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「そろそろだな」
人払いをした執務室。
不自然ではない。
机を挟み腕を後ろに回し立つ自分と向かいに座る男は、側近と王子と言う間柄なのだから。
「あと数日ってとこか」
「それまで保つでしょうか」
「変わりないさ」
「そうですね」
にこやかな表情。
その腹の中が真っ黒なのを知っているのは、国中を探して幾人いるのか。
「それでは準備を整えておきます」
「丁重にお迎えしろ」
「それは、出来かねます」
「そうか」
絶やさない笑み。
皇族の言葉を否定するなど不敬と言われても仕方ないのに。
幼なじみという立場が側近と変わってから早や数年。
幾らか慣れてきたとは言えまだぎこちなさが残る敬語、らしきもの。
確かな作り。壁もドアも床も。音が外に漏れることはないと分かっていても、廊下で書類を抱えて待っている役人たちにお互い警戒は解かない。
「まぁ、扱いはお前に任せる」
「ありがとうございます」
頭を下げ一歩後ろに。
話は終わり。もう退出いたします。
言葉にはせず、上げた頭ごと身体の向きを変える。
いつもならそこに掛かる声はない。
だが今日は違った。
恐らく近くある出来事に、物怖じしない性格とは言え平静ではいられないのだろう。
「あいつには?」
「連れていくと更地になってしまいますので今回は留守番ですね」
「それは言える。では俺が」
「同じ言葉を繰り返しますか?」
「おかしいな、俺の方がまだ優しいだろ?」
「俺からすれば変わりませんね」
「一緒にされたくないな…」
少し表情が変わる。
笑みの代わりに拗ねたような表情に。
一緒だよ、お前ら。
似すぎなんだよ、沸点の低さやらキレるポイントやら。
呆れた感情を隠さず表に出せば、眉を動かし不満そうに机に肘をつく。
次期皇帝に対しこんな態度が許されるのは、恐らくこの国では数人。
父親である皇帝。
帝国一の能力者である王子の護衛団長。
そして、この俺。その他もろもろ。
「殿下が動いていると知られれば探られます。これは最機密案件なのを理解していただきたい」
「もちろんしているさ」
「なら軽率な発言は控えてください。そもそもこの案件は俺に全面的に任せると約束したでしょう」
「あー分かった分かった」
「絶対来たらだめですよ?」
「行かないよ」
「本当でしょうね?」
「…」
「…」
「俺は約束は守るよ」
両手を肩の横に上げ降参のポーズ。
「お前は怒らせるとあいつよりも怖いからな」
首を横に振り苦笑い。
今度こそ話は終わった。
今度こそ退室しよう。
苦笑いに対し反応せずくるりと向きを変えドアに向かう。
今度は声は掛からなかった。
******
「ふっか」
少しの移動ですら距離がある。
建物内、しかも側近であるはずの自分の部屋に向かうだけなのに何故こんなに歩かなくてはいけないのか。
王子の側近ならばもっと近くに部屋を作るべきじゃないのか。
何かあった時に駆けつけられなかったら、自分はどうなるのか。
恐らくこれを直接申し立てたとしても「いい運動になるだろう。俺に何かあったらその時にはもう城ごと無くなってるから心配いらない」と笑って流されるだろう。
と言うか既に一回似たようなことを返されている。
その時にも言われた「大丈夫」。
何が大丈夫なのか。
「おい、ふっか」
確かに側近なんぞ護衛の者に比べれば運動不足だ。
日がな王子の側で雑務を行うか、一人で机に向かい書類整理をするかだ。
だが自分は別に側近なんか志望していない。あの腹黒王子に指名されて仕方なくなってやってるだけだ。
「近くにいた方が何事も便利だろう?」なんて。
確かにそうだから断らなかっただけの話。
まさか部屋と部屋がこんなに離れていると知っていればもっと別の役割を提案できていた。はず。多分。
「独り言がでかいんだよ」
知らず声に出ていたようだ。
ぐいと肩を引かれ振り返れば、ついさっき出ていた名前の主。
「おーどうした、ひかる」
「どうしたじゃないだろ、ずっと呼んでるのに」
「そうか、悪いな」
「お前は移動のたびに文句言ってるな」
「だって遠くね?」
「そうでもないだろ」
「そりゃお前らの運動量に比べたら大抵のことはそうだろうよ」
顔を見るなり始まる軽口。
実直。真面目。欠点にもなりえるほどの正直者。まっすぐに見つめる視線は時折恐ろしく感じる。等々。
周りの評価は概ね好感のものが多く、だからこその護衛団長。
人の上に立つために生まれてきたような男。
能力はもちろん、その生真面目さも相まって皇帝からの信頼も厚い。
王子への不遜な態度もこの男だから許される。
ひかるも同じく幼なじみ。
子供の頃から知っている存在があると言うのは良し悪しとも言える。
「で、どうした?何か約束してたか?」
「夕べの話だ」
「あの話は終わっただろ?」
「俺は納得してない」
言いたい事は理解したがそれとこれとは別だ、と。
自分の懐に入れた者にはある程度甘い男ではあれどそこまでが長い。
何せ納得しなければ動かないのだ。
幾ら親しい人間でもそこは譲れないのは昔から変わらない。
あぁ、またあの長い話を今夜も繰り返さなくてはいけないのか。
「俺の力が必要なんだろ?なら連れて行け」
「何度も言わせるな」
「なら何故だめなのかちゃんと説明しろ」
「夕べ散々言っただろ」
「お前の言葉には嘘が混じっていた。それじゃ納得できない」
あーもうめんどくせぇな、こいつ。
力を込め掴まれたままの肩がそろそろミシリと音をたて始める。
痛みとしつこさに眉間に寄ったシワ。ついでにこれ見よがしのため息。
「今夜は」
「空ける」
「分かった」
この応えには納得したようだ。
ぱっと離された肩を手で擦りながら恨めしく目の前の男を見る。
「じゃあ後でな」
自分の力を過信しない。
まだまだ強くならなければいけない。
そのためには鍛練を怠らないが、他に強制しないその姿勢は指示されて当然だろう。
帝国一だと言われても決して驕らないまっすぐな男。
そのせいで自分の握力が熊並みに強いことに気づかない。
片手を上げ去っていく背中。
納得さえさせればこんなに力強い味方はいない。
ただ。
「馬鹿力が」
あぁ、利き手でなくて良かった。