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ふっか。今日もお疲れ様。コーヒー淹れたんだけど良かったら一緒にどうだい?
あぁ、ひかる。またケガしてるじゃないか。こっちおいで、薬を塗ってあげるから。
目黒。一人だけ離れた場所にいるのは寂しくない?そうだ、この前話してた薬草の使い方教えてくれないか?
殿下。いつまでもニヤニヤしてないで口に出したらどうです?多少の毒は目を瞑って差し上げますよ。
優しいやつだった。
目黒の距離を置こうとする笑みとは違う、誰でも受け入れようとする優しい笑みを絶やさない。
いつも笑い、いつも楽しそうに。
大勢いる、自分は顔すらも覚えていないような兵の名前まで覚えて声をかける。
阿部の周りにはいつも人がいた。
この世界に当たり前のようにある能力。
炎、氷、植物、鉱物。
自然を操るものが多い中、阿部の能力は特殊だった。
「電気?回線?どう言えばいいのかな…分かんないや」
本人もどう説明すればいいのか分からないんだろう。いつも曖昧な言葉で、言ってる阿部ですら途中で首を傾げるような。
「とにかく繋げてしまえばいいんだよ。そうすればここから見える」
そう言ってポンと叩くのはあまり見かけない四角い画面。
見た方が早いとそこに映されたのは城壁を腕の力だけで昇っているひかるの姿。
何やってんだ、あいつ。
「あぁ、トレーニングだって。まぁ趣味と半々だろうけど」
楽しそうに画面を見る顔。
近くにある外灯に能力を繋げたらしい。
「これって、どこでも使えるのか?範囲は?」
「回線がどこにあるのか分からない場所は繋げられないから範囲と言われると…」
「例えば?」
「近くでも見たことない場所、例えば殿下の私室とかはムリかな」
「なるほど」
逆を言えばその場所を見て電気の通っている位置さえ把握できればいつでも繋がると言う。
つまり、監視カメラのようなものか?
「すげえな」
「音が聞こえないのが欠点だけどね。まぁこれは俺の力不足」
「そんな事ねぇよ、十分すげえ」
「ふふ、ありがと」
含みのない感謝の言葉。
阿部は喜びを隠さない。
物を贈られれば素直に受け取り、賛辞を贈られれば謙遜なくそのまま有り難がる。
それが贈った者へ対する阿部なりの敬意だったんだろう。
なのに、阿部は変わった。
「久しぶりに阿部のコーヒー飲みてぇなー」
「…」
「そういや殿下がこの前さ」
「…」
「つーかひかるが言ってたんだけど」
「…」
完全なる遮断。
柔らかなソファーに深く座ったまま、人形のように感情を映さない瞳をこちらに向けることすらしない。
阿部の前にあるのは無。何もない。
以前はどこに行くにも持ち歩いていた、何でも映していたあの画面すら。
誰が声をかけてもだめだった。
長い付き合いのはずのひかるを連れてきても無駄だった。
家賃の安さだけが取り柄の古汚いアパートの一室に籠り、その中の自室から出ようとしない。
鍵はないから出入りは自由にできる。だから入らせてはもらえているが、俺が来ていることに気づいているのかも不明。
王子に呼ばれれば仕方なく出向くも、掛けられた言葉に当たり障りなく返すだけ。
その時も表情の変化は感じられなかった。
阿部が反応を返すのは一人だけ。
そいつにだけは少ない感情を見せる。
「たっだいまー!」
と、ガチャバタン!ドタドタドタドタ!と賑やかな声と音。
阿部が少しだけ目線をドアに向ける。
「ただいま阿部ちゃん!帰ったで!」
ぴくりと動いた眉。
人形のように閉じられたまま動く気配のなかった口が開き。
「うるさい」
一言。
以前の阿部なら決して口にしなかったであろう言葉。
ただ、あぁ阿部の感情はまだ残っている、と。
その一言ですら聞けたことに安堵する。
「ふっかさん、来てたんやな」
「おじゃまー」
「ふっかさん居るんならもう一個買うてきたら良かったわ。まぁええか、俺と半分こしよ」
「いいよいいよ、お前食って」
「そんなんあかんて、お客さんやねんから」
お前は阿部の何だ。
突然現れた男。
名前はこーじ。
王子に呼ばれ城に出向いた翌日から阿部の家に入り浸り、阿部の傍から離れない。
知り合いか?と聞いた阿部からは当然何の反応もなく。
入り浸る本人に目的は何だと問うも
「分からんけど一人にしたらあかん気がして。何でやろなぁ、んー…まぁ、そういうことにしとこか」
どういう事。
さっぱり分からないままこんな感じとなり。
今ではすっかり阿部の同居人と化してるこーじの存在。
何故こいつだけ違うのか。
何故こんなに固執するのか。
問いたいことは山ほどあれど、放っておけば食事すら摂れているのか分からない阿部を見守ってくれる存在があるのは有り難い。
「阿部ちゃん阿部ちゃん、今日な、大根安かってん。美味しい炊きもんしたるからな」
「阿部ちゃん阿部ちゃん、来週から寒なるねんて。明日のうちに毛布干しとこな」
「阿部ちゃん阿部ちゃん、シャンプー切れそうやったから新しいの買うて来たで。阿部ちゃんのお気に入りのやつ」
「ほんでな、阿部ちゃん」
「こーじ」
「ん?どないしたん?阿部ちゃん」
「黙れ」
うーんこの。
「うん分かったで阿部ちゃん!俺ちょっと静かにしとくな!」
何だろうか、この二人。
気難しい飼い主にまとわりついて離れない犬のように。
どんなに冷たい視線だろうが、短い暴言だろうが、それをもらえただけで尻尾を振りまくる。
以前の阿部なら分かる。
どんなやつにでも親切を振り撒く男だ。自分の知らない知り合いや友達がいても不思議じゃないだろう。
ただ、これだけは確か。
こーじは、以前からの阿部の知り合いじゃない。
だってこいつは俺があの場所に呼んだ、阿部は顔も知らない人間だったからだ。
なら何故こーじはここにいる。
何故、阿部はこーじを受け入れている。
今の阿部が新しい人間を受け入れるとは到底思えない。
だって、俺たちですら無理なんだから。
「阿部ちゃん阿部ちゃん、俺ご飯してくるな?何かあったら声かけてな」
部屋を出ていく姿。
バタバタと騒がしい靴音に阿部の眉間にシワが寄る。
過信していたのかもしれない。
友達が多い阿部の中でも自分たちは特別なんだと。
いや、恐らく過信ではなかった。
阿部の中で俺たちは特別だった。
特別だったからこそ。
阿部は。
俺たちに心を閉ざし、能力を封印した。