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陰陽奇譚  作者: さざれ
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 外国とつくにの後宮は閉ざされているところもあると聞くが、和国の後宮は割と開放的だ。天皇の后たちが中心となった文化的な社交の場であり、子供たちの声が響く生活の場でもある。素性の怪しい者はさすがに出入りできないが、高澄は誰何されたことはない。今日も衣冠姿――光覧帝のときに始まった、位階がざっくりとしか分からない色合いのもの――だが、顔を覚えられているのか雰囲気で分かるかなのだろう。高澄が連れている月白も止められることなく後宮の殿舎へと上がった。

「今は凝華舎の主がいないから、公卿がたが待機場所として使っておられる。そこなら清涼殿からも遠くないし、少し座って飲み物を飲むくらいできるだろう」

「ええ、ありがとう」

 月白は端然と整えられた御殿に心を動かされた様子もなく頷いた。その眼差しが実際的で、芸術面を鑑賞するのではなく機能面を観察する者のそれだ。後宮の妃たちとは佇まいからして異なる。

(……太白どのも謎が多いが、この子も不思議だな。女性の身で陰陽師としてやっていくのは大変だろうに。太白どのとはまさか親子でもないだろうし、親御さんはどうしていらっしゃるのか……)

 気にはなったが、詮索するようなことではない。もしも困ったことがあれば力になりたいとは思うが、そうでなければ余計なお節介だろう。高澄は思考を打ち切った。

 そこへ女性の声がかけられた。

「あっ、高澄様!?」

「ん? ああ、菖蒲の君。久しいな」

「本当ですよ! もっと私どものところへもお越しくださいな。姫様も寂しがっておられますよ」

「悪いな、最近忙しくて。姫君もお元気でいらっしゃるか?」

「ええもう、元気すぎて……ところで、そちらの方は?」

 会話に置いていかれる形になっていた月白の方を向き、高澄に話しかけていた女性――菖蒲の君が尋ねた。華やかに重ねた袿と表着、長く引きずる裳という女房装束だ。

「こちらは陰陽師の月白どのだ。月白どの、こちらは女房の菖蒲の君。承香殿女御に仕えておいでだ」

「陰陽師……? 女性の身で……?」

 紹介されて礼をした月白に、菖蒲の君は胡乱な目を向けた。月白は黙って目を伏せている。

 高澄が代わりに答えた。

「そうだ。私が仕事を依頼した。よしなに頼む」

「……ええ、高澄様がそう仰るなら」

「ありがとう。ついでと言っては何だが、もう一つ頼まれてくれないか? 彼女に白湯をあげてほしいんだ」

 高澄の図々しい要求に、菖蒲の君は吹き出した。笑いながら言う。

「まったく、高澄様には敵いませんね。よござんす、お持ちしましょう。少しお待ちくださいね」

 言いおいて廊下を去っていく。その後姿を見送り、月白はようやく口を開いた。

「姫君、とは?」

「承香殿女御の生みまいらせた弟姫君だ。御年五歳におなりで、たいそう可愛らしくていらっしゃる」

「なるほど、懐かれているのね。……あなた、女子供に受けがよさそうだものね」

 月白はしげしげと高澄を眺め、納得したように頷いた。高澄は首を傾げた。

「特にそんなことはないと思うが。姉二人からは割とさんざんな扱いを受けているし、子供に懐かれるわけでもない。むしろおもちゃにされている気がする」

「それを懐かれていると言うのよ。姉君たちからも可愛がられているようね」

「そうだろうか……」

 自分では特にそう思えないのだが、第三者から見るとそういうことになるのかも知れない。高澄は確信なく首をひねったが、強いて反論するつもりは無い。

「それで、さっきの人はあなたの情人なの?」

 高澄は目を瞬かせた。月白がそういうことを聞いてくるとは思わなかった。だが、正直に答える。

「違う。彼女、結婚して夫も子供もいるぞ?」

「そのくらいのことは恋の妨げにならないんじゃない? そういうのが内裏だと思っていたのだけど」

「あー……」

 高澄は言葉を選ぼうとしたが、そもそも自分にあまり語彙力が無かった。

「……そういう価値観の人がいるのは確かだが、私は同意できないな。……もしかして、太白どのが来られるときのことを考えているのだろうか」

「……まあね。正直なところ、諦めてはいるけれど……」

 月白は溜息をついた。疲れたような様子に思わず同情してしまう。あの太白が人の多い内裏に来てそのまま大人しく帰るとは思えない。

「あなたも苦労するな……」

 陰陽師として動いて、師匠のフォローもして、年若い少女なのに偉いと思う。月白は十六歳と聞いているが、いくら結婚できる年であるとはいえ彼女は自分より五つも年下なのだ。まだほんの少女ではないかと思ってしまう。

 月白は安心したように息をついた。

「まあでも、少し安心したわ。あなたは不義密通とかしなさそうだものね」

「もちろんしない。お誘いがあっても丁重にお断りする。一人の女性のところに男が何人も通うのはよくないからな。結婚前の娘もよくない。私が誘いに応じるとしたら未亡人くらいだな」

「え!? 応じたりしているの!?」

「応じることもあるぞ」

 月白がなにをそんなに驚いているのか分からない。高澄は首を傾げながら肯定した。月白はしばし絶句し、思わずといったように叫んだ。

「不潔!」

「ええ!?」

 そんなことを言われても困る、というのが高澄の正直な思いだ。互いに割り切った関係だし、お天道様に恥じるようなこともしていない。見返りに行う援助も感謝されていると思う。

(むしろ私は大人しい方だと思うのだが……)

 悪友たちの所業を聞くと引くようなことも多々ある。そういうときの高澄はむしろ諫める側だ。だが、それを言っても月白の機嫌は直らないだろう。こういう時は黙っているに限る。高澄の経験則がそう言っている。

 二人の間に流れる空気がなんとなく重く感じられるようになり、会話が途切れた。そこへ菖蒲の君が戻ってきた。

「お待たせしました。……あれ、何かありました……?」

「いや、特には。菖蒲の君、ありがとう」

 高澄は心からお礼を言った。いいタイミングで戻ってきてくれた。

「畳を持ってくるには少しかかりますが、どうしましょう?」

「いえ、この場で頂きます。お飲み物をありがとうございます」

 月白が答えた。ここは簀子縁だが、休憩くらいなら充分だと考えたらしい。そうした気取らなさは高澄にとって好ましいものだが、これ以上余計なことを言って月白の機嫌を損ねたくはないので黙っておく。

「では、どうぞ。白湯と麦湯とお持ちしました。ちょうど用意があったものですから」

「ありがとう、菖蒲の君。月白どの、どちらがいい?」

 会話のきっかけをくれた菖蒲の君に心の中で感謝しつつ、高澄は盆に乗っている二つの椀を月白に示した。月白はまだ不機嫌そうではあったものの、険を少しおさめて高澄の言葉に答えた。

「麦湯を頂いてもいい? なかなか飲む機会がないの」

「では私は白湯を」

 それぞれの椀を取り、高澄は白湯を口に含んだ。それなりに鍛えているので歩き疲れるほどではないが、喉は乾いていたので暖かい水分が嬉しい。月白もほっとしたような表情で麦湯を飲んでいる。

 市井の女性であれば自らの足で動くことも多い――対して貴族女性はあまり動かず、移動は牛車でということも多い――が、少女の足には少し堪えたかもしれない。内裏に慣れていなければ気疲れすることもあるだろう。まして月白は気を張っていたし、気を尖らせていた。きっと高澄が想像する以上に疲れているだろう。休憩を提案してよかった。

 二人が飲み終えると、菖蒲の君は椀を回収して脇へ置いた。持っていかないのだろうかと不思議に思って視線で問うと、菖蒲の君は少し躊躇ってから切り出した。

「陰陽師どの。少しお力をお借りするわけにはいかないでしょうか?」

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