~二代目歌川一家総長歌川源治の半生~歌川源治編
俺、歌川源治が産声を上げたのは、1988年代バブル全盛期の東京都新宿区西新宿。
俺の生家はこの西新宿一帯を取り仕切る任侠一家、歌川一家だった。
当代を勤める俺の父親、歌川彦次郎は昔気質な渡世人で、若い頃には小太刀の彦次と恐れられた小太刀の名手だったらしいのだが、当時から争い事を好まなかった俺はとにかく父親と同じ空間に居ることが窮屈でたまらず、双子の妹を一人生家に残したまま家を飛び出したはよかったのだが、当時からあまり治安のよろしくない街だった西新宿一帯だったためか、この街で生き延びるには、殺し合いの喧嘩という物も避けては通れなかった。
十六で家を飛び出し、三年と少しのノラ暮らし。十九歳になろう頃、俺の心境にも変化が出はじめていた。
ヤクザな親父を忌み嫌ってはいたが、この三年と少しのノラ暮らしは、親父が俺に与えた試練なのだと。
しかし愚かな俺がそれに気づいた時には、時すでに遅く、家に残した双子の妹歌川智子と再会したのは、親父の葬儀会場だった。
「……智子…なんで報せてくれなかったんだ?親父の事?」
俺がそう聞いたのは、親父の葬儀と初七日法要が終わり、妹と二人骨になった親父を連れて葬儀会場を出た時だった。
「……父さんの遺言だよ……強くなって帰ってくる兄様に次代を託したいからあいつが帰るまで俺の事は伏せておいてくれって……」
俺の隣を骨になった親父を抱いて歩く妹の智子が
伏し目がちに俺に言った。
「……親父らしい考え方だな……悪かったな智子…今度こそ俺は逃げねぇ!おまえと親父が残したこの組ぃ守るために頑張るよ」
俺はそう言うと、妹の華奢な身体を抱きしめて、
迎えの車に乗ると、親子三人家路につくのだった。