82
ラウールの幸せのためなら犠牲になることを惜しまないと言う目黒。
ひかるを失わないためなら一緒に死んでも構わないと言う阿部。
俺には理解できなかった。
そう思えるほど一人の人間に固執した事がない。
自分の道を切り開いてくれた。
失う絶望を味わった。
それが二人にとって今の生き方を変えるきっかけになった事は分かる。それは否定しない。
けれど俺には、どうしてもそれが二人の幸せに繋がるとは思えなかった。
そして、別の意味で理解できない男がもう一人いた。
「興奮しすぎだ。少し休め」
「え、大丈夫だよ。目黒が聞いてくれるから嬉しくなっちゃっただけだって、ちょ、ひかる!ねえ!」
「しばらく抜ける。話は進めてくれて構わない」
「やだって!下ろしてよ!」
このまま置いとくわけにいかないと思ったんだろう、ひかるが阿部を担ぎ上げ部屋を出た後。
「理解できないな」
王子がふうとため息を吐いた。
「お前もだが、何故そこまで一人のために生きられる」
「あなたとは立場が違いますから」
「立場か…」
目黒の答えに再度ため息。
国を統べる立場に生まれたこいつは、一人を特別扱いするわけにはいかない。
仲間や友達。その他の国民。俺たちのように切り分けて考える事は禁止され、全て平等に扱うように教えられてきた。
だからと言って王子も人間だ。好き嫌いもあるし、切り捨てられない関係もある。今の俺たちのように。
それでも平等であろうとしてきた。自我を捨て、どんな人間にも同じように。
王子は常に笑顔で接する。使用人にもそれは変わらない。
素の表情を出すのは俺たちの前だけ。それがこいつに唯一許された特別扱いだった。
権力も能力も強く、望めば手に入らないものはないと思われる立場。
けれど涼太ほど縛られて生きている人間、俺は他に知らない。
「今ほどいらないと思った事はないな」
羨ましいのだろうか、自分の信念に基づく生き方をしようとしてる目黒が。
阿部も、ひかるも。そして俺ですら自分の生き方をしてる。
自分の言動一つが国を動かすかもしれない。それがどれだけのプレッシャーをかけているのか俺には分からない。
皇太子となってからは特に何をするにも思いつきでは動けず、自由のなかったこれまで。
あの時、ひかるを助けるため何も考えず動いた事が。
こいつにとって最後の自由だった。
「まあいい。それで?お前はどうしたいんだ、目黒」
「どうしたい、とは」
「ラウールをどうしたいんだと聞いてるんだ」
王子はあまり弱みは見せない。
そうする事を子供の頃から躾られ、ひかるの無表情が防御のように王子もまた切り替える事を防御としてきた。
恐らく今の話は一人になった時に考えるつもりなんだろう、今までのように誰もいない場所で。
誰にも頼らず一人で考え、そして一人で結論づける。
「僕は、彼は然るべき場所にいるのが最善だと思います」
「それは?」
「少なくともラウールの居るべき所はこの国ではありません」
「ハッキリ言えばいいだろう、向こうに帰った方がいいと」
「…申し訳ありません」
目黒が隣国で知った事実。
図書館に置かれていた家系図に描かれていた前王の肖像画。
そして城で出会った家臣から聞いた赤ん坊の名前。
ラウールにそっくりな前王。ラウールと名付けられた前王の子供。
ラウールは。
隣国の正当な後継者だった。
それを聞いて納得した。
向こうがラウールの存在を知っていた事や、年齢、居場所まで分かっていた事を。
家臣を捕らえた後、隠した場所を聞き出し探しにきただろう。
けれどその前にしょうたの父親が、どんな考えであれラウールを拾って家に連れ帰った事は運が良かった。
そうでなければ、ラウールは恐らくその時に殺されていた。
ラウールは捨て子ではなかった。
むしろ生きてもらうために手離された、何よりも愛された子供だった。
それに安心してしまったのは、俺自身どこかで“可哀想な子供”だと思っていたからだろうか。
「戻してどうする」
「ラウールなら、あの国を変えてくれるでしょう。力を貸してくださる方もいらっしゃいます」
「お前はそれで良いのか」
「僕は、…ラウールが幸せなら」
「幸せなわけがないだろう。お前は俺を見ててそう思うのか」
それに、と。
じっと見つめる視線に目黒が言葉を詰まらせる。
「ラウールを俺と同じ立場にする。お前はその意味が分かって言ってるのか」
決してお気楽ではいられない立場。
俺もこいつを傍で見ていなければそれを知らず名誉あることだと考えたと思う。
生まれた時から次期皇帝となる事を定められ、何も分からない幼い頃から教育を受けてきた。そんな王子ですら未だままならない事が多々ある。
国の事全て一人で担えるわけもなく、皇帝となるまでには知識以外にも人脈が必要となる。
信頼出来る部下、仲間。それを作るための学園生活でもあり、卒業してからもただの一日ですら気も抜けない毎日をこの十数年送ってきた。
それをラウールにさせるのかと。
国の大きさは違えどその立場の苦しみが分かるのは、こいつしかいない。
「力を貸してくれると言っても一人だろう。そいつに何が出来る。一人や二人味方がいた所であいつに出来る事はない。敵ばかりの中に何の教育も受けていない、ただ甘やかされているだけの子供を放り込むなんて正気とは思えないな」
「そ、れは…」
「自分がついているから大丈夫だとでも思ったか?悪いが俺が向こうならお断りだ。たかが平民の薬屋が王族の、ましてや国王の傍にいられるとでも思ってるなら身の程知らずにもほどがある」
「おい!」
こいつにそんなつもりはない。ただ目黒に理解してほしいだけ。
分かってはいるけどまるで責めるような言い方に堪らず口を挟んだ。
「それを言うなら俺だって平民だろ。けどお前の傍にいられるようしてくれたじゃないか」
「俺とラウールの立場は違う。お前とこいつの立場もだ。お前が俺につく時に誰か反対したか?俺はそれを言わせないくらいの根回しをしたし、お前には子供の頃からの信用がある。一緒にするな」
「目黒だって今は立場あるだろ」
「むしろそれが問題なんだ。他国の皇族に仕える人間を誰が使う。いつ情報を持って出られるか分からないような男を城に入れるなんて、どれだけ危険な事かふっかにも分かるだろう。しかもこいつは向こうでは不法入国の上、城に侵入した犯罪者だ。それでも傍にいたいのなら一回国を潰すしかない」
「目黒は俺たちのために行ってくれたんだぞ!」
「理由なんかどうでもいい。それを言って“それはご苦労様でした”と迎えてくれるとでも?甘いな。何だ、お前はラウールをこのまま向こうにやってもいいとそう思ってるのか」
「今はそんな話してないだろ!」
「もう止めてください!」
横目にぎゅっと握りしめた拳が見えた。
「僕は…、僕は、そんなつもりで言ったんじゃ…」
目黒はただ知らなかっただけ。
王になればラウールは自由に生きられるんじゃないかと。
ただ純粋に、ラウールの幸せだけを考えて、どうする事がそれに繋がるのかと。
けれどうつむき、震える声に。恐らくそこに、自分の居場所がない事は分かっていた。
誰よりも自分を求めてほしいなんて、これ以上ない見返りを欲していたくせに。ラウールが幸せになれるのなら、それを捨てる覚悟を決めている。
「僕が、短絡だったのです、…申し訳ありませんでした」
深く下がる頭。
握り締めていた手が開き、手首を握り直す。
どうすれば良かったのだと、ブレスレットに問いかけているように。
「王になるのは簡単なことじゃない」
「…はい」
「確かに能力はそれに相応しいだろうが、それで座を奪った所で今の国王と何ら変わらん。民の望まない王など、ただの独裁者だ」
「…理解いたしました」
「ならいい」
満足気に頷く王子。
どうしてこいつはこんな言い方しか出来ないんだろうと、呆れてため息が出た。
「ふっか」
「人数と期日は」
「五人だ。それ以上は必要ないだろう。近日中とだけ伝えろ。少々なら脅してもいい」
「分かった」
「あの時の再現だな」
「捕らわれの姫奪還か」
「残念ながらただの老人のようだ。まあ先触れを出すだけマシだと思ってもらおう」
「あの…」
俺たちの会話に目黒が不思議そうに。
一体何の話をしているのかと。
「お前の望みを叶えてやろう、目黒。借りを返してやる」
「望み?借りとは…」
「お前が持ち帰った情報は佐久間じゃ出来ない。あいつはバカだからな、まず図書館に近付こうとはしない。家臣とやらに出会っても話をする前に殺してるだろう」
「はあ」
「お前でなければラウールの出自は調べられなかった。これは立派な借りだ」
「ありがとうって素直に言えよ」
「絶対に言わん」
「何のこだわりだ」
ひかると真反対の回りくどい言い方は王子特有のもの。
昔はもっと簡潔に話していたのだが、大人になるごとに、色んな人間と関わりが増えるごとに分かりづらくなっていった。
よく理解出来ないまま何となく頷かせる、長い説明にウンザリし「もういい」と了解させる等々。
力ではなく平和的に話を進めようとするなら、こんな事まで習得しなければいけない。
まったく国の上に立つ人間になると言うのはめんどくさい。
「目黒、こいつはな」
さっきまでとは違う俺たちの表情にきょとんとする目黒。
まだ乾ききっていない薄らと涙の膜が張った目を見つめながら説明してやる。
「ラウールを帰してやろうと言ってるんだ」
王子とは違い、簡潔に。
遠回しの中にちゃんと伝えていた。
今のままのラウールでは無理だと。
目黒が近くにいるためには根回しが必要だと。
このままラウールを行かせるわけにはいかない。
犯罪者となった目黒をこのままにしておかない。
それが出来るのは、自分だけだと。
ただ言い方が問題だっただけ。
「かえ、す…」
「今じゃないがな。あのラウールを帰したらまた良いように使われてあれを再現されるだけだ」
「そりゃそうだ」
「向こうの事は俺たちがやる。お前がやるのはラウールを笑顔にさせる事だ」
「僕が、ですか…?」
「他に誰がいる」
「ラウールの事なら、深澤さんが」
「ふっかが機嫌を取るのは容易いだろうが、それをするとこいつまで向こうにやらなくてはならなくなる。それは出来ない、ふっかはこっちの戦力だ。お前がずっとラウールに付くと決めてるなら、これからはお前の役目だ」
一見、目黒の想いに添った提案。
けれどそこには王子の諦めもある。
目黒のラウールへの愛は深い。深すぎると言ってもいい。
恐らくどうやっても離れる事は出来ないだろう。
距離を空け、遠くからラウールを見守り。常に目を離すことなどしない。
頭の先から爪先まで。自分の存在全てがラウールのものだと言う目黒。
ならばそれを使わない手はないと。
「俺はもう一度ラウールの笑った顔が見たい。お前にそれが出来るか」
問いかけに、目黒が握っていた手首を離し膝の上で握る。
「必ず」
その目には覚悟しか映っていなかった。




