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陰陽奇譚  作者: さざれ
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「すまない、嫌だったか? 敬称をつけなくていいと言ってもらったように思ったんだが……」

「私にまでそんな敬意を払うことないわよ、って言ったの!」

「そういえばそういうふうに言われた気もする。だが同じことだろう?」

「…………」

 月白は顔を赤くして口をぱくぱくさせている。自分は別に間違ったことを言っていないと思うのだが、解釈の違いでもあっただろうか。他人に敬意を払うのは当然として、形ばかりの敬称を省こうという話だと思ったのだが。

(しかし、こうして見ると……普通の少女だな)

 悪い意味ではなく良い意味で、普通だ。女性ながらに陰陽師で、家族構成もよく分からなくて、人並み外れた美貌を持っていながら、その感性はごく普通の少女のものだ。高澄は思わず手を伸ばした。

「え……? ……ちょっと!?」

 わしわしと頭を撫でられた月白が動揺した声を上げる。驚いてはいても嫌がってはいなさそうだったので、高澄はそのまま月白の頭を撫で続けた。力を籠めれば壊れてしまいそうな小さな頭で、まっすぐな黒髪はさらさらと指通りがいい。

「犬猫はもっともふもふした手触りだったんだが……これはこれで触り心地のいいものだな」

「!? 人を犬猫と一緒にしないで!」

「小さくて可愛らしいものという意味だ」

「…………!」

 月白がさらに顔を赤くする。怒っているのか恥ずかしがっているのかふるふると震えているが、その様子も可愛らしい。……からかっていじめてみたくなってしまう。

 だが、やりすぎはよくないだろう。高澄は未練を抑えて手を引っ込めた。

「行くか、月白」

「あなたが立ち止まったんでしょう!?」

 まだ声を荒げつつ、月白は怒ったように足取りを速めて高澄を追い抜いた。

 しばらく月白に先を任せて歩いてみるが、彼女の足取りには迷いがない。陰陽寮の場所を知っているのは確からしい。

 天皇の住まいである内裏の中ではなく、内裏を含む大内裏、行政機関が集まるその中に陰陽寮もある。じつを言うと陰陽寮は、高澄の所属する中務省の下部組織なのだ。建物がいちおう別々になっているが、ほとんど一体化している。

 内裏はさすがに入りにくいだろうが、大内裏は一般の人もわりと立ち入ることがある。役人の家族が忘れ物を届けに来るようなことも日常茶飯事だ。月白も実際に来たことがあるのだろう。

「しかし、意外だな」

「何が?」

「陰陽師だから陰陽寮を見てみたいというのは当然だと思うのだが、月白は宮廷とか国の役人とかそういうものが嫌いなようだし、近づきたくないのかと思っていた」

「……!」

 月白が目を瞠る。図星らしい。だが、取り立てて隠してもいなかったし、普通に分かると思う。それか高澄のことをよほど鈍いと思っていたのか。

「……その通りよ。正直に言うと悪印象があるわ。……でも、見てみたいの」

「そうか。なら行くか」

 高澄は頷き、また前を向いた。だが月白からの視線を感じてまたそちらを向く。

「……理由を聞かないの?」

「聞いてほしいなら聞かせてくれ」

「……いえ、そういうわけではないけれど……」

 歯切れが悪い。高澄は首を傾げた。べつに悪い印象を持っているわけではなく、なにか複雑なんだな、というくらいの感想だ。

 月白は呆れのような諦めのようなそういうのとは違うような溜息をついた。

「おおらかというか何というか……あなたって大物よね」

「そんなふうに評されたのは初めてだな。呑気だとか馬鹿だとかはよく言われるんだが」

「それは全部おなじ意味よ」

「要するに貶しているのか? まあいいが」

「褒めてるのよ」

「そうは聞こえないんだが」

 とくに気を悪くしたりせず、高澄は軽く笑って流した。そんな高澄の様子を月白がどこか眩しげに見ている。その反応の意味がよく分からなかったが、高澄は例によってあまり気にせず流した。

「体質と気質は切っても切り離せないものだけど、あなたって根っから陽の存在なのね。まるで夏の太陽みたい」

 月白は高澄をそう評した。賞賛しているというより、事実を淡々と並べているような言い方だ。陽とか夏の太陽などと言われると好ましいもののように思えるが、そうではなく、もっと中立的な捉え方だ。陰と陽、どちらが良いというものでもないのだろう。

(なるほど……。月白は陰陽師だものな。そういえば……)

 高澄はふと何かを思い出しかけたが、月白の言葉で遮られた。

「あなたが陽の存在だからこそ、隠の気が強い第二皇子と相性がいいのかも知れないわね。あまりに似た者どうしだと些細なことで仲違いしてしまったりするものだけど、最初からかけ離れた者どうしならそういうこともないし。このあたりは別に陰陽師としての見解でも何でもなくて、ただ思っただけだけど」

「その考えは面白いな。それに、そうだったら嬉しい。私は殿下を尊敬しているから」

「あなたの殿下をお助けするために力を尽くすわ。前金も頂いたことだし」

 誰に対しても自分のペースを崩さない月白に苦笑し、頼む、と答えた高澄は、ふと顔を上げた。覚えのある香りが漂ってきたのに気づいたのだ。どこか異国的で、ぴりっと辛いような印象の香りは……

「……左大臣」

 供を連れた束帯姿の貴人が、悠々と道を歩いてくる。

 官人の服装規定に関しては光覧帝のときに規則が緩められ、儀式の時はともかく普段の服装は冠や衣の色がわりあい自由で、位が見て取れないこともある。

 だが、左大臣はきっちりと前時代の規範に則った黒色の袍に雲立涌文の袴で威儀を正し、位の高さを誇示していた。衣には香を強く焚き染めてあり、特徴的なこの香りを左大臣は余人に許していない。なんでも、帝から賜った特別な香木をはじめ貴重な材料を多数、特殊な製法で仕上げて香りを出しているらしい。

 どうやら朝堂院に向かうらしく、左大臣は二人の目の前で道を折れた。ぞろぞろと供を連れて歩き去っていく。

「今の方が左大臣なの?」

「そうだ。藤原ふじわらの道興みちおきどの。左大臣に上られて十年、揺るぎない権勢を誇っておられる。先ほど会った藤式部、彼女がお仕えする皇后陛下が左大臣の娘御だ」

「そうなの……」

「ついでに言えば、除目の責任者は彼だ」

「式部卿ではないの?」

「そうではない。もちろん任官者を決定するまでの過程には携わるし、当日も列席するが、任官者を大間書に記入するのは首席の大臣で、責任者も彼になる」

「ちょっと勘違いをしていたみたい。式部卿宮が主導されるものかと思っていたわ」

「まあ、外からでは分からないものな」

 そのことには納得しつつ、高澄は少し首を傾げた。

(こういった細かいことを知らなくても無理はないのだが、それにしても、月白は内裏の事情に詳しいよな……)

「……月白は京生まれなのか?」

「生まれは京だけど、ずっと地方にいたわ。京に戻って来たのは割と最近よ」

「そうなのか。……そう言えば、太白どのの名前を聞くようになったのは最近のことだな。弟子のあなたも行動を共にしているのだろうし」

 それにしては詳しいとは思ったが、深く突っ込む高澄ではない。疑問はさて措いて、納得した面に目を向ける。

「そうね。お師匠様とは長い付き合いだし、一緒に暮らしている時間も長いわね……」

「……いろいろ苦労していそうだな」

「察して」

 あの独特な人物とずっと一緒に暮らすのは気苦労が多そうだ。だが、楽しそうだとも思ってしまう。そんな高澄の心を読んだのか、月白がこちらを軽く睨んでみせた。人の気も知らないで、というところだろう。

「京へ来て日が浅いのに結構な評判になっているのだから、私の依頼がなくてもあなたたちは遅かれ早かれ内裏に関わることになっていただろうな」

「……それが望みよ」

 囁くように小さい月白の言葉は、高澄の耳には届かなかった。

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