マングースと波布
淳平が入社して数年後、彼は初めてのピンチを迎える事になる。
リボ払いが過ぎて借金で首が回らなくなったのだ。
それをどういう訳か上司である山浦部長がかぎつけた。山浦は毎月の給料から数万円ずつの返済をする条件でその借金を肩代わりしてくれた。
僕は最高の上司に恵まれた!
と、思ったのは最初の1週間だけだった。
山浦は次第に本性を現し、淳平を自分の下僕のように扱い始めたのである。
社会人になってもイジメは存在する。
最初はパシリ程度ならと我慢をしてきたが山浦の機嫌が悪い時は殴る蹴るの暴行まで受ける。しかも翌年から自分の直属になるように会社に働きかけ、現在に至るのである。
後で知った事だが、山浦部長の部署のメンバーはいずれも山浦に弱みを握られた連中ばかりらしい。中には下僕に甘んじ、腰ぎんちゃくのようになっている者もいる。
チビでバリバリの昭和熱血スポ根オヤジに付いたあだ名が”マングース”。
山浦は縁故入社らしく、会社の上層部にコネを持っていると言われていた。前社長の隠し子?とか、専務の隠し子のお嬢さんのお婿さんだとか、いろんな噂が飛び交っている。
それは彼が無能社員でありながら、窓際部署の長なのだから当たり前である。ハブ退治にと輸入され、挙句の果てに使い物にならない上に、ヤンバルクイナを食ってしまうマングースがあだ名とは言い得て妙でもあった。
だが、それもあと数年で終わる。
そう思っていた。山浦の定年を彼の部署のメンバーは祈るように指折り数えているのである。
ところがだ。
会社は定年延長を決定した。
更に5年。 また平でも役員になれば、さらに5年以上。
(もう、いやだ!)
淳平は悩んだ挙句、山浦を殺害する事に決めた。
かといって、自分が捕まっては割に合わない。なんとか完全犯罪が出来ないものか・・・。
(どうやって殺すかだ!)
あっという間に死んでしまわれては腹の虫がおさまりそうもない。
出来るだけ長く苦しんで死んでほしい。かと言って時間をかければ助かる確率も大きくなってしまう。
(そうだ。 毒にしよう!)
淳平はまず、毒を手に入れた。
闇サイトで手に入れるのは容易だったが、また弱みを誰かに握られては元も子もない。残業を装い、山浦のパソコンから闇サイトにアクセスする。どうせ山浦のパソコンはアダルトサイトしか利用しないので時々ウィルスにやられてクラッシュする。仮に入手経路がバレたところで自分には届かない。致死量は十分にあり、それを有名なウィスキーに仕込むのだ。ボトルだけは昔友人から譲り受けたものがある。
山浦は自分でも豪語するほどの酒豪だ。一緒に飲みに行けば、朝まででも飲んでいるし、その量も半端ではない。この銘柄のモノならばきっと独り占めで飲むだろうと予測がつく。そして山浦はボトル1本などあっという間に飲み干してしまうだろう。
毒は波布の毒にした。
マングースを殺すには波布の毒。
そう決めた。
ハブ毒は蝮よりも弱いが、逆に言えばそこが付け目でもある。
飲ませてすぐに死んでしまう事は無いだろうし、意地汚い彼の事だから部屋に持ち帰って飲み干すに違いない。今までもそうだったからだ。
これで密室も出来る。
やるのはタイミングが大事だ。
淳平はそのタイミングを北海道への出張の時と決めていた。
毎年、定期的に北海道の取引先へ挨拶に出向く。その時のお供は毎年淳平と決まっていた。
北海道と言っても誰もが知っているような所ではない。それこそ片田舎だ。ハブ毒と分かっても血清などある訳がない。それに変死として扱われても、北海道の田舎警察が司法解剖をする確率は低い。
おそらく病死として扱われるに決まっている。
「最近、終活ってのが流行ってるじゃないですかぁ。」
数週間前に、お供で吞みについて行ったときにこう切り出した。
「ああ、なんだそれ?」
「年寄りが死んだ後を誰かに託すために、遺言書を書いたりするあれですよー。」
「てめえ、俺の事を言ってるのかぁ?」
「いえいえ、そうじゃなくて、僕だって突然死んじゃうかもしれないじゃないですか。だから遺言みたいになんか書き残しとかなきゃななんて事をふと思ったんですよ。」
「それで?」
(いいぞ。食いついてきた・・・)
「いやあ、ちょっと書いてみたんですけど、なかなか難しいですよねえ。」
淳平は自分の書いた遺書を見せた。
「バカかお前は。字が間違ってるし、これじゃ言いたいことが伝わらんだろうが。」
山浦は昔シナリオライターを目指していた事があるらしく、文章にはうるさい。
「部長、どうかお手本見せて下さいよ。」
そう言って、まっさらの便箋に遺書を書かせることにも成功した。自分の指紋がつかないように扱うのは苦労したが、なんとか自然にクリアファイルに納める事に成功した。
これでもし、毒で死亡したとバレても、後で自分が遺書を預かっていたと警察に出せば、一連の証拠は山浦の自殺に傾く筈だ。
(これは完全犯罪だ・・・。)
全ての準備が終えた淳平の顔がニヤつく。
不思議に楽しい作業だった。
あとは実行あるのみ。
北海道の出張先でビジネスホテルに泊まる。泊りとなれば早速飲みに行く事になる。
淳平は山浦と飲みながら、自分が高級ウイスキーを持ち込んでいることを口を滑らせたように伝えると、山浦は早速食いついてきた。そして毒入りのウイスキーのボトルを取り上げられてしまうのである。
泣きそうな演技をしながら、淳平は笑いたくて仕方がない。
「少しは残しといてくださいよぉ。」
「ふん、お前に高級な酒は似合わねえんだよ。ガッハハハハ!」
笑いながらウイスキーのボトルを抱えて山浦は部屋の中へと消えた。
ホテルのドアはオートロックだ。
もちろん、淳平が山浦の部屋に入る事は出来ない。しかし、これでいいのだ。
やつが何かの理由で部屋から出て、ドアを開けっ放しにでもしない限り、密室の出来上がりである。ボトルにも指紋は残っていないハズ、渡す際にも物欲しそうに入念に拭いている。
いつ死ぬか分からないが、アリバイも作っておくに限る。
淳平は再び街に出ると、小さなスナックに入り、下手な歌をカラオケで歌いまくった。
閉店までギリギリ粘り、深夜でもやっているラーメン屋に顔を出し、ワザと丼をひっくり返して割り、弁償すると言いつつ現金の無い事に気づくふりをする。名刺を出して待ってもらい、コンビニで現金を降ろして弁償する。
ホテルに帰った時にはすでに午前2時を回っていた。
エレベーターから降りて、山浦の部屋の前を通る。ドアに耳を当て、音が聞こえるかどうか確認したい衝動に駆られるが、防犯カメラにその行動が残ってしまう。
我慢。我慢だ。
自分に言い聞かせつつ、何気ない素振りで通り過ぎ、自分の部屋に入ってシャワーを浴びベッドに横になる。今は眠ることが大事だ。そうとも、明日こそが大事なのだ。
眠れないかと思ったが、不思議に気持ちは落ち行いていた。
アルコールのお陰もあってか、割とすぐに眠りについたらしい。
その日の目覚めは、いつになくさわやかだった。
身支度を整えて、部長にモーニングコールの電話をかける。・・・・・応答がない。
嬉しさで小躍りしそうだ。
荷物をまとめて廊下に出る。部長の部屋は二つ先、足が地に着かない。顔がにやけてしまう。
(ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ! 気を引き締めろ! 最後の仕上げだ!!)
部長の部屋をノックする。
・・・・返事がない。
念のため、数回ノックする。「部長! 起きてますか? 時間ですよ。」
控えめに声を掛けるが返答がない。
スマホを取り出して務めて冷静な声でフロントに電話をかける。
「・・・ええ、何だか様子がおかしいんです。部屋を開けてもらえませんか?」
ホテルのフロントが渋々やって来るまでの間、心配そうにドアの周りをウロウロする。
(ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ! 気を引き締めろ! 最後の仕上げだ!!)
どうしても顔がにやつく。
ホテルマンがようやくやってくると、数回部屋に声を掛け、合鍵でドアを開けた。
ホテルマンと一緒に部屋に入ると、山浦部長は寝間着のままでベッドに腰かけていた。
青白い顔をして、ここちらを振り向き、うっすらと笑っている。
「お加減は如何ですか? もし具合が悪ければ救急車を呼びますが?」
ホテルマンの問いに、自分は大丈夫だ。ちょっと飲み過ぎただけだ・・と、山浦は言い訳をした。
ホテルマンは足元にころがっている数本のウィスキーの瓶をみて、少しだけため息をつき、淳平の顔は引きつっていた・・・。
**********
「なあ・・淳平。お前、酒に毒でも入れたんじゃないだろうな?」
突然の山浦部長の言葉に淳平は戦慄した。
取引先に向かう車の中で、淳平は小刻みに体を震わせている。
いったい、何があったんだ?
淳平は殺そうとした山浦の顔を横目で見る。
山浦は二日酔いでげっそりとしてはいるが、今にも死にそうという訳ではなさそうだ。
「ああ・・胃が痛てえ・・・。」
「・・・お前に・・お前に僕の痛みが分かるか。」
「てめえ、俺にたてつく気かよ!」
「煩い! 僕はもうどうでもいい! そうさ、毒を入れたよ! ハブの猛毒をしこたま入れてやったんだ! さっさと死ねよ、クズ野郎!」
山浦は一瞬キョトンとした・・・そして何事かを察したらしい。
「な・・」
「な・・」
二人は同時に言葉を発した。
「・・・お前は、ホントにタイミング悪いな。」
「大きなお世話だ。」
「なあ・・・」
「・・・・・。」
「お前が、俺を殺したいくらい憎んでたってのは分かったよ。」
「・・・・・・辞める。会社、辞める。訴えるなら訴えろよ。僕はもうどうなってもいいんだ。」
「早まるなよ。」
「脅す気か! また僕の弱みを握って、一生こき使うつもりか!」
淳平の両目から大粒の涙が止めどなく零れ落ちる。
「どうせ俺はあと一か月で退社だ。この部署もすぐに解体される。」
「え?」
「早期退職ってぇ名目だがよ。厄介払いさ、結局は・・な。」
山浦はそういうと、それ以上は何も言わずじっと外を眺めて続けていた。
一か月後、山浦は確かに退職してしまった。
実にあっけない幕引きだった。送別会が開かれ、誰もが本心から喜び、気持ちとは真逆の言葉が並べられた。
そして、部署の解体である。
淳平たちには新しい辞令が交付され、それぞれが別の部署へと移動になることが決まった。今日は移動の為の整理で、部員たちはそれぞれ、自分のデスクの整理に励んでいた。
「なあなあ、部長の話、知ってるか?」
先輩の井上さんが、デスクを整理中に珍しく話しかけて来た。
「部長、奥さんと別れてたらしいな。」
井上先輩の話では、部長の奥さんはお偉いさんの血筋の娘らしく、別れたとたん厄介払いされたらしい。実際に、けっこうな額の横領も行っていたらしく、能力的にも人並み以下の部長は、本当に会社にとっての厄介者だったのだ。そして今は行方が知れないのだという。
それにしても・・・と、淳平は思う。
波布の毒の入ったウイスキーの瓶は空だった。確かに部長は致死量の毒を飲んだ。
なぜ、死ななかったのか・・・。
アルコールと一緒に飲んだからか? それにしてもあれほどの量を飲んでいたのに、胃が痛いくらいで済むものなのか?
しばらくして淳平は考えるのをやめた。
いずれにせよ、殺せなかったのだ。殺しの計画を立て、実行に移した時の高揚感は既に無い。部長のパワハラは無くなったが、なぜか素直に喜べない。周りの景色がセピア色にさえ見えるような気がしてならない。
「よいしょっと・・。」
処分しようとした書類の中に、見慣れない封筒を淳平は見つけた。最近投函された物のようだが、差出人の名前に見覚えは無かった。・・が、書かれた文字には見覚えがあった。
淳平はあたりを見回し、封筒を持ってそっと部屋から出て行った。
思った通り、屋上には誰もいなかった。
淳平はもう一度、誰もいないのを確認すると恐る恐る封を切った。
中に入っていたのは、やはり山浦からの手紙だった。
『淳平よ。元気でやっているか? 俺は今、一人で旅に出ている。こうして一人になってみると、会社にいた頃が懐かしいよ。
あの時、お前が言った言葉は、俺にはショックだった。
俺はお前も、他の連中もみんな好きだったんだ。部長と言う立場上、厳しくしなけりゃいけない時もある。それがお前らにはきつかったのかと、俺はあの時初めて知ったんだ。俺が若いころにはあのくらいは・・・【中略】・・・・それにしても毒入りの酒を飲んだのは初めてだったぜ。やっぱり不味かったよ、あれは。俺はもしかしたら毒なんか効かない人間だったのかもな。そう思ったら、なんだかやる気が出て来た。俺はいずれ会社を立ち上げ、ビッグになってやる! そん時きゃ、お前も・・・・』
「ふう・・・。」
淳平は便箋を破き、細切れにした。
細かく裂かれた部長の手紙は、ビューっと吹いた風がどこかへ運んで行ってくれた。
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【作者注】
ハブの毒に関してですが、ハブの毒は口から摂取しても効かないそうです。
理由は判明していないそうですが、もし試される場合は自己責任でお願いします。
参考記事URL https://president.jp/articles/-/79574
参考記事URL https://president.jp/articles/-/79574
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