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「……っ!」
高澄は思わず立ち上がり、拳を握りしめた。月白も素早く立ち上がる。高澄の肩あたりにしか届かない小柄な体で、恐れ気もなく高澄を見据えた。
「……っ、あの方が、どれほど苦労されていると……」
「分からないわ。想像することはできるけど、どこまで正しいかは分からない」
月白は静かに言い、
「説明するから座ってちょうだい。怒るなら、その後にして」
高澄が蹴飛ばさんばかりにした円座を示し、飲み物でも持ってくると言い置いて部屋から出て行った。
「…………」
意味もなく拳を握ったり開いたりした後、高澄は円座にどかりと腰を下ろした。腕を組んで目を瞑り、無の境地になろうと……
「ねえ」
……できるわけがなかった。ふわりと薫香が漂って、目を開くと、太白が少しこちらに身を乗り出している。
「…………何か?」
月白は弁が立つし、太白は得体が知れないし、尊継の状況は厄介だそうだし、何が出るか分からない室に迷い込んだ気分だ。蛇が出るのか百足が出るのか、それとも狐狸か。それよりもずっと厄介そうだが。
また誘惑めいたことでもされるのかと警戒する高澄に、太白は声をひそめて囁いた。
「……あの子のこと、どうか嫌いにならないであげて。ちょっと気が強いけど、悪い子じゃないのよ」
「……別に、ならないが」
答えながら思い返すと、初っ端から鼻先で戸を閉められたり、話を始める前から却下されたり、言いたい放題に言われたり、そういえば散々な扱いを受けた後だった。それで悪感情を抱くかといえばそうでもなく、まさか少女の可憐さに目を眩まされているのか、いや、むしろ……
「……利発な子供とか、口の回る姉とかにやり込められているような感じだな」
自分の言葉に納得して頷くと、太白は軽く笑い声を上げた。
「しみじみしちゃって。どっちも経験がありそうね」
「まあな……」
尊継は高澄よりも二歳下であるが、頭を使う分野のことで勝てた試しがない。うるさい姉がいるのも本当だ。しかも二人も。いまさら年下の少女に言い負かされたところで、別に恨みに思うこともない。尊敬する尊継のことを貶められた気がして先程はかっとなったが、それもそろそろ冷めてきた。改めて怒るかどうかは話を聞いてから判断しても遅くない。
「なるほど、なるほど……。これはちょっと、面白いわね」
「何がだ?」
「あなたが男らしい朴念仁だってことよ」
「はあ?」
素っ頓狂な声が出る。いったいいつ誰がそんな話をしていたか。こういう太白の言葉は月白に倣って戯言と無視するのがよさそうだ。
そうしているうちに月白が戻ってきた。盆に素朴な碗を三つ乗せており、碗の口からは湯気が立っている。簡単な台を出して供してくれたのでお礼を言うと、月白は目を見開き、ぎこちなく頷いた。
「……大したものじゃないけど。柿の葉のお茶よ」
「初めて見た。柿って、実を食うものじゃないのか」
「一般的にはそうだけど。こうすれば葉っぱも使えるの」
「お肌にもいいのよ」
その効能には全く心が動かないが、飲んでみると仄かに甘くて飲みやすい。渋柿の連想から渋さを警戒したのだが、まったくそんなことはなかった。お菓子にも良く合いそうだ。
「……ああ、そうだ」
高澄は懐から包みを取り出した。唐菓子をお裾分けに貰ったから、姉たちへの土産にしようと持ち帰ってきていたのだ。
「貰い物だが、よかったら。お茶請けになるだろう」
包みを解き、四角い菓子を見せる。米を弾けさせたものに糖を絡めて固めたものだ。月白が目を輝かせた。太白も嬉しそうな表情をする。
「これ、粔籹? 頂いていいの?」
「名前は知らんが、甘いものだ。口に合えばいいが」
子供の頃はまだしも、成長した今はそれほど甘いものに惹かれない。喜んでもらえるなら喜んで譲る。姉たちへはいつも土産を持ち帰っているから、今回くらいはいいだろう。
「いただきます」
月白は手を伸ばして一つ摘まみ、小さく齧った。その表情がたちまち綻ぶ。
「甘い。美味しい……」
食べ進めながら、幸せそうな吐息を零す。つられて高澄の方も微笑んでしまう。
「私にも、少しちょうだい」
太白も長い指で粔籹をつまみ、確かめるように齧った。
「うん、美味しいわ。いいわね、こんな甘いお菓子がお裾分けに貰えるなんて」
「ほんと。宮廷って全国から美味しいものが集まるのでしょう?」
「そうだな、宴のときは毎回圧倒されるな。普段はまあ、普通なのだが」
忙しいと食事を抜いてしまうこともあるくらいだ。高澄はいちおう宮廷人だが、そこまで市井とかけ離れた生活を送っているわけではない。
「月白、お口を開けて」
「え、くれるの?」
自分の分を食べ終えて余韻に浸っていた月白に、太白が声をかけた。月白は驚きながらも喜んで、いそいそと口を開ける。
高澄は思わず喉を鳴らした。べつに家族ならおかしい振る舞いではないが、二人とも十分以上の美人だ。美女(?)が美少女に手ずから菓子を食べさせる様子には、なにやら背徳的な官能性が漂って、見ているこちらが赤面してしまいそうになる。そもそも、食べている姿はあまり人目にさらすものではないのだ。
太白のほっそりした指が菓子を支え、月白の柔らかそうな唇から真珠色の歯が零れる。菓子がさくりとした音を立てて噛み切られ、破片を追うように舌が艶めかしく動く。
(……………………)
高澄はむりやり視線を引きはがし、今度こそ無の境地を追い求めた。