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焼きたての温かいパン。

色とりどりに飾られた洗いたての服。

熱いお湯の出るシャワーや、柔らかなベッド。


俺たちには生まれた時からあった当たり前のもの。

だがそれらを。

連れてきた子供、ラウールは何も知らなかった。

目に写る全てのものにビクビクと身体を震わせ、俯き、こちらが促すまで手に取ろうとしない。


固くなった腐りかけのパン。

洗濯などしたこともないだろう薄汚れた服。

溜めた雨水で顔や身体を拭い、ペラペラの布団を床に敷き横になる毎日。


物心つく頃には働きに出され、持ち帰った金は全て父親の酒代へと消える。

数の数えかたも満足に教えられていない子供には、その金ですら満額もらえていたかも分からない。

文字も読めない、愚痴りあえる仲間もいない、暖かく抱き締めてくれる家族もない。

一人ぼっちで膝を抱え、寂しさを堪える日々。

それがラウールの当たり前だった。





「見つけたぞ」


それは二年前のことだった。

いつものように王子に呼ばれ伺った執務室。


「探しても見つからないはずだな」


いくら探しても見つからなかった名前。

ラウールには国民の義務である出生の届けが出されておらず、帝国での戸籍がなかった。


「ここは…?」

「国の端にあるスラム地のようだ」

「スラム…」


初めて聞いた土地だった。

そんな場所があるなんて思わず、渡された報告書を読むごとに手が震えた。

文字だけでも分かるひどい場所。

こんなとこに人が住めるのかと。


「悪いな、時間かかって」

「いえ、これは仕方ないでしょう」

「国境すぎて頭に浮かばなかったんだ」

「そうでしょうね」


まさかこの平和な国に、戸籍のないものが暮らす場所があるなんて思いもしない。

首を振りながら、最後のページまで読み終えた書類を机に戻そうとすると。


「全部読んだか?」

「読みましたけど」

「ほんとに?」

「何か?」

「見つからなかったもう一つの原因が書いてあるんだが、気づいたか?」

「え?」


もう一つの原因?


「ふっかの言う彼の年っていくつぐらいだった」

「恐らく…十五、六です」

「身体的特徴、ちゃんと見たか?」

「はい」

「見た目、十歳程度って書いていただろう」

「あ…」


そう言えば。

町の全景に気をとられて読み流してしまっていた。


「見つからないはずだ、それだけ小さいと」

「…」


王子に調査を依頼したのは半年ほど前だった。

大きな国とは言えすぐに見つかるだろうと思っていたが、名前しか分からない人間を探すには時間がかかってもしょうがないと諦めてもいた。


「ふっか、ほんとにその子なのか?」

「恐らく」

「今のところふっかの話と一致するのは名前だけだ。それだけで救いだそうとするのはどうだろうか」

「…何が、言いたいんでしょう」

「多分ふっかは今日にでも行くつもりだろう?」

「そうですね」


繰り返してはいけない出来事。

そうならないための行動は早ければ早いほどいい。

出来れば今日と言わず今すぐ。迎えに行き手を差しのべてあげたい。

こんな生活をしているのなら尚更。

言われた日付とは違っていても。


「少し様子を見た方がいい」

「何故」

「もう違ったらどうする?保護したあと新たに同じ名前の子供が見つかればその子も連れてくるのか?」

「それは…」


別にそれでも構わない。

少なくともこの子は父親から逃がしてやれる。

それに、もし本人だったら。

迎えに行くのが遅れて目覚めてしまったら。



「そうなれば、目覚めてしまう前に殺してしまおうと思うんだが、どう思う?」



「なに、を」


今、こいつは何と言った?


「ふっかは考えなかったのか?」

「当たり前だ!」

「少しも?」

「どうしてそんな事が言えるんだ!」


涼しげな表情。

いつもの世間話をしているときと変わらない。

そんな顔で、何故こんな恐ろしいことが口にできる。

敬語を忘れ怒鳴る俺に表情は変わらない。


「忘れたか、ふっか」

「何をだ」

「俺は、この国を守る義務がある」

「っ!」


忘れるわけがない。

今も、前も。

いつだって目の前にいる男は国のことだけを考えて生きていた。


「国に害を為す者は生きていてもらっちゃ困る」

「だからって」

「まだ子供だから何も出来ないと?」

「そ、そうじゃ」

「表に出ない能力ほど怖いものはない。もしかしたらもう目覚めているかもしれない」

「だったら!」

「あの子を殺されたくなければ慎重に動くべきだ」


何がきっかけになるか分からない。

報告書を読む限り人と関わることを恐れいつも一人で居る。

今近くにいる人間は父親のみ。

非道な父親だとしても、あの子にとってはたった一人の家族なのは変えようのない事実。

もし無理やりに引き離してしまえば…。


いや。

家族はもう一人いるだろう。


「あの子の兄は、しょうたはどうしたんですか?」


報告書には記載されていない名前。

いるはずだ、兄が。

俺に、あの子を託した男が。


「いない」

「そんなはず」

「存在しないんだ、兄なんて」


どういう事だ。


「探させたんだ、俺も」


今回のように地図にない町があるのもしれない。

名前を変えてるのかもしれない。

それでもきっと近くにいるはすだ。


「いないんだよ、どこにも」

「そんな」

「渡辺翔太という男は、少なくともこの国には存在していない」



『俺の弟を、ラウールを…守ってくれ』



なら、俺たちの記憶にあるあいつは誰だ。


「以前とは少し変わってきている、阿部や向井もそうだろう?」


だから様子を見よう、と。

ラウールも以前とは違っているかもしれないから、と。


「この子が自身で父親から離れようとするまで待ってみよう」



それに頷き、遠くから様子を見ていたけれど。

ラウールの生活は変わることなく、その兄の痕跡も見つけることが出来ないまま



「そろそろだな」



その日が来た。







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