Ⅳ-Ⅳ・アジリティ
アジリティ:バランス、巧緻性、スピードなどを含む体力要素のひとつで、瞬発力とともに反応及び、細かな方向変化を含む素早い動きをこなす能力のこと。日本の選手の課題として取り上げられており、とくに1対1におけるディフェンスの対応に要求される。
後半開始のホイッスルが鳴った。
直之が軽くましろの方へとボールを流し、ましろはそれを返そうとしたが、蹴る瞬間、直之は石墨にマークされており、ましろも磯岩にパスコースを塞がれていた。
ましろはボールをうしろへと蹴り流す。「明日香っ!」
その先にいた明日香がボールを取ろうとしたが、上がっていた御影にカットされ、ボールは大きくうしろへ、FCカコウの自陣へとセンタリングされた。
長井がそれをクリアすると、それを返すように蹴り上げる。
「DFッ! 上がってくるぞ!」
ましろ、直之、梓はマークされ、身動きが取れないでいた。
明日香も戻ろうとしたが、御影にマークされている。
ボールは、その隙を抉るように上がっていた片麻がクリアし、恭平が止めに入った。
片麻は恭平を抜こうともせず、うしろ右サイドへとボールをセンタリングする。
その先にいたのは、ディフェンスラインにポジションを置いている3番・センターバックの泉が待ち構えていた。
リベロの役割を持っていた泉はパスボールを受け取り、そのままシュートの体勢へと入る。「させるかっ!」
悟と陽介が止めに入ったが、泉は唇の端を上へとつり上げた。
明日香は自分をマークしていた御影がいないことに気付くや、「違うっ! そいつシュートじゃないっ!」
マークと言うものは、相手にボールが来ないようにするためである。
明日香は自分にマークがついているとすれば、優がシュートを防いだあと自分にパスを出すという考えがあれば、マークからはずさないはずだと思い、否定的な声で叫んだ。
悟と陽介が止めに入る間もなく、ボールはゴールへと蹴りだされた。
優がボールをパンチングでクリアしたが、明日香の言葉を思い出すや、「うそ……」
とボールの行方を目で追った時だった。ボールが流れたところに御影が上がっていたのである。
御影はボールを軽くゴールへと右のインサイドで蹴り流す。
ボールは、優の反応をせせら笑うようにゴールラインを超えた。
「ちょ、ちょっとっ! 今のはオフサイドでしょ?」
朋奏がそう和成に言ったが、和成は首を横に振った。
「オフサイドってのは、最終的にボールを受け取った選手が、ボールが蹴られた瞬間、オフサイドラインを超えていたかで決まるんだ。片麻は最初っから囮だったってことだ」
和成はやっちまったなと悔しい表情で朋奏たちに説明した。
梓たちにオフサイドトラップについて、あまり詳しく教えていなかったのである。
先ほどのシュートは、オフサイドトラップでどうにかなるものなのであったが、ボールが蹴られる瞬間、片麻が恭平を抜かすに、うしろへとボールを流したことに意味があった。
オフサイドラインは、相手のいちばんうしろにいる選手を最終ラインとしており、泉がボールを蹴った時、御影はそれに合わせるように上がっていたのである。
そして、優がクリアしたボールは、運悪く、誰もいないところに流れてしまっていた。「それを御影が取ったってだけだ」
「みんな、まだ1点差。それに、こっちが勝ってるんだから気持ち切り替えよう」
梓が柏手を打つ。その表情は失点による悔しさというよりは、それすら楽しんでいるようだった。
「梓、ちょっと話があるんだけど……」
ましろがそう梓に耳打ちをする。梓は話を聞きながら、「大丈夫かな? それって」
と不安げに聞き返した。
「大丈夫。まぁ後はそう誘導できるかだけどね?」
ましろは小さく笑みを浮かべる。「目には目を、オフサイドにはオフサイドってね」
再開時、直之から受けたボールを、ましろは梓へとパスを送る。
梓はうしろへとパスを流し、恭平が明日香へとパスを送った。
「明日香、こっちっ!」
上がっていたましろが声をあげる。それをMFの片麻がパスを出させないようにマークを仕掛けた。
明日香はパスを出しそこね、ボールを御影にカットされてしまう。
「おらっ! これで2点目だ」
御影の強烈なボールがゴールへと放たれる。それに反応した優はボールをキャッチした。
「梓ちゃんっ!」
ボールを受け取った梓はドリブルで相手陣地に蹴り出した。
「行かせるか!」
片麻が止めに入り、対峙したが梓は直之にパスを送った。
それを止めに入った長井がボールをカットする。
「御影っ!」
上がっていた御影に目掛けてボールを蹴り上げる。「させるかっ!」
恭平がボールをカットしようと飛び上がった時、御影と接触してしまい、恭平は派手に転倒してしまった。
ボールはタッチラインを超え、ボールには誰も触れられなかったために、ポニーテールFCのスローイングとなる。
「恭平、大丈夫か?」
「ああ、これくらい平気だ」
立ち上がろうとした恭平は足を崩した。
「おい、大丈夫かよ?」
「恭平、ちょっと様子を見るから少し下がれ」
和成が声をかける。「でも、交代したら」
「大丈夫だ。少年サッカーには自由交代が認められてるからな」
和成はましろを一瞥した。開始からずっとピッチに立っており、攻撃の要をしている。
交代要素があるにはあるのだが、視線を感じたましろが首を横に振って拒否をしている。まだやりたいという意思の表れであった。
不意に袖を引っ張られ、和成はそちらへとみやった。
「えっと、椿……?」
和成が首をかしげた。椿はジッと和成を見ている。
自分を出してほしいという強い視線を和成にぶつけている。和成ももしかするとなにかしらの突破口になるかもしれない。
そう思ったからこそ――。
「――わかった、いってこい」
「はいッ!」
椿はハーフウェイラインを挟んだ場所にある『交代エリア』から、恭平と入れ替わるようにピッチに入った。
陽介がボールをスローイングで、明日香にボールを投げた。
「直之……くん」
明日香がボールを蹴ろうとした時、ふと視界の端に小さな影が走った。
「明日香、こっちに回して」
梓が声を上げ、明日香はそちらへとパスを送る。
「椿っ!」
梓は流れるように、ボールを椿目掛けて浮き上がらせる。
そのボールを取らせないように、御影がクリアしようと跳躍するが――届かない。
「椿、思いっ切り飛べっ!」
和成がそう叫ぶと、椿はその場で、助走をつけずに飛び上がった。
「なんだと?」
御影が声を張り上げた。
それもそうだろう。
自分よりも小さい椿が、それよりも高く飛び上がっているのが不思議なのだ。
椿はボールを直之のほうへとヘディングし、直之はそれをクリアする。
「きゃっ!」
着地に失敗し、椿はしりもちをつくように仰向けになって倒れた。
「大丈夫?」
明日香が声をかけ、椿に手を差し伸べる。「大丈夫」
その手を引っ張るように椿は立ち上がると、恭平が守っていたポジションへと下がった。
「大丈夫みたいだね」
梓がホッと胸を撫で下ろす。
「梓、ボーとしないっ!」
ましろの声が聞こえ、そちらに振り返った梓は、ボールを取りにむかったが、ボールはFCカコウの斑にわたっており、センタリングでボールが上がっている。
それを片麻がクリアし、左サイドから上がっていた御影へとパスを送る。
御影はボールを右サイドを走っている石墨にパスを送ると、石墨はシュート体勢に入る。
それを陽介が止めに入った。
石墨は振り返り、ボールをうしろへと蹴り上げた。
そこにいたのは泉だった。
ボールを受け取った泉がシュート体勢に入り、右へと蹴り込んだ。
「くっ!」
優が反応し、ボールをクリアする。
「くそっ!」
泉が悔しがる。
「明日香ちゃんっ!」
優はボールをセンタリングで蹴り上げる。
明日香がそれをクリアした瞬間、
「明日香っ! 梓に渡して」
FCカコウのペナルティラインまで上がっていたましろが叫んだ。
そう声をかけられたが、梓はマークされている。
明日香が苦痛の表情を浮かべていると、「大丈夫、いいから思いっ切り蹴り上げて」
明日香はましろの言葉を信じ、梓目掛けて蹴り上げた。
「くっ!」
梓はボールを取ろうとしたが、抜け出せない。
『やっぱり、ダメだ』
そう思った明日香は、ふとうしろを見ると、一人いないことに気付く。
「えっ?」
ボールをクリアしたのは……椿であった。
「椿、こっち!」
ましろが声をかける。椿は思いっ切りボールを蹴り上げようと右足を振りかぶった。
「バカか。お前ら上がれ!」
蹴り上げようとした瞬間、FCカコウのGK、深成がそう指示し、DFの斑が上がった。
「ましろ、下がってっ! そのままじゃオフサイドになる!」
梓がそう叫んだが、ましろは笑みを浮かべていた。それが深成には理解できなかった。
「パスを取るのが私だと思った?」
ましろは小さく舌を出した。そしてボールをスルーする。
ボールは右サイドに落ちた次の瞬間、それをマークから抜けていた直之が受け取った。
「しまったっ!」
深成が反応するが、直之はボールを蹴り込む。
ボールはゴールネットを揺らし、審判はセンターマークを手で示し、笛を鳴らした。
「ちょっと待って! 今のって完全にオフサイドになるんじゃ?」
朋奏が、自分のチームに点が入ったというのに、納得のいかない表情で叫んだ。
「そうか……、ましろは最初から囮になってたんだ」
和成がそう言うと、智也と武が首をかしげる。
「いいか、椿にボールを上げるように指示したのはましろだ。その時ましろは自分の方にパスして欲しいって意味で言ってる。それが最初からトラップだったんだよ」
「相手のゴールキーパー以外の選手が前にいないとオフサイドになるんでしたよね?」
「ああ、だからGKはオフサイドラインを前に出したんだ。もちろんましろもそれは予想していたと思う。あの状況下においては誰もがましろにボールが渡ると思う。だからましろはボールをスルーしたんだ」
「それを直之が受け取ったってことですか?」
「椿がボールを蹴った瞬間、ましろはオフサイドラインを出てるけど、直之は出ていなかった。蹴った瞬間上がったとすれば、それはオフサイドにはならない」
それこそ偶然の産物だろう。残り時間を考えると、終了するまでパスで時間稼ぎをするのも作戦のうちであるが、以前子供たちと話したことを、和成は思い出した。
『守るよりも、攻める方を選ぶってわけか』
和成は笑みを浮かべた。
FCカコウのキックオフになり、少し経った時である。
審判が笛を三度、試合終了の笛を響かせた。
「うっしゃ初陣白星ッ!」
ベンチで立っていた和成がほえた。
「やったぁ!」
それに共鳴するかのようにポニーテールFCの子どもたちも喜びをあらわにする。
「くそぉ一回戦敗退か」
試合終了のホイッスルを聞いてか、それとも負けたことに対してなのか、明日香のマークにつこうとしていた御影が、明日香からすこし離れた場所でへたり込んだ。
「おつかれさま。いい経験になったわ」
「あははは、しかしまぁ、最後のあれはすごかったわ。お前らもしかして強いんじゃねぇの?」
御影は笑いながらたずねる。明日香はちいさく笑みを浮かべるだけでなにも答えない。
和成から言われたのだ。――自分の力を自負するのはいいが、過信すればするほど失敗したあとの代償は大きい。と――。
それは失敗したあと、ショックから立ち直る時間に差異があるからであり、自尊心がある選手ほど立ち直りが遅いと言う意味にも捉えられる。
だからこそ、ポニーテールFCの子どもたちは、自分たちが上手いとは思っていても、それをおくびには出さないでいた。
「ほら、みんな整列して」
審判が声をかける。
FCカコウとポニーテールFCがセンターラインを挟んで整列したのを審判が確認すると――。
「3対1。よってこの試合、ポニーテールFCの勝利とする」
「「ありがとうございました」」
子供たちは互いの検討を称えるように深々と頭を下げる。
「いいぞ。よく頑張った」
観客席から激励が響き渡り、一回戦はこうして幕を下ろした。




