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「遊星からの物体X」のラストシーンについて

 ジョン・カーペンター「遊星からの物体X」は名作とほまれ高い。私はこの映画を何度もみたが、みるたびに(名作だなあ)と思う。

 

 「遊星からの物体X」については既に語り尽くされていると思うので、私しか言わないような感想だけこの文章では書いておく事にしよう。

 

 ストーリーとしてはFilmarksから引用すると

 

 【1982年の冬、南極基地にいる12人の隊員が10万年以上も氷の中に埋まっていたエイリアンを発見する。氷が溶け出てきたエイリアンは、次々と形態を変えながら隊員たちに襲いかかる。】

 

 というものになる。漫画「寄生獣」と似ている。おそらくは「寄生獣」が影響を受けたのだろう。

 

 この作品は傑作とみなされているが、それはジョン・カーペンターの映画監督としての力量に、優れた特殊撮影の技術が加わり、どこからみてもクオリティの高い作品となっているからだ。

 

 以前、私はカーペンターの「ニューヨーク1997」を偏愛する作品として紹介したが、「遊星からの物体X」については偏愛ではなく、万人におすすめできるものとなっている。

 

 この作品が何より優れているのは、宇宙人が人間に化けて、人間に襲いかかるという設定のために生じる、閉鎖的な環境下での、お互いを疑いつつ信頼しなければならないという緊張感がよく描けているためだろう。

 

 特に秀逸な場面は主人公のマクレディが、隊員をひとりひとり、宇宙人でないかどうか検査する場面だ。この場面では、誰が化け物なのかそうでないのかという緊張感が特に強い。作中でも特に優れたシーンだろう。

 

 作品はこんな風にB級作品の金字塔なのだが、私が何よりも好きなのは、ラストシーンの苦い味わいだ。大人の作品の終わり方と言ってもいい。また、これは以前に「ニューヨーク1997」で書いたように、ジョン・カーペンターにしかできない、彼の個性が刻印された終わり方である。私はこのラストがあるからこそ、この作品はただの「B級作品の金字塔」という紋切り型の言い方に収まらない価値があるのだと思う。

 

 ※

 作品が進むにつれ、南極の隊員はひとり、またひとりと宇宙人に襲われて死んでいく。その中には宇宙人と化してしまったものもいる。主人公のマクレディや隊員は宇宙人に火炎放射器を浴びせて、彼らを殺していくのだが、宇宙人がどれくらいいるのか、その数がはっきりとしない。

 

 作品のラストでは、マクレディはひとりになる。気づくと仲間たちは消えていて、マクレディはひとりぼっちになっている。南極基地の発電機は宇宙人によって壊されていて、マクレディ他、隊員はこの先、死ぬ事がほとんど確定している。それ故にマクレディ達は捨て身で、せめて宇宙人を滅ぼそうと奮闘している。

 

 ひとりになったマクレディの前に、巨大な化け物として宇宙人が姿を現す。マクレディは手に持っていたダイナマイトを投げつけて、宇宙人を粉砕する。

 

 宇宙人を倒したマクレディはよろよろと歩く。暖める為に至るところで火がついた南極基地の中、疲れ切ったように座り込む。そこに、マクレディとはぐれた、黒人のチャイルズがやってくる。チャイルズはマクレディが宇宙人ではないのかと疑う素振りをみせるが、疲れ切っているマクレディはもう相手にしない。

 

 「これからどうする?」と聞くチャイルズに対してマクレディは次のように答える。

 

 「Why don't we just... wait here for a little while? See what happens.」

 (ここで待って、何が起こるかを見ようじゃないか?)

 

 マクレディは、自分が飲んでいた酒をチャイルズに渡す。チャイルズはそれを飲む。カメラが遠くに引いて、燃え盛る南極基地を映しつつ、作品は幕を閉じる。

 

 ※

 私はこのエンディングを「やる事やったエンド」と呼んでいます。怪物を倒して作品が終わるのではなく

 

 (もうすべき事はすべてした。これ以上は何もできない。後は何が起ころうと運命次第。しかしもうすべてを俺たちはやりつくしたのだ)

 

 という、独特な終わり方です。

 

 どうもネットをみると、最後に残ったチャイルズとマクレディ、どちらが宇宙人になっているのか、それが議論されているようです。映画オタクはそういう議論をしているらしい。私はそれを聞いて(馬鹿馬鹿しいな)と思いました。

 

 この作品の終わり方においては、そういう事はどうでもいいのだと思います。もう少し言うと、たとえ片方が宇宙人だったり、あるいは両方が宇宙人だったとしても、それはもう作品の外側にはみ出た現実であり、どうでもいい事です。オタクとかマニアはとかくこういう議論が好きだな、と思います。

 

 大切なのは、何故、監督はあのような終わり方を選んだのか、という事でしょう。

 

 私は、カミュの「シーシュポスの神話」を思い出しました。「シーシュポスの神話」についてウィキペディアから引っ張ってきましょう。

 

 【神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した。】

 

 最後の「人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した。」という言葉が大切です。

 

 人はいずれ死にます。そして、よくあるエンターテイメント作品のストーリーのように、現実においては見事な問題の解決、見事な愛の成就、誰もがほれぼれとする成功、そういうものはほとんどありません。

 

 人はいつも中途で生まれ、中途で死んでいきます。人生というのはそういうものでしょう。ですが、その中で世界に、あるいは様々なものに抵抗して生きていく事に意味があるのだ、と思います。

 

 そういう意味において「遊星からの物体X」のラストは、「シーシュポスの神話」に似ています。

 

 作品のラストでマクレディとチャイルズのどちらが宇宙人であるかはどうでもいい事なのです。二人はおそらく、あのまま凍死してしまうでしょう。南極基地はマクレディ達がつけた火によって燃え盛っていますが、火が消えれば、二人は死んでしまいます。二人はその事もよくわかっています。

 

 ですが、作品のラストで二人は笑っています。いがみあっていた二人はラストでは互いを信頼しあっているかのようです。何故でしょうか。それはふたりとも死力を尽くして闘ったからです。そしてこれ以上はもう何もできない、この先、何があろうとそれは彼らの物語の範囲の外にある事です。彼らはやりきったのです。

 

 例えば、こんな風にも考えられます。もしかしたら、二人が座り込んで酒を飲んでいるうちに、奇跡的に救いのヘリコプターがやってきて二人を救出する。その可能性もなくはありません。

 

 可能性はたくさんあります。二人がそのまま死ぬ可能性。二人のうちどちらか、あるいは両方が宇宙人の可能性。宇宙人がまだ生きて残っていて、二人に襲いかかり、二人を殺す可能性。宇宙人はすべて死滅しており、二人のもとに奇跡的に助けがやってきて、二人が救出される可能性。

 

 可能性はいくらでもあります。行儀の良いエンターテイメント作品なら、私があげた最後の可能性がラストシーンとして選ばれるでしょう。ですがジョン・カーペンターはそれを選びませんでした。

 

 それは何故かと言えば、繰り返し言ったように、二人の人生はあのシーンで途切れているからです。その後の部分は余白だからです。

 

 人はその余白の部分、結果を知りたがります。二人は助かったのか、殺されたのか。二人のうち、どちらが宇宙人だったのか、等々。

 

 ですが、もう結果は関係ありません。結果は二人を見舞う運命に過ぎません。それはいわば、神が決める事です。

 

 シーシュポスがそうだったように運命は神が決める事です。ですが、人ができる事は力の限り運命と戦う事です。そして闘い切った時には、もうそこでその人間の人生そのものは完結しているのです。結果ではなく、(もうこれ以上できない、やりきった)と心から言えるような瞬間があらわれれば、そこには何かが大切なものは完結しているのです。

 

 大袈裟に言えば、私はジョン・カーペンターはそういう人間の運命をあの作品で描いたのだと思います。だからこそ、あの作品のラストは暗いエンディングのようにみえながらも、どこか明るい輝きを持った、独特な終わり方になっているのだと思います。

 

 あのラストシーンこそが、「遊星からの物体X」をただの傑作B級映画ではない優れた作品に仕上げている。私はそう思います。

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