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月白が見抜いたように、高澄――源高澄は中務省に所属する侍従だ。光覧帝の大改革の折に蔵人所が大舎人寮と一体化して中務省に編入され、内舎人その他とも統合されて出来た役職だが、名称は従来のものを引き継いでいる。
光覧帝の改革が目指したのは更なる中央集権化であり、重複や無駄を減らすことであり、律令を拡張して実態に即したものへと正すことだった。
律令とは儒教の教えを制度化したものであるから、改訂など不敬にもほどがある、罷りならんと吠えた守旧派もいたが、帝は改革を断行した。
それは帝が藤原家と強く結びついて宮中を掌握したから可能だったのだが――別の見方をすれば、藤原家が無視できない勢力になって律令を改変せざるを得なくなったとも言える――、もう一つ決定的な理由が、大陸の混乱だった。
近年、隣国との正式な国交は無いに等しかったのだが、大国として文化的な影響を強く及ぼしていた隣国が瓦解し、二十を超える小国に分裂した。その混乱をもたらしたのはさらに西に位置する大帝国なのだが、帝国が交易網をこの和国にまで広げてきたことに伴って、様々な文化や学問が流入してきたのだ。それは儒教の地位を相対的に低下させ、国家意識と危機意識を高め、改革を可能にした。
そうした中にあって、従来は東宮坊などにも分かれていた職務が皇室のものとして一本化され、侍従は中務省に所属したまま各皇族のもとに遣わされるようになった。
高澄もそうした侍従の一人で、梨壺女御の生みまいらせた第二皇子――尊継殿下に仕えている。
高澄は簡単に自己紹介を済ませてから、尊継について説明した。
「お年は今年で十九になられ、智に秀で、式部卿のつとめを立派に果たしておられる。しかし、少々……お体が弱くていらっしゃるのだ」
式部省は官吏の考課を担当する重要な部署だ。その頂点に立つ式部卿は四品以上の親王が任じられる重職で、今年の早春に空きができたため、大学寮で明経道を修めていた尊継に白羽の矢が立った。それから数か月、ときおり体調を崩しながらも、その失を補って余りある働きを見せていたのだが……
「もうじき秋の除目がある。式部卿として出席すべきなのだが、体調が思わしくない。重要な行事の前に体調を崩されることは以前からも度々あったのだが、医師や薬師や僧侶、陰陽寮の者に相談しても理由が分からず、なかなか改善しない」
「いちおう聞くけど、緊張に弱いわけではないのよね? 周期性も無い?」
「どちらも無い。試験などご自身だけの事なら問題なくこなされるし、大きな行事であっても突発的なものならむしろ卒なく対応なさる。それに、言いにくいが……整えられた儀式ほど相性が悪くていらっしゃるようなのだ。仕組まれていると考えざるを得ない。参内さえ苦痛な時があるようで、普段は里内裏に住んでおられる」
「式部卿は名誉職の意味合いも強いわ。次席の式部大輔に代行させるのではいけない?」
「式部卿になられてから始めての除目だ。お出でにならなければ、そんなに体が弱いのか、務めも果たせないのではないか、そんなふうに思われてしまいかねない。それは何とか避けたい」
それに、と高澄は続ける。
「……できることなら、式部大輔に頼むのも避けたい。大輔は例によって藤原の一族だ。同じ藤原に連なる左大臣との繋がりが強く、こう言っていいのか分からんが……式部卿宮とは陣営が異なる。宮の母君は藤原ではないのだ。それに、無いとは思いたいが……人事考課に関して多少の融通を利かせたいと思うなら、上に立つ宮は厄介だろう。ここで長のように振る舞わせてしまうのは危険だ」
「……厄介ね」
月白が唸り、横に座る太白と視線を交わす。円座を勧められ、座って話をしていたのだが、太白はしどけなく片膝を立てた格好で膝に肘をついて手の甲に顎を乗せ、思案する格好になった。その体勢で流し目を送るようにして美少女と視線を交わしているものだから、こちらは見ていてどぎまぎする。月白の方は膝を揃えて端然と座っているのだが、二人の取り合わせはちぐはぐなようでいて妙にしっくり馴染んでいる。
「そうねえ。調べてみないと断言はできないけれど、聞いた限りでは典型的よね」
物憂げに太白が言うので、高澄は何度目になるか分からない驚きで声を上げた。
「え!? もう見当が付いているのか!?」
二人が揃って頷く。月白が口を開いた。
「多分ね。そういうとき第二皇子殿下のご体調は、夜に回復傾向になるのでは? それと、療養のために下がられると、それほど時間も経たずに回復なさるんじゃない?」
「……どちらも、その通りだが」
「……………………」
言い当てられたことに高澄は驚くが、二人の表情は晴れない。
「もしかして、難しい病なのか?」
「あー……うーん、ええと……ねえ?」
「難しいっていうか……厄介よね……」
太白が視線を泳がせ、月白は厄介だと繰り返す。
「はっきり言ってくれ。治せるなら、金に糸目は付けない」
「あなた、交渉下手ねえ。必死なところを見せたら付け込まれるわよ。そんなところも可愛いけど」
太白が色っぽく含み笑いをする。月白は半眼でちらりと見やって師匠の戯言を窘め、
「じゃあ、はっきり言うわ。第二皇子殿下は、たぶん皇子に向いていないのよ」