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陰陽奇譚  作者: さざれ
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 平安の京、四条堀川。貴人の豪邸と庶民の慎ましい家が入り混じって並ぶあたりに、目的の人物は住んでいるらしい。青年――高澄たかずみは馬を降り、従者に馬を預けて周りを見回した。秋の日はまだ高く、辺りは年齢も格好もさまざまな人々が行き交っている。

(この辺りのはずだが……行どころか町さえはっきりしないとは、いったいどういう家なんだ)

 これではせっかくの区割りも意味がない、とぼやく。

 京に生まれ育った高澄であるから、当然このあたりも何度となく通っているし、目立つ建物ならだいたい見覚えている。だが、目指す家は豪邸ではないらしい。かといって明日にはどうなっているか分からないようなあばら家でもなく、何というか、特徴のない家らしいのだ。

 外観を聞いても、住所を聞いても、はっきりしたことが分からない。ただ一つ確からしいのは、住人が恐ろしく腕のいい陰陽師であるということだけ。祈祷のおかげで命を拾った、占のおかげで富を得た、そういった声が後を絶たない。

 だが、奇妙なことに、どんな人物であったかという問いには皆が揃って言葉を濁すのだ。相当な変人なのだろうが、それはこの際、問題ではない。腕さえ良ければいいのだが……

(……狐狸のたぐいではないだろうな)

 前の世の高名な陰陽師は、母親が狐だったなどと実しやかに伝えられているが、それはともかく。

 噂ばかりが独り歩きし、騙されているのではないか。それらしき家を探して歩き回っているうちに、だんだんと疑いが大きくなっていく。だが、諦めるわけにはいかない。どうしても――

(……?)

 ふと、視界で何かが瞬いた。目をやると、明滅する白い小さな光がいくつか、何の変哲もない門の中に吸い込まれていく。呆気に取られて立ちつくし、あることを思い出して高澄は我に返った。

(そうだ! もしかして……)

 追いかけるようにして門を通り、数段の階を上り、戸を叩く――までもなく、戸が開かれた。

「あの……」

 来訪の目的を伝えようとした高澄は、思わず言葉を途切れさせた。目の前に立っていたのが、あまりに可憐な少女だったから。

 烏帽子や冠こそ被っていないものの、少女は男装だった。無紋の白の狩衣に濃色の差袴。艶やかな長い黒髪が肩を滑って背に流れ、黒目がちの大きな瞳に睫毛は長く、品よく小作りな鼻と口に、細い頤。頬は白桃を思わせる瑞々しさだ。

 少女は高澄よりも二段高いところに立っていたが、それでようやく視線の高さが合うかといったところだった。高澄の背が高いのもあるが、少女は平均よりも小柄なようだった。

 目が合い、何か言わなくてはと高澄は口を開く――

 ――前に、ぴしゃりと戸が閉められた。

 唖然として、目の前で閉ざされた戸を見つめる。

(…………彼女、動いていなかったよな)

 閉め出された衝撃を忘れようと、意識が別のことを考え始める。そういえば開いた時も不自然だった。彼女が腕を動かした様子がなかったのだ。さっきも今も、手も使わず、どうやって戸を操作したのか……

「ちょっと月白つきしろ! お客様なんでしょ!? ちゃんとお出迎えしなきゃ!」

 戸の向こうから華やいだ女性の声が聞こえ、再び戸が開かれた。誰も戸に手を触れていないようだったが、三回目ともなると麻痺して驚かない。

「ごめんなさいね。……あら、いい男」

 高澄を出迎えてそんなことを言ったのは、狩衣姿の、それこそ美しい男性だった。地毛なのだろう黄褐色の髪はわずかに金色がかっており、白皙の細面に涼やかな目元、すっと通った鼻筋に、薄い唇。瞳の色も淡く、緑を帯びて潤んだように艶めいていた。

 高澄ほどではないが背が高く、しかし厳つい印象を与えない。中性的で、艶麗で、天人もかくやと思われるような、水際立った美男子だ。

「…………あなたの方が、いい男だと思うが」

 気圧されて、そんなことを口走る。

 男性は甘く目を細めて笑った。

「あら、ありがと。でも、あなたにそっちの気は無さそうね。こっちの方がいいかしら」

 言うが早いか、男性はしなやかな腕を伸ばして烏帽子を脱ぎ、簪を抜いて髪を解き放った。人前で烏帽子を脱ぐのはとんでもなく破廉恥な行いだし、そもそもその中が髷ではなく簪での纏め髪なのもおかしいし、こんなに髪を長く伸ばす必要もない。呆気に取られて目を見開く高澄の前で、男性の髪が渦を巻いてなだれ落ちる。

「どうかしら」

 ゆるく癖のある長い髪を下ろして微笑んでみせると、そこにいるのはどう見ても美しい女性だった。狩衣姿なのは変わらないのに、男性に見えないどころか、倒錯的な色気が加わっている。思い返せば、声は最初から女性のものに聞こえたのだったが……。

「……あなたが狐なのか狸なのか分からないが……陰陽師の、太白たいはくどのでいらっしゃるか?」

 性別不明の美人は目を見開いた。そして大笑いした。気持ちのいいくらい開けっぴろげな笑みだ。

「あはははは! 聞いた、月白? 男か女かって聞かれたことは数え切れないけれど、狐か狸かって、すごい二択よね!? もはや人間ですらないじゃない!」

 後ろに声を投げかける。後ろから呆れを隠さない少女の声が返ってきた。

「人をからかって遊ぶからそんなことを言われるのよ、お師匠様」

「からかってなんていないわ。私、いつも本気よ?」

 こちらに色っぽく片目を瞑ってみせる。高澄は化かされたような気持ちで、つくづくと思った。

(…………なるほど、これは……説明しがたい人物だ)

 性別不明、正体不明の怪人物だが、お師匠様と呼ばれたこの人が、探し求めた人物だろう。太白どの、と呼びかけると、笑みを残しながらも頷いてみせた。

「高名な陰陽師でいらっしゃるあなたに、ご相談があるのだが」

「私は反対」

 話を始めてもいないのに断ったのは、月白と呼ばれた美少女だった。さきほど声を返したのもこの少女で、渋い顔をしながら玄関前へ戻ってきた。太白の少し後ろから、高澄へ半ば睨むような眼差しを向けている。

「でも、星精がこの人を連れてきたのよ。必要があって来られたのだから、お話を聞くくらい……」

 星精というのは、さきほど門のところで見た光のことだろう。太白とは星の名であり、彼――もしくは彼女――は、名前の通りに星を読み、星の力を使うという。その一端を垣間見たわけだ。もしかしてと思ったが、やはりここに目的の人物がいたのだ。

「聞かなくたって分かるわ。厄介事よ。この人、宮廷の官吏だもの。それも結構な地位のある」

 高澄は驚いたが、隠さずに肯定した。

「まあ確かに、そうだが……なぜ分かった?」

 自宅に戻って着替えたりせず、衣冠のままここに来たから、宮廷の者だというのは見れば分かるだろう。だが、とくに職掌や位階を示すような色や物を帯びているわけではない。腰に佩いた刀とて、べつに目立つものでもない。二代前の光覧帝のときに宮中で大改革が行われたおり、服装に関する制限も大幅に緩められている。

「見れば分かるわ」

 月白は不機嫌そうに腕を組んだ。

「宮廷には陰陽寮があるのに、そちらに話を持っていかない時点で厄介事だと分かるわ。陰陽寮では解決できなかったのか、それとも市井の陰陽師を使い捨てにするつもりなのかは知らないけれど」

「使い捨てになど!」

「じゃあ、前者なのね」

「うっ……」

「それなら、陰陽寮と協力して事に当たるのじゃいけない?」

 太白がおっとりと口をはさんだが、月白はその提案も却下した。

「あちらの面子が立たないわ。陰陽道は男の世界、女は陰の気が強いから陰陽師になることはできない……その通説を信奉して、その論理で動いているのだもの。陰と穢れとの区別もつかない能無しどもが女を排除したせいで、どれだけ自分たちの首を絞めているか。想像もつかないわ」

 辛辣に言い捨てて、

「悪いことは言わないから、帰ってちょうだい。師匠みたいな人を、がちがちの男社会に送り込むわけにはいかないのよ」

「あら、私は構わないけれど。行ってみたいわ。いい男がいっぱいいそうじゃないの」

「ほら、これだから駄目なのよ! 風紀を乱して、別の新しい問題を作り出すのが落ちでしょう! 懸想する相手を奪われたって、宮廷人が怒鳴り込んでくるのは御免よ! この上さらに厄介ごとを増やすつもりなの!?」

「……………………」

 高澄は沈黙した。太白の強烈な個性に当てられたのもあるが、月白の指摘も刺さった。高澄自身は陰陽道の素養がなく、理論も分からないが、少女の言っていることは正しいように聞こえる。宮廷は確かに、立場や面子を重視する世界だ。

 だが、それで引き下がるわけにはいかないのだ。

「……だったら、陰陽寮には話を通さない。外部から招く術者……たとえば僧侶や宿曜師たちと同じような扱いにする。それでどうだ?」

「…………陰陽寮を飛び越した話ができるということは、やはりあなたは地位のある人なのね。中務省の所属なのかしら。宮廷からの依頼か、個人からの依頼か……まさか、竹の園生からの使いだなんて言わないでしょうね」

 譲歩したつもりだったが、月白を余計に警戒させてしまったようだ。高澄が中務省の所属だというのも当たっている。その後の指摘も。

「あなたの格好。衣冠姿に太刀を帯びて、しかも実用的なものだわ。拵えが儀礼刀のそれではないし、明らかに血を吸った気配がするもの。それに加えて、あなたの手。かなり鍛錬を積んでいるでしょう。儀礼刀でなく帯刀する宮廷人なんて、兵部省か衛府の高官でもなければ、中務省に所属して皇族がたのお傍近くに仕える者しかいないのよ。そして前者であれば、市井の陰陽師に用なんてないでしょう」

 かなりの訳ありで、おそらく皇族が関わってくる案件だと、月白はそこまで読んだらしかった。高澄は素直に感心し、詫びた。

「すまない。お願いに上がるのに帯刀は失礼かとも思ったのだが、丸腰もどうかと思って……」

 そうなると、衣冠をわざわざ着替える道理もない。むしろ礼に適うだろうと思ったのだが、結果的に横着なだけになって逆効果だったか。

「……それにしても、あなたは頭がいいのだな」

「……っ!」

 思ったままに称賛すると、月白はみるみる頬を赤く染めた。彼女はおそらく十代の半ばくらいで、高澄とは五つほど年が離れているだろう。年上の、しかも体格差のある男に対等以上の口をきいていた勝気な少女が見せた意外な反応に、思わず微笑を誘われる。

「女のくせに、って思う?」

 聞いたのは、なぜか太白だった。

「いいや? だが、そうだな。女性を排除する陰陽寮は、たしかに勿体ないことをしていると思うな」

「…………」

 黙り込む月白に、なぜだか妙に嬉しそうな太白。

(……太白どのも女性なのだろうか?)

 だとしたら、依頼人たちが言葉を濁した理由がさらに追加される。変人であるだけならまだしも、まさか女性の陰陽師に依頼したなどと、宮廷人の高澄の前で言えるわけがない。市井の隠れ陰陽師――もぐりの陰陽師――というだけで相当あやしい立場なのに、女性の陰陽師だなど説明のしようもない。

 高澄の視線をはぐらかすように、太白は妖艶に微笑んだ。

「聞かせて。あなたの相談事」

 太白の言葉に、今度は月白も異を唱えなかった。

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