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目黒が城に来客があった事を知ったのは、その数日後だった。
とうとう知られてしまうのだと、決めた覚悟が揺らぐのを感じた。
どうしたのかと聞くラウールに「何でもないよ」と笑ってみせたけれど。
ドクリドクリと音を響かす心臓が、まだ捨てきれていない事を教えた。
何故、諦めきれないのだろう。
心のどこかで知られたくない、このままで居られたらと言う願いが残っていた事を改めて知らされる。
身勝手な自分に呆れ、痛む胸を押さえた。
その翌朝。
激しい頭痛が目黒を襲った。
ラウールがまた力を抑えられないでいる。
制御を覚えたラウールは髪の色を変化させる事なく発動出来るようになった。元々常時使っていても変化はなかったため目黒以外には気づかせておらず。元来の性質が強いのだろう、よほどの発動がない限りは黒いままでいた。
そのラウールの髪が朝日に照らされ輝いている。
ああ久しぶりに見たな、とどこか他人事のように目黒はそれを見た。
「めめ!」
小屋に入るなりガバリと。
受け入れる間もなくしがみついて来たラウール。
昨夜はあまり寝られず、朝食を早めに済ませカプセルの中身を調べていたところ。
よろめいた身体が調合台にぶつかりガタと大きな音を立てたが、ラウールにそれを気にする様子はない。
「どうした?」
ぎゅうぎゅうしがみつく背中をポンポンと叩いてやれば、「ふっかさんが」と小さく。
昨日は珍しくラウールが帰りたがらなかった。
目黒の不穏を感じたのだろう、渋々森を出た頃には当に日が暮れていて。
そのせいで叱られたのだろうかと思っていると。
「ケガ?」
夕べ城に戻ると頭にケガをしてベッドに寝ていたと。
原因も詳しい症状も教えられず、夜には目覚めていたようなのに一緒に寝る事も許してもらえなかったと。
「めめ、一緒に来て」
「どこに」
「城だよ。ふっかさん治して」
朝になりようやく出たお許し。
会いに行くと、まだ痛みがあるのだろう青い顔をしたまま、けれど「おはよう、ラウール」と普段通りに笑ってくれた。
「心配かけてごめんな?」と、頭を撫でる温かい手。
堪えきれず泣いてしまえば抱き締めてくれた。
けれど頭に巻いたままの包帯が痛々しく、弱い力で抱きしめ返すしか出来なかった。
ほんとは夕べの内に戻って来たかった。けれど佐久間と護衛団長がいて城から出られず。
目黒が居ればケガなどすぐに治してくれる。
逸る気持ちが能力に表れ、目黒に激しい頭痛を与えたのだろう。
「ねえ、行こう」
「ラウール」
「早くふっかさん治してよ」
身体を離し、次に腕を捕まれる。
ぐいと引っ張るそれに、思わずあらがってしまった。
ラウールは不安なだけ。
失ってしまうのかと、以前感じた恐怖がぶり返し。大切な彼のため、何も考えられなくなっている。
制御を覚えると共に落ち着きを見せ始めたと思っていたが、彼のためならまだこんなにも子供の一面を表す。
自分が何故ここに居るのかなど、今はどうでもいいのだろう。
「僕は、行けないよ」
「どうして!」
責めるような瞳から反らすように、調合した薬を並べている棚に目をやる。
「代わりにこれを」
腕を離してもらい、棚から取り出した小瓶。
傷を癒す塗り薬が入ったそれをラウールに手渡した。
「今日はもう帰って、深澤さんについててあげるんだ」
「めめも」
「僕は行かない」
日に一度塗るだけで構わない。
出来れば彼が眠っている時、誰にも知られないように。
知られてしまうと自分との繋がりまでバレてしまう。
だから気をつけて使うように。
必要な事だけを伝え、ラウールの脇を抜ける。
ドアを開き帰るよう促すと、何も言わずラウールは出て行った。
その手に小瓶が握られている事に、目黒は安堵した。
ラウールの能力を上手く使えば目黒が城に入る事は出来ただろう。
恐らく護衛団長にすら悟らせず傷を癒す事も出来たはず。
けれどそれをしなかったのは、くだらない嫉妬。
目黒はずっと嫉妬していた。城にいる間もずっと。
何よりも大切に思われている彼。頼りにされている護衛団長。素直に甘えてもらえる王子。同じ目線でいてくれる佐久間。
ラウールを取り巻く全てに、何故そこにあるのが自分ではないのかと。
城での暮らしが幸せだと感じながら、常にその感情が目黒の中に渦巻いていた。
一番になれない事は分かっていた。けれどそれを望む事までは止められなかった。
他の誰にも得られないであろう場所を与えてもらいながら、忘れようとしていた嫉妬心を思い出してしまった。
くだらない感情のせいでラウールを傷つけてしまった。
自分の大切な人を見捨てた男だと思われてしまっただろうか。
その日の午後、客が城を出たと知らせが届き。
翌日から、ラウールは姿を見せなくなった。
目黒はラウールが姿を見せない間、カプセルの解析に没頭した。
昼夜問わず、食事も前にいつ摂ったのか覚えていないほど。
それは不安や恐怖、いくつもの感情を抑えるために。
頭痛は続いている。
それはラウールが森に来ている事を教える。
ラウールはここにいる。自分の傍に。
目黒の状況を後で思い出し後悔しているのだろう、近くまで来ているのに姿を現さない。
呼べば来てくれるのだろうか。
けれどもし拒否されてしまったら。
そんな思いから目黒は気付かない振りを続けた。
そして解析が終了し、その結果に目黒は愕然とした。
あの遺体を見た時からもしかしてとは思っていた。けれどもまさかと言う思いが強く口には出さなかった。
子供の爪ほどの大きさのカプセル。そこには目黒の読み通り幻覚や催眠のある作用の薬草に加え、毒の作用がある薬草が含まれていた。
服薬してすぐに死んでしまう薬草ではない。加えて小さなカプセルに込められていたのは微量。大人であれば一週間ほどは生きられるだろう。
そこで目黒が思い出したのはあの遺体たちだった。突然街に現れ牢で亡くなっていた遺体。それから毎日のように新たなものが出てきた。彼らは突然死などではなく、毒によって殺されていた。
「何てことを…」
彼らは死んでいたのだ。あの戦いに勝とうが負けようが関係なく、いずれ時間が経てば。
隣国は何の罪もない人たちを、たかが自分たちの誇りのために殺そうとした。
幻覚によりこちら側を人ではない物に見せ、殺さなければ自分たちが死ぬと暗示をかける。通常ならば敵わない相手でも、ラウールの力を使えば可能となる。
目黒は許せなかった。
人を殺すために自分の大切なラウールと薬草を利用した事、自分たちさえ生き残ればいいと言う傲慢な考え。
そのどちらもに怒りを覚え、身体が震えた。
だがその計画もラウールが居なければ成り立たない。
何故隣国はラウールの存在、そして能力を知っていたのか。
また新しく浮かぶ疑問に、けれども今はそれを考えるよりも先にする事がある。
目黒は解毒作用のある薬草を使い、解毒薬を作る事にした。
使われている薬草が分かれば、それに反するものを作るのは簡単。
ほどなく作られた解毒薬。
けれどもそれを試す場所がない。
そこで目黒は決めた。
「ラウール」
小屋の外に出て、今日も来ているはずのラウールを呼んだ。
何日ぶりだろうか、その名前を呼ぶのは。その姿を見るのは。
ほんの数日。ただその数日を、とてつもなく長く感じた。
恐る恐る木の陰から姿を現したラウールに、知らず笑みがこぼれた。
黙って行くことは出来た。
しかし自分を探し、ついて来る可能性がある。
ラウールを連れて行くわけにはいかない。
「おいで」
まずは説明から始めなければ。
目黒はラウールを小屋に招き入れた。
当然ラウールは納得しなかった。
「え、やだ」
まるで子供のように言ったあと、目黒がどれほど説明しても首を縦に振ろうとしなかった。
「やだやだ。行かないで、めめ」
その姿はただの駄々っ子で。
今にも地団駄を踏みそうな姿に、根気よく話した。
手を繋ぎ、目を合わせ。時に腕を回しながら。
効果が分かり次第すぐに戻るからと伝えた。
ラウールがようやく頷いたのは、目黒のトップシークレットを教えてから。
絶対に誰にも言えない、けれど自分さえ話さなければ誰にも知る事の出来ない秘密。
目黒は植物と会話のようなものが出来る。
森への侵入者を教えてくれたり、欲しい薬草の場所を教えてもらったり。
常に不安を抱えていた目黒はその力を使い、城のあらゆる場所に植物を置いた。自分への悪意を感じ次第、すぐに城から離れるために。
その場所は厨房、厩舎、護衛団の宿舎など。普段は植物など置かないような場所にまで人当たりの良さを使い持ち込んだ。
佐久間と顔を合わさずにいれたのはそのせいだ。常に佐久間がどこに居るのかを探り、その場所を避けていた。
「俺だけ?」
「そうだよ」
「めめと、話できるの?」
「声は聞こえないよ、ただ無事は伝えられるから」
それにラウールは納得してくれたようだ。
「早く帰って来てね?」と、ついさっきまで隠れていた事を忘れている。
「いつ行くの?」
「今日の夜には出るよ」
「そんなにすぐ?」
「早い方がいいから」
そして準備があるからと、ラウールを城に返した。
自分が居ない間は、必ず彼か団長の傍にいるようにと言い聞かせて。
その夜、目黒にしては派手な演出をかました。
誰の目にも止まるよう、且つそれをしたのが自分だと気づかせるよう。
目黒は自分が裏切り者だと思わせるように動いた。
そうすれば必ず彼らがラウールの護衛を強化するだろうと。
佐久間が尾行した事から、ラウールと自分の繋がりが続いている事は知られている。
ならば完全に疑われてしまえば、その繋がりを断ち切ろうと護衛は強固なものになるはずだ。
彼らがいればラウールの安全は守られる。そして自分にもしもの事があってもラウールは動けない。
目黒にとって大切なのはラウール。
そのためなら、誰かの命を奪うことも厭わない。
いくつか作った解毒の試作品。
その実験を行うため、目黒は越境をした。




