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陰陽奇譚  作者: さざれ
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7

 その言葉に、月白はまず高澄に確認を取った。

「あなたの依頼の用意をしているところだけど……」

「私は構わない。菖蒲の君、どんなお話なんだ?」

「ありがとうございます。お話があるのは、実は私ではなくて……」

 菖蒲の君はそう言い、舎殿の方へ声をかけた。廊下に続く戸が開き、そこから女房装束の娘が出てくる。高澄には見覚えのない顔だ。

「皇后陛下にお仕えする藤式部とうのしきぶと申します」

 娘は軽く頭を下げ、自己紹介をした。

(なるほど、皇后陛下に……)

 高澄は納得した。どうりで見覚えがないはずだ。皇后は藤原家の娘で格式の高い弘徽殿を賜っており、長子である第一皇子が東宮として立ってからは権勢が揺るぎないものになっている。

 高澄が仕える第二皇子尊継は梨壺女御の子であり、第一皇子にとってはあまり愉快な存在ではない。藤原の流れに属さないからだ。だが、第一皇子の陣営を脅かすほどの力がないことは誰の目にも明らかなので積極的に敵対しているわけでもない。微妙な間柄なのだ。

 そうした関係で高澄もあまり弘徽殿へは近づかない。皇后と面識がないわけではないし、傍仕えの女房たちの中にも見知った顔は何人かいるが、全員を知っているわけではない。藤式部と名乗ったこの娘のことも知らなかった。

 皇后と承香殿女御の仲は悪くないし、菖蒲の君は面倒見のいい性格だ。藤式部と女房どうしで付き合いがあったのだろう。

 藤式部は目を伏せ、口を開いた。

「……最近、なんだか体が重くて。夢見も悪くて、眠っても疲れが取れないんです。お祓いをしてもらっても、効いているのか効いていないのか分からなくて……物怪もっけの障りではないかと思うのですが……」

 話すことも億劫そうで、化粧で隠しているが顔色も悪い。高澄は思わず同情した。

「それはかわいそうに。なんとか……」

 なんとかしてやってくれないか、と言おうと月白の方を向いた高澄は、思わず腰の太刀に手をやった。

 月白の瞳が、得体の知れない光を宿している。どこか見覚えがあるような、静かだが強い誘因力があるような……。奇妙に惹きつけられるのに、危険だと本能が囁いている。ちぐはぐな感覚に総毛立った。

 だが、そんな感覚を覚えたのは高澄だけのようだった。ひっと息をのむ音が聞こえて目をやると、菖蒲の君が高澄を見て怯えた表情をしている。そこで初めて高澄は我に返った。月白の様子は普段と変わりなく、高澄が急に血相を変えて太刀の柄に手をやったという状況なのだ。藤式部もこちらに怯えた目を向けている。

 高澄は太刀から手を離して謝った。

「すまない。何もするつもりはないんだ。ちょっと変なものが見えた気がして……」

「……ようございました。高澄様まで物怪に憑かれてしまったかと思いました」

 菖蒲の君が胸を撫で下ろした。籐式部も警戒を少し解いたようだ。月白はちらりと高澄に視線を向けたものの何も言わない。

「それで、どうなのだ? なんとかしてやってくれるか?」

 気を取り直して高澄が問うと、月白は曖昧に答えた。

「根本的な解決は、すぐには出来なさそう。でも、症状を軽くすることなら出来るわ」

「お願いします! 気が塞いでつらくて、本当にどうにかなってしまいそうなんです。どうか助けて……!」

 籐式部は哀願した。その様子に哀れを誘われ、任せろと喉元まで出かかったが、それを請け負うのは高澄ではない。なんとか言葉を飲み込んだ。

 助けを求められた月白は心を動かされた様子もなく、具体的な金額を答えた。

「この金額の半分を前金で。残りは成功報酬で。それでどうかしら」

 え、と籐式部は瞬いた。

「お金、取るんですか……?」

「当然。私は陰陽師として依頼を受けようと言っているのよ」

「それは……そんなに大がかりになるのか?」

 高澄は思わず口を挟みかけた。こんなに困っている人が目の前にいるのにお金の話をするのは無粋だと思ってしまう。準備によほど費用がいるとかなのだろうか。

 月白は冷めた目を高澄に向けた。

「なら、あなたが出す? いいわよ、それでも」

「あ、いえ! きちんと払いますから、お願いします!」

 籐式部は慌てたように口を挟んだ。初対面の男性にお金の借りを作るのは怖いということだろう。月白の提示した金額は決して安いものではなかったが、高澄にとってはどうということもない金額だ。そのくらいの額は肩代わりしてもいいと思ったのだが、本人が嫌がるなら無理強いはしない。

「では、どこか場所を用意してもらえる? あまり場所はとらないし時間もかからないけれど、廊下を占拠していては通行の邪魔だわ」

 月白の言葉に、近くの人にちょっと尋ねてきます、と菖蒲の君は場を辞した。それなら私も、と籐式部も彼女の後を追う。

 二人の姿が見えなくなってから、高澄は思わず月白に苦言を呈した。

「さっきの言い方だが……もっと何とかならなかったのだろうか」

「…………。先に言いたいのがそれなの?」

「あっ……そう言えば」

 月白の異様な様子のことも不思議だとは思っていた。だが女性二人が何とも思っていなかったようなので、高澄の勘違いかもしれないと思っていたのだ。月白の方から言及するとなると、やはりあれは勘違いなどではなかったのだろうか。

 だが、それは後だ。話が途中だ。

「彼女、顔色が悪かったし参っていそうだった。何もそこまでがちがちに仕事の話にしなくても……」

「無償で人助けをしろと? 彼女はあなたの恋人か何かなの?」

「恋人でも何でもないが、それが人の情けというものだろう」

 言い諭しながら、高澄はなぜだか居心地の悪い思いを味わっていた。間違ったことは言っていないと思うのだが、本当に自分は間違ったことを言ってはいないだろうか。

 そう思ってしまうのは、月白の視線が冷たいからかもしれない。

「私には人の情けが無いと、あなたはそう言いたいのね」

「……っ! いや、そうではないのだが……言葉の綾というか……」

 月白に情がないと言いたいのではなく、そう見えるかもしれないから改めてはどうかと言いたかったのだが、月白は高澄の言いたいことを理解しているようだった。そのうえで態度を決めているのだ。

「私は正当な報酬を要求するだけ。それを呑むかどうかは彼女が決めることだわ。あの様子だとあなたに払わせるつもりは無いようだし、あなたが口を挟むことではないわよ」

「……それは、そうなのだが……」

 そう言われてしまうとそれ以上食い下がる理由がない。話はすでに月白と籐式部の間のものになっているのだ。

「……だが、そうではなくて……」

 高澄が問題にしているのは、依頼の話そのものではなく、あまりにも頑なに見える月白の態度の方だ。守銭奴にさえ見えてしまうのは宮廷においてどうなのだろうと思うのだが、そういえば彼女は宮廷人ではなかった。市井の一般人だ。超然とした態度、気品のある物腰、端正な美貌といった要素からついつい失念してしまうのだが。

(お金に困っているようには見えないのだが……)

 色々ともやもやしてしまうが、これ以上話を続けてもいい方向に行かないだろうことは分かる。月白との関係をあまりこじらせたくないし、口を噤むべきだろう。

 そうしている間に菖蒲の君が戻ってきた。

「お待たせいたしました。時間がかからないならということで、しばらく使う予定のない場所を確保できました。どうぞこちらへ」

 菖蒲の君が案内に立つ。月白は高澄に目をやることもなく彼女の後へ続いた。

 なんとなく釈然としない思いを抱え、高澄も後を追った。

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