混ぜるな危険
感情のゴミの日
この街には「感情のゴミの日」がある。
月曜は怒り、火曜は嫉妬、水曜は不安、木曜は後悔、金曜は悲しみ。人々は週ごとに心に溜まった感情を袋に詰め、収集車に回収してもらう。
黄色い袋には怒りを、緑の袋には嫉妬を、青い袋には不安を。指定された色つきのビニール袋に入れないと、収集員は持っていってくれない。
袋を縛るとき、感情はぐっと詰まった空気のように膨らみ、手を離すとボコボコと小さな泡のようなものが弾けた。
それは嫌な匂いを放つが、慣れてしまえばただの生活の一部だ。
僕もこれまで律儀に分別を守ってきた。
怒りは月曜に、嫉妬は火曜に、きちんと出してきた。
そうして感情を整理してさえいれば、なんとか平穏な日々を送ることができた。
隣のおばさんは毎週金曜日、悲しみの袋を三つも四つも出す。
夫に先立たれてもう五年になる。
向かいの大学生は木曜日、後悔の袋をいつも小さく縛って、恥ずかしそうに置いていく。
たぶん、飲みすぎた夜のことだ。
だが、その週だけは違った。
日曜日、彼女が僕の親友と並んで歩いているのを見た。
二人は肩が触れそうなくらい近く、ふと視線を交わしては笑い合っていた。
その笑顔が、僕の知らない顔だった。
僕といるときには見せたことのない、柔らかく、無防備な笑み。
胸の奥が灼けるように熱くなり、心臓をぎゅっと鷲づかみにされたように苦しくなった。
足元がふらつく。呼吸は浅く、世界が赤と緑に染まっていく。
怒りと嫉妬
その二つが同時に膨らみ、押さえつけても押さえつけても溢れてきた。
家に帰ると、僕はもう我慢できずに袋を取り出した。
黄色い印の袋と、緑の印の袋。
本来なら別々に縛らなければいけない。
だが僕は衝動的に、両方を一つの袋に詰め込んだ。
もはやこの混ざり合った感情を分けることなんてできない。
怒りは赤い炎のように揺れ、嫉妬は緑の液体のようにどろりと重い。
二つがぶつかり合い、袋の中でじゅうじゅうと音を立てて混ざり合っていく。
袋は膨れ上がり、表面がびりびりと震え、触ると静電気のようにチリチリと痺れた。
「どうでもいい。まとめて持っていけ」
吐き捨てるように言いながら、僕は袋の口を強く縛った。
袋は脈打つように膨張と収縮を繰り返し、まるで生き物のように蠢いた。
中から「シュウゥゥゥ」という不吉な音が漏れる。
翌朝、収集場所に袋を置いた。中はパンパンに張りつめていて、かすかに熱を帯びている。
近づくと硫黄のような、焦げた電線のような、とにかく嫌な匂いがした。
数分後、いつもの収集車がやってきた。
作業員は無表情のまま近づいてきて、そして、袋の前で動きを止めた。
彼はゆっくりと顔を上げ、僕を見た。
その目には、哀れみと、諦めと、そしてかすかな怒りが混ざっていた。
「……また、ですか」
「え?」
「今週三件目なんですよ。月曜だけで」
作業員は深くため息をつくと、腰のベルトから分厚い手袋と防護ゴーグルを取り出した。まるで爆弾処理班のような装備だ。
「そんな大げさな…」
「お客さん、感情ゴミ混合物取扱規則第三条、ご存知ないんですか? 『怒りと嫉妬の混合は発火性極大、爆発の危険あり』。小学校で習いませんでした?」
言われてみれば、確かに習った気がする。
でもあれは社会科の教科書の隅っこに小さく書いてあっただけで、誰も真面目に覚えてなかった。
作業員は慎重に袋を持ち上げた。袋は今にも破裂しそうなほどパンパンで、彼の手の中でぶるぶると震えている。
「せめて週をまたいで出してくれれば良かったんですけどね。月曜に怒り、火曜に嫉妬。それだけで済んだのに」
「すみま──」
その瞬間
轟音が響いた。
世界が白く光り、耳をつんざく爆発音が街を揺らした。
荷台の中で赤と緑が混じり合い、眩しい閃光を放つ。収集車の鉄板がひしゃげ、窓ガラスが次々に割れ、街路樹が炎を上げて燃えだした。
作業員は吹き飛ばされ、向かいの生垣に突っ込んだ。隣のおばさんは悲鳴を上げて家の中に逃げ込み、歩いていた大学生は放心したようにその場に座り込んだ。
街の防災スピーカーから、けたたましくサイレンが鳴り響く。
『緊急放送、緊急放送。西区で感情ゴミ爆発事故が発生しました。市民の皆さん、感情のゴミは必ず分別してください! 感情を混ぜると、極めて危険です! 繰り返します──』
僕は呆然と立ち尽くした。
炎の向こうで、作業員がよろよろと立ち上がった。防護服は焦げ、髪は逆立ち、顔は煤だらけだ。それでも彼は、タブレット端末を取り出して何かを入力し始めた。
「お客さん」
「は、はい」
「違反ゴミ投棄、および感情混合物による公共危険罪で、罰金十五万円です。後日、市役所から通知が届きます」
「じゅ、十五万!?」
「ああ、それと」作業員は淡々と続けた。「来週から三ヶ月間、あなたには『感情の適正分別講習』の受講義務が発生します。毎週土曜日、朝八時から。遅刻厳禁です」
「土曜、朝八時……」
「嫌なら法廷で争ってください。まあ、勝てませんけど」
作業員はそう言い残すと、壊れた収集車を見て深くため息をついた。
翌週の土曜日。
市役所の地下にある薄暗い教室に、僕は座っていた。周りには二十人ほどの受講者がいる。みんな、どこか虚ろな目をしていた。
教壇に立つのは、分厚い眼鏡をかけた初老の男性だ。
「では、自己紹介から始めましょう。まず、あなた」
男性は僕を指差した。
「えっと……怒りと嫉妬を混ぜて、爆発させました」
「古典的ですね」講師は鼻で笑った。「隣の方、どうぞ」
隣に座っていた三十代くらいの女性が、か細い声で答えた。
「悲しみと後悔を……五袋ずつ混ぜて、街を……洪水に」
「ああ、南区の件ですか。あれは酷かったですね。復旧に三週間かかりました」
講師は淡々と頷き、次の人を指す。
「不安を……十二袋溜め込んで、竜巻を」
「あの日、暗雲が立ち込めてたのは、あなたの所為ですか…」
「私は、後悔を濃縮して、街を水で溢れさせました」
「覆水盆に返らずです。諦めも肝心ですよ」
「怒りを高温加熱して、火山を噴火させました」
「桜島、今年何回噴火させたら気が済むんですか…」
だんだん話がエスカレートしていく。僕の爆発事故なんて可愛いものに思えてきた。
「皆さん、感情とは危険物です」講師は教卓を叩いた。「適切に分別し、適切に処理する。それが文明人の義務なのです。分かりましたか?」
『はい……』
全員が力なく返事をする。
講習が終わり、外に出ると、携帯が鳴った。彼女からだ。
「もしもし?」
『ねえ、聞いた? あなたの家の近く、爆発があったって』
「……うん、知ってる」
『大丈夫だった? 怪我とかない?』
「大丈夫。ていうか、あのさ」
『うん?』
「日曜日、親友と歩いてたよね」
電話の向こうで、彼女が笑う声がした。
『ああ、気づいてたんだ。実はね、サプライズパーティーの準備してたの。あなたの誕生日、来週でしょ? でも……』
「でも?」
『爆発で、予約してたレストランのシェフがケガして休みになっちゃったの』
沈黙。
長い、長い沈黙。
「……ごめん」
『ううん、いいの。また別の場所探すから』
彼女の声は優しかった。でも、その優しさが、今の僕にはひどく重い。
電話を切ると、ポケットから灰色の袋を取り出した。その袋に後悔を詰め込む。ずっしりと重い。
木曜日まで、あと三日。
それまで我慢できるだろうか。
ふと見ると、向かいの大学生も、小さな灰色の袋を握りしめて空を見上げていた。後悔だ。きっと僕と同じことを考えているのだろう。
街のどこかで、サイレンが鳴る。
また誰かが、感情を爆発させたのだ。
最近の僕の分別は完璧だ。もう二度と、混ぜたりはしない。
収集車が袋を回収していくのを見送りながら、僕はふと思った。
この街の人々は、果たして本当に「すっきり」しているのだろうか、と。
答えは分からない。
でも、来週もまた袋を出すのだ。
きちんと分別して。
それがこの街のルールだから。




