第6章 暗号の迷宮と裏切りの代償
星屑の夜は、まるで無数の秘密を孕む深淵のように、私の周りを包み込んでいた。
ローゼンタール邸の石壁は、冷たく、まるで亡魂たちの囁きを閉じ込めた牢獄のようだった。
ハインリヒ・フォン・シュヴァルツとエレオノーラ・フォン・ヴァイスの死は、私、クラリッサ・フォン・エルヴィングの心に、緋色の刃を突き立てていた。
ヴィルヘルム・フォン・ローゼンタールの裏切りは、私の誇りを砕き、コンラート侯爵の脅しは私の決意を試していた。
だが、私の手には、日記、借金の証書、そしてハインリヒの懐から見つかった暗号の紙片があった。
これらは、まるで運命の星図のように、私を真実へと導く道標だった。
「クラリッサ様、この暗号、まるで悪魔の文字のようです……。」
マリアンネの声は、震える絹の糸のように私の耳に届いた。
私たちは、ローゼンタール邸の客間に戻り、燭台の光の下で暗号の紙片を広げていた。
紙には、数字と文字が複雑に絡み合った文字列が記されていた。
「7R-3S-12V / L-R / 蛇は薔薇を喰らう」と、謎めいた一文が添えられていた。
「マリアンネ、これは悪魔の仕業ではないわ。」
私は紙片を手に、微笑みを浮かべた。
「これは、犯人が残した挑戦状よ。ハインリヒが誰かと交わした秘密のやり取りを、私に解けと訴えている。」
「ですが、クラリッサ様、こんな複雑な暗号をどうやって……。」
マリアンネの青い瞳は、不安に揺れていた。
彼女の忠誠心は、私の心を温かく包むが、今は知性を研ぎ澄ます時だった。
「心配しないで、マリアンネ。」
私は彼女の手を握り、静かに言った。
「この暗号は、ローゼンタール家の紋章――蛇と薔薇――と結びついている。鍵は、そこにあるわ。」
私は紙片をじっと見つめ、頭の中でパズルを組み立て始めた。
「7R-3S-12V」は、単なる数字と文字ではない。
「R」はローゼンタール、「S」はシュヴァルツ、「V」はヴァイスを指す可能性が高い。
だが、数字は何を意味する?
「L-R」は、ローゼンタール家の刻印だ。
そして、「蛇は薔薇を喰らう」は、まるで裏切りと破滅の予言のようだった。
「クラリッサ嬢、暗号の解読に進展は?」
低く、滑らかな声が部屋に響いた。
ルートヴィヒ・フォン・ヴァルデック公爵が、黒いマントを翻して客間の入口に立っていた。
彼の深海のような瞳は、まるで私の思考を覗き込むようだった。
「ルートヴィヒ公爵、ちょうどいい時に。」
私は彼に微笑み、紙片を掲げた。
「この暗号、ハインリヒが誰かと交わした秘密の取引を示しているわ。あなたなら、何か手がかりを持っているかもしれない。」
彼は部屋に進み、私の側に座った。
その近さに、私の心は微かに高鳴った。
「クラリッサ嬢、君の知性は、まるで星の輝きのようだ。」
彼は紙片に目をやり、続けた。
「この暗号、単なる暗号ではない。ローゼンタール家の地下組織との繋がりを示している可能性がある。」
「地下組織?」
私はハッとして彼を見た。
「公爵、あなたはローゼンタール家の裏の顔を知っているのね?」
彼の唇に、微かな笑みが浮かんだ。
「クラリッサ嬢、私の過去は、君が思うより複雑だ。」
彼は声を潜め、続けた。
「ローゼンタール家は、王国の裏で、違法な取引に手を染めてきた。ハインリヒはその一端を知り、脅迫を試みたのかもしれない。」
私は息を呑み、暗号を再び見つめた。
「なら、この『7R-3S-12V』は、取引のコードなの? 例えば、7はローゼンタールの取引回数、3はシュヴァルツの関与、12はヴァイスの役割を指す?」
「鋭いな、クラリッサ嬢。」
ルートヴィヒは頷き、私の手の紙片に触れた。
その指先の温かさに、私は一瞬、息を止めた。
「君の推測は、ほぼ正しい。だが、この暗号は、特定の場所や人物を指す鍵でもある。『L-R』は、ローゼンタール家の秘密の蔵を示す可能性が高い。」
「秘密の蔵?」
私は彼の瞳を覗き込み、尋ねた。
「ルートヴィヒ、あなたはあまりにも多くを知っている。なぜ、私にそこまで教えるの?」
彼の瞳が、まるで夜の海のように揺れた。
「クラリッサ嬢、君の正義感と勇気は、私の心を動かした。」
彼は私の手を握り、静かに言った。
「だが、私の真意は、君が真相にたどり着く時、明らかになる。信じてほしい。」
私の頬が熱くなり、心が揺れた。
ルートヴィヒ、あなたの言葉は、まるで魔法のように私の心を掴む。
だが、私はまだあなたを完全に信じられない。
この謎が解けるまで、私の心は鍵をかけたままよ。
「クラリッサ様、衛兵たちが近づいてきます!」
マリアンネの声が、私を現実に引き戻した。
「コンラート様が、クラリッサ様を捜しているそうです!」
「コンラート?」
私はハッとして立ち上がった。
「彼は、私が暗号に近づいていることを知ったのね。ルートヴィヒ、私たちは急がなければならないわ。」
「同意だ。」
ルートヴィヒは立ち上がり、紙片を私に返した。
「クラリッサ嬢、暗号の『7R-3S-12V』は、ローゼンタール邸の地下にある蔵の位置を示している可能性が高い。そこに、取引の証拠が隠されている。」
私は紙片をドレスのポケットにしまい、決意を新たにした。
「マリアンネ、あなたはここで待っていて。ルートヴィヒ、私と一緒に地下へ行きましょう。」
「クラリッサ様、危険です!」
マリアンネが私の腕を掴んだ。
「コンラート様が、衛兵を連れてくるかもしれない……。」
「マリアンネ、信じて。」
私は彼女の額にキスをし、微笑んだ。
「私は、エルヴィングの名にかけて、負けないわ。」
ルートヴィヒと私は、客間を抜け、ローゼンタール邸の地下へと向かった。
螺旋階段を下り、冷たい石壁の廊下を進む。
私の手には、金の鍵が握られていた。
暗号が示す蔵は、この鍵で開くはずだ。
地下の奥、鉄の扉が現れた。
その表面には、蛇と薔薇の紋章が刻まれ、鍵穴が金の鍵にぴたりと合った。
私は息を呑み、鍵を差し込んだ。
カチリと音が響き、扉が重々しく開いた。
「ここは……。」
私は呟き、蔵の中へと踏み込んだ。
そこには、木箱や革の袋が積まれ、壁には古びた帳簿が並んでいた。
燭台の光で帳簿を手に取ると、そこには、ローゼンタール家の違法取引の記録が記されていた。
麻薬、武器、そして禁呪の巻物の密売。
ハインリヒは、この取引の仲介者として関与し、エレオノーラは資金提供者だった。
「ルートヴィヒ、これを見て!」
私は帳簿を彼に渡し、興奮を抑えた。
「ローゼンタール家は、王国の裏でこんなことを……。ハインリヒとエレオノーラは、この闇に巻き込まれたのね。」
「その通りだ、クラリッサ嬢。」
ルートヴィヒは帳簿をめくり、頷いた。
「ハインリヒは、取引の利益を独占しようとコンラートを脅した。エレオノーラは、借金の返済を拒み、秘密を漏らすと脅した。だから、二人とも消された。」
私は拳を握りしめ、怒りに震えた。
「コンラート、あなたは自分の手を汚さず、二人を殺したのね。ヴィルヘルム、あなたはこの闇を知っていたの?」
その時、背後で足音が響いた。
私はハッとして振り返った。
ヴィルヘルムが、衛兵を従えて蔵の入口に立っていた。
彼の瞳は、絶望と憎しみに燃えていた。
「クラリッサ、お前はどこまで俺を追い詰める!」
彼の声は、まるで嵐のように響いた。
「その帳簿を渡せ! さもなくば、お前もここで終わるぞ!」
「ヴィルヘルム、あなたの家門は、もう終わりよ。」
私は帳簿を胸に抱き、彼を睨みつけた。
「ハインリヒとエレオノーラの死は、あなたの父の罪。あなたは、それを知りながら黙っていたのね?」
「黙れ、クラリッサ!」
ヴィルヘルムは剣を抜き、私に迫った。
「俺はエレオノーラを愛していた! 彼女の死は、俺の心を殺した! お前がこんなことをしなければ、俺は……。」
「ヴィルヘルム、君の言葉は空虚だ。」
ルートヴィヒが私の前に立ち、剣を抜いた。
「クラリッサ嬢は、真実を求める。君の父の罪を、彼女に押し付けるな。」
ヴィルヘルムの剣が震え、彼は一瞬、躊躇した。
だが、衛兵たちが私たちを取り囲んだ。
「クラリッサ、帳簿を渡せ!」
ヴィルヘルムが叫んだ。
「ヴィルヘルム、あなたの裏切りは、ここで終わるわ。」
私は冷たく微笑み、帳簿を高く掲げた。
「この証拠は、ローゼンタール家の崩壊を告げる。あなたが私を捨てた代償よ。」
その瞬間、蔵の外から叫び声が響いた。
「衛兵、退け!」
コンラート侯爵の声だった。
彼は衛兵を従え、蔵に踏み込んできた。
その瞳は、まるで地獄の炎のように燃えていた。
「クラリッサ、君はやりすぎた。」
コンラートは私を睨み、剣を抜いた。
「その帳簿は、ローゼンタール家の命だ。君の命と引き換えに、渡してもらおう。」
私は一瞬、恐怖を感じた。
だが、ルートヴィヒの手が私の肩に置かれ、その温かさが私の心を奮い立たせた。
「コンラート侯爵、君の罪は隠せない。」
ルートヴィヒは静かに言い、剣を構えた。
「クラリッサ嬢は、真実を握った。君の家門は、今日、終わる。」
私は帳簿を握りしめ、決意を新たにした。
「ヴィルヘルム、コンラート、あなたたちの裏切りは、私をこの戦いへと導いた。」
私は二人を見据え、毅然と言った。
「ハインリヒとエレオノーラの亡魂は、私に力を与える。あなたの闇は、私の手で打ち砕かれるわ。」
燭台の炎が揺れ、蔵の石壁に長い影を投げかけた。
星屑の夜は、なおもその闇を深めていた。
私は、ルートヴィヒとともに、ローゼンタール家の最後の戦いに挑んだ。




