第4章 鍵の囁きと過去の亡魂
夜の闇は、まるで無数の瞳のように私を見つめていた。
舞踏会の大広間は、血と恐怖に彩られた舞台となり、燭台の炎は、まるで亡魂たちの嘆きを映すかのように揺らめいていた。
ハインリヒ・フォン・シュヴァルツとエレオノーラ・フォン・ヴァイスの死は、私、クラリッサ・フォン・エルヴィングの心に、解かねばならぬ謎の鎖を巻きつけていた。
ヴィルヘルム・フォン・ローゼンタールの裏切りが、私の誇りを踏みにじったならば、この緋色の惨劇は、彼の秘密を白日の下に晒す鍵となるだろう。
私の手には、血に染まった布と金の鍵が握られ、その冷たい感触が、私の決意をさらに固くしていた。
「クラリッサ様、こんな時間にどこへ……。」
マリアンネの声が、震える絹の糸のように私の背を追いかけた。
舞踏会の混乱が収まらぬ中、私は大広間を離れ、ローゼンタール家の邸宅の奥へと足を進めていた。
衛兵たちが会場を封鎖し、貴族たちが恐怖にざわめている隙を突いて、私はこの機会を逃すわけにはいかなかった。
「マリアンネ、あなたはここで待っていて。」
私は振り返り、彼女の青い瞳に微笑みを向けた。
「この鍵が開く扉は、ローゼンタール家の秘密を隠しているはずよ。私はそれを見つけるわ。」
「ですが、クラリッサ様! もしヴィルヘルム様に見つかったら……。」
マリアンネの声は、恐怖に震えていた。
彼女の忠誠心は、私の心を温かく包むが、今は危険を冒す時だった。
「心配しないで、マリアンネ。」
私は彼女の手を握り、静かに言った。
「ヴィルヘルムは今、エレオノーラの死に打ちひしがれている。彼に私を追う余裕はないわ。」
私はドレスの裾を軽く持ち上げ、ローゼンタール邸の廊下を進んだ。
この邸宅は、まるで古の神殿のように荘厳で、石壁にはローゼンタール家の紋章――蛇と薔薇――が刻まれていた。
燭台の光が私の影を長く引き、まるで亡魂が私の後を追うかのようだった。
金の鍵を手に、私は心の中で呟いた。
この鍵は、何を開くの?
ハインリヒとエレオノーラの死を結ぶ、ローゼンタール家の闇を?
廊下の奥、螺旋階段を下りた先に、古びた木の扉があった。
その表面には、蛇と薔薇の紋章が浮かび上がり、鍵穴が金の鍵にぴたりと合うようだった。
私は息を呑み、鍵を差し込んだ。
カチリと音が響き、扉がゆっくりと開いた。
「ここは……。」
私は呟き、暗闇の中へと踏み込んだ。
扉の先は、地下の書庫だった。
埃と古書の匂いが漂い、棚には革装の書物がびっしりと並んでいた。
燭台を持ち上げ、私は書庫の奥へと進んだ。
棚の間を進むと、壁に隠された小さな扉が見えた。
その鍵穴もまた、金の鍵に合うものだった。
私は再び鍵を差し込み、扉を開いた。
そこには、狭い部屋があり、中央に古びた机が置かれていた。
机の上には、革の表紙に蛇と薔薇の紋章が刻まれた日記があった。
「これが……。」
私は日記を手に取り、ページをめくった。
そこには、ローゼンタール家の PastedGraphic-1.jpg家の歴史と秘密が記されていた。
だが、私の目を引いたのは、最近の日付の記述だった。
「ヴィルヘルム、エレオノーラとの関係を隠せ。彼女の存在は、クラリッサとの婚約を危うくする。」
その筆跡は、ヴィルヘルムの父、コンラート・フォン・ローゼンタールのものだった。
「ヴィルヘルム、あなたは……。」
私は息を呑み、日記を読み進めた。
エレオノーラは、ローゼンタール家の遠縁の令嬢だったが、彼女の家は没落し、ヴィルヘルムとの愛は禁じられていた。
コンラートは、クラリッサとの婚約を政治的な結びつきとして重視し、エレオノーラを排除しようとしていた。
だが、ヴィルヘルムはエレオノーラを愛し、クラリッサを裏切った。
そして、ハインリヒは、その秘密を知る者だった。
「ハインリヒ、あなたは脅されていたのね。」
私は日記を閉じ、胸に押し当てた。
ハインリヒは、ヴィルヘルムとエレオノーラの関係を公にするつもりだった。
だから、殺されたのか?
だが、エレオノーラの死は、どう説明すればいい?
その時、背後で足音が響いた。
私はハッとして振り返った。
暗闇の中、ヴィルヘルムの姿が浮かび上がった。
彼の瞳は、怒りと恐怖に揺れていた。
「クラリッサ、ここで何をしている!」
彼の声は、まるで雷鳴のように響いた。
「お前がこんなところにいるはずがない! その日記は、俺のものだ!」
「ヴィルヘルム、あなたの秘密を知ったわ。」
私は日記を胸に抱き、彼を睨みつけた。
「エレオノーラとの愛、ハインリヒの脅迫、そしてあなたの父の企み。あなたは、私をただの駒として利用したのね。」
「黙れ、クラリッサ!」
彼は一歩踏み出し、私に迫った。
「お前には関係ない! これは俺の人生だ!」
「関係ない?」
私は冷たく笑い、彼を見据えた。
「あなたが私を裏切り、婚約を破棄した瞬間から、これは私の戦いよ。ハインリヒとエレオノーラの死は、あなたの嘘が招いた結果かもしれないわ。」
ヴィルヘルムの拳が震え、彼は何か言おうとした。
だが、その時、別の声が暗闇を切り裂いた。
「ヴィルヘルム、十分だ。」
低く、威厳に満ちた声だった。
書庫の入口に、ルートヴィヒ・フォン・ヴァルデック公爵が立っていた。
彼の黒いマントが、まるで夜の翼のように揺れ、その瞳は、ヴィルヘルムを射抜いていた。
「ルートヴィヒ公爵……。」
ヴィルヘルムは後ずさり、顔を青ざめさせた。
「なぜ、ここに?」
「クラリッサ嬢の安全を確保するためだ。」
ルートヴィヒは静かに答え、私に近づいた。
「彼女がこの闇に踏み込むなら、私はその背を守ると約束した。」
私は彼の瞳を見上げ、胸の高鳴りを感じた。
彼の存在は、まるで嵐の中の灯台のように、私に安心を与えた。
だが、同時に、彼の深すぎる瞳に、秘密が隠れていることも感じていた。
「クラリッサ嬢、この日記は、重要な証拠だ。」
ルートヴィヒは私の手の日記に目をやり、言った。
「だが、これだけで真相に迫るのは難しい。ローゼンタール家の闇は、もっと深い。」
「公爵、あなたは何か知っているのね?」
私は彼に一歩近づき、尋ねた。
「なぜ、私を助けるの? あなたの目的は?」
彼の唇に、微かな笑みが浮かんだ。
「クラリッサ嬢、あなたの知性と勇気に、私は心を奪われた。」
彼は声を潜め、続けた。
「だが、今は言えぬ。真相に近づく時、私はすべてを明かす。」
私は彼の言葉に、微かな温かさと疑念を感じた。
ルートヴィヒ、あなたは私の味方?
それとも、別のゲームを仕掛ける者?
「ヴィルヘルム、この日記は私が預かるわ。」
私は彼に向き直り、毅然と言った。
「あなたの秘密は、もう隠せない。ハインリヒとエレオノーラの死の真相を、私は必ず暴く。」
「クラリッサ、お前は……。」
ヴィルヘルムは唇を震わせ、拳を握りしめた。
「お前がこんなことをすれば、ローゼンタール家は終わる! お前もただでは済まないぞ!」
「それは、あなたが決めることではないわ。」
私は冷たく答え、日記をドレスの内側に隠した。
「あなたが私を裏切った代償は、あなた自身が払うのよ。」
ルートヴィヒが私の肩に手を置き、静かに言った。
「クラリッサ嬢、行きましょう。この場は危険です。」
私は頷き、彼とともに書庫を後にした。
ヴィルヘルムの視線が、私の背に突き刺さっていた。
彼の怒りと恐怖は、まるで嵐の前触れだった。
だが、私は恐れない。
彼の秘密は、私の手で暴かれる。
邸宅の廊下に戻ると、マリアンネが待っていた。
彼女の顔は、まるで幽霊を見たように青ざめていた。
「クラリッサ様! 無事でよかった!」
彼女は私の手を取り、涙を浮かべた。
「ヴィルヘルム様が追いかけてきて、私は……。」
「マリアンネ、よく耐えたわ。」
私は彼女の額にキスをし、微笑んだ。
「あなたのおかげで、私は手がかりを得た。これからが本当の戦いよ。」
ルートヴィヒが私の側に立ち、静かに言った。
「クラリッサ嬢、この日記は、ローゼンタール家の過去を暴く鍵だ。だが、慎重に動く必要がある。コンラート侯爵は、危険な男だ。」
「公爵、ありがとう。」
私は彼を見上げ、感謝を込めて言った。
「あなたの助けがなければ、私はヴィルヘルムに捕まっていたかもしれない。」
彼の瞳が、まるで星のように輝いた。
「クラリッサ嬢、あなたの勇気は、私の心を動かす。」
彼は私の手を取り、軽くキスをした。
「これからも、あなたの側にいることを許してほしい。」
私の頬が熱くなり、胸が高鳴った。
ルートヴィヒ、あなたの言葉は、まるで魔法のように私の心を揺さぶる。
だが、私はまだあなたを信じきれない。
この謎が解けるまで、私は自分の心を守るわ。
「クラリッサ様、衛兵たちが動き始めました!」
マリアンネの声が、私を現実に引き戻した。
「舞踏会の会場で、新たな証拠が見つかったそうです!」
「新たな証拠?」
私はハッとして彼女を見た。
「マリアンネ、詳しく教えて。」
「ハインリヒ様の懐から、封筒が出てきたそうです。」
マリアンネは声を潜め、続けた。
「その中には、ローゼンタール家の借金の証書と、エレオノーラ様の署名があったと……。」
「借金の証書?」
私は息を呑み、ルートヴィヒを見やった。
「公爵、これはどういうこと?」
彼の瞳が、一瞬、鋭く光った。
「クラリッサ嬢、ローゼンタール家は、表面上は繁栄しているが、裏では莫大な借金を抱えている。」
彼は静かに答えた。
「エレオノーラがその一部を肩代わりしていた可能性がある。ハインリヒは、それを脅迫の材料にしていたのかもしれない。」
「なら、ハインリヒの死は、ローゼンタール家の借金を隠すため?」
私は日記を握りしめ、呟いた。
「そして、エレオノーラの死は、彼女が知りすぎていたから?」
「その可能性は高い。」
ルートヴィヒは頷き、続けた。
「だが、コンラート侯爵が直接手を下したとは思えない。彼は、もっと狡猾だ。」
私は深呼吸をし、心を落ち着けた。
ハインリヒの短剣、エレオノーラのワイヤー、謎の紙片、血の箱、金の鍵、そして日記と証書。
これらのピースは、まるで運命の織物のように絡み合っている。
私はその糸をたぐり寄せ、真相に迫る。
「ヴィルヘルム、あなたの家は、闇に沈んでいる。」
私は心の中で呟き、決意を新たにした。
「あなたの裏切りは、私をこの戦いへと導いた。だが、私は勝つわ。」
燭台の炎が揺れ、ローゼンタール邸の石壁に長い影を投げかけた。
星屑の夜は、なおもその闇を深めていた。
私は、ルートヴィヒとマリアンネを従え、謎の深淵へとさらに踏み出した。




