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「でも正直、こういうことって割とありますよね。理不尽ですけど……」
「理不尽をいちいち嘆いていたらやっていけないぞ。人も自然も陰陽道のあれこれも、理不尽だらけだ」
「違いない」
年若い陰陽師の言葉を、年上の陰陽師たちが笑い飛ばす。月白と高澄だけが笑っていない。
高澄は会話の雰囲気を壊さないよう、気楽さを装って慎重に口を挟んだ。
「世の中に理不尽が多いのは同意だな。だが、私はこれでも中務省の所属だし、目の届く範囲のことは正したいと思っているぞ。私のお仕えする宮は式部卿であらせられるし、人事に公正を期してくださるお方だ。人の理不尽があるなら、知らせてくれると嬉しい」
陰陽師たちは顔を見合わせた。やってしまったか、と高澄は言葉を引っ込めたくなったが、そういうわけにもいかない。何食わぬ顔で歩いていると、やがておずおずと一人の陰陽師が口を開いた。
「……いえ、高澄様のことを信頼していないわけではないのです。高澄様がそう仰るなら、式部卿宮も公正な方でいらっしゃるのでしょう。でも、その……式部卿宮はあまりお体が丈夫ではいらっしゃらないというお話ですし、除目が終わったら交代という噂も……」
「馬鹿! 言いすぎだ!」
「……っ!」
隣の陰陽師が慌てて窘め、言葉が途切れた。高澄は瞬間的に沸騰し、思わずこぶしを握った。
と、そんな高澄の裾をついと引く手があった。
思わずそちらを見ると、月白が諫めるように高澄の裾を引き、こちらを見上げている。透徹した眼差しに、高澄は頭の芯が急激に冷えていくのを感じた。
そういえば月白も、先ほどは不愉快な言葉をかけられて怒っても当然のところを、怒らずにやり過ごしていた。見習わなければならない、と高澄も冷静になる。
「……お体が弱くていらっしゃるのは事実だが、私は全力でお支えするつもりでいるし、除目の後も宮は式部卿の任を果たしてくださると信じている。その上で聞きたいのだが、式部省に何かあるのか? 人事に関して何か言いたいこととか?」
高澄は落ち着いた口調で尋ねた。高澄が冷静さを取り戻したおかげか、硬くなりかけた場の雰囲気も少し和らいだ。そうなると言いたいことも出てくるというものだ。先ほどの一人が再び口を開いた。
「これは噂ではなく、私の友人が実際に被害に遭ってしまったのですが。今代の式部大輔は左大臣との繋がりが深く、彼の庇護のもとで権力を濫用しているのです。左大臣の都合のよい者をその地位に据えるために、私の友人はありもしない失敗を言い立てられて左遷されてしまいました。勤務記録をきちんと調べれば言いがかりだと分かるはずなのに……」
「……それは調べてみよう」
高澄は請け合った。その友人の名前と所属を聞き、心に留めておく。
「しかし、そうなのか。式部大輔が……」
「式部卿が宮に変わられたのは数か月前のことでしたね。それ以降は大輔も大人しくしているようなのですが……裏では分かりません」
高澄の仕える第二皇子尊継が任じられている式部卿が式部省の長官で、式部大輔はそのすぐ下の地位に当たる。
式部卿宮が体調不良で除目に参加できない場合は代役を式部大輔に頼むことになるのだが、それは避けたいと元々から思っていた。式部卿宮と陣営が異なる彼に存在感を示されてしまうと、のちのち式部卿宮が動きにくくなる。権勢を誇る左大臣との繋がりが深い式部大輔に主導権を握られてしまうと癒着が起こるのではと案じていたのだが、すでに起きた後だったというのだ。
(日数がないが、確かめないといけないな。その前に宮にお会いしておかないといけないし……)
高澄が心の中で算段をつける間も、陰陽師の話は続いている。
「式部大輔については、他にもあまりいい話を聞きません。吝嗇だとか、権勢欲が強いとか……」
「ああ、俺も聞いたことがある」
「ふーむ……」
吝嗇さも権勢欲の強さも褒められたことではないが、それだけなら個性の範囲だ。非難する筋合いは無いが、それが権力の濫用に繋がっているのなら大問題だ。噂はあくまで噂だが、情報として集めておこうと高澄は聞き役に徹した。月白も大人しく耳を傾けている。
(話を聞いている限り、ろくな人物ではなさそうだな。殿下には式部卿として上に立って頑張っていただかないと。そのために私も頑張って動かないとな)
高澄は決意を新たにし、心の中で意気を上げた。
そうした話をしながら、一行はやがて紫宸殿の東の軒廊についた。ぞろぞろとやってきた陰陽師たちに、軒廊御卜の準備をしていた陰陽師たちが何事かと目を丸くしている。陰陽寮にいるはずの者が揃ってやって来たのだから驚くのは当然だろう。
儀式を見学したいという人の案内をしてきた、仕事を放り出して何をやっているのか、まあまあそう言わず……などと怒ったり怒られたり取り成したりしながら、儀式の準備は進んでいく。
今回の御卜は近国で起きた山崩れに関するもので、その原因と天意を占うものだという。国家的な問題についての重要な卜占なので、陰陽師だけではなく神祇官も呼ばれており、軒廊の西側で同じように準備を進めている。
やがて儀式が始まったが、御卜そのものは特に目新しいこともなく淡々と進行していった。神祇官は玉串を捧げて祝詞を奏上しているし、陰陽師は式盤を用いて占っている。高澄自身はとくに注意して見ているわけではないが、朝廷ではこうした儀礼が日常茶飯事だ。どれと何がどう違うのか、どんな意味を持っているのか、気にしたことがなくてさっぱり分からないが、見慣れてはいる。
高澄にとっては珍しくもない光景だが、月白にとってはもちろんそうではない。同じ陰陽師として着眼点も違うのだろう、食い入るように熱心に見ている。
そんな月白の横顔を見ながら、高澄は後宮での祓いのことを思い出していた。目の前で大掛かりに行われている卜占よりも、月白が即興で行った物怪祓いの方がずっと見ごたえがあったのに、と考えてしまう。
(でも、菖蒲の君には何も見えていないようだった。当事者の藤式部も私のような衝撃を感じたわけではなかったようだし、あれはいったい何だったのだろう……?)
機会を捉えて月白に尋ねてみよう、と思いつつ、高澄は単調な儀式のせいで襲ってきた眠気をこらえ、あくびを奥歯で噛み潰した。