほど経った。
「さむい!」
と愚痴をこぼしたのは椿であった。
「寒いのは当たり前でしょ? 雪降ってるんだから」
ましろがあきれた表情で言う。それを見ながら、椿は頬を膨らませた。
雲に覆われた灰色の空から、チラチラと冷たい雪が降り始めた。
「だったら運動しよう。寒い時は運動して身体を温めればいいんだし」
明日香がそう言うと、椿はその場で足踏みをした。
季節は十二月。ちょっと耳を澄ますと聞こえてくるのはジングルベルの音色。
いくら彼らが死んでいるとはいえ、やはり子供である。
ジングルベルを聞いて最初に思い浮かべるのはクリスマス。
ポニーテールFCの子供たち、とくに梓たち女の子は忙しなかった。
「みんな、コーチにプレゼントするのなににするか決まった?」
話題は誕生日が近い和成に送るプレゼントについてだった。
「私はそうだな。スノードームにしようかな」
「わたしはマフラーとか……作ってあげたかったね」
明日香がそう言うと、子供たちはしょんぼりとした表情を浮かべた。
「私たち、コーチに感謝しないといけないのに何も返せてないよね」
そうこうしていると、和成と朋奏がコートへとやってきた。
「コーチおはようございます。っとあれ?」
和成に挨拶をすると、梓は首をかしげた。
「こんにちわ」
一緒に来ていたのは、梨桜と裕香である。
「今日は二人も一緒に練習してみたいって言われてな。そんじゃぁ準備運動したらタッチライン沿い往復30回」
「なんか、大会前の練習より増えてる」
恭平が愚痴をこぼした。
「あ、30分間走って倒れなかったやつは俺が直々に練習の相手になってやるから」
「頑張ろうみんな」
梓とましろがグッと拳を握った。明日香、優、椿も同様にやる気を出している。
「ほ、本当にみんな、おにいちゃんのこと好きなんだね」
梨桜がそう言いながら、隣にいる裕香を見ると、「あとから来たくせに、なに私のおにいちゃんを奪おうとしてるのよ」
裕香は膨れた顔で梓たちを見ていた。
……――30分後。時間ピッタリに和成が笛を鳴らした。
「よし終了。一番走ってたのは智也か。最初に比べて本当に体力がついたなぁ」
和成はポニーテールFCの子どもたちと、梨桜と裕香が30分間タッチラインを往復した回数を記録していく。「ありがとうございます」
智也が小さくガッツポーズを取る。
梓たちはというと、いちおう全員走り終えることはできたのだが、終了の笛を聞いた瞬間その場に倒れていた。
「み、みんな大丈夫か?」
梓たちを見ながら、和成は唖然としていた。
「3分休んだらリフティング。失敗したらその場で腕立て10回な」
「なんか今日の練習メニュー、いつもよりきつくないですか?」
優がそう言うと、「そうか? 俺があそこにいた時は10分間走り込んですぐにリフティングだったぞ。それにリーズだって似たようなものだったしなぁ」
話を振られ、梨桜と裕香は答えるようにうなずいた。
――なんだかんだと、最後の練習は無事に終了した。
その練習中のことであった。
「どうも和成さん」
コートに能義が訪れ、挨拶を交わす。
「ちょっと暇ができたんで、息子の練習を見に来ましたよ」
「あ、おじさんだ!」
直之が能義に気づくと、手を大きく振った。
能義もそれに応えるように手を振りかえす。
「私はね、息子が生きてたころは仕事に没頭していて、ほら警察でしかも刑事課だったから、あまり家族サービスなんてできませんでしたから。息子が死んだあとにできるとは夢にも思ってませんでしたけど」
「大会の時、直之のやつ言ってましたよ。決勝で同点を決めたとき、真っ先に観客席にいるあなたのことを探したって。あなたなら絶対見に来てくれるって思っていたんじゃないですかね」
和成は視線を子どもたちの成長を記録しているノートから、直之たちのほうへと向ける。
「子どもにとって、親や家族から応援されることは、知らない人間百人から応援されることよりもうれしいはずですから」
「そう言ってもらえると嬉しいですね」
能義はゆっくりと深呼吸し、白い息を吐いた。
「そうだ。殺された子供たちの事件についてですが、最終的にも事件捜査は打ち切りになりました。妃春香を殺した季久利翔太は前日自殺しましたし、畑千尋を殺した道重は何者かに殺された。他にも色々あったんですけどね。上からの命令もあって証拠も見つからない。それどころか死んだ人間を裁くことはできませんよ」
能義はそう言いながら、ゆっくりと目の前で練習している子供たちを見つめた。
「それとあなたにサッカーをする切っ掛けを与えた横嶋幸さんですが、彼女は殺されたのではなく不慮の事故だったそうです。彼女を襲ったチームメイトの話によると、彼女の頭を地面に叩きつけ黙らせようとしたんですけど、土とはいえ思いのほか硬かったんでしょうね。八年経った今、ようやく話してくれましたよ」
「それを季久利聡一が隠蔽していたってことですか?」
和成の質問に、能義は無言でうなずく。
「当時ですからね。彼らには少年法が適用される。それに加えて上からの命令もあって調べに調べられなかったんですよ」
「――そうか」
和成は目を閉じた。あの日、幼い自分を助けてくれた梓のことを思い出す。
自分は彼女のような人を魅了させるプレイはできていただろうか。
そしてなにより、楽しくできていただろうか。
「あ、そうだ。これは華蓮さんから言われて調べたんですけどね。ましろさん……つまり畑千尋についてなんですけど、彼女の母親から聞くと、ましろさんはあるわがままを叶えるためにサッカーを始めたそうなんですけど、なにか知りませんか?」
そうたずねると、和成は顔を上げた。
「――わがままを叶える」
「ええ。それと華蓮さんからの言伝で、約束を破ると罰が当たるそうです」
能義は含み笑いを浮かべた。
「そうか。そうだよな――最後までやらないとな」
和成は、小さく笑みを浮かべた。
二日後。十二月二十四日。
いつものコートには子供たちの姿があった。
「えっ? コーチとは今日でお別れ」
華蓮からの一言を聞くや、明日香たちは唖然としていた。
「ええ。本来なら大会が終わってすぐにってことになっていたんだけど、今日までは待ってもらっていたの」
華蓮はそう言うが、子供たちは誰ひとり納得していなかった。
「もっとコーチに色んなこと教わりたい」
「なんで? 華蓮ちゃんなんで?」
「俺、まだできないと技とかあるのに」
子供たちが各々と愚痴をこぼしていく。
「みんな、私たちはもともとこの世界の人間じゃないんだよ? それにさ、これ以上わがまま言ったらダメだよ」
梓が皆に言い聞かせるように言った。
「俺だって、みんなと別れるのは辛いんだけどさ、こればかりは仕方ないだろ?」
「そ、そうですけど……」
梓が寂しそうに答える中、和成はましろを一瞥した。
「それでだ。ましろ、最後にお前と勝負がしたい」
声をかけられ、ましろはキョトンとした表情を浮かべた。
「勝負って」
「ああ。1対1の勝負だ」
突然そう言われ、ましろは驚いたが、心の中では跳ね上がりそうなほど嬉しかった。
「それじゃぁ、ルールはどうするんですか?」
「そうだな。オフェンスとディフェンスに分かれて、俺を抜くか、ボールを取ればましろの勝ち。最初はましろがオフェンスで、ボールを蹴り始めた時から開始だ」
そう言われ、ましろはうなずいた。そしてボールを受け取ると、二人の間合いを10メートルほど離れる。
「それじゃぁ、はじめるよ」
椿が大きく声をあげる。
ましろは一度深呼吸をすると、ドリブルを開始し和成との間合いを5メートルほど近付けた。
――一度シザーズで反応を遅らせて……。
思考を走らせている時、自分の足元を刃で切られたような錯覚をした。そして、うしろからボールが跳ねる音が聞こえる。
「――えっ?」
ましろはもちろん、子供たちはおろか、朋奏や能義も目の前の光景が信じられなかった。
「どうした? 相手が目の前にいたら、ボールを取られないよう警戒しないといけないことくらいわかってるだろ?」
和成にそうたずねられたが、ましろは何も言えなかった。
どうやって和成を抜こうかと考えてから1秒も経っていない。
「いいか。ボールを持ったらもうオフェンスなんだ。相手が奪いに来ないとは限らない。取った瞬間からいろいろと思考しろ。一瞬の判断が命取りだからな」
和成も同様に10メートル離れ、そこからドリブルを始めた。
――おちつけ。相手がどんな動きをしてくるか、一瞬のうちに見極めて……。
ましろが考えていると、和成は7メートル離れた場所からシザーズを開始し、右へと切り返す。ましろもそちらへと身体を動かすと、エラシコでボールを止めてから軽く蹴り、残った方の足に目掛けて、ボールを蹴り上げた。
その一瞬の動きに、ましろは動くことができなかった。
「み、見えた? いまの」
「ぜ、全然見えなかった」
和成の動きは、まったく無駄がなかった。技を使うタイミングがまるでわかっているかのように、綺麗な動作だ。
「どうした? もう一回やるか?」
「あ、はいっ!」
ましろは大声をあげた。
しかし、何回やってもましろは和成を抜くことすら、ボールを奪うことすらできない。
「やっぱりスゴイやコーチ」
梓と、見に来ていた梨桜と裕香以外の全員が驚きを隠せないでいた。
「おにいちゃん辛そうだね」
「辛そうって、全然そうには見えないけど」
「さっきから和成くん左足をあまり使っていないけどそれが理由?」
梓の言葉に梨桜はうなずいた。
「おにいちゃん、あのクラブをクビになってから自暴自棄になってた時があって、腱鞘炎を悪化させるくらい利き足だった左を酷使していたんだよ」
「足を悪くしてるって、でも私との練習はいつも左足で蹴ってたよ」
「それは優ちゃんの本気に答えたかったからじゃないかな? それとも試していたってところもあったかもしれない。だって真剣にプレイしているお兄ちゃんに今の私たちはもちろん、梓ちゃんでも勝てないと思うから」
「サッカーの楽しさを教えた張本人にも?」
「でも、なんか分かる気がする。今まで自分の支えてくれていたものがなくなって、なにをしたらいいのか分からなくなっていくのって、なんかそれまでのことがどうでも良くなっていくような感じがするの。楽しいはずのサッカーをしている自分が嫌でたまらなくなっていく」
梓はゆっくりと和成を見やった。
「おにいちゃんは私たちにサッカーを教えていたわけじゃないんだよ。結局私と梨桜はおにいちゃんの背中を追いかけていただけ。おにいちゃんにかまってほしいって思いながら一緒に遊んでもらっていただけだったんだから……本気で勝負してもらったことなんて……たぶん一回もなかったと思う」
裕香は梓たちをみやった。
「おにいちゃんを助けてくれてありがとう。おにいちゃんがあんなに楽しそうにサッカーをしているところなんてもう見れないと思ってたから」
「お礼を云われるようなことしてないけど、でもそうか……」
梓は笑みをこぼした。
「どっちも……本気なんだよね。二人とも強いとか弱いとかそんなの関係なしに本気で楽しんでるんだよね」
梓には和成と本気で勝負しているましろが眩しく見えていた。
「どうした、あきらめるのか?」
「いえ、まだできます。だって……だっていつかコーチに――ううんあの日、和成さんのプレイを見ていて、それでサッカーがすごく楽しいものだってしって、その目標に、和成さんに勝ちたいってずっとそう思いながらサッカーやってたんですから!」
ましろは大きく笑みをこぼす。
「楽しくて、すごく楽しくて、ずっと続いて欲しいくらい楽しいです」
ましろはゆっくりとボールを蹴り出した。
そして和成との間合いを7メートルほど近づくと、そこからシザーズを開始する。
和成は身体を左右に振ると、タイミングを合わせるようにボールを奪いにかかった。
ましろはエラシコでボールを止めると、うしろへとボールを流し、背中を向けながら体勢を低くとり、ボールを取らせないようにする。
何度か抜くタイミングを見ながら、小さくボールを扱う。
――まさか、あの子がここまでうまくなるとはな……。
和成は小さく笑みを浮かべる。そして、ボールを取ろうと右へと回り込んだ。
「ここだっ!」
ましろはボールを左へと蹴り流す。左足でボールを止めるとヒールでうしろへと蹴る。
和成はそれを取ろうと足を伸ばした。
ましろは回転するように、右足のヒールでふたたびうしろへと蹴り流す。
その勢いのまま、右足を軸足にして回転し、ボールを足元に戻した。
和成は一瞬、ぶつかりそうになり身体を引っ込めてしまう。
そして自分を抜き去るましろのうしろ姿を見送った。
ましろは和成から20メートルほど離れた場所で止まると振り返り、小さく笑みを浮かべた。
――なんでだろうな。もっとのびしろがあるし、まだ色々と教えてやりたいのに。
和成は答えるように手を振った。
「なぁ、俺の気のせいかな? コーチ泣いてないか?」
「うん。私も思った」
子供たちが和成の表情を見ながら、呟いた。
「でも、二人とも楽しそう」
椿がぴょこぴょこと飛び跳ねる。
「私も、あの中に入りたいな」
明日香や優も、興奮をあらわにする。
「ダメだよ。やっとふたりの約束が叶ったんだから、邪魔したらダメだよ」
梓はそう言いながら、自分たちの体に異変が起きたことに気づいた。
ポニーテールFCの子供たちの身体が次第に薄れていく。
「お別れなんですね」
和成は、消えていく子供たちをジッと見つめる。
「コーチ、私すごく楽しかったよ」
「おにいちゃん、またサッカーしようね」
「私、今度は臆病じゃない、しっかりと前を向ける人になりたいです」
明日香、椿、優が和成に感謝の気持ちを述べていく。
「なおっ!」
能義が叫ぶと、直之は彼に向かって振り返る。
「ゴメンな。父さん忙しくて、お前の試合見れなくて」
「ううん。俺生きてたときは試合に一回も出たことないんだ。でも、ありがとう父さん」
直之は笑顔で答えた。
「和成くん。きみは私が教えたことを、今でも忘れないでいてくれてたんだね」
梓がそうたずねると、和成は顔を歪めた。
「俺は……俺はおねえちゃんみたいなすごいプレイできてたかな?」
梓は首を横に振った。
「根本的なことを勘違いしてるよ。私は私で、きみはきみ。きみは、私でさえ、ううん誰にも真似ができない、きみだけにしかできない素敵なプレイをすればいいんだよ。だけどもっと大切なもの。これだけは絶対忘れてはいけないこと」
「何事も楽しまないと面白くない」
和成は笑顔を浮かべながら涙声で言うと、梓はそれを答えるように、小さく笑みを浮かべた。
「和成さん、さっきわざと抜かれませんでした?」
ましろにそう言われ、和成は首を横に振った。
「いや、今のは完全に俺の油断だ。一瞬の判断が命取りになるのを再確認できたよ。だから勝負は君の勝ちだ」
「わたし、あの日からどんなにバカにされても、和成さんと勝負がしたいって、そして勝ちたいってことを目標にサッカーを続けてました」
ましろは大きく笑みを浮かべる。
「でも別に勝ちたいからサッカーをしていたんじゃない。本当は和成さんみたいにみんなを魅了させるプレイがしたかったんだと思います。――だから、一緒にサッカーができてすごく楽しかったです」
そう言いながら、ましろ――子供たちは消えていく。
そして、それを送り届けるように朋奏も姿を消していった。
「――行ってしまいましたね」
能義がそう言うと、「ええ。みんないい笑顔でしたよ」
和成は顔を俯かせた。
「……すこし冷えますね。ちょっとそこらへんで温かいコーヒーでも買ってきます。あ、お二人もどうですか?」
呼びかけられた梨桜と裕香は一瞬戸惑うが、
「分かりました」
そう言って、能義とともにコートをあとにしていく。
一人残った和成は嗚咽を吐いていた。
子供たちと過ごした三ヶ月間。色々なことが和成の脳裏に流れる。
彼の流した涙を拭うように、冷たい風がやさしく吹いた。
次回、最終回です。




